2013/06/04

森と農業

 森の中で働く――男だったら――ことを夢見ます。

 なぜ?・・・幼い時過ごした福島県の田舎で友だちとよく森の中で遊んだことを思い出すからかも知れません。杉などの茂った森へ友だちと遊びに行き、こわい話(天狗の)をしたり、少し離れた所にある(所有地の)林に姉や母と枯木を取りに行ったり(風呂を炊くため)、蚕にやる桑の葉を採りに行ったことを思いだします。その時食べた赤く実った桑の実のおいしさ!甘さ!――その頃は戦時中、お菓子などありませんでしたから。

 そして、そこから眺めた下方の町並みの向こうの低い山並・・・山並の向こう側には何があるのだろう。自分たちの町と同じような町があるのだろうか、自分たちと同じような人々が暮らしているのだろうか――と思ったことを覚えています。日本という国のことも、他の国々のことも、地球のことも知らずに。広い世界があることも知らずに。

 でも、そうした幼い頃は、「人が悩む」ということも知らずに無邪気に遊ぶ楽しい日々でした。

 9才で名古屋に来てからは、大家族から養父母と3人の生活になり、さびしさを感じましたが、夢に出るのは兄弟など大勢で過ごした広い家の様子や友だちと遊んだ野原や森や林でした。

 さて、私にとっては懐かしい森や林が、日本国土からも、世界(地球)からもどんどん減って行っていること、このままでは生物は生存できなくなることを宮脇昭先生の著書「森の力」を読みながら(うすうすは知っていましたが)、その切実さを改めて知りました。

 そして、森と同じように農業も、地球の自然環境にとって重要であることも知りました。(「農から環境を考える――21世紀の地球のために」) 

 食料の自給率が30~40%だということも聞き、輸入ができなくなったらどうなるのだろうか、と心配でなりません。

 私たち生命あるものを支える自然環境、それはきれいな空気と水と土であり、それを保つのは森林であり、農業生産であること・・・宮脇先生は、沢山のポット苗(広葉樹の実を埋めて苗を作る)で世界中に森を作っているそうですが、今は行動できませんが、いつかそうしたことがしたい、と夢見ています。

国民性と心の苦しみ

 今の社会状況、そして思うように生きられず、悩み苦しむ青年たちと親の方たちのことを考えると、様々なことが押し寄せてくる感じで、整理できず、方向性も定かでない・・・

 親にも心を閉ざし、殆んど自室にいる場合、「どうしたいのか」「どうしてほしいのか」も分からぬまま、「本人がこれを望んでいるなら、それを受け入れてあげるべきでは?」と思い悩む親の方も、また「子どもを愛情こめて一生懸命育てたはずなのに」と思う方もおられます。

 生来の気質や、育つ環境(人間関係)、様々なことが重なって、今の状態になるわけですが、イギリス人と日本人について書かれた本を読んで、日本人の国民性もあるのでは、と思いました。日本人の心は複雑です。シンプルに生きられない。シンプルに生きられたら、ひきこもることも、悩み苦しむこともないと思われます。

 日本人の国民性(みんなが、というわけではありませんが)、真面目、完ぺき主義、協調性、我慢強い、頑張る――などがあげられると思います。

 農業が中心の生活だった時代は、お互いに助け合わなければならず(例えば、田んぼの水を上から順番に流していく)、また、文化が緩やかだった頃はこれらの気質が生かされたと思います。でも高度成長の時期にはこれらに”競争心”が加わって「みんなに遅れてはいけない」さらに、頑張ることが要求され、優しく繊細な子はその波に乗れずに、不登校やひきこもることになって行きます。

 でも、”人並みにならなければ”という思い、人並みになれない自分を責める・・・人並みに働いて仕事を持って安定した収入がある生活・・・でも、長く社会から離れていると、ほど遠い・・・友だちは医者になったりしているのに・・・

協調性、完璧主義

 親は子どもに幸せになってほしい、と願います。「いい学校」「いい就職」「いい生活」を願ったり・・・

 人から「いい子」「いい人」だと思われることを、そのような生き方をして来た親は、子供がそうなることを求めたりします。子どもは親に認められたいし、優しく、守ってくれる居心地のよさに、親の求める”いい子”になろうとし、他の人の中でも、そうなることを努力します。親は外向的な性格で、”いい人”であることが、そんなに無理でなくても、子どもは内向的で、繊細な場合、無理しなければならず、人に合わせる生活に生き辛さを感じるようになる。そして、自分にひきこもりがちになったり、そういう自分(人とうまく交われない)を責めたり・・・に陥る。

 真面目で完璧主義――も、社会に出ていないことのコンプレックスから必死に「完璧にやらなくては」「常識をわきまえていなくては」という思いが強くなり、そうできない自分を責める、ということも。

頑張ること・・・

 不登校になったり、ひきこもったり(働かない)することは、頑張りが足りないからでしょうか。私はむしろ真面目で頑張ったから、無理したから、不登校になったり、外(社会)に出られなくなったのだと思います。また、頑張る目標が以前のようにはっきりしなくなった、ということがあるかもしれません。これ以上、経済成長をし、生産性を上げることは、地球環境の悪化につながることを、青年たちは(ひきこもっていない青年も)無意識に感じてるかもしれません。

他と違ってもいい、自立

 イギリス人と日本人との大きな違い、イギリスでは人と”違う”ことを当たり前と思い、むしろ”違う”ことが評価されます。そして子育ての目標は”自立”させることだとはっきりしています。

 日本では、真面目がいい、頑張ることがいい、人にいやな思いをさせてはいけない、迷惑をかけてはいけない――などを、繊細で感受性が強い青年は、敏感に感じとってしまい、今の社会では生き辛くなってしまうのだろうと思います。

 感性も知性も豊かなのに、社会からは、はずされている、という思いになり、社会に出る意欲を失くしている面があると思います。

 生きる力、自立の力をどうつけて行ったらいいのでしょうか。まず第一に「自己肯定感」が持てることだと思いますが、それにはどうしたらいいのでしょう。「高い目標」に向けて頑張るのではなく、今できることを精一杯やることだと思います。それを続けて行く。親もまわりも、そういう思いで接することではないでしょうか。