2012/12/03

年の瀬に思うこと -活動を振り返って-

 今年もあとひと月、いつもながら月日のたつ速さを痛感します。大きな問題がなかったから、そう感じるのかもしれません。また青年の集いを中心に精一杯やったつもりですが、目に見えた成果はなかった、と言えるかもしれません。主なことをまとめてみたいと思います。

【訪問支援ボランティア養成講座】新しい試みとして、10月より月2回、計8回まで始まりました。現、元ボランティアスタッフ、親、青年たち(道草の家の)が、10人ほど熱心に学んでいます。親の方は自分の子どもの関わり方を学びたい、と必死のようですし、青年たちも自分の体験を生かしたい、という気持もあり、感性も豊かで、2人組んで訪問できるのでは、と思います。

 自分から、人と交わらない、家から、殆ど出ない、青年や不登校児や青少年に「訪問していいですよ」ということをどうやって伝えて行かれるか――をこれから考え公的機関にも交渉に行かなければ、と考えています。

【親の方たち】親の会に来る方も、相談に来る方も、様々な経過をたどり、「何とか回復してほしい、社会に出てほしい」と強い思いを持ちながら、様々な経過で今になっており、お互いに“難しさ!”を感じます。

【青年たち】アルバイトをしている青年が時々来たり、フルタイムで働いている青年が転職の合間に訪ねて来てますが、新しい青年があまり増えず、その日によって少い場合がありますが、個人的な対応が十分できる、という良さもあるようです。

【不登校クラス】現在17才、18才の生徒が来て、青年の集いに加わっています。パステル画などで言葉では表現できないものを描いたり、創像の喜びを、みんなで(青年もスタッフ)味わっています。中学生の年令のお子さんの相談もあり、実際に来るようであれば、別個に不登校クラスを設けたいと思ってます。

【ミニライブ】古田君のライブは3回目ですが、今回は私の友人の横笛も加わって楽しさも増えました。道草の家の3階の広間も10名以上でいっぱいになりました。横笛では日本の古くからの歌、童謡や子守唄などが演奏され、その後、古田君の絶唱に聴き入りました。



「分人」ということ

 私自身も色々なことで動揺したり、うつ的になったりもしますので、確固たる信念や信仰があれば生き易いかな、と思わないでもありませんが、青年たちの心はあまりにも繊細であり、また自分の思いを追求したり、責めたり、考え深いところもあり、非常に微妙であるため、多様な関わりが必要です。心が楽になり、自分を肯定できるよう、カウンセリングの基本、「受容、共感」でもって関わるように心がけていますが、それだけでは足りないように思えて、「人間」とか「社会」、「生きるとは?」をどうとらえたらいいか、――などをも模索しています。

 このところ来所はないが、電話で時々話す青年が「最近読んだ本が面白かった」と言い、その題名を教えてくれました。「私とは何か――個人から分人へ」という本ですが、買い求めて読みました。「そうだ!」と思いました。

 一つの本当の自分があるわけではなく、相手との関係によって、相手との相互作用によって様々な自分になる。相手によって違う人格を見せているのを見て「本当の自分はどっち?」などと問いつめがちですが、どれも「自分」であり、それを著者は「分人」と名づけました。そして「私たちは日常生活の中で複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている」と言うのです。

 それから「他人について知りうるのは、相手の自分向けの分人だけであり相手の全てを知るわけにはいかない。相手との関係の中で、ネガティブな分人を感じるのは半分は相手のせい、またポジティブな分人を感じるとしたら他者のおかげ」とも言っています。

 また、「死にたい」とか自分を消したいのは、複数ある分人の中の「一つの不幸な分人」――と思った方がいいようです。自傷行為は、自己そのものを殺したいわけではなく一つの分人のイメージを殺そうとしているのであって、その他の分人は生きたいのであり、死にたい願望ではなく、生きたい願望の表われだ――というのも納得できます。

 人が変わる、成長するのは新しい他者との出会いを通して、自分の分人が変わっていく――親との分人をベースに対人関係を増やしていくことで様々な人との分人を形成されていく・・・

 自分のことが嫌いな人、「ダメだ」と思う時など、自分の分人を一つずつ考えてみて、誰といる時の自分が好きか、を考えてみれば、好きな自分の分人がいるはず――「好きな分人が一つでも二つでもあれば、それを足がかりに生きていけばいい」との言葉!(生きた人間でなくても、書物の中の人物、言葉なども自分を肯定するための入口になるとも言ってます)「自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だ――分人主義の最も重要な点」という著者の言葉は考えさせられます。

 青年たちに自己肯定感を持ってほしい、といつも願っているのですが、青年たちはある人との関係の中でマイナスを感じたとき。「自分はダメだ」と自分を全否定しがちですが、それはその人との関係の分人にすぎず、肯定できる分人もいるはず――そう思うことができたら、と思っています。好きな分人、肯定できる分人を一つずつ増やしていけたら!

 他者との出会いで分人が増え、分人も変わる――というのは他者との出会い、相互作用でその人の分人が変わる、その人も変わる。他者との出会いでその人の分人が変わる、その人も変わる。成長するということで、自分が変わるには他者との関わりが必要(それは書物でも)ということになり、ひきこもって他者との関わりがない場合、その人だけで変わって、社会に出る、というのは非常に難しいように思います。