2013/02/14

雪の日に思う

 1月14日、関東に久しぶりの大雪が降りました。朝、窓の外を見ていると、雪が降ってるのが見え、そして「みぞれみたい」と思う間もなく、白い雪に変わって来ました。その日は外出の予定もなく、雪を見て過ごしましたが、鉄道もストップ。一旦、鉄道で外出した人は、帰るのが大変でした。
 北陸や北日本はこれどころではなく、屋根の雪降ろしなど、外の仕事をどうしてもしなければならずまた、バスなども走らない時もあり、雪に閉ざされた生活になります。私などは外へ出るのも寒くて、億劫、――でも子どもの頃は大雪が降ると嬉しく思いました。兄が雪のトンネルや雪の階段を作ってくれましたし、祖父が作ってくれた簡単なそりで坂をすべり降りたり、楽しい遊びができました。
 初めて中学の教師をした冬、かなりの雪が降り、授業をやめて生徒たちと雪合戦をしたことが思い出されました。もう何10年も前のこと、「若かったな」と思います。
 何10年の前のことも、昨日のことのように思い出され、その後今まで色々なことがあり、色々なことを体験し、色々なことを感じながら生きて来て、今がある。今の活動がある・・・それを思うと、私は何を楽しみ、何を苦しんで来たのか、という思いも浮かびます。今、青年や親の方と関わりながら、重なる部分もあり、重ならない部分もある、時代も大きく変わりましたし、私の個性や個人的体験もありますから。でもやはり青年たちの心の苦しみ、生き辛さは身近に感じます。

無邪気さからコンプレックスへ
 まず、小学生までは遊ぶことが楽しく、友だちと無邪気に遊んでいたな、と思います。一人で本を読んだり、絵を描いたりするのも好きで、それは、中学、高校と続き、今も読書や絵を見るのが好きです。
 でも、中学の終わりから高校にかけては、反抗期にもなり(養女になり一人っ子ということもあり)親の過保護、過干渉が、とても苦痛になりました。でもそれをはっきり言えず、悶々としました。もともとおしゃべりな方ではなかったのですが、言葉の表現や、喜怒哀楽の感情の表現もあまりできず、「しゃべれない」というコンプレックスになりました。親しい友だちとは話せますが、特に大勢の中だとか、社交的な場での言葉が出ない、言葉を知らない、それはその場、その場での的確な判断力もない――ということにもなり、今もだいぶ薄らいではいますが、感じます。
 よく、親の方たち、特にお父さんが、「自分は頑張って仕事をして来た。頑張ればできるはず、働けるはず」と言いますが、私は「こうなりたい」と思ってもできないことがある――と実感しています。
 結婚して社宅生活をしている時も、社交性がないこと、気がきかないことは居辛い感じがしました。「何か足りないのかな」という思い・・・やはり家庭の主婦、子育てだけでは満たされない思い。そして「常識で」で囲まれてる感じもし、圧迫感も感じました。それが、家庭の外に出て勉強したり、活動したり、仕事をしたい、という思いにさせたのかもしれません。

“普通”をめぐって
 会報1月号の「青年の思い」に、「『普通になりたい』と思って、理想を求めてきた。でもそれ自体が生き辛さになることに気づいた」と書いた青年がいます。青年の言葉に改めて日本人の多くの人が持つ“普通”という価値観を考えました。
 日本は古来から農耕で成り立っていたムラ社会で共同体意識が強く、「みんなと同じように」「他の人に合わせて」という価値観を持っていました。村の人々が同じような生活をしていれば、助け合いながら“同じように”ということも必要であり、そんなに難しいことではなかったかもしれません。でも近代化が、都市化が進み、様々な生活がなされるようになりました。そして文化も多様になり、様々な芸術(音楽や衣装も実に様々)、趣味も多様になりました。
 でも「みんなと一緒に」という価値観は残り、また、「人それぞれでいい」と思う余裕がなく、多くの人は「みんなと一緒に」に安心感を覚えるようです。多数の人の歩く道が“普通”であり、それが“幸せ”なこと――というような価値観が根強いように思います。でも、人はそれぞれ個性があり、育つ環境も違い感じ方も違います。感性豊かで感受性が強い人ほど、そうした価値観に違和感を覚える、それを無理に合わせようとしたり、自分の方を否定すれば、精神的な不調をもたらすことになります。
 青年たちに“普通”に対する思いを聞いたのを青年の思いの所にまとめましたが、“普通”や“理想”を求めると、それができない自分を責めて、精神的な病いを引き起こし、それからの回復がなかなかできない、と言っています。また、“普通”という価値観を意識からなくし、或いは、“普通でない自分”を認めると、こだわりがなくなり、気持も楽になり動き易くなる、と言う青年もいます。
 私は、「常識がない」「しゃべれない」というコンプレックスを感じながら生きて来ましたが“普通でない”ことを認めていたようで、むしろ“普通”に反発を感じていたとも言えます。それが、失敗しながらも、色々と活動をして来た、起因になったかもしれません。沢山の失敗をして来た、これからもすると思いますが、人生そのものは失敗とは思わないでしょう。これから何10年も生きる青年たち、“普通”にこだわらないで、自分の心身が求める生を生きてほしい、と思います。
 自分にとって意味ある価値観は何でしょうか。