2014/01/01

明けましておめでとうございます

 昨年は「これからの社会は、自然環境は、どうなるだろう」という不安になることが多々ありました。

 未来が沢山ある若者たちにとって、行き辛い社会、環境になるのでは、と心配です。

 でも、若者たちが元気を出して社会を支えてもらいたい、という願いも強く感じます。

 今年も皆さんと共に、支え合い、学び合いながら、できることを精一杯やって行きたいと思っています。

 今年もどうかよろしくお願いいたします。

和田ミトリ

 青年たちと共に成長

 先月号では、生き辛さを抱える青年たちの気持ちが、(ある程度)解る、というようなことを、そして、それは自分が若い頃から、話すことが苦手、というコンプレックスを抱いて来たから、だと述べました。

 でも、道草の家を開いて13年余、青年たち(女性、男性)と、そして親の方たちと関わりながら、自分も変わって来た、成長して来たということも感じます。

 先日、「クリスマス&忘年会」を開き(青年たち6人、大人3人参加)、ひとり一人に対し他の人が「いいと思うところをほめる」ということをしました。

 私の番になった時、ある青年が「和田さんは面白い」と言いました。

 意外でした。20年以上前になるかと思いますが、カウンセリングの勉強会で一言もしゃべらなかった(他の人に圧倒されて)時、「和田さんは何も言わないので、何を考えているか分からなくて、こわい」と言われたことがあり、”面白い”とは程遠い、と思ってました。

 でも、開設後、青年たちと話す中で、そういう自分も出て来たのだ、そして、よくしゃべるようになった(若い人の”興味”のことでは、話題について行かれない時もありますが)ことは自分でも感じています。

青年たちのそれぞれの思い

 クリスマス&忘年会で、「今年はどんな年だったか、来年はどういう年にしたいか」を尋ねました(「青年の思い」に掲載)。

 「来年は少しでも前進したい」と言った青年と「諦めたら楽になった。ごみ拾いなどのボランティアをしている」と述べた青年がいました。

 「前進したい」と思いながら前進できなかった1年。「来年こそ少しでも前進したい」と思う意欲、そう思う、思える気持、今があるのだな、と思います。一方、「諦めたら楽になった」ということも、「ちゃんと働かなければ」と今の自分には階段が高いものを求めすぎると、自己否定感が強くなり、かえって動けなくなります。”理想”を諦めて、楽な気持になり、”今できることをする”ことにより、行動することもでき、自己肯定感も出て来ると思います。

 それぞれの思い方で自分を大切にし、自己肯定感を高めてほしいと思います。

まなざしを他の人に、他のものに

――生きる意味――

 最近、ロゴセラピーを学び始めました。

 昨年の4月号でビクトール・フランクル(ナチスがユダヤ人を収容し、虐殺したアウシュビッツから生還した精神科医)の著書「それでも人生にイエスと言う」について述べました。

 フランクルは戦前もロゴセラピーについて考察していましたが、解放後は収容所体験から、さらにロゴセラピーを深め、そして世界に広めました。沢山の書を著わしましたが、3冊ほど読みながら、ロゴセラピーは技法を使うというより、”生きる意味”を生き方そのものを問うもの、ということに魅力を感じるようになりました。

 オーストラリア在住でロゴセラピストの勝田茅生さんが日本で開くロゴセラピーゼミに参加したり、勝田さんの著書を読んで、まだ不十分ですが、魅力を感じた主なことを述べたいと思います。

 私たちは、特になかなか社会の中で生きられない人たちは、「自分は生きる意味がない」と思いがちです。

 でもロゴセラピーは逆の視点で、「人生は、社会は自分に何を求めているか、が問われている」のだと言うのです。

 それについて、次のようなことから述べたいと思います。

 心が落ちこむ青年にとって、その苦しみは大体において人との関係で(個人的にも、職場などグループの場でも)「自分は失敗した」「嫌われている」「自分はダメな人間だ」など、自分を見つめ、自分を責めることから起きていることが多いと思います。

 自分を見つめ反省することは大事だと、一般的にはよいことのように思われています。でも、それによって成長して、その否定感から抜け出すことは、容易ではないように感じます。

 トラウマを解消する心理(精神)療法も色々あり、最近ではEMDRが効果がある、とテレビでも放映されたりしましたが、次から次と、思い出すトラウマ(今の辛さの原因と思われる)一つ一つ消していく、――そして「まだ辛い」――それは「こうしたトラウマだ」ときりがないように思います。

 気分が落ちこみがちで心が苦しくなる青年に聞いても「自分を責めても、反省しても辛いだけで意欲も出て来ないし、癒されもしない」と言います。

 ロゴセラピーでは「自分だけに目を向けないで、他の人に、他のものに目を向ける」ことの大切さを言っています。他の人、他のものに目を向けた時、ささいなことでも、「自分が役立ったんだな」或いは「あの人が自分を助けてくれた」とか「好意的な目を向けてくれた」など、見つかることがあると思います。

 これはコペルニクス的転回と言えるかもしれません。コペルニクスが天動説から地動説に変わったように、「世界は社会は、自分中心に回っている(自分の存在は世界の中で最も重要)」のではなく、「自分は動いている世界、社会の中で、他の人、他のものと共に生きている」ということだと思います。

 自分の心の中だけを見つめ、とらわれるのではなく、他の人、他のものに目を向けて「自分は他の人に、社会に役立つことがある」という思いになれたら、それは「人生は、社会は自分に何かを求めている」という思いへとつながり、そして”生きる意味”につながるのでは、と思います。

 すぐには、まなざしを、他の人、他のものに向けることはできないでしょうが、意識して、少しずつ心がけて頂ければ、と思います。

(参考文献「ロゴセラピー入門シリーズ」勝田茅生著 (株)システムパブリカ)