2010/07/10

引越し奮闘記

  6月末の引越しのため、会報の発送が遅くなりました。
 引越しの準備を心がけていたものの、やっぱり細々したものが間に合わず、引越し屋さんが来てから、バタバタと追われながら箱につめたり、トラックに載らない、ということで多くの小さな家具を残して処分することになったり、2日にわたって奮闘し、何とか終わりました。(箱から出して整理するのはまだです)
 色々なものを処分したものの、「とっておけばよかった」「早くから予想し、準備すればよかった」と後悔しきり!でも娘はそんなこともないので救われました。そして、こんな時でないと思い切りができないわけで。(母の残した寝具や、布きれや食器などが後から後から出て来て、大事にとっておく母の時代の生活がしのばれます)
 そして約1日心を痛めたのは、猫を小平の家に連れて行ったものの、夜中に少し開けておいた窓から出て行ってしまい、朝気がついて家のまわりだけは名前を呼びましたが、応答がなく、そのまま今までの家に掃除に行きました。「新しい家の臭いも覚えないまま出て行ったから戻れないかもしれない。そういう縁なのだろうか。縁があったら戻ってくるだろう」と話し合いました。ところが夜遅く帰ってみるとドアのそばにいるではありませんか。「縁があったのだ」と3人で大喜び!
 さて、1階の私の部屋を少し整理し、朝、雪見障子から外を見てみようと、障子を上げたのですが、少しの草木と前の家の壁ばかり。船橋の家とは大違いです。船橋の家は23年住み、木々が育って、窓からは緑ばかりが見えて、それに慣れていたのですが。小平の家も草木を植えたら育って緑いっぱいになるだろう、どのくらいで?私が生きて、住んでる間に…?
生きる意味(2)
 皆さんは「生きる意味」をどんなふうに考えていらっしゃるでしょうか、「余り意識していない」「分からない」という方も多いかもしれません。或いはそういうことを考えなくてすむほど満たされて過ごしている方もいることでしょう。
私は若い頃、「生きる意味などない、生まれたから生きているだけ」と思ったり、「人生は不条理だ」と思ったり、否定的な思いがありました。でも好きなことをして、充実感を感じて生きたい、とも思いました。そんな中でいくつかの挫折をしながら今の仕事、活動に至ったわけですが、今も難しい課題を抱えて過ごしている中で、ふっと「ヒマラヤが見える山の中腹で、一日中、ヒマラヤが、日の光で変化して行くのを(朝、夕は茜に映えたり)眺めていたい」思ったりします。悠久の中にいる自分の存在を味わえるかなと思います。
 また私も高齢になってきて「後何年生きられるだろうか」と思う時「死は無になること」という思いもあり、怖さを感じたりしますが、宇宙の始まりから今まで原子、分子が生命となってぼう大な時間の中で進化し、人間が生まれ、私が生まれた、そうしたつながりの中の一つの輪に自分がいて、死は宇宙の原子、分子に戻るのだから無ではない、とも思ったりします。
 或いは仕事などに精一杯頑張っている自分に、逆にゆっくりと自分の体を、呼吸を味わい、聞こえてくる島の声を感じる時、“生”の実感を味わえるかもしれません(座禅がそんな感じでしょうか)
 おいしいものを食べた時、好きな音楽を聴いている時、庭の花を眺めている時などささいなことに幸せ感を味わい、生きる意味を感じるということもあります。
 あるお母さんに生きる意味を尋ねたら、「生きていてよかった」と思えること、「楽しし」と感じること、を大切に生きたい、との答でした。「こう思う前は、他の人の目、評価を気にして心の安らぎもなく過ごしていたが、子どもがひきこもるようになって、気づかされた」とのことです。
 高度成長期は、成功、沢山働いて、沢山収入を得ること、そして社会から認められることが、生きる意味のように思われていましたが、それには適応できない人が多く出て来て、少しは見直されて来ているようですが、まだまだ、根強くあります。
 働いていない、働けない青年は「自分は社会から認められない、それは自分には生きる意味がないことなのだ」と思ってしまう場合が多い、と思います。「どんな人も生きる意味はあるのだ」と言っても簡単には同意できないでしょう。
 自分の存在を肯定的に感じることが根本にあることが必要かもしれません。でもどうしたら、存在を肯定できるのか。人は社会一般的ではない人を否定しがちです。でも、存在そのものを誰が否定できるのでしょう。否定する権利はないように思います。
 まわりの人がその人の存在を肯定する――状態全部を受け入れられなくても――ことはできないでしょうか。
 そして、小さな楽しさを感じることの積み重ねが、自分を肯定し、生きる意味を感じさせるのかもしれません。青年の思いでのT.Nさんも言ってるように、しばしの間でも瞬間でも、楽しさや心地良さや嬉しさを感じることを大切にして。