2012/12/03

年の瀬に思うこと -活動を振り返って-

 今年もあとひと月、いつもながら月日のたつ速さを痛感します。大きな問題がなかったから、そう感じるのかもしれません。また青年の集いを中心に精一杯やったつもりですが、目に見えた成果はなかった、と言えるかもしれません。主なことをまとめてみたいと思います。

【訪問支援ボランティア養成講座】新しい試みとして、10月より月2回、計8回まで始まりました。現、元ボランティアスタッフ、親、青年たち(道草の家の)が、10人ほど熱心に学んでいます。親の方は自分の子どもの関わり方を学びたい、と必死のようですし、青年たちも自分の体験を生かしたい、という気持もあり、感性も豊かで、2人組んで訪問できるのでは、と思います。

 自分から、人と交わらない、家から、殆ど出ない、青年や不登校児や青少年に「訪問していいですよ」ということをどうやって伝えて行かれるか――をこれから考え公的機関にも交渉に行かなければ、と考えています。

【親の方たち】親の会に来る方も、相談に来る方も、様々な経過をたどり、「何とか回復してほしい、社会に出てほしい」と強い思いを持ちながら、様々な経過で今になっており、お互いに“難しさ!”を感じます。

【青年たち】アルバイトをしている青年が時々来たり、フルタイムで働いている青年が転職の合間に訪ねて来てますが、新しい青年があまり増えず、その日によって少い場合がありますが、個人的な対応が十分できる、という良さもあるようです。

【不登校クラス】現在17才、18才の生徒が来て、青年の集いに加わっています。パステル画などで言葉では表現できないものを描いたり、創像の喜びを、みんなで(青年もスタッフ)味わっています。中学生の年令のお子さんの相談もあり、実際に来るようであれば、別個に不登校クラスを設けたいと思ってます。

【ミニライブ】古田君のライブは3回目ですが、今回は私の友人の横笛も加わって楽しさも増えました。道草の家の3階の広間も10名以上でいっぱいになりました。横笛では日本の古くからの歌、童謡や子守唄などが演奏され、その後、古田君の絶唱に聴き入りました。



「分人」ということ

 私自身も色々なことで動揺したり、うつ的になったりもしますので、確固たる信念や信仰があれば生き易いかな、と思わないでもありませんが、青年たちの心はあまりにも繊細であり、また自分の思いを追求したり、責めたり、考え深いところもあり、非常に微妙であるため、多様な関わりが必要です。心が楽になり、自分を肯定できるよう、カウンセリングの基本、「受容、共感」でもって関わるように心がけていますが、それだけでは足りないように思えて、「人間」とか「社会」、「生きるとは?」をどうとらえたらいいか、――などをも模索しています。

 このところ来所はないが、電話で時々話す青年が「最近読んだ本が面白かった」と言い、その題名を教えてくれました。「私とは何か――個人から分人へ」という本ですが、買い求めて読みました。「そうだ!」と思いました。

 一つの本当の自分があるわけではなく、相手との関係によって、相手との相互作用によって様々な自分になる。相手によって違う人格を見せているのを見て「本当の自分はどっち?」などと問いつめがちですが、どれも「自分」であり、それを著者は「分人」と名づけました。そして「私たちは日常生活の中で複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている」と言うのです。

 それから「他人について知りうるのは、相手の自分向けの分人だけであり相手の全てを知るわけにはいかない。相手との関係の中で、ネガティブな分人を感じるのは半分は相手のせい、またポジティブな分人を感じるとしたら他者のおかげ」とも言っています。

 また、「死にたい」とか自分を消したいのは、複数ある分人の中の「一つの不幸な分人」――と思った方がいいようです。自傷行為は、自己そのものを殺したいわけではなく一つの分人のイメージを殺そうとしているのであって、その他の分人は生きたいのであり、死にたい願望ではなく、生きたい願望の表われだ――というのも納得できます。

 人が変わる、成長するのは新しい他者との出会いを通して、自分の分人が変わっていく――親との分人をベースに対人関係を増やしていくことで様々な人との分人を形成されていく・・・

 自分のことが嫌いな人、「ダメだ」と思う時など、自分の分人を一つずつ考えてみて、誰といる時の自分が好きか、を考えてみれば、好きな自分の分人がいるはず――「好きな分人が一つでも二つでもあれば、それを足がかりに生きていけばいい」との言葉!(生きた人間でなくても、書物の中の人物、言葉なども自分を肯定するための入口になるとも言ってます)「自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だ――分人主義の最も重要な点」という著者の言葉は考えさせられます。

 青年たちに自己肯定感を持ってほしい、といつも願っているのですが、青年たちはある人との関係の中でマイナスを感じたとき。「自分はダメだ」と自分を全否定しがちですが、それはその人との関係の分人にすぎず、肯定できる分人もいるはず――そう思うことができたら、と思っています。好きな分人、肯定できる分人を一つずつ増やしていけたら!

 他者との出会いで分人が増え、分人も変わる――というのは他者との出会い、相互作用でその人の分人が変わる、その人も変わる。他者との出会いでその人の分人が変わる、その人も変わる。成長するということで、自分が変わるには他者との関わりが必要(それは書物でも)ということになり、ひきこもって他者との関わりがない場合、その人だけで変わって、社会に出る、というのは非常に難しいように思います。

2012/11/11

宮沢賢治の生地を訪ねて

 10月の初旬、岩手県の花巻、宮澤賢治の故郷を訪ねました。宮澤賢治の童話は大好きで、以前から賢治が生まれ、生きた故郷を訪ねたいと思ってました。
 花巻は内陸なので地震の影響もなく、のどかでした。小高い山の上にある賢治記念館からは、北上川や森や田畑が眺められ、こういう所で賢治は過ごしたのだ、北上川が水が少くなったとき、現れる泥岩を見て名づけた「イギリス海岸」の辺りを農学校の生徒と歩いた様子が目に浮かび、懐かしさを感じました。
 賢治は去年、地震の後賢治の「雨ニモマケズ」の詩がネット上で誤解されたりもしましたが、「雨ニモマケズ」は、晩年手帳に書き、死後発見されたものです。公表したいと思ったわけではなく、自分自身の理想的生き方を書いたものと思います。また地層や星空などにも興味を抱き、農村の貧しさに心を痛め、田畑の作物がよく育つよう肥料の研究もし、村人にも指導しました(死の間際まで)。 多様なものへの関心をあまりにも急いで行動に移したためか、37才で早世しました。
 何と言っても賢治の魅力は童話だと思います。賢治は仏教(法華経)の信仰も強かったようですが、童話はそうした宗教くささ(説教的)は全然なく、ファンタジックでユーモアに満ちていて、穏やかな自然の営みを感じさせられるものが多いです。動物も植物も森も山も、心があるかのように、会話をしている様子が描かれています。人間と動物が会話したり、森が会話したり(どんぐりと山猫)、鉄道のレールの側にある信号機や電柱も会話します(シグナルとシグナレス)。
 なぜ、賢治に魅かれるのか――今の社会、あまりにも「自然」と離れてしまってギスギスしている、物質的なものにとらわれているように感じるからかもしれません。「自然」にも心があると思えた時代。「自然」には神が宿ると感じられた時代!
 「自然」と会話できる、賢治、それを童話や詩に表現し、残してくれた!
ふと、私も「自然」と会話できるのではないか、近くにある草や木に、雲や月や夕日に、虫や鳥に私の方から声をかけたら、答えてくれそうな。そうすれば「みんな一緒に生きている」と思えるのではないか、とふと今、思いました。


発達障害

 「訪問支援ボランティア養成講座」が始まり、現、元ボランティアスタッフ、親、青年達が参加しました。2回目は「発達障害」(生まれた時から脳に微細な障害があてアンバランスな発達になる)についてですが、(6頁にも載せてあります)身近にいる発達障害を持っている青年・少年のことも話され、具体的な難しい問題も出されました。
 ある中学生の場合、本人も他の人と違った面、自分でもどうしようもない面があることを気づいていても「障害」という語がはいっているため、受け入れられない。そして触れたくないため、「支援してほしい」とも言えない・・・親子で悩みながらも、「生き易さ」の方に進めない。
 また、ある青年は、就職したが、上司からの指示をうまくとらえられず、仕事ができないことで、うつ病になり休職した後、「アスペルガー症候群」であることが分かり、職場復帰後は、指示の仕方をくわしくするなどの配慮で、仕事をすることができた――というケースもあります。
 言葉にないことも、読みとる、他の人の気持を想像することができない――という
「アスペルガー症候群」は、自分もまわりも理解し、意識することで補うことができると思います。 そして、ケアをしないまま大人になると二次障害のうつ病などを起こすこともあります。
「個性だ」と言って、ケアをしないのも、「障害」ということで偏見を持たれるのも
、本人を生き辛くさせます。「自分にもあてはまる」という発言もあり、「誰でも多かれ少なかれそういうものを持っている、グレーゾーンがある」ということにまとまりました。
 人は完璧ではなく、色々な欠けてるものを持っているわけで、そういう相手も自分も許しあえるようになりたいものです。

居場所

 数年前にはよく来ていましたが、仕事を始めてからあまり来なくなった青年が、久しぶりに、3年ぶりぐらいに訪れました。仕事をやめて一人暮らしですし、人恋しさもあるのでしょう。以前にくらべ落ちついた話しぶり。介護関係の仕事をしていたので、もう一人集いに参加していた青年も介護関係の仕事をしており、話がはずみました。また、10代の女の子にも優しく話しかけていました。以前は、自分の心の悩み、苦しみを訴えていましたが。
 そして、時々来所する青年、精神的に落ちて、働くことはできませんが、知的障害者の作業所(喫茶店)で音楽活動をしている青年が言っていました。彼の友だち、働いているのですが、「ぼくは働くひきこもりだ」と言っている、とのこと。職場ではある程度話はするけど、帰宅すると、一人暮らしで、まったく人と話をしない。人との関わりがない、時々彼と楽器の演奏などをすることが唯一私生活での人と関わり、そして「なんで生きているのか、君の方が生きているよ」と言うそうです。
 道草の家では数年ぶりに訪れたり、電話がかかって来たりします。話し合いが中心で、就職先を探してあげるような活発な活動は特にしてませんが、思い出してくれるようです。
 でもまた、テレビなどで見聞きするのですが、若者のホームレスが増えている、ということには心が痛みます。ある青年は数年前に地方から東京に出て、寮のある職場に就職したのですが、解雇され住む所も失いました。その数年間家族とは連絡とっておらず、実家に戻るわけには行かないようです。アパートを借りるお金もなく、住所不定では、アルバイトでもなかなか雇ってもらえず、時々日雇いをする程度。炊き出しの列に並んだり、路上などでダンボールの中で寝る――という姿が放映されていました。
 どうしてこうなったのでしょう。家族関係も薄くなったし、悩みを話せる友達関係も作れないし、孤立していく若者。そして働く場を見つけられない。経済的には豊かだと言える日本ですが、全体として、助け合う、支え合う、という人間関係がなくなってしまった。居場所、誰にとっても、いつでも訪ねられる居場所が方々に必要なのでは、と思います。

2012/10/03

遊び、いじめ

  子どもの頃、自由に遊ぶとは楽しいし、友だちと遊べばけんかもするけど、人間関係を学べる。そして何よりも「生きることは楽しい、楽しいことがあるんだ」という思いを無意識にも植えつけられると思います。大人になって、辛いこと、しんどいことも多くなりますが、「楽しいことをしよう」「楽しみたい」という思いが浮かび、何らかの形でそれができるのではないでしょうか。

 子どもの頃、9才までは田舎に住んでいて、自然の中で思いっきり遊んだ思い出。友だちとれんげをつんで首飾りにしたり、れんげ畑ででんぐり返しをしたり、栗の実を拾ったり、いなご取りや落ち葉拾いは授業中にやりました。小高い山の中腹の大きな石の上でままごとをしたり・・・今でもそういう遊びをしたいと思いますが、そうはいかず、時々旅行をしたり、木々が繁る公園に行ったり、青年たちと紅葉狩りに行ったりしています。そしてそういう場面が出る映画やテレビを見たり、絵本を見たりしています。絵などの展覧会などに行くのもそのつながりかと思います。私にはそのような解放感を感じる場が必要なのですが、それぞれにそれぞれのものがあるかと思います。

 最近、「いじめから自殺」という痛ましいことが続いています。

 いじめの暴力を“犯罪”として厳しく扱う―という意見も出ていて、それは必要だと思います。いじめる側の子どもの心はどんなのだろう、と考えます。(いじめを受けた子どもが、すぐに相談できる体制ができること、いじめから逃げられる―ということも大切だと思いますが)

 多分、彼らは、満たされないもの、鬱積したものを持っているのだろうと思いますが、学校教育の中で、競争によって学力を高めようという競争主義が(経済発展の競争主義)学校の仲間を支え合う、助け合う仲間としてでなく、競争相手になってしまい、心を許せる友だちとは見ない、ということがあると思います。

 そして子どもたちに自由な時間がなくなった。帰宅後も塾やお稽古事にとられ、携帯を見ている時間が長く自由に友だちと心身を思い切り使って遊ぶという時間と空間が少なくなった(殆どない?)ことが大きく影響していると思います。

 遊びは自分の意志で行動する、その中で自分自身の主人公になる、自分が自分の主人公であることは楽しいことですし、主体性と自己肯定感を持つことができ、自立の力をつけることになると思います。

2012/10/02

自己否定感、自己肯定感について

  先月と今月、青年(20~30代男女)たちに自己否定感、自己肯定感について尋ねました。(会報に載せてないものも)。中学生の時にいじめに会って不登校になったり、摂食障害になったり、そして高校も登校できず、次第に自己否定感が強くなったと思われます。

 その後親の理解を得られるようになっても、なかなか自己否定感から抜け出せない。それは競争主義が学校にも根強く、どうしても人と比較してしまう。また、ひきこもっていた時期が長いと、「ふつう以上にならないと社会の人から認められない」という思いにもなります。

 日本は「個人個人を大切にしよう」という社会、教育ではなく、「努力すればできる、頑張ればできる」と言う。でもいくらそう言われても、それぞれ、能力や性格に違いがあります。「何のために頑張るの?」自由な時間、楽しみ、遊びも犠牲にして――と私は思ってしまいます。

 そして、中学生ぐらいが特にあると思いますが、仲間グループにはいれない子は教室に居づらくなる、同じ興味を持たないとグループにはいれない、また「空気が読めない」ということも非難の対象になったりします。

2012/10/01

思春期

 道草の家で青年たち(主に女性ですが)と話をすると、自分の思春期、青年期を思い出し、重ねるところがあるようで、ふっと懐かしさを感じます。20代の青年は私にとって孫ぐらいになりますが、私の子ども(今、40代半ば)の思春期を思い起こし出しますし、三世代の思春期、青年期、20数年づつの差の中で、共通なところと社会、学校などの変化の影響も強く感じます。

 子どもから大人になる過程の思春期、私自身も、自我に目覚めて思い悩む時期でした。でもそれを話す友だちがいました。

 今、道草の家に来ている女性は、中学で不登校になった人が多く高校も登校できず、20代初め(或いは半ば)まで強い屈折の中にいたり、高校に行った人も心の悩みを話す友だちはいなかったようです。

 道草の家が、そうしたことを話す場、機会になれば、と思います。思春期は親から自立して行く時期ですが、不登校などであることの苦しみ(自分を責めて)が強く、親は守ってあげなければならないということもあり、親ばなれは遅くなります。依存関係になってしまうと、それから抜け出すのも容易ではなくなります。

2012/09/07

こころ

 文明が発達するにつれ、本能のままに生きられないことが多くなりました。こころが複雑になって、また微妙、あいまいでもあります。心の問題は数式のように「2+2=4」というようなすっきりした解答があるわけではなく、難しさを感じます。

 青年たち(10代~40代の男女)も親の方も、そうした明確な解答がないだけに、モヤモヤした不全感をいつも感じているのではないでしょうか。はっきりした道筋、方法があれば、それに向かって努力したい、と思わない方はいないでしょう。

 今の社会(日本)に生きている、という運命かもしれません。他の国より複雑で、悩み苦しむ人が多いような気がします(ひきこもりの青少年が多い)。ある青年が「自分は社会に合わないように生まれた」と言いました。子どもの頃からグループで一緒に行動することが苦手だったし、社会に出ても(アルバイトをした)流れに乗れない、積極的に動けない、職探しもすごく難しかった、と言います。「親としてもどう答えたらいいのだろう」と、親も悩みます。

 私は、今の社会に合わないだけであって、他の時代、他の国だったら自分の特性を生かしながら生きられるはず、と思います。そして、青年たち、知性、感性など能力は豊かなのに自信が持てません。自信、自己肯定感が持てれば能力を発揮できるのに、と思います。(「青年の思い」の所で、自己肯定感について尋ねました)

 父親は、年齢的に大人になっても、働けない、自立できない子どもの事があまり理解できないのでしょう。伝統的にも働いて経済的に支えることが父親の役割というのがありましたし、自分は頑張って、仕事をやり抜いて来たのだから、我が子も頑張ればできる筈――との思いになる・・・

 男にとっては私的なことより公けの方が大切だ――という思いも昔からあって、会社優先の生活、(この頃の若い人は変わったようですが)子育て、家族のことにもそんなに関わらなくてもいいような錯覚があったように思います。自分もそう育ってきた(父親との関わりは薄い)のだし。

 でも社会の環境は変わっています。昔は、農業、漁業、そして街中の商店街など、親の働く姿や、近所の大人たちの働く姿や生活をいつも見て育っていました。

 子どもは、親の(他の大人の)生き方、生活の仕方を見て、学び取り入れて成長します(同一化)。そして、社会で生きるための社会性も身につけて行きます(社会化)。それが、今の、青年が育つ過程には余りなく、特に男子は、大人として、男性として、社会人として、父親から学べず、自信が持てないまま、成人したのでは、と思います。それが、ひきこもる青年が圧倒的に男子が多い大きな理由ではないか、と思います。(将来の期待が女の子より男の子に対して大きく、男の子の方がプレッシャーを感じる、ということもありますが)

2012/09/06

小さな自然と大きな自然

  8月は、蝉や小鳥の大合唱に起こされる毎朝でした。あんな小さな体であんな大きな音を出すなんて・・・7日間の全生命をかけるのでしょうか。また新聞を取りに外に出たついでに階段を上って、空を見上げるのが楽しみです。一回転しながら、ぐるっと見渡すと、白い雲が、実に様々な形で空に浮かび、芸術作品を見るようです。雲のない青空は、本当の青色でないような気がして、余り楽しくありません。

 8月の画廊巡りは、千葉市科学館のプラネタリウムに行きました。千葉の星空を映していて、久しぶりに星空を見ました。千葉の夜空も本当はこんなに沢山の星があるのだ!千葉で夜の空を眺めても「星がきれいだ」と思った記憶はありません。月はきれいだと思いますが。

 子供の頃は名古屋の住宅街に住んでいましたが、星空がはっきり見え、きれいだったことを思い出します。夜、お風呂をもらいに知り合いの家に行く道は北に向かった広い坂道で、北斗七星がよく見えました。夏には天の川が見え、流れ星も度々見ました。

 青年たちは、天の川も流れ星も見たことがない、と言います。星空を眺めると宇宙が出来てからの350億以上の年月、そして、地球が出来、人間が現れ、原始人から、今の私たちまでの何億年の遠い年月を感じます。現在の私たち――って何なのだろう・・・

2012/07/02

ゆるやかな架け橋

 先日、なの花会の講演会で、放送大学教授の宮本みち子さんの話を聞きました。ドイツ、デンマーク、オーストラリアなどでは、義務教育を修了できなかったり、高校中退した若者に対し、「学校に行かないなら働くこと」ではなく、就労までの「ゆるやかな、長い架け橋がある、とのこと、考えさせられました。

 ワークショップという形で自分の好きなことをやりながら、ゆるやかに地域社会とつながる体験をする。例えば音楽が好きな子数人を集め、楽器の練習だけでなく、地域のイベントを計画し参加したり、洋裁、手作りが好きな子たちは、地域から仕事をとってコスチュームを作ったり、動物が好きな若者たちは、牧場で馬や牛などの飼育を手伝うなど。そして、ワークショップの期間も手当て9万円ほどつき、親に負担をかけない、ということで誇り、自信もつく。

 日本では、学校に行かないなら仕事―ということで、どちらにも行かれない若者への配慮がなされていません。不登校になったり、ひきこもったりした時、こういう場があったら、エネルギーのあるうちに早期に手を差しのべる手だてがあったら、と思います。学校に行かれなくなったり、働けない自分を責めることが長く続いたために精神的不安定がひどくなり、通院、服薬が必要になった青年が殆どです。

 こうした青年たち、居場所に来たり、仲間との交流の中でエネルギーが出て来た者も多くいますが、すぐ「就労」を考えるのではなく、楽しみながらゆるやかな社会体験の場があれば、と思います。

 KHJひきこもり親の会関連の活動ですが、青森の果樹園で就労への過程(かけ橋)として、自由にいつでも参加してりんごを育てる――という活動が計画されています。なの花会の一人の青年が準備から参加する、と言っています。青森は遠いので千葉にもあれば、そして色々な内容のものがあれば、と思います。宮本さんの言葉のように、学校とは違った成長の場、学校と社会の間の、人間発達の多様な場が必要だと思います。

対人恐怖

 道草の家で関わる青年たち、表現力も豊かで社会に出ている人と何ら変わらないように感じますが、就労の方にはなかなか進めない状態――落ちこんで外に出られない時もあり、また一時働いても続かなかったり――何が主な原因なのだろうか、を考えると、「対人恐怖」が最も大きく共通するような気がしました。

 日本でひきこもる青年が多いのは、日本人の傾向として「対人恐怖」が強いからではないかと思います。私自身もなかなか対人恐怖から抜け切れず、未だに電話をかける時、非常に緊張します。(親しい人はいいのですが)

 対人恐怖――外国では殆どなく、英語ではその言葉はなく、日本語「Taijinkyofu」と書くそうです。人と自分の考え、感じ方が違う場合、すぐに「自分が間違ってるのでは」と思い、「自分はダメだ」という思いが浮かぶ。自分を否定的に感じるのは辛い、それを予想するために人と会ったり話をする時、非常に緊張するわけです。青年たちはいじめなどで傷ついた体験がある場合が多く、傷つき易く、また相手を傷つけないよう気を使ったり、まわりと違う行動をとることを怖れたりしがちです。

 相手から、自分とは違う考えや思いを言われると、全否定されたように思ってしまう。でも外国では、人と考えや思いが違うのは当たり前、その部分だけ否定したにすぎない、人間として否定したわけではない、という自覚があるのでしょう。オーストラリアや欧米に行って、「その国の人とつき合うのは、気が楽、裏表がなくて」という話もよく聞きます。「傷ついた」とか「傷つけた」ことによる心の痛みのない世界―に解放されたいものです。

 また、日本では「失敗」への責任が重い―ということもあるように思います。日常的には勘違い、ということもあり、失敗も色々とあります、そして、不登校やひきこもること(働かない)を、多数派からはずれることを「失敗」とみなしてしまう。ある青年が、高校生の時、不登校になった時に教師から「高校ぐらい卒業できないのは人生を失敗したことだ」と言われた、と話したことがありました。10代のうちに「人生の失敗だ」と決めつけられる!・・・

 失敗(本当に失敗かどうか分かりませんが)に気がついた時、やり直しができる、「やり直そう」という気持をまわりも認め、応援する、という社会風土であれば、と思います。日本は「自己責任」ということに厳しすぎるのではないでしょうか。

 これは、いろいろな考えがある、色々な生き方がある、――とはなかなか思えない、青年たち(親も)の生き辛さにつながっているように思います。

 自己表現ができたり、仲間と交流するエネルギーもあるのに、なかなか社会に(就労の方に)出られない、青年たちの几帳面な性格もありますが、「失敗は許されない」という思いも強いのかもしれません。

2012/07/01

小さな大自然

 先月号ではイタリアの小さな村のことを書きましたが、その後テレビのドキュメンタリー番組を何となく見ていると、ドイツから来た青年がかやぶき屋根の古い民家とまわりの自然に魅せられ、その民家を修復して、日本の女性と結婚し、農業をやりながら住んでいる様子が映されていました。ヨーロッパの青年が日本の田舎に魅せられるのだ、と思いました。その番組の題は「小さな大自然」でした。

 それから日本のあちこちにかやぶき屋根の民家が映されているのを見て、皆が大事に考えている様子を感じました。近くでは筑波山の麓に数軒、かやぶき屋根の民家があり、是非訪ねてみたいと思っています。

 私が子どもの頃、叔母の家、大きなかやぶき屋根の家に遊びに行った時のことが思い出されます。広い土間の一角には馬がいました。裏には、上の方から引いて来た湧き水が、竹筒からいつも水が流れていました。裏山には小学校の分校があり、学生の頃行った時も、木造の小さな校舎はそのままあり、運動場の端に腰をおろして眺めると、村の家々、そしてまわりには山なみが幾重にも広がっており、心も広がる思いになったことを思い出します。

2012/06/05

心の豊かさ

  必死に働いて来た男性(父親)、否定するわけではないのですが――「頑張った」という肯定感はあるのでしょうが、――生きていることを、生まれてよかった、という肯実感はあるのでしょうか。物質的には豊かになりましたが、心に豊かさを感じるでしょうか。家族とのつながり、まわりとのつながり、自然とのつながりを感じ、心が満たされること―は?(勿論、いつも、というわけではありませんが)・・・

 外国で暮らした方の外国の生活について書いた本を読むにつけ、外国では、働くことだけに時間を費やすのではなく、自由な時間を大切にするとの事――ある程度の物質的、経済的ゆとりも必要ですが、時間のゆとりが大切だと思います。

 家族や地域の人々と過ごす時間一人で過ごす時間、自由な時間を楽しむ時間がないがしろにして来たことが、現在の生き辛さを感じる一つの要因ではないかと思います。

 そして殆ど部屋にひきこもっている青年、ネットでゲームなどして過ごしているようですが、どんな気持なのでしょう。

2012/06/04

施設と家庭

 社会に出られない、ひきこもる青年たちと関わっていると、様々な要因はありますが、社会の影響も大きいし、その影響を受けた家庭の問題も感じます。35年前から10年ほど関わった、児童養護施設から社会へ出た青少年のことについて、やはり社会適応が難しいのは、それは、施設という集団生活の中で育ったことが大きい、その時思ったのですが、今は家庭で育っても難しい――という課題を改めて感じます。

 私がそうした青少年に興味を持ったのは、(財)青少年福祉センターが中心になって、養護施設から社会に出た人達の追跡調査をしたものをまとめた本「絆なき者たち」を読んだからですが、そこでは、「親子という絆、家族という絆がないために、社会に出た後、心の支えになるものがなく、そのために『もうちょっと頑張ろう』とか、ドロップアウトの方に向かう気持を抑える意識が弱い」というようなことが書かれていました。

 その青少年福祉センターは、その頃は養護施設(親の死亡、離婚、虐待などで、家庭では育てられない子どもを集団で育てる)で育った少年少女が中卒で働かなければならず(今は高校卒業までいられますが)「仕事が続かない」「ドロップアウトしていく」などの場合が多いため、そういう青少年のアフターケアをする所で、生活寮もあり、その活動を手伝いました。

 なぜそんなに社会適応が難しいか、を青少年たちと話したり、養護施設を訪問したりして、考えたのですが、集団生活であり、指導員や保母が交代で面倒をみるので、親密な関係が作れない、人間関係を作る能力が育たない、ということがあり、また集団生活なので大体の日課によって生活するので、主体性が育たない、など、大人になるための社会化がなかなかできない、というようなことを感じました以前は施設に育ったから社会適応力がないと思ったのですが、家庭に育った場合も、社会適応力が低いことも多いという現在・・・。

 どこが共通でどこが違うのか。養護施設で育ち、中卒でやむおえず社会に出る。けれど、今のひきこもる青年は社会が怖くて出られない、でも共通するのは人間関係が築けない、人間関係が怖いということだと思います。それは人間関係の体験が少い、希薄な人間関係の中で育った――からではないかと思います。

 高度成長期から現在まで、男性(父親)は仕事、会社中心で、厳しい、残業が多い職場でもそれをやり抜くことが、生きる目的のように頑張った。それ故、家庭で過ごす時間も少くなり、エネルギーもなくなり、自由な時間もなく夫婦や、親子の会話も少くなったり、殆どない状態、それは家庭の中でも人間関係が希薄になった、と言えるのではないでしょうか。特に父親から男の子に伝わる。社会性(社会で生きる力)が伝わらなかった、と言えるかと思います。

2012/06/03

木賃アパートのこと

  道草の家の海側の窓からは、高層マンションが林立しているのが見えます。都市は40年、50年前と大きく変わりました。

 約40年前、広島市の木賃アパートを調査した時の事が思い出されます。

 5年ほど勤めた中学校の教師を、自分に合わないと思い、長女の出産を機にやめた後、好きだった建築設計を学びたく、工学部の建築科に編入学したのですが、戦前に建てられた(小高い丘の陰にあるため原爆を免れた)木造アパートの調査をすることになりました。薄暗い6畳間に親子5人が住んでいたり、3畳にも、2人3人とすんでいる人達を見て、「こんな環境に住んでいる人達がいるのに、お金の余裕のある人のために建築設計をしていいのだろうか」という思いが浮かび、社会に対する意識が目覚めました。

 地域社会が、崩壊し始めた頃ですが、アパートとアパートの間の狭い空き地で子供たちが遊んでいる姿もあり、お互いの接触もあるように感じました。

2012/06/02

小さな村の物語

  5月は金環日食やスカイツリー開業など賑やかな話題がありましたが、一方、夜行バス事故やホテル火災、トンネル爆発など多数の死傷者を出す事故が相次ぎました。

 新検見川駅から道草の家までの道筋に高層マンションが次々と建っています。こんな大きな多世帯のマンションにはいる人々がいるのだろうか、全部埋まるだろうか、疑問でなりません。

 でも、BSで毎週放映される「小さな村の物語、イタリア」を見るとホッとします。低い山々の尾根に数10軒の家々が建ち並ぶのが見え、ゆったりとした音楽(歌)をバックに村人の生活描かれています。そんなに山奥というわけではなく、家の中の様子は、私たち都会の生活と変わりません。むしろ、ゆったりとした台所、食堂、居間などが柔らかい色合いで使いやすそうで、羨ましいほどです。台所のテーブルで昼食のためのパスタを粉でこねることから始めて作っている姿もあります。毎週2,3組の家族の生活が紹介されています。息子が都会から戻って来て父親と一緒にぶどうの木を育てる、とか、母親と息子たちが、馬、牛、羊などの牧畜をやっている、とか、初老の男性がカフェを開き、そこに村人が集まり、コーヒーや酒を飲みながら談笑したり、音楽に合わせてダンスをしたりしている様子が描かれています。イタリアという明るく暖かい気候もあるのでしょうか、必死に働いている、という姿ではなく、楽しみながら働いており、また村人同士の交流も楽しんでいる、都会から戻った青年は「自分の家族も村も好きだから」と言っています。こんな生活をしてみたい、と思います。

2012/05/07

働けない子への思い

 精神的に不安定になり、外へ出ない、人と交わらない、働かない―という自分の子どもを何とか理解し、自分なりの生き方を見つけることを信じ、日々関わる、寄りそうことに必死な親の方もいれば、「何で働かないのか、何で頑張らないのか」と、どうしても理解できない親の方(主に父親)もいます。以前働いていた心理研究所で開いていた父親の勉強会に私も参加していた時のお父さんの言葉を思い出します。「子どもが働かないことを認めることは自分に”死ね”ということと同じだ」、それほどまでに「働くことは絶対的価値観、頑張るべき、頑張ればできるはず」と思えてしまうことは何なのでしょうか。私などは、子どもが働かないのは、「何らかの理由があって働かないのだ」と思ってしまいます。私の息子は、数ヶ月働かない時期がありましたが、「私自身、不完全で、葛藤の多い人間、それが一番繊細な子どもに影響しないはずがない」と思いました。

 高度成長期に男性は「生産性をあげること、それには頑張って働くこと、だれでも努力すればできる」―という思いで必死に働いてきたのでしょう。企業戦士とも言われた。自分の子どもが働けないことが受け入れない位に、絶対的価値観だったのでしょう。そして、感情を持ったら仕事はできない―と感情を感じないようにしてしまった。感情がなければ、辛い思いをしている人の気持もわからない。

 でも、その結果の今の社会、住み易いでしょうか。物が豊かで効率的で便利になって来ました。でも、リスクの多い原発を作り、また便利な車がスピードを出し走り回っている街中―とてもとても悲しい子どもの死をひき起こす事故が度々あります。

 そういう社会に適応できない青年たち。青年たちが弱いのでしょうか。がんばらないからでしょうか。怠けているのでしょうか。

2012/05/06

春が広がって・・・

  5月を迎えて、若葉の黄緑が街路を明るくさせ、垣根のつつじも咲き始めました。

 早朝、窓の外に小鳥の声がするようになりました。

 また、先月青年の集いでパステル画を描いている時、カラスの鳴き声がしたので窓の外を見ると、からすがたくさん電柱の上や電線にとまっているのが見えました。そして、しばらくすると、30羽以上のように思われるカラスが鳴きながら一斉に飛び立って行きました。何か打ち合わせをしているように鳴きながら。

 静かになりました。「子どもの声も聞こえないなー」とお互いに話したのですが、

いつ頃から子どもの遊ぶ声が聞こえなくなったのでしょう。

 道草の家も少し変化がありました。以前、しばらく通って来てた青年、大勢で元気な青年が多い、他の居場所の方で過ごしていたのですが、仕事を頑張ったせいか、急激に落ちこみ、しばらく外へ出ない生活、でもだいぶよくなったものの、大勢の中にははいれない、ということで少人数で穏やかな道草の家に来ました。それからホームページを見て、雰囲気がよさそうなので来てみた、という青年も続きました。

 青年の集いに参加する青年はそう多くはなく、間をあけたり社会参加(働く)も、波があったりしてます。なかなか安定して動ける青年は少ないです。私も落ちこんだりしてしまいます。でも、会報をお送りしていて、読んで下さってる方から、心温まる励ましのお手紙を頂きました。「・・・青年たちは成長してよい結果を出しているようですが、すぐに結果の出ない難しいお仕事で月日を要し大変なお仕事ですね。

2012/04/03

春・・・?

  4月になってようやく春の暖かさが訪れましたが、桜の花が街路を飾ることはまだまだ先のようです。でも道を歩くと家の庭に咲いた水仙がフェンスの間から何本も顔を出しておじぎをしています。

 これから沢山の花が咲き出すことを思うと、胸がふくらむ思いになりますが、東北にはまだまだ春はやって来ない、課題は山積みされたままです。

 道草の家で関わっている青年たちにも「春はまだ・・・」と思われる青年が何人もいて、心が痛みます。なぜ悩み苦しまなければならないのか、なぜ自己否定感がそんなに強いのか、と考えてしまいます。他の時代、他の土地に生まれたら、こんなに苦しまなくてもいいのに!とも思います。

 今の日本社会、混沌とした文明社会、繊細な心を持つ青年たちが、その影響を大きく受けたのではないか、と思います。

「文明とは何か」―宇宙からの視点で

  「これまでと同じ速度で人間圏を営み続ければ、もはや我々の人間圏は100年も存在できないかもしれない」という言葉を本の中で読んで、私たちはそんなに悠長にしてはいられない、と思いました。『我関わる、ゆえに我あり―地球システム論と文明』(松井孝典著、集英社新書)という本ですが、「私たち人類、地球の緊急課題は宇宙からの視点、地球を俯瞰することで解明される」と述べています。「人間とは何か」「文明とは何か」を問い直しています。

 地球システム論で文明を定義しており、地球に生命ができ、生物圏に人類が生まれた時から現在までを4つの図で描いているのを紹介します。

図1―人間圏が他の圏と一緒に地球システムの中に収まっていいる、狩猟採取時代

図2―人類が生物圏をとび出し、新たに人間圏を作った、初期の農耕牧畜時代。調和的で構成要素が円に収まっている。

図3―「文明の惑星」は産業革命以降のストック依存型(石炭石油を使う)の文明の

時代、現代。地球システムを大きくはみ出す

ことによって地球システムに大きな乱れが生じて来る。

図4―21世紀の地球システム。これまでの人間圏の発展をそのまま延長した場合の圏。人間圏と地球システムの関係は非常に不安定になる。

 現在の状況は図3から図4の状態への過渡期、様々な問題を招いているわけです。

 そして、今回の大震災を機に(被災地の復興は当然だが)、「復元」ではなく、地球システムと調和した新たな人間圏の「創造」、新たな文明の「創造」を考えるべきだ――と述べています。

 未来の人たちのことを考えれば――考えなければ、今の自分たちのことだけでいい、と思えば、別ですが――今の文明をどう考えるか、どう変えて行くか、どう「創造」するか、を考えるべきでしょう。今の文明にどっぷり浸かっている私たちには非常に難しいことですが。「このままの経済政策では他の国に負けてしまう」と言う人もいますが、他の国に勝つ、負けるの問題ではなく、人類、地球の存亡の問題だと思います。

 でも、著者は、「人間は、他との関わりの中で問うていく存在」だと述べています。地球システムの中の他の圏と関わりながら考えることができる存在、それは人間が存在する意味である、と言うのですが・・・

アイヌの人たちの生き方

 新しい文明の「創造」――なかなか見当がつきませんし、狩猟採集の時代に戻るわけにも行きません。でもその要素を持っている人たちの暮らしはあります。



 先日はテレビでブータンの生活が放映さえていましたが、道路を作る時に山にトンネルを作れば短距離になるのに、それをしない。なぜなら「自然を傷つけたくない。そのまま大切にしたい」と言ってました。

 そして、千葉県君津市の山奥に、アイヌ民族の長老が暮らしており、カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)という施設がある―という新聞記事を読みました。その長老の浦川治造さんの生活、生き方を追ったドキュメンタリー映画が上映されているのを知り、観に行きました。北海道に住む先住民族アイヌのことは多少興味を持っていましたが、改めて、現在もその伝統を守り、それを伝え続けていることを知りました。

 北海道のアイヌの村は、内地から多くの人が移住して来たり、国の政策によって、だんだんと、浸食されて行き、”先住”なのに偏見も受けました。治造さんも生活のため東京に出て様々な仕事をして来ましたが、同時に、出身地の北海道や千葉県のカムイミンタラの他、全国各地に、アイヌ民族の伝統を伝える施設を作りました。

 アイヌとして生まれ、育ち、今もアイヌとして生きる治造さんの暮らしに常に自然と共にあり、先人から受けついだ知恵、生き方が描かれ、自然を敬い、自然への感謝を忘れない・・・動植物や自然現象などに「カムイ」が宿っているという”自然に生かされ、自然と共に生きる”姿が現実にある、ということを知り、感動しました。

 そうした生活を、私たちがすぐ出来るわけではありませんが、それを実際に見たり接することは、何かを感じるのではないか、と思います。私の幼い頃は薪でご飯を炊き、風呂をわかし、暖炉裏がありましたが、今の青年たちには想像もつかないでしょう。でもカムイミンタラでしばし過ごすことは、心が癒され、生きるヒントがわずかでも得られるのでは、と思います。



カムイと生きる(パンフレットより)
天から役割なしに 降ろされたものは ひとつもない
それは アイヌに伝わる言い伝え
この大地に生きるものすべて
空や大地や水との関わりなしに
生きることはできない
人間より”力”のあるものが
カムイである
火のカムイ 山のカムイ 川のカムイ 風のカムイ
 (以下略)

2012/03/07

3月を迎えて

  談話室で青年たちと話し合ってる時、鳥の鳴き声が間近かに聞こえ、窓の方を見ると、少し大きめの小鳥が手すりに止まっているのが、くもりガラスごしに見えました。頭を動かしているのが私たちに挨拶しているような仕草に見え思わず顔がほころびました。こんなことは始めて。春になったからかな、と思いました。

 2月は千葉も小雪が降ったり、例年にない寒い冬でしたが、3月、ようやく春が近づいたようです。でも3月は、去年、東日本大震災が起こった月、もう1年になります。親戚や身近かな人が被害に合ったわけではなく、具体的な行動もしないまま、距離をおいた感じで過ごしていることに申し訳なさを感じます。ただ一向に復興の兆しが見られず、被災地のガレキがそのままであることは心が痛みます。ガレキを受け入れる県はごくわずかです。

 そして、原発事故、放射能の問題は今もなお大きな不安です。納得行くような方向は定まらず、「脱原発」の声は多く聞こえ、その理由を述べる本も多く出ていますが、政府の方にはなかなか届かないようです。高レベルの放射性廃棄物の処理もできない状態ですのに。そして子どもたちのために道路や校庭の除染も少しずつ行われていますが、その中の放射能はどこに流れて行くのでしょう。

 福島の小学生が世界中から来た励ましのメッセージに対し、感謝の気持ちを絵や言葉で書いて送ろうとしている様子がテレビで放映されていましたが、痛々しい感じがします。

 子どもたちは放射能の問題に安心したわけではなく、また世界の人々も、日本の、原発事故の取り組みを安心して見ている訳ではないと思います。このような大問題をひき起こした日本人としてどう考えたらいいのでしょう。

 多くの人は、放射能は怖い、原発はない方がいいと思うだろうと思いますが、国民の総意にはならない、決心できない。それは根本的な価値観を変えない限り難しいのではないか、と思います。

 私たちは、経済的豊かさ、物の豊かさ便利さを求め、それが幸せだと思う価値観のもとに、高度な科学技術を駆使して自然の営みにそぐわないやり方で、物(電気も)を作り出した、自然を支配し、自然を奪い取ってもいい、という思い上がった思い、価値観で。その結果、原発を作り出し、事故が起きたのではないでしょうか。「想定外」という言い訳はできない、と思います。人間が自然に対し優位に立つ訳ではなく、自然の一員、宇宙ができて、生物が生まれて、人間が生まれて・・・長い長い期間の中に、人間が現れたに過ぎないと思います。

 経済的、物質的豊かさが幸せだ、という価値観ではなく、そして、自然に対して畏敬の念を持ち、自然の営みに沿って生きる、という価値観を持ちたいものと思います。

ひきこもる青年の多さ

 ひきこもる青年の居場所を開き、青年や親の方と関わる日々、適切な関わりができてるだろうか、役に立ってるのだろうか、とよく考えます。自分の生き方、考え方が問われます。

 私は高校生頃からコンプレックスが強く、思い悩むことが多く過ごして来たので、青年たちや悩んでる人、生き辛さを感じる人とは重なる部分があるのを感じます。憂鬱感を感じることがよくあるし、対人恐怖もあり、特に電話をかけるのに緊張して延ばし延ばしにしたりします。自分がしたいことを思うようにできない辛さ、自己否定感、そういう人の辛さ苦しさが割と分かります(勿論それぞれですので「よく分かる」とは言えませんが)。親の方や一般の方が「頑張って働こうと思えば働けるはずだ」とよく言いますが、私はそう思いません。「やらなくては」と思いながら、意欲や自身が出なくてなかなかできない、大げさに言えば、「自分との闘いかな」と思う時があります。

 ひきこもりの問題は前ほどメディアに取り上げられなくなりましたが、100万人とか150万人とも言われ、その数は非常に多いし、やはり個人の問題というより社会の問題が大きいと思います。社会の縮図かもしれません。

 60代の両親と30代の息子が餓死したニュース、民生委員は「30代の息子がいるから大丈夫だと思ったと」と言っていますが、多分、息子は、“働けない”、外へ出られない、ひきこもりの状態だったのではないかと思います。

 全国で150万人という数から判断すると、親や本人が居場所や親の会、相談機関に行かない場合が非常に多い(2/3以上?)と思われます。(居場所や親の会の数は、非常に多い、とは言えませんので)

 目立たないようにひっそりと暮らしているのでしょうか。働いていない、ひきこもっていることを恥ずかしい、と思って相談にも行かない、「人に相談したいと思うような人」に対する信頼がない、人間関係がないのでは、と思います。親自身もひきこもりの心の状態では、と思います。また親子の関係も、「子どもの問題なのだから、子どもの責任」と思ったり、親子のコミュニケーションもなく「どうしようもない」と諦めてしまう―という場合が多いのでは、と思います。

 家庭の中でも、近隣でも人間関係が希薄になっているように思います。

 戦後、民主主義のもとに「個人の自由」が大切だと言いながら、本当には自由ではなく、まわりを気にし、まわりと違うことを言ったり、したりすることを怖れる・・・そして人に合わせたり、比較する・・・。

 私たちは一体”どう生きたい”のでしょうか。

生きること、とは

  「どう生きたいか」を青年たちに問う前に「今、自分にとって生きるってどんなことか、どんな感じか」を尋ねてみました。「青年の思い」の所に載せましたが、「難しい」と言いながらも多くの青年が答えてくれました。簡潔に、また気持ちのことを表現しながら。

 本当にそれぞれです。悩み苦しんで来た青年の言葉だな、と思います。そんなに意識しなくても、生きることに必死だったと思います。自分の辛さに向き合ったり、耐えたり、そして少しずつ乗り越えたり。マイナス(と思われるだけですが)の自分を肯定しようとしたり。感性が豊かであり、繊細である故と思います。

 青年たち(とは限らず誰でも)はそれぞれの能力、個性を持っています。人とくらべないで、自分の持てる力を発揮しながら自分自身を生きてほしいと思います。

2012/02/02

夕日

 道草の家の2階の窓から夕焼が見えます。高いビルが建つまでは富士山シルエットで見えたのですが。
先日は夕焼の名残り、少し黒ずんだ茜色の空に墨ではいたような雲が浮かび、こんな美しさもあるのだな、と思いながら眺めました。一昨年は青年たちと夕日を見に検見川海岸まで歩いて行きました。橙色の夕日が空を茜色に染め、海に沈んで行くのをじっと眺めた時の感動を思い出します。

 夕日と言えば先日、映画「Always三丁目の夕日’64」を見ました。ちょうど私が若い頃の東京の下町、商店街の人間模様が描かれています。ただ、私は名古屋の住宅街に住んでいたので、雰囲気がかなり違います。映画の中で近所の人たちが、他の家のことをお互いに自分の家族のように、喜んだり、怒ったり、心配している様子に、複雑な思いと羨ましさを感じました。ありのままの自分の感情を出してつき合える―という人間関係があるのだ―と。

 今は、外で遊ぶ子どもたちの声も聞こえませんし、道を歩いていて顔なじみになる子もいません。近所の人のことも殆ど知りません。

 今の日本は特に、近所づき合いがないように思います。テレビなどで、ヨーロッパや中国の田舎や小さな町がよく放映されますが、私は自分はなかなか旅行できないので、旅番組が好きでよく見ます。 懐かしく、ほっとする場面・・・。

 中国などの田舎(下町)で路地にテーブルといすを出して老夫婦がお茶を飲んでいる様子には、(通る人も寄って一緒にお茶を飲んだり・・・)あんなふうにゆったりと過ごせたらいいな、と思います。イギリスの田舎では、村人がパブに集まって、酒を飲み、歌い、踊っている。またイタリアなど、複雑に建てこんだ(何階だて?)家の窓からカメラに向かって「家の中へどうぞ」と言い、屋上まで案内する場面など。

 このような所で過ごせば、自室にひきこもって人と接しない、交わらない、そしてそれを親子で悩み、苦しむ―というようなことは起きないのでは、と思ったりします。

青年(男、女)たちに学ぶ

 青年の集いの活動としては特別なこともなく過ぎた1月でしたが、個々の青年から色々なことを学び、考えさせられました。それぞれに歩む過程は違いますが、自分の課題に真剣に取り組んでいる様子を感じます。

 まずTさんがホームページをリニューアルしてくれました。道草の家の特色をよりよく伝えるため、写真を豊富に使い、色もパステル調に随所に使ったり、言葉も適切なものに変えたり、つけ加えたり。他の同じような居場所のホームページなどを参考にして、色々模索しながら作成してくれました。こうしたものを綿密に考える豊かな感性―をこれから生かせないものか、と思います。(まだ外で働いたことはないのですが)(ホームページを見てください)

 また2年続けたパートの仕事をやめた青年、やめる決心をするにはどんなに悩んだことかと思います。でも、混乱しながらも、今自分ができること(家事など)をやって、できた自分を認めてあげる、そして、できないことは許してあげる、自分を励ましてあげる―ことを続けてるうち、少しずつ落ちついて来ました。「仕事をやめてよかった、と思える時が来る」と信じながら―と言っています。一つずつ体験しながら、失敗の体験を乗りこえながら、決断力、回復力を高めて行くのだと思います。

 もう一人、仕事をやめた、という青年は、もっと積極的です。積極的になりました。青年の思いの所で「思っていることを言えた」として述べていますが、「いい体験も悪い体験もいっぱいしたい」と言ってます。失敗を怖れて動けなかった自分がある時、はじけた―というのです。

 今は嬉しいことばかりでなく、怒りや憎しみを感じる自分に驚き、これからも多様な自分を感じることに期待があるようです。ずっと”いい子”で来たとのことです。

 そして、「生きる意味」を模索して来た青年。(「働かないでそんなことばかり考えてるなんて!」と思う方もいるでしょう)10代から人間関係に緊張するようになり、20代でアルバイトをいくつかするのですが、どうしても続けられなくなって、家にいるようになりました。「働けない自分」を考え続けてもどうしたらいいか分からない。抜け出せない、苦しいだけ、それで、考えるのをやめた。では、そういう自分にも「生きる意味」があるのだろうか・・・。 ロシア文学や日本の古典、平家物語、仏典などを読みました。(無常、そして死への親近感を感じた―そうです)

 そして、最近は荘子(紀元前の中国の思想家。仏教伝来より先、仏教にも影響した)の本を読んだ。共感することが多い、と言います。 その主な思想は、

 ○「無為自然」(宇宙に存在するもののすべてをありのままに認め、これにいかなる作為も施さない、という思想)

 ○「万物一斉」(ものごとは、ちがうという視点からすればみんなちがう、しかし、おなじという視点からすれば万物はみなおなじなのだ)

具体的に行動するわけではないが、心の中では、少しづつ安定したと言います。

 私も前に、同じ「道家」としての「老子」を読んで共感しましたが、荘子の言葉も私にかなり合いそうです。

 みなそれぞれ、宇宙の中で(遠く、目に見えないものも)存在し、地球に存在している。遠い遠い昔に宇宙が作られた時から。それには、人間が価値がある、とか、ない、とか勝手に決めるものではない。人間は動物より偉いとか、草木よりも価値がある―とは言えない、そして”絶対的な正、絶対的な誤もなく、絶対的な善悪も決められない。違った視点で見れば様々な見方ができる。バリバリ働ける人がいい(善)とは限らず、ゆっくりしたペースの人が悪いわけでもないと思います。それぞれ”できること””できないこと”がありますが(それも変化します)いい悪いで判断することではないように思います。

自縛からの解放

 子どものことで長い間苦しんできた方が「ふっ切れた」ことを話され感動しました。

 自分で自分を苦しめていた、期待通りにならない子どもに不満を感じ、まわりにもひけ目を感じ、みじめだ、と思ってしまう自分、それは、自分で自分を縛っていたことに気づき、「自分が子どもから逃げる、離れればいい」のだときづいたのです。”自分の方が”―それは自分の気持ちを楽にし、それは、表情や態度にあらわれ、子どもの気持ちを楽にすることでしょう。楽になれば動きたい気持になれる。

 働けなくなったのにはそれぞれが葛藤、苦しみがあったわけですし、それぞれが回復していく過程もありますし、「みんなと同じように」とはならないこともあると思います。

 子どもたち青年たちが悩み苦しんでいることを(それを表現できない場合も多いでしょう)を分かってあげて、それが分からないまわりの人からは自分から離れる。

距離を置く。(全てを断つ、という意味ではなく)働く働かない、を人間の良し悪しの基準にしない。荘子の言うように人間として万物の一人として同じ価値がある―のだと思いたいです。

2012/01/08

明けましておめでとうございます

  明けましておめでとうございます。
  昨年は過酷な自然と不尊な人工がぶつかりあった年だったように思われます。人工優位にはならないことを思い知らされました。
 未来の人たちのことを考えながら、自分たちの生活も考えていかなければ・・・生き方が問われていると思います。生き辛さを抱えた人たちが(子どもも青年も大人も)少しでも心が解きほぐれるような生き方はないでしょうか。 
 それぞれが生まれていてよかった、生きていて良かったと思えるような”生きる”ことに対する観方・・・を探りたいと思います。皆様のご支援ご指導のもとに。

幼き頃のお正月と遊び
 幼い頃のお正月を思い出します。
 9才まで過ごした福島県の田舎町での元旦は、朝起きるとすぐ八幡さまにお参りします。友だちと行ったり兄と行ったり。裏の川の向こうの、こんもりした森、きちんとした石段は少なく、大まかに作られた段々をくねくねと登ると普段の遊び場でもある境内は、何か新鮮な感じ、鈴についた紐をゆすると鈴が鳴ります。手を合わせて拝みますが、何を祈ったかは覚えてません。
 9才で移った名古屋は、都市ではありますが、終戦後間もない頃で、つるべ式の井戸も使っていました。元旦の朝、一人で顔を洗いに行き(その水は暖かかった)、そして、すぐそばの少し高くなった所に登り、初日の出を拝みました。
 田舎でのお盆も懐かしく思い出されます。朝方、暗いうちに起き、家族でお墓にお迎えに行きます。それぞれが提灯を持ち、私も子ども用の小さい提灯に灯りをともして歩くのがとても楽しみでした。道を行きかう人は大体顔見知りで挨拶をしながら歩いて行きます。お墓でお参りし、帰る頃はほの明るくなっています。
 そして、学校の授業で、育った稲の中をいなご取りをしたり、稲が刈られた後には落穂拾いをしました。また、近所のお兄さんに連れられて、栗拾いに行き、生のまま栗を食べたり。そして母がお風呂の薪を集めに、少し離れた林まで行く時リヤカーを押す手伝いもしました。遊びも手伝いも、自然の移り変わりの中で、自然と共にゆったりと(大人はそれほどではないでしょうが)過ごしたように思います。
 名古屋でも、授業の合間に縄跳びしたり、ゴム跳びしたり、帰宅後も友たちの家に行き、かくれんぼしたり、(私はお寺に間借りしていたので)お寺の境内で鞠つきをしたり、小学校時代は、「よく遊んだ」「楽しかった」という思い出ばかりです。
 でも、道草の家に来る青年たちは、子どもの頃、「楽しく遊んだ」という青年はいないようです。私の子どもの頃と、青年たちが子どもの頃とはどこが変わったのでしょう。

ぐうたらと「勤勉」
 そんな時、古本屋で「ぐうたら学入門」(2005年発行)という本を見つけました。「ぐうたら」―という言葉、私も、片づけ、掃除が嫌いなぐうたら、面白そうだと思い、買い求めました。
 著者は全国の村々の昔話を聞き取り調査をしたのですが、有名な桃太郎、そして二宮尊徳は、ぐうたらな怠け者だったそうです。明治になって、学校制度ができた時、教科書ができ、そこに勤勉な二宮尊徳として載せた、ということです。また「三年寝太郎」という昔話などに関連して、「ぐうたら」なことも村の中で受け入れられ、他と違った面を持ってい排除されることなく、どんな人間でも、そこにいる意味がある社会―が本来の村の姿だ、と述べています。それは、田に水を入れるのは、共通の水源からひいた水を近い所から順番に田に入れて行く、自分勝手に入れる訳にはいかない、自分の田はみんなの田であるということを基本に、お互いに田植えや稲刈りを手伝い合ったり、暮らし全体を助け合うという、みんなに守られている村社会だったのです。
 今の私たちの生活はどうでしょうか。明治以降の学校教育の中で、「勤勉」こそ「善」であり、「ぐうたら」は「悪」だと刷り込まれました。そして戦後の近代化、さらに高度成長の流れの中で、社会に認められるように未来に向かっての努力と意志の強さが要求され続けました。それが出来る人が評価される―他者とのしっかりした人間関係、信頼関係の形成よりも。
 道草の家で関わる青年たちや親の会(他の会でも)など話される悩みを考えるにつけ、このことが大きく影響していると思います。社会全体の大量生産、大量消費のもとに、学校では、社会全体の大量生産、大量消費のもとに、競争主義、効率主義が浸透し、勉強、成績が第一になり、友達や教師との人間関係は軽視されました。
 そして、子どもたちは、「いま」を失って行きました。子どもたちは、本来、「いま」を生きるものです。遊びはそれ自体が目的ですから、「未来のため」にではなく、
「いま」に集中すること、それが楽しいのだと思います。青年たちの子どもの頃、楽しく遊んだ思い出がない、というのは頷けます。また、いじめが起きてしまうのも、子どもたちに「いま」を楽しめてないからでしょう。たえず未来、将来のことが気になるのでは?(スポーツも”勝つ”ことばかりを目的にしてます)

ひきこもる青年と親の苦しみ 
青年たちが社会が求める大人になるためのレールに乗れなかった、競争主義に耐えられなかったのは、能力が低いのではなく、繊細であり、人間本来の心、感受性が強いからだと思います。でも、不登校になり、ひきこもってしまった自分は社会から認められない人間だ、と思ってしまい、「ダメな人間」として強い自己否定感を持つ。それが、精神的不安定さをもたらし、社会に出ることを難しくしていると思います。
 そうした子どもを持つ親の方は、社会人として高度成長真っ只中で働いて来ただけに、「一生懸命頑張って来た、働いて来た」との思いが強く、「なぜ、自分の子どもが学校へ行かないのか」「なぜ働かないのか」と理解に苦しみます。自分の生き方を否定されたようになり、子どものことを受け入れがたい・・・その苦しさを、私もだんだん分かって来ました。さらに、社会のレールから外れてしまったことは、世間の人々からは「落ちこぼれ」と見なされ、根性がない、意志が弱いというレッテルを貼られてしまう。まわりからも、親戚や友人からもそういう目で見られて肩身が狭い、「友人や親戚付き合いも減ってしまった」と言います。
 それでは、「勤勉」をモットウに頑張って来た、今の日本社会はみんなにとって、より生き易くなってるでしょうか。お互いに支え合える関係が社会全体にあり、将来にも安心感があるでしょうか。「生きていることはいいことだ」と思えるでしょうか。
 東北大震災は、過酷でしたが、自然の偶然が幾重にも重なり合って起こった自然現象として受け入れ易く、みんなで助け合おう、支え合おう、という気持ちになりました。しかし、原発事故は大きな不安をもたらしました。
 「勤勉」「勤勉」のもとに推し進められた経済成長、そして成長神話―いつまでも成長できるわけではないのに―より豊かに、より便利に、より新しいものを、それには電気が必要だ、ということで原発が作られました。しかし、事故は、自然を限界以上に操作した結果であり、経済成長の神話に警鐘を鳴らしたものと思います。(前にも「ひきこもりは社会への警鐘」と書いたことがあります)物質的な豊かさはあっても、精神的豊かさをもたらしていない、格差も広がり、将来への不安はさらに大きくなりました。「お互いに支え合える、何とかなる」とは思えなく・・・
 「勤勉」は必ずしも「善」ではなく、「ぐうたら」は必ずしも「悪」ではない、自然の営みにそって、それぞれがそれぞれの生き方をしていいんだ―という思いが、自分に対する否定的な思いを少しでも肯定にさせられれば、と思います。
(参考文献:「ぐうたら学入門」名本光男著 中公新書ラクレ)