2010/04/21

貧しい国 豊かな国

 母が亡くなって1年半、小じんまりした家に引っ越すことになり家具や、衣類、食器類などの整理に追われてる日々を過ごしています。使われてない(進物の)食器も沢山あり、どう処分したらよいか、また子どもたちが残した本や子ども文庫をした時の本も沢山あり、余り古く汚れてしまった本はリサイクルに出すとしても、簡単には廃棄できず、それを選別するにも時間がかかります。溢れてしまった“物”に、使われない物に囲まれてしまったことを痛感します。
 そんな、すっきりしない気持、また、青年たちも、様々な状態で苦しんでいるのを感じる日々。過去のことを思い出して(ふっと浮かんでしまう)苦しい思い、うつの気分になってしまったり、強迫観念と戦う日々苦しさに耐えていたり経済的に厳しく、不安定な気分を抱えながら働かざるを得ない青年。
 そして、外(日本の社会)に目を向ければ、年間3万人以上の自殺者そして、孤独死の老人・・・
 こんなことを(いつもではありませんが)感じている時「インパラの朝」(中村安希、集英社)という本に出会い、一気に読み、“生きることの本質”について考えさせられました。
 これは27才の女性が約2年かけて、東南アジアから中近東そしてアフリカに一人旅(バックパッカー)をした記録ですが、観光旅行ではなくその国の人々のふつうの庶民の、暮らしを体験したい、というものでした。
 私がまず、驚いたのは、どの国の人々も、前からの知り合いのように声をかけ、家に招き、ご馳走をし、宿泊もさせたりもしたこと。外国の人を警戒もせず、最初からの友達のように、家族のように扱う、誰にも、裏表なく、接することができる人間信頼感!
 彼女(著者)は、自分は女性だからかもしれない、と言ってますが、以前、ある青年から、トルコなど中近東を一人旅した時、街などですれちがった、現地の人が、自宅の食事に誘ってくれた、と言い、「中東を旅してる時は、現地の人々は裏表がない。気持が安らいでいた。モスクなどにも誘われて、お祈りの場にいたが、違和感はなかった。でも日本に帰ると、人に意地悪されている思いになって人が怖くなる、とても働く気にならない」と言っていました。男性でも、旅人を歓迎してくれるようです。
 彼女がイランにはいった時、誘ってくれたイラン人に「テロなどこわいイメージがあるのだけど」という言葉に「外国にはそういうイメージしか伝わってないようだけど、私たちは仲良く、楽しくくらしている。私たちの生活を知ってほしい」との答えでした。アフリカに渡ってからの旅、エチオピア、ケニアなどの東アフリカ、ザンビア、南アフリカなどの南アフリカ、ガーナ、ニジェールなどの西アフリカ、そして、サハラを北上しモロッコへ…という実に沢山の国々をバスやトロッコの列車、そしてヒッチハイクのトラックなどに乗って旅した訳ですが、いつも、バスなどで一緒になった人が、あるいは、通りで出会った人が困っているのを助けてくれ、何泊もさせ、ご馳走をしてくれたり、次の行先のための交通手段を考えて手配してくれたり、それも殆んど無償で。
 それを読むにつれ、私たちは見ず知らずの人にそんなことはできない、国民同志でも助け合う気持は低く、格差が広がり、“貧困”という言葉が日常的に出て来る日本。物に溢れ、飲食も衣類などもまだまだぜいたく、でも本当に困っている人を救えない。将来への不安は殆んどの国民は持っている…。アフリカと日本はどちらが貧しい国か、どちらが豊かな国か…。彼女の言葉は印象的です。(まとめると)
 「私はアフリカへ行って貧困と向き合い、現地の惨状を確認し世界に現状を知らせ、アフリカの貧困の撲滅を訴え、慈愛に溢れる発想を示すはずだった。けれど、あてがはずれた。なぜなら予想していた貧困が思うように見つからなかった、人々は不幸な顔をしてなかった。
 アフリカは教える場所ではなくて、教えれくれる場所。助けてあげる対象ではなく、助けてくれる人々だった・・・
 アフリカは小さな声で、小さなその手で、助けてくれた。迷い込んだサバンナで、体力の尽きた路地裏で、意味も分からず乗り込んだバスや、暗くなった街角で、私に多くの暖かい手をアフリカはいつも差し伸べてきた」

感動した本、癒されるアニメ…
 青年の集いでは、笑いの絶えない楽しい会話がなされたり、今自分が抱えている悩みが話されたり(それへのみんなの思いが語られる)様々なことが話し合われます。
 先日は、自分の好きなアニメ、ストーリーに感動した、ということが話されました。「その主人公の思いがけない死の場面から、『自分は死んではいけない、生きなければいけない、苦しくても』という思いになった。原作者に『ありがとう』と言いたいけど、手紙ではなく、実際に会って伝えたい。それは、もっと自分が成長してから」。一つのアニメ、映画、一冊の本、マンガが、見る人に読む人に生きる勇気を与えてくれる――すばらしいと思いました。
 私も本が好きでよく読みます。心が癒されるものもあれば、心の問題や社会問題をより理解できるようなものもあります。
 家の本を整理しながら、「この本は読んだ時感動したな。もう一度読んでみたい」という本にいくつも出会いました。内容のくわしいことは覚えてませんが「よかったな」とう思いは残っています。今後「不登校クラス」が始まった時、子どもたちに読んでほしい、と思い、道草の家の方に移そうと思ってます。そして出歩けなくなった老後も本を読みながら過ごせば、退屈しないでしょう。
 絵本は、短く、すぐ読めますが、少ない言葉の中に、絵の中に作者の凝縮された思いが伝わってきます。
 私の子どもの頃は、終戦前後で子どものための本もあまりなく、また買ってもらえず、私の子どもが、子どもの頃に私が子ども会の役員になった時「子ども文庫」を作ろうという案が出て、各家から本を持ちよって「子ども文庫」を作りました。その時、絵本や童話に目覚めました。
 絵本や童話を読むと、心が癒されたり、豊かになった気持になります。現実には起こり得ないことも、自然に感じます。動物が話す、違う種の動物が話し合ったり、人間と動物が話をしあったり、助け合ったりします。勧善懲悪ではないけど、人間同志もこうなれるのではないか、こうなりたい…というものを感じます。或いは、自然の豊かさ、親と子の思いやり(動物の形のも多い)、友だちへの思いやり、旅人への思いやり、本来は人間、親子や、訪れる人と信じ合える、助け合える、思いやれるものではないか、そして楽しくすごせるものでは?――アフリカの人々のように――という思いにさせられます。