2019/11/09

11月30日(土)
千葉市民会館にて13時30分より講演会及び自助グループ会を開催致します。
詳細はホームページよりご参照下さい。https://npomichikusanoie.jp/
先日県の社会福祉協議会主催で行いました。代表和田と理事江藤によるボランティア講座の活動報告です。

拙い講義かとは思いましたが、真剣に聞いて下さった参加者の皆様どうもありがとうございました。
また講義を円滑に進めるため尽力して下さった千葉市社会福祉協議会の職員様どうもありがとうございました。
またご多忙の中参加して頂き写真まで撮って頂きました八千代ひきこもりの会の桧垣様どうもありがとうございました。
たくさんの皆様のおかげで無事講義を行えた事を光栄に思うと共に感謝をしております。

今後とも当法人は一人でも多くの方の役に立てるように努力を続けて参りたいと思います。

2019/10/28

・11月9日(土)自助グループ会及び交流会を開催致します。
詳細はホームページをご参照下さい。https://npomichikusanoie.jp/

2019/09/20

講演会のお知らせ

9/20
 サイトを乱立させてしまいすみません。
https://npomichikusanoie.jp/が本ホームページとなり。今いくつかあるサイトは閉鎖手続き中です。

・話は変わりますが10月13日(日)13時半~16時半に千葉市民会館の会議室6にて講演会および当事者グループ会を開催致します。講演のテーマは「子から見た親の言動に対しての心情」です。詳細はホームページにてご参照下さい。

2019/09/08

9月8日
昨日の内容に一部訂正があります。
第1、第2日曜日に青年の集いを開催の箇所ですが、正しくは第1、第3日曜に青年の集いでした。
誤った情報を伝えてしまい誠に申し訳ございません。

補足ですが、青年の集いへの参加される方は会員費は不要です。
一人でも多くの参加をお待ちしております。

2019/09/07

2019年 9月7日

 暑い日々が続くなか皆様体調はいかがでしょうか。
突然になりますが、当法人は従来の体制を変更したいと思います。
こちらで記載する内容は変更の一部ですが9月よりまずは下記の事を変更したいと考えております。

・青年の集いは無料で行い。月曜日・金曜日・第1と第2の日曜日の13時~17時まで開きます。ひきこもりの方だけではなく、全年令を対象としたひきこもり経験者。うつや精神疾患等。学校や社会に不安を感じている方対象とします。話をして共感するのもよし。他人とはなさず、ただ自分の好きな事をしているのもよし。疲れたら一人になれる居場所を提供しますので一休みやずっとその場所で過ごしてもよし。等外に出る事になれる支援やひきこもり防止、気の休まる場所を提供できればと考えております。もちろん青年の集いのなかでのカウンセリングは無料です。

上記の文章の内容は変更の一部でまだ作成中ですがホームページに詳細を載せたいと思います。以下ホームページのあどれすです。ご興味ありましたら是非お願いします。
https://michikusanoie2.web.fc2.com/

2019/04/01

ひきこもり


先日、テレビのニュースで「40歳~61歳のひきこもりの人数は613000人」と言っていました。そして「男性が四分の三、就職氷河期の影響」とも言っていました。

私が“ひきこもり”に関わりだした頃は、不登校とひきこもりが一緒に問題視されて、「就職できないからひきこもった」というイメージはありませんでした。

そして、学校時代は勉強をしていれば過ごせるし、友達が居なくても変な目で見られないけど、卒業すると“就職”は人間関係が伴うので“こわい”というイメージになりがちです。まず“面接”の時にどう話したらいいか分からない、“話せない”と思い、進めません。通信高校、通信の大学までは行かれる、公開授業には出られる、でも卒業した後、他人と交わる、話をする場には出られない、家に引きこもる――ということも。

「道草の家」に来所する青年たちも、繊細な性格なのか、集団行動が苦手、などで、学校時代、休み時間は教室に残っていて、引け目を感じていた、と言います(いじめがあった訳ではなく)。

また、いじめがあった訳では無いけれど、クラスメイトに気を使い、疲れて登校出来なくなった――と言う青年も居ます。

親が人によく気を使う、その影響を受けて、人に気を使い、疲れて仕事が続かなくなる――という場合も。


外に出ると、淡いピンクの桜が目に付きます。春真っ盛り――という言葉が浮かびます。日本人にとっては、桜は日本の象徴という感じかも知れません。

でも“桜の木の下で、みんなで集って…”という気持ちにはなれません。

私にとって桜は、“眺める”と言うイメージなのだと思います。

思い出します。幼い頃、名古屋で、寺の中の一部屋に間借りしていたことがありました。その寺の境内に、大きなしだれ桜の木があり、春になると見事に咲きました。また、名古屋に来る前に住んでいた福島県の片田舎では、川の岸に桜の木が、並木のように植えられていました。桜は幼い頃の思い出に繋がります。

先の選挙で、会場の小学校に行きましたが、校庭の端、道路に面したところに大きな桜の木が何本も植えてあり、間近に見えました。何年前に出来た小学校か分かりませんが、小学校が出来た頃から、子どもたちを眺めながら大きくなっていったのでしょう。

2019/03/01

居場所の意味


「道草の家」という名前を付け、居場所を開いたのは、2000年の秋です。18年が過ぎました。様々なことがあり、悩みも多かったのですが、何とか続けてきました。

自分も悩む方なので、カウンセリングに興味を持ち、民間のカウンセリングルームで開いている講座を受けました(そのカウンセリングルームで、主にひきこもりや不登校の青少年とその親のカウンセリングをしました)。そのカウンセリングルームに併設されている居場所(ひきこもりや不登校の青少年のための)がありましたが、「参加費が高くてあまり行かれない」と言ってました。

はこべと兎


  春になり、道端の草、コンクリートの隙間に健気に生えている草も、気のせいか伸びてきているように思います。名前も殆ど知りませんが、「はこべ」だけは知っています。小さな白い花が咲きます。名古屋に住んでいた、小学生の頃、先生から「兎を育てるように」言われ、家で買っていた時がありました。箱に入れ、軒下に置いていたように思います。エサは草ですが、はこべが好きなようで、庭のはこべを採って食べさせていました。

どのくらいの期間だったか忘れましたが、大きくなったのを学校に持って行きました。詳しくは分かりませんが、教師は「(業者が)毛皮にして使う」というようなことを言っていたように思います。終戦後、間もない頃のことです。

2019/02/01

支える、支えられる


私たちは、支え、支えられる関係の中で生活している、生きていると思います。

必ずしも、2人が支え、支えられている・・・というのではなく、ある人、ある人達を支えているが、他方である人に支えられている、という意味です。

私は左足首を怪我してから、手足の筋トレが出来るデイサービスに週2回通っています。柔道整復師の男性が足、肩などのマッサージをしてくれて、また手足や腰などを温めたり振動を足裏なでの与える器具を順番に使ったりしています。足首を怪我した後、整形外科に通ったのですが、3ヶ月後に年齢的にこれ以上良くならないと言われました。でも、“元に戻るはずた”と思い、ケアマネージャーに話したら、高齢者向けの、足の訓練をするデイサービスを探してくれました。週2回午前、通い、1年半位たちましたが、だいぶ楽に歩けるようになりました。「支えられている」という実感があります。

一方、「青年の集い」に参加する青年を、私は“支えている”と思いますし、青年と話すことで、青年のエネルギーをもらい、私も「支えられているんだなー」と感じます。

道草


昨日、十年ぶり位に青年が訪れました。スーツを着てすっかり変わっていました。個人で営業をやる仕事をしているとのことでした。

「今日は時間が空いたので、道草の家に行ってみようと思い立ち、来てみた」と言います。「道草」をしに来た、「道草の家」の意味そのものと言えるでしょう。

二月


あっと言う間に一月が終わり、もう二月になりました。会報の発行が迫ってきました。迫ってこないと、「何を書こうか」、テーマも決まりません。

二月は、春でもなく(でも春が近いような)、冬でもなく(でも千葉も二月に雪が降ることが多い)、そして新しい年度(四月)が近づいています。不思議な月です。

個人的には、冬になったせいもあるのか、心身のエネルギーが落ちるのを感じますが、また新しい年度も近づき、「復活できるか」という思いもあります。

私の言動は、若い頃から「のんびり」でしたが、年齢のせいもあり、更にのんびりになったかな、と思います。


一月は風邪をひいて、窓際のベッドに横になっていることが多かったせいもあって、窓から色々な音が聞こえて来たのを感じました。

 風の音…(風が強い時、木の葉が窓をたたきます。)小さな庭の向こうの竹林が、ざわざわ音をたてています…いや、あれは風の音ではなく飛行機の音、成田から羽田の方に行く(と思われる)飛行機の音だろう・・

また県道を走る車の音、時折、パトカーのサイレンも。速度制限を超えて走るバイクを追いかけているに違いない…。

 そして、かなり離れているのに千葉港の辺りから汽笛の音…。

 小鳥の鳴き声も、一羽の鳥の声だ。仲間はいないのだろうか。

2019/01/01

今後の青年の集いについて


道草の家のクリスマス会を、去年は振り替え休日の24日に開きました。

働き出した青年も、休日なので参加しました。職場ではあまり話が出来ず(気軽に世間話が出来ない)、話せる機会を求めていたかのようによく話しました。好きな音楽やアニメの話も出て、私は加われませんでしたが、こういう機会は作れると思いました。

そして第一、第三の日曜日、或いは第二、第四の日曜日に開ける、と話しました(一月は第二、第四)。

親も加わっても良いか、と聞きましたら、それは大丈夫とのことです。このところ、親の会は一人のことも多く、またゼロの場合もあり、青年たちと一緒に話が出来たらと思います。

青年たちも穏やかに話せます。話せるようになっています。

そして、今までの月、金の午後は、初めて他人と話をする、コミュニケーションが苦手な青年たち、或いは不登校(中、高)の少年少女が来る日にしたいと思います。様子を見て、月・水・金にしてもいいか、と思います。パステル画やコラージュ(写真の多い雑誌から切り抜いて、好きなように画用紙に貼っていくもので、充実感を感じます)、また、卓球をしても良いかと思います(三階にミニ卓球台を置いてあります)。

年賀状


新しい年の初めに年賀状が来ます。年賀状のやりとりだけの人も居ます。お互いに元気なこと――体の衰えは感じるけど(私と同世代の人)、年賀状は書ける――を確認する年賀状もあり…①、また、なぜか年賀状だけを寄こし、会ってもいないし、声も聞いていない青年のもあります…②。住所も書いているので「来ませんか」と声をかけるのですが、返事はありません。また、十年以上前に関わった青年のお母さんからも、毎年、年賀状が来ます…③。

また、趣味で絵を描いていて、毎年県展に出品している友人から、楽しい絵が描かれた年賀状が来るのも楽しみです…④。そして年に一回、お子さんのことや状態を電話で話をし、また年賀状を下さる方も居ます…⑤。

そして「美容学校に行っていて忙しいので会報を読む時間がありません」と言っていた女性からも年賀状が来ました…⑥。(5ページに載せました。)

明けましておめでとうございます


早や一年が過ぎ、新しい年を迎えることができました。

千葉は比較的おだやかな年でしたが、社会的には、日本も世界も様々な天災人災がありました。今年はそれらが増えないように願うばかりです。

青年たちが、夢や希望が持てる年になってほしいと思います。

私も、希望を持って新しい年を過ごしたいと思います。

青年たちが自分の力を発揮できるよう、微力ながら励みたいと思います。

今年もよろしくお願い致します。