2016/12/01

ロゴセラピー

  ふと我に返りました。私は自分の生き辛さを変えるために、そして、青年たちと一緒に考えるために、“ロゴセラピー”を学んでいるのではないか。
足の怪我もあって思うように歩けない、疲れ易い、ということにとらわれていました。
ロゴセラピーでは、人間は心身次元(身体、心理の次元)の上に精神次元があり、それは自分のためではなく、他からの要請を感じとる力であり、生きる意味を感じる力がある、ということが基本にあります。
自分のためではなく、他の人、他のことに対しての役割として意味を感じたことを、瞬間・瞬間に行うこと、行動する責任がある――。“失敗したな”と思っても、それにとらわれていると、“意味”を感じとれなくなくなります。

それぞれの生き辛さ

  青年の集いに参加しているF君は障害時の学童保育(放課後、親が迎えに来るまで)にたずさわっています。
 私は、以前にある心理学者が「知的に低い人は悩まない」と話しているのを聞きました。確かに私の経験からも、(だいぶ前のことですが)知的な面でボーダーの青少年と関わったことがありますが、「自分はダメな人間だ」と言いながら荒れていました。もっと低い青少年は、そういうことでは荒れませんでした。

ひきこもりサポーター


 私は、かねがね、ひきこもる子どもを持った親とその子とが地域の中で誰にも相談せず、そして諦めて、ひっそりと過ごしている場合が多いのではないか、と思っていました。
 でも「千葉市ひきこもり地域支援センター」が今年の2月に開設されました。(全国の県や政令都市に設置することになっています。)
 その千葉市ひきこもり地域支援センター主催で「ひきこもりサポーター養成研修」が開かれ、その講座に私も参加しました。私も、NPOとして活動している、「なの花会」「フォレストエコー」の代表の方と一緒に活動について、20分程発表しました。

11月の雪


 先日雪が降りました。11月に関東地方で雪が降るのは珍しいことであり、観測史上初めてのことのようです。学習室(いつも青年の集いをする部屋)でテーブルの前に腰かけ、正面の小さな窓を見ると、ふわっとした雪の塊が風に吹かれているのが見えました。右の南西の窓からは家々の屋根に雪が積もって行くのが見えました。外はずい分寒いだろうな、と思いながら。
自然は思いがけない姿を見せます。11月の関東地方の雪、白い屋根屋根は、とても“きれいだ!と感じました。翌日はすっかり溶けました。
 でもまた自然は“怖さ”もあります。明け方の強い地震に驚きました。ラジオをつけると、「津波警報、高台に逃げて下さい」という言葉がくり返されました。後でテレビを見ると、1m以下の津波で、被害はなかったようで、ほっとしました。

2016/11/02

道草の家を訪れた青年たち


 ひきこもりの青年の居場所として16年活動を続けて来ましたが、ひきこもりの状況は様々です。そして巣立つ状況も或いは来なくなる状況も様々です。

(その前に10年近く、個人カウンセリングで、ひきこもりや不登校の青少年と関わって来ました)

 中学校で不登校になり、学校にも行けずひきこもっていて、少し落ちついて来て(或いはゲームにあきて)「仲間のいる所に行きたい」気持ちになり居場所を探して、道草の家に来るようになった場所が比較的多いです。或いは高校や大学を出た後、会社勤めをして、そこでの人間関係が辛くなって、うつになり、やめて、家で過ごしているうちに少し落ちついて来て、「外に出なければ」という思いで、その最初の“場“として道草の家を探して来所するようになった青年。又、発達障害があって(3スペルが―)、親と一緒に参加する場合もあります。

快復の過程も様々ですし、社会参加の糧も様々です。

2016/11/01


 道草の家の庭には柿を1本植えてあります。ちょうど奥の部屋(2階です)の窓を開けると目の前に柿の実が数個色づいているのが見えます。去年も23個色づきましたが、捥ぐのは簡単ではないので、下からは届きませんし、2階の窓からは、長い柄のついた剪定ばさみを使ってとるのも、難しいかなと思ってそのままにしてました。いつの間にかなくなっていました。色づいた葉と共に落ちたのでしょう。
 今年は数も多いので是非とりたいと思います。
 子どものころ、田舎に住んでた時はおやつは庭になっている果物とか、さつまいも、とうもころし、でした。あんずを友だちと勝手にとって食べたりしました。また、栗の木がある森に近所の年長のお兄さんが連れて行ってくれて、拾った栗を生まなまま食べました。柿はしぶ柿はしぶ柿しかなく、大人たちが柿の皮をむき、干し柿にするのが、夜なべの仕事でした。
 田舎の実家は農家ではなかったのですが、庭に柿の木や梅の木などを植えていました。とうむぎ畑もありました。遠い思い出になってしましました。
 思い出ばかり語っていても仕方がありませんね。いま、若い世代の青年と関わっているのですから。
 この家を建てた30年前には、庭を畑にしてました。春菊を育てたり、コスモスの種をまいたりしました。来春は、私も足がすっかりよくなって畑仕事もできるだろうと思います。してみたいと思います。青年たちと一緒に。

2016/10/02

挫折、方向転回


 先月号では私の子ども時代のことを書き、友達とよく遊んだ、楽しかった、ということを書き、それが人間信頼の基になり、生きることには楽しいことがある、という感覚を育てた――ということを述べました。

「大人になってからはどうなのか」と(会報を読んだ方から)聞かれて、ふり返えれば、数えてみれば、7回くらい挫折し、方向転回をくり返したな――と思います。

秋は、いつ?


 10月になろうとしているのに、まだ暑い日々。雨や曇りが多かった9月でした。

道路から下の崩に短木がどっさり葉を繁らせています。庭もハーブ園を作るため、草や笹竹を抜きましたが、また生えて来ました。上から見るとハーブか雑草か分からないくらいに。

自然のエネルギーはすごいなあ――と思います。自然には善悪はなく、勝手に人間の都合で善悪をつけているだけでは、と思います。

今のところ千葉県は台風や地震の直撃はないのでこんなのんきな事が言えるのかもしれません。
千葉県は12月になってから紅葉がきれいです。やっぱり紅葉狩りをしよう――と毎年ボランティアで紅葉のきれいなところに連れて行って下さる土屋さんと話をしました。

2016/09/04

状況の意味

 ロゴセラピーでは「どんな人間でも何かの意味を実現するために生まれて来た」と言うわけですが、その意味とは?(以前にも述べましたが)日々の生活の中で考えると、自分のためでなく、「他の人の他の何かのために」今できることを感じたら、それを実行する責任がある・・・ということでもあります。それは誰が見ても(どんな国の人でも)納得できる、普遍性があるということです。日々に意味の要請(上の方から)を良心が感じ取って。

2016/09/03

子ども時代の過ごし方

 もう少し、日常的に子ども時代のことを考えれば、私の人間関係の基礎は子どもの頃、友だちとよく遊んだこと、対等な人間として大事な存在だと無意識に感じられたことだと思います。

2016/09/02

人間が生まれ、生きるとは

 7月には、障がい者の施設で、多数の障がい者を殺傷した事件、そして8月には、10代の少年がラインでのやり取りの対応が気にくわない、と言って、4人で一人の少年を暴行して死に至らせた事件がありました。
 胸が痛みます。そして「なぜ、そんなに簡単に人が殺せるのか」と疑問が湧いてきます。

2016/09/01

虫の声、鳥の声

 8月も下旬となると、ミーンミミミーンという声はあまり聞こえなくなり、ジージージとかカナカナカナという声が聞こえてきます。ピチーピチーというような鳥の声も聞こえてきます。