2011/10/22

すべてをなくしても未来は残る 太陽がまた、幸せを連れてくる

 この言葉は東北の子ども達に海外の同世代から送られた激励の言葉です。(ユネスコが募った「KIZUNAメッセージ」としてブータンとフィジーから送られたもの)
 こういう言葉が発せられる国!感動と共に考えさせられます。
 「未来を信じられる」ということを、日本の若者の中でどのくらいが信じられるでしょう。勿論、震災で家が壊され、流された人たちは、もとの生活ができるようになるか、不安でいっぱいのことと思います。思いがけない災害に逢った場合、未来のことはなかなか考えられない。でも、ひきこもる青年たちに目を向けると、一度”ふつう”からはずれると、「未来はない」と思ってしまう青年が多い現実、どう考えたらいいのでしょう。
 「自分はダメな人間」「社会がそう見る」と思ってしまう。「そんなことはない!」と大声で叫びたくなります。それぞれすてきなところを持っているのに。ある青年は高校を中退した時、教師から「高校くらい卒業できないと、人生は終わりだ」と言われた、と話しました。そして、中学生くらいから不登校になったり、高校に行かれなくなって家にひきこもる-「それはふつうでない、ダメなこと」と自分を責めることは、精神的に不安定になり、病いとなって行くことが多い。
 何とか少しずつよくなり、家から外へ出られるようになっても、”空白”の期間として、ひけ目を感じて、やはり”自分はふつうではない”と強いコンプレックスから抜けられません。ふつうの人の仲間にはなれない「自分の未来を考えるのは辛い」と言ったりします。また、20代半ばすぎると、「同級生はみな、大学も出てたりして、働いている」と思い、自分を知る人に出会うのを怖れて、外へ全く出ない青年もいます。
 日本人の傾向として、”みんなと同じに””ふつう”ということを第一に考えがちです。それが、ストレスになって病気からの回復を遅らせているように思います。道草の家に来る青年たちも、その悪循環からなかなか抜け出せず、調子に波がある青年が多いです。
 先月号で、アメリカインディアンの生き方を書きましたが、未来を担う子どもを大切にし、未来を考えられる若者に育てている-とのことですし、アメリカインディアンと同じように太陽に生きるエネルギーを感じるフィジー(東南アジアの小さな国)の子どもたちは”幸せ”を感じながら生きている-。私たちは、未来を感じられる子どもに、若者に、育てようとしているでしょうか。大切にしているでしょうか。

和田ミトリ