2007/12/01

自己成長を求めて

 私たちは(私は)本当は、できればどのように生きたいのでしょう。

 私は、もっと自分を認めて、自分を愛して、自分の気持ち(欲求や感情)にそって素直に、そして自由に生きられたら、と思います。
 「人はどう思うだろう」ということが気になって自分を抑えてしまったり、自分の言動に対して、相手が否定したり、批判したりした時、動揺して、なかなか自分の思いを伝えられない、引いてしまうこともよくあります。思い切って言ったとしても、また反論されるのではないか、それに答えられないのではないか、と、と思ってしまう自分、諦めてしまう自分、そして後で悶々としてしまう自分がいます。以前に比べればかなり言えるようになったのですが。

 先日、SAT療法の勉強会でこうした自分の行動を変えたいと思い、「行動変容支援カウンセリング」を仲間にしてもらいました。
 その過程を大まかに書いてみたいと思います。

 「思ったことが言いたいのになかなか言えない」――その時の気持ち、(言えなくさせている感情)は――<怒り系>の《相手への不満》であり、その時浮かぶ心の声は「何で分かってくれないの!」というつぶやきです。そして<悲しさ系>の《がっかり、諦め》の気持ちもあり、その時浮かぶ心の声は「しょうがない」でした。
 さらに、「このような感情や心の声が時々起こる、それは一般的にどのような状況の時か」という質問に<分かってもらえない中で、我慢しなければならない時>だと思いました。
 さらに、「このような状況を思い浮かべた時、ふっと浮かぶ過去の出来事やシーンは何ですか」と質問されて浮かんだのは小学、中学、高校の頃に母から怒られたシーンでした。母が私に対して怒る言葉に反発を感じ、言いたいことがあるのに、言えずに黙っている自分のイメージが浮かびました。一番幼い時のシーンは母に怒られて泣いているのに母は「こんなことで泣くんじゃない」と更に怒り、私は一層泣けて来たシーンでした。

 「実際に起きてしまったけど、それが起きないためにまわりが無条件にどうしてくれたらよかったか」という質問に『母が大らかな性格だったら、そのためには母がその母親に大らかに育てられたら』と思いました。そしてそれをイメージしました。また「自分はどうだったら?」という問いには「活発で思ったことをどんどん言える子だったら」と思い、それをイメージしました。
 次に「その光景が回避できなかった訳ですが、開き直って、自分の力でその危機を克服するにはどうすればよかったか」に対し、私は「母はそういう性格なのだからと、くよくよしないで、好きなこと楽しいことをする自分」がイメージされました。
 そうした過去の問題と今、言いたいことが言えない、という問題を考えた時、私は“不条理なこと”(自分を分かってくれない)ことに我慢し、諦めて来た自分がいたことに改めて気づきました。
 そして、「これから具体的にどのような自分になって行きたいかの」の問いに「諦めない自分」という言葉が浮かびました。――「相手が分かってくれるかは分からないけど“もう一言”だけでも言ってみよう」と思いました。実際に、ある話し合いの時に「言わなくても分かってくれてもいいのに」と思って、何も言わなかったことが、後でその話題になった時、相手は私がもっとよく説明してくれたら理解できて、批判的なことを言わなかった――と言ったこともありました。

 また、思ったことを率直に言えない、否定、批判に弱い、動揺する――というのは、失敗したりまちがったり、思慮が足りないという、マイナス面を持つ自分を受け入れられない、ということであり、「完全な人間はいない」と思いながらも、ありのままの自分を認められない――それはまた、人に認められない自分は、自分でも認められない――ということであり、いつも人の評価を気にして、自分の思い、欲求を抑えてしまう、欲求を変えてしまう。それは、育つ過程で親から無条件に認められ、愛されなかった、そして親から愛されたいために親の望むものにまわりの期待に合わせて来たからでもあるのでしょう。それは不自由なことです。自分を出せない、自由に行動できない・・・自分の人生を十分に生きているとは言えないかもしれません。

 どんな自分でも(完全でない自分でも)価値ある人間だと思えたら、自分を認め愛することができたら、人生は広く、深く、豊かに生きられるように思うのですが。そして、それが人間的成長、自己成長ではないでしょうか。カウンセリングの目ざすものも、そこだと思います。能力を高めること、秀でることが人間の成長ではなく、どんな自分をも認め、愛することができれば、人の評価はどうであれ、人(相手)をも、どんな状態の人をも認め愛することにつながると思います。

和田ミトリ

2007/11/06

気質のことなど(2)

 暑くもなく、寒くもなく、秋、道草の家に通う道や、歩道橋から空を見上げる余裕がでてきました。雲一つない青空もいいですが、雲が様々な形をして浮かんでいるのを見るのも飽きません。さっき見た雲、昨日見た雲、同じものはありません。
 また、青年の集いでパステル画の時がありますが、初めてバステルを持ったという青年、「面白かった」と興味を持ってくれて嬉しく思います。「自由に、好きなように、何かを見て描いても、見ないで手の動くままに描いてもいい」と言いますと、画用紙に曲線で、色々としきりをつけ、色々な色のパステルで塗りつぶしたり、「とにかく、どんな色か沢山の色を塗ってみよう」と言って、画用紙をたて横のますにしきって、一つ一つ違う色で塗った絵、何か明るい空気、光を発しているようで、ほっとした感じになります。それぞれの絵、それぞれの色、どれも美しく感じます。
 でも、「青年の思い」の中で、ある青年が、「悩み、苦しみ、悲しみはなくならない」と言っています。それぞれ、違っていて、それぞれの色を放っているのですし、少しでも辛い思いが和らいでほしいと思います。今は「自分の人生を生きている気がしない」と言っている青年もいますが、心から“楽しい!”と感じてほしい。自分の人生を生きてほしいと思います。

 先月号で、親と子の気質の違いから、親が子供のことをよく理解できずに、不登校やひきこもりを長びかせてしまうことが多いと述べましたが、もう少しくわしく述べたいと思います。
 その人の考え方、感じ方、態度、行動にはそれぞれ、ある程度、一貫した特性(内的枠組)があり、生来の気質の上に、育つ過程で形成されるものを含めて、性格(パーソナリティ)と言います。普段、余り意識はしませんが、生来の気質が、その人の考え方、感じ方、態度、行動を機制している面が大きいと思われます。
 気質の違いが、それぞれの考え方、感じ方、態度、行動の違いに影響している訳ですが、それを意識しないまま、親が子供に対し、自分の感じ方、考え方で判断したり、親の思いのままを期待したりして、子供を理解できなくなってしまうことが多いと思われます。親がよかれと思っても、子供にとってはそうではない、しんどい場合もあります。親ができたから、子供もできる筈だと考え、「頑張らないからだ。意志を強く持たなければ」と言ったり、子供が性格的に大人しいとは思っていても、頑張ればできると思ったり……。「学校へ行くのが辛い」とか「仕事が辛い」「人間関係が恐い」なども、親にはなかなか言えない……。
 SAT療法で使われる6つの遺伝的気質(宗像恒次2006年)を参考にもう少し考えてみたいと思います。
 例えば、親が<しゃべることが好き、社交的、活動的>などの循環気質で、子供が<自分の世界、自分の内面に関心が強い。マイペース、自分の中にズカズカはいってくるような人は苦手>というような自閉気質の場合、学校や職場などでいじ悪されたり、集団にはいれなかったりすることが、親は余り理解できず、子供の気持ちをフォローせずに「いやなことはいやと言ったら?」とか、「自分から積極的にならないと」など言いがちです。「親は分かってくれない」と親に話さなくなったりする場合もあります。
 また友達の場合も、親しくなるにつれ、循環気質の人がどんどん解放的に自分のことを話しても、自閉気質の人はそんなに自分のことを気軽に話せない。双方の期待がずれて来て、気まずくなることもあるでしょう。
<心配性、神経症、思いこみ、妄想を持ち易い>などの不安気質を青年たちは皆持っています。そして、自閉気質と重なって、対人恐怖やこれからのことに強い不安を感じています。人に対して解放的になれず、傷つき易い、親に不安気質が余りない場合は、なかなか理解できないかもしれません。
 また、<生真面目、責任感、完全主義、義務感が強い>という執着気質も、不安気質と重なると、うつになり易い。執着気質の親が子供に完璧を求めたり、青年自身が完璧を求め、失敗するのを怖れて、足を踏み出せない場合もあります。
 家の中で、一見、穏やかに過ごしている青年も、心を閉ざしている青年も、不安感、対人恐怖が強いのだと思います。「何もしていない」と思い、そういう自分を否定ばかりしていると、意欲もエネルギーも出なくなる、引きこもっているのは今までの生育過程で大きな不安を感じたり、傷ついた体験があったり、などがありますが、気質の問題もあるかと思います。
 自分と相手の気質の違いを知り、相手に期待できることと、できないことを知り、特に期待できないことを自覚することで、その人との関係が改善されるという気質コーティングも効果があるかと思います。
(ちなみに、もう二つの気質は、粘着気質<義理堅さ、融通が利かない、粘り強いが爆発する時がある、世話好き、など>と、新奇性追及気質<新奇なもの、異質なものに興味を持つ、探究心が強い>です。)

                                                和田ミトリ