2011/12/01

北東北の秋

 11月初旬、親戚の法事の後、足を伸ばして、青森県の十和田湖とそれから流れ出る奥入瀬渓流に行って来ました。流れに沿って遊歩道があり、小石が見える、すきとおった水を間近に見たり、川岸に茂る木々も半分落葉となり、鮮やかでない紅、黄色の葉がかえって穏やかな色合いとなって、その間を歩くのは、とても心が安らぎ落ちつきました。渓流はゆるやかな流れと、岩にぶつかる激流をくり返しながら流れており、また、両側にそそり立つ岩山から様々な滝が流れ落ちていました。穏やかな流れにほっとし、激流や滝の激しいしぶきや音には自然のエネルギーを感じました。心が沸き立つような・・・。どちらも心を豊かにしてくれる。自然は穏やかなもの(時)もあり激しいもの(時)があります。そうした自然と共に生きているのだと改めて思いました。(東日本大震災はあまりにも激しいものでしたが)
 もう12月、あと1ヵ月、いつものことながら何と早く過ぎることでしょう。特に3月11日の大震災と原発事故、復興の目処もはっきりしないまま、月日が過ぎてしまいました。私自身も具体的には何もしてない、できない・・・申し訳ない気持ちです。
 道草の家も、そんなに大きな問題もなく過ぎて来ましたが、余り活発ではないようです。もう少し活性化できないものかと思います。6頁でもお願いしましたが、親の方たち、支援者の方たち、読者の方たち、道草の家の活性化のためにご協力を是非お願いします。

育つ過程
 生きづらさを抱える青年たち、精神的な不安がありなかなか人と交われない、働けない、人とも(親とも)殆ど話をしない青年たち、そしてそういう子どもを持った親の方たち、そうした青年や親の方の話を聞き、関わるとき、生きづらさ(ひきこもったり)は生まれた時から今までの過程があったはず、どういう育ち方、子ども時代だったのだろう、親や家族学校や近隣の人などの関わりはどうだっただろうという思いが浮かびます。生まれつきの気質もありますが、環境、関わる人たちの影響も大きいと思います。
 色々と絡み合い、積み重なっていますが、子どもは生まれた時から順々に成長するものだと思います。体が少しづつ大きくなり、体の動きもできることが順々に増えていくように。一足跳びということはなく。心も体も順調に成長と言う場合も少なく、滞ったりゆっくりだったり、バランスを崩すこともあります。
 私自身はどうだろう、どういう育ち方子ども時代だったろう、また私の子どもたちはどういう子ども時代をおくり、生まれてから大人になるまでどんな育て方をしたのだろうと考えたりしています。

愛着障害
 そんな折「愛着障害」という本に出会いました。
 「愛着」は心理学の用語として知っていました。戦災孤児が施設で育てられると、一人の養育者ではなく複数の養育者に育てられるため、人と親密に信頼を持って関わる「愛着」が育たないということでしたが、この本ではそうした特殊な子ども達の問題ではなく、一般の子どもにも当てはまるし(発達障害と思われる中にも)大人にも広く見られる問題だというのです。
 「愛着」は、人と人の絆を結ぶ能力、その人の人間関係の基礎となるものです。生き辛さを抱えている人、うつや不安障害、アルコールや薬物の依存症やパーソナリティ障害など、そして、対人恐怖が強く、人と交われない、社会に出られないひきこもる青年たち(家から殆ど出られない人から居場所にこられる人、様々ですが)にとっても、大きな影響を与えていると思われます。
 愛着の基礎は、まず、生まれた後、3才くらいまでに、母親(養育者)との親密な関係で形成されます。泣けばすぐ来てくれる。お乳を飲ませてくれる、自分を守ってく人として母親の顔を覚えます。そうして育った愛着を基地としてだんだん他の人に関心が向かう訳ですが、その前に「人見しり」という状態が出ます。それは、母親と、その他の人の顔がはっきり見分けられるからで自然な育ち方です。ただ母親と子どもの間に安定した愛着が育つためには、母親が安定した気持ちでいること、それには、父親との関係、家族との関係などが安定しており、母親を支えることが必要です。
 母親が不安定だったり、養育者が変わったりすると安定した愛着が育ちにくくなりますが、養育者が変わっても十分な愛着と親密さで育てれば、愛着は形成されます。放任や過保護だったり、勿論虐待があれば、育ちにくいといえます。
 安定した愛着が形成されている人は「安全基地」となる人がいる。自分が愛着し信頼している人が自分をいつまで愛し続けてくれることを確信しており、愛情を失ってしまうこととか嫌われてしまうなどとは思わない。そして、人の反応を肯定的に捉え自分を否定しているとか軽蔑しているなどと誤解することはない。また自分の意見や気持ちを率直に表現できる、それは相手を否定することではなく相手を信頼し尊重しているからこそ本音で話す・・・ということなのです。
 私は親友に率直に話せますが、いつもそれができるわけではなく、思ったことが言えないことが良くあります。それは9歳のとき養女になったため、養母との安定した愛着が形成されなかったからかと思います。道草の家に来ている青年も自分の言葉が相手を傷つけたのではないか、嫌われてるのではないかとしばしば思う
と言っています。
 自分を信頼し、相手を信頼する安定した愛着が十分に育ってない人は多いと思います。それは今からでも育てられる。取り戻せると著者は言っています。(紙面の関係で詳しくは述べられませんが)
◎「安全基地になる存在」があること―親との関係を改善することがもっとも望ましいが、家族、友人、恋人、パートナー、教師、カウンセラーなどがその存在になり得ます。
◎「愛着の傷を修復する」こと―一つは幼い頃の不足を取り戻す。それには「子どもの頃からやり直す(退行も大事です)。幼い頃の状態や問題を順次再現しながら、幼児期、児童期、思春期、青年期の段階と成長していくことが可能です。そして子どもの遊びが子どもの心の回復につながり、子どもの遊びを十分すれば、児童期の段階を過ごせ思春期に進むということも可能になります。(私は子どもの頃、楽しく遊んだ思い出が沢山ありますが、青年たちはあまりないようです。今からでもいっぱい遊んだらいいと思います。
 もう一つは「傷ついた体験を語りつくす」こと―傷ついた体験と向き合い封印してきた過去を整理し、統合し直す作業に立会い、媒介する人が必要。専門家の役割になるかと思います。
 著者は、多くの例をひきながら、くわしく述べています。「愛着障害」という視点は考えるべきことですが、余り深刻に考えすぎてもいけないと思います。(「愛着障害」岡田尊司著、光文社新書―多く引用させて頂きました)

2011/11/01

フクシマにて

 実母の法事で久し振りに訪れた故郷のお寺と墓地は、とても静かで、穏やかで、幼い頃と殆ど変わりません。福島県の真ん中にあるとは思えない。燈篭や墓石の上の部分が落ちて壊れているのだけが地震の名残を見せているだけです。
 福島県は広いので、浜通り、中通り、会津地方と分けて天気予報などは伝えたれていますが(地震情報も)、故郷の石川町は中通りにあり、低い山と山の間に流れる川沿いにある小さな町です。原発事故で発散した放射性物質は、風に乗って山の上を吹き抜けて行き、石川町には余り落ちないとのことで、セシウムのレベルは低く、避難者を受け入れています。
 でも福島県庁に勤める甥、姪、兄妹などの話は、風評被害のことで、「フクシマ」というだけで拒否、敬遠されてしまう。会津地方などもセシウムのレベルは非常に低いのですが、「フクシマ」とひとくくりにされて農産物も拒否されます
 地震、東北大震災に対しては、全国から、「頑張ろう」「応援してる」「絆」などの言葉から寄せられ、多くのボランティアが訪れ、痛みを分かちあっている感じですが、原発事故に対しては、ただただ放射性物質に対する拒否、恐怖感になっています。福島県や近県でもセシウムのレベルが低いところでも、0ではなく、でも全員が避難するわけには行かない、福島県の中の低いレベル中に住んでる人たちは、静かに痛みを分かち合っているように感じます。京都の「大文字焼き」の場合など、長時間、何日も燃やすわけではないし放射性物質の不安を分かち合ってもいいように思うのですが、・・・
いのちと原発
 新聞の一つの記事(10月26日朝日新聞)を読み、怒りと共に悲しい気持ちになりました。それは、福井県敦賀市町の言葉です。「原発には確かにリスクがある。けど、我々は一定のリスクを背負った分、経済的メリットを受けるという選択をしています」「他の都市でも工場がなくなったら、別の工場を誘致してくるでしょう。私たちは原発という『地域産業』を誘致しているのです。」確かに生活するにはお金が必要です。でも、こんなに多大な影響をその市町村以外にも、日本中に世界中に恐怖を与えていることを認識しないのでしょうか。そして未来の人たち、何10年、何100年の先のことを考えないのでしょうか。放射性物質は簡単に消えないのですから。
 一方、茨城県東海村村長は「『原発がなくなったら住民の雇用はどうするか』『村の財政はどうするか』という論議も村内にあります。しかし原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を一基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円のカネがはいる。それがなくなると、また『原子炉を誘致せよ』という話になる」「福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢にすぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです」と言っています。
 敦賀市長の考えも、個人の問題というより、そう思わせる日本の社会なのだ、ということでしょう。
 原発事故が起きても「それをやめたら今の生活、電力を使った生活はできなくなる」「地域温暖化を防ぐためのクリーンなエネルギー」とも言われ、きっぱり「脱原発」と言えない人もまだ多いようです。ということを知ったら、どう考えたら、国民皆が「脱原発」と思えるでしょうか。それに関する本は沢山出てますが、生命科学者柳沢桂子さんの「いのちと環境」(ちくまプリマー新書)が分かりやすく、根本的なことが書かれていると思います。※生命の誕生から人間の存在と環境、成長の限界、人間と気候変動、人類は生き残れるか、―というテーマで書き進められています。
 まず「放射能が怖いのは、放射線がDNAを傷つけるからです」「放射線は、植物にも昆虫にも細菌にも、すべての生物のDNAに影響を及ぼす、直接的にも間接的にもその影響はおそらく私たちにとって甚大なものになるでしょう」と書かれ、
 「私たちは地球を壊してしまいました。その原因は人口の増加と産業が盛んになりすぎたことです。温室効果ガスも増えています。いずれにしても私たちは今の生き方を考え直さなければなりません。」そして最後に「私の人生の終わりに際して、これから生まれてくるものたちに幸せに暮らしてほしいと祈らずにはいられません。まして私たちが木を切り倒し、地面を砂漠化し、沢山の高レベル放射性物質を残してこの世を去るなどということはとても悲しいことです。私は病気でほとんど寝たきりですので、病床で本を書くことしかできません。元気な皆さん、どうか力を貸してください。」と結ばれています。

青年たち
 道草の家の活動の中で関わる青年(彼、彼女)たちのことがいつも気になります。いい方向に進んでる青年もいますが、生きることの辛さがなかなか弱まらない青年がいて、どう考えたら、どう関わったらいいか、思い悩むことの多い日々です。
 自分の精神的な不安定さ、辛さ(通院している)の上に経済的不安がさし迫っている青年・・・母子家庭で母親は心身がかなり弱って来て、その世話をしなければならないし、自分が働かなければならない。でも、同僚や客とも話ができず、コミュニケーションを身につけていないことで落ち込む日々。個人経営で時給は安いし、いつ首になるか分からない。と言って他の仕事につける当てはない。せめて障害者年金を貰えたらいいが、余裕がなく年金を払ってないために貰えない・・・どうしても仕事をするのが辛くなって、一週間休み、それ以上休むと首になるので「頑張って行きます。頑張ります」という言葉で終わる電話。
 具体的な方策もなく、聴くしかありません。「生活保護も考えられる」という私の言葉で市役所に聞きに行ったこともありますが、受給額は今のアルバイトの収入よりも低く生活できない、それに「働かないことには後ろめたさを感じ自分を責めてしまい、楽な気持ちにはならない」と言います。何かいい知恵はないでしょうか。
 また、「青年の思い」に「道草の家への期待」として書いてくれた青年、精神的な苦しさを抱え数年前に訪れ、間をあけながらも来所しています。最初の頃にくらべれば、落ちついて来て、他の青年ともなごやかに話をしています。でも家では激し感情が揺れどうしても自分を責めてしまうとのことで、親も私も「そんなに責めなくていい」「もっと自信を持ってもいいのに」と言うのですが。
 間をあけて来る青年でも、電話やメールのやりとり、などで何とか関われるのですが、親の方たちの相談の中で親と話をしない、顔を合わせない青年たちに対しては、どう考えたらいいか、どういう術があるのか、考えあぐねます。なぜ人と関わろうとしないのか。強い人間不信と絶望感があるのだろうと思います。私たちが手助けするキッカケをつかめないまま時間が過ぎていきます。その難しさを痛感します。私たちの思いをどのようにして伝えたらいいか・・・親御さんには根気よくメモで「心配してるよ、大切に思ってるよ」ということを伝えては?と言ってるのですが。

2011/10/22

すべてをなくしても未来は残る 太陽がまた、幸せを連れてくる

 この言葉は東北の子ども達に海外の同世代から送られた激励の言葉です。(ユネスコが募った「KIZUNAメッセージ」としてブータンとフィジーから送られたもの)
 こういう言葉が発せられる国!感動と共に考えさせられます。
 「未来を信じられる」ということを、日本の若者の中でどのくらいが信じられるでしょう。勿論、震災で家が壊され、流された人たちは、もとの生活ができるようになるか、不安でいっぱいのことと思います。思いがけない災害に逢った場合、未来のことはなかなか考えられない。でも、ひきこもる青年たちに目を向けると、一度”ふつう”からはずれると、「未来はない」と思ってしまう青年が多い現実、どう考えたらいいのでしょう。
 「自分はダメな人間」「社会がそう見る」と思ってしまう。「そんなことはない!」と大声で叫びたくなります。それぞれすてきなところを持っているのに。ある青年は高校を中退した時、教師から「高校くらい卒業できないと、人生は終わりだ」と言われた、と話しました。そして、中学生くらいから不登校になったり、高校に行かれなくなって家にひきこもる-「それはふつうでない、ダメなこと」と自分を責めることは、精神的に不安定になり、病いとなって行くことが多い。
 何とか少しずつよくなり、家から外へ出られるようになっても、”空白”の期間として、ひけ目を感じて、やはり”自分はふつうではない”と強いコンプレックスから抜けられません。ふつうの人の仲間にはなれない「自分の未来を考えるのは辛い」と言ったりします。また、20代半ばすぎると、「同級生はみな、大学も出てたりして、働いている」と思い、自分を知る人に出会うのを怖れて、外へ全く出ない青年もいます。
 日本人の傾向として、”みんなと同じに””ふつう”ということを第一に考えがちです。それが、ストレスになって病気からの回復を遅らせているように思います。道草の家に来る青年たちも、その悪循環からなかなか抜け出せず、調子に波がある青年が多いです。
 先月号で、アメリカインディアンの生き方を書きましたが、未来を担う子どもを大切にし、未来を考えられる若者に育てている-とのことですし、アメリカインディアンと同じように太陽に生きるエネルギーを感じるフィジー(東南アジアの小さな国)の子どもたちは”幸せ”を感じながら生きている-。私たちは、未来を感じられる子どもに、若者に、育てようとしているでしょうか。大切にしているでしょうか。

和田ミトリ

2011/09/10

あしたが消える・・・

 昼間は蝉の声、夜は虫の声、秋が近づいています。でも、原発の影響は深刻さがますます明らかになって来たように思います。いつ収束するのか・・・。管(元)首相は”脱原発”を宣言しながら、他国への原発輸出は容認しています。そして経済界や世論の中にも「脱原発は無理だ」という声を聞きます。一挙に失くすというのは無理でも方向だけは”脱”に一致しないものか、と思います。新聞の中に「問題は『不合理な原発をどうするか』より『不合理が自明な原発をどうにもできない社会をどうするか』なのだ」という言葉を読み、まったくそうだ、と思いました。

 先日、「原発と被災地を支える会」主催の映画会で、20年前に作られた映画「あしたが消える、どうして原発?」を見ましたが、20年前にすでに今回の福島原発事故を予想し、その影響を訴えているのです。日本のあちこちの原子力発電所の建設にたずさわった父親がガンにかかり、半年ほどで亡くなった、という女性が「なぜ?」という疑問を持ち福島原子力発電所を訪ねたり、専門家に疑問をぶつけたり、ということを中心にしたドキュメンタリーです。その少し前にチェルノブイリ事故があり、それらを合わせながら、原発問題を追及したものです。

 その中で、福島原発が地震などで破壊された場合、チェルノブイリの事故と同等の影響を世界に与えると言っていました。そして女性の言葉がとても印象的です。(要旨は)「原発によって多くの電力が作られて、生活がとても便利になり豊かになったけれど、その背後には原発の建設や修繕に関わった人たちがいる。その人たちの犠牲の上になりたっていることを考えてほしい」

 科学の発展、進歩により作られた今の便利な生活を不便な生活に戻すことには、なかなか心が決まらない人が多いでしょう。科学によって何でもできる、自然を支配できる、不快感を取り除き、痛みを弱め、快適な生活・・・そうした傲慢さが今回の原発事故につながったのではないでしょうか。地球は人間だけのものではないし、現在生きている人の為だけではないはずなのに・・・

 生活が便利に快適になりましたが、精神的にも楽に豊かになったのでしょうか。最近のニュースでは、国民の五大疾患として、精神的疾患が付け加えられました。

 なぜ精神的疾患が増えているのでしょう。
太陽と大地 (アメリカインディアンの生き方)

 そうしたことを考えていた時「『野生哲学』アメリカインディアンから学ぶ」(管哲次郎著、講談社現代新書)という本に出会いました。

 その中で最も印象的な言葉は――インディアンの部族では、物事を取り決める会議をする時、「何事も取り決めるにあたっても、我々の決定が以後7世代にわたって及ぼすことになる影響をよく考えなくてはならない」――というものです。

 私たちは何年先のことを考えているのでしょうか。何年先に生きる人々のことを考えているのでしょうか。

 そして、インディアンの人々にとって「人生の意味はゆるぎない。それは土地を共有するすべての生命のために祈ること、生きた土地を励ますこと」なのです。動物も植物も人間と同じように太陽と大地から生まれたものであり、“隣人”なのです。

 先月号で(人の)私たちの承認欲求は3つの段階、「親和的承認欲求」「集団的承認欲求」「一般的承認欲求」があると述べました。

 インディアンの部族の人々は、「一般的承認欲求」を満たすものとして、ゆるぎない共通の「人生の意味」を持っています。それは、家族もまわりの人も、皆同じものであり、お互いに皆、承認されている感覚を持ち、自己肯定感に満ちていると思われます。共に祈り行動することができます。その祈りとは、

 植物を育てることが祈り
動物を狩ることが祈り
太陽や月を見あげることが祈り
水を汲むことが祈り
風を感じることが祈り
なのです。

 著者は言っています。「生物も無生物も含めて、ある土地を織りなすすべてのものは、互いに関係をもち、働きかけあっている。その中で、ヒトの占める位置はごく小さく、ヒトに力はなく、ヒトはつねに助けを必要としている」。動物も植物も無生物もなければ、人間は生きていけない、私たちはそれを忘れてしまったのではないでしょうか。

 日本でも、かつては、山や森、そしてあらゆる自然に神が宿るという、自然信仰、マニミズムがありました。私も山に登りたい、森の中を歩きたい、川や海を船で渡りたい、花や木を育てたい、という憧れがあります。祖先の血が引きつがれているのでしょうか。でも、昔は、山を登るのも森の中にいるのも、川や海にいるのも、生活そのもの、生活の糧を得るものであり、私たちがそうした所で余暇を過ごしたい、と思うのとは違います。

 日本では精神疾患が増えている、なぜなのか。社会に出られない生き辛い青年たちが増えています。悩み苦しんでいる青年たち、関わっている青年たちも、親の会などで話される青年たちも、なかなか回復の方に向かわない、なぜなのか、どうしたらいいのか、いつも頭に浮かびます。(少しづつ人との交わりが増え、少しづつ働き出す青年もいますが)

 働いていても、やっとの思いで働いており、休日を楽しむ余裕のない青年もいます。仲間と交わることも(話をしたり、一緒に楽しむ)、一人で楽しむことも出来ない青年。或いはなかなか働くことができない、また人の役に立たない自分を責めて、精神的な苦しさから抜け出せない青年たち・・・なぜ?抽象的な言葉で言えば、私たちは、太陽と大地から離れてしまったからでしょうか。

 インドの詩人タゴールの詩に共感を覚えます。

『いのちの物語のつづれ織りが織られる

いのちの結び目のある糸をつかって

絶えずつながったりとぎれたりしながら、

枯葉は 土にまみれて消えるとき、

森のいのちに参加する』

2011/08/02

窓の外、希望

 8月号の文章を書き始めようとしていたら、鴬の鳴き声がしました。夏に鳴き声を聴いた記憶はないので、少々驚きです。いつも目覚めの頃、まくらもとの窓の外で鳴き声がすると、「今日は天気がいい、雨ではないな」と思います。
 蝉の鳴き声もし始めました。鳥と蝉の声がするので、空が見える窓の方に行くと、鳥が蝉を追いかけてるのが見え、蝉が方向を変えると、鳥はそのまま飛んで行きました。鳥は食料として蝉を追いかけたのでしょうが、鳥と蝉が遊んでるように思われ、人間や動物と同じように遊び心があるのでは、とふと思いました。
 7月もあっという間に過ぎ、会報の打ち込みをしてくれる青年(女性)と「すぐ会報の打ち込みの日が来るわね」と話をかわします。会報は切羽つまらないと取りかかれないので、いつも「うまくできるだろうか」と不安も感じますが、同時に新たに出来上がる喜びも想像します。原稿が打ち終わり、8ページに何とか収まると、「今月もできた!」という思いで、3人で笑顔をかわす。そして、青年(今は女性)が描いてくれたカットを各頁に配置できた時の嬉しさ!
 心理的に或いは経済的にも難しい課題を抱えた青年たちの対応を(通院しながら働き、親の世話をしている青年もいます)、考えると胸が重くなりますが、会報作りなど変化があることで救われるのかな、とも思います。
 「問題を解決しなければ」とそればかり考えたからと言って、解決できるわけではない場合もあります。「今を大切に」とよく言われますが、少し先のことに期待し、希望、楽しみを考えることは、心を軽くし、エネルギーを生み出すと思います。(頑張る、のとは違いますね)
 「青年の思い」の中でも「希望」という言葉が出ました。
 そして、もっと先の未来に夢を持つことも大事かと思います。道草の家の将来を若い人がスタッフやボランティアとして、活発に継続してくれることを夢みています。
 今勉強会に来ている青年や青年の集いに参加している青年たちが後輩の青年、不登校の生徒の話し合い手や相談相手になる―ことが考えられます。
「認められたい」欲求
 人は本質的に人から認められたい欲求があるのでは、と「『認められたい』の正体」
(山竹伸二著、講談社)を読みながら思いました。人の精神的な苦しみは、「認められたい」欲求が満たされなかったり、歪んだりしたことによる場合が多いのではないか、こういう視点から考えてみたいと思います。他から承認が得られることは自分の存在価値が認められることにつながると思われます。(山竹氏によれば)それは「親和的承認欲求」
「集団的承認欲求」「一般的承認欲求」の三つの形があり、またそれは相補的な関係にあり、人はそのバランスの中で生きている―というわけです。
 まず、生まれたばかりの赤ちゃんは母親から授乳や世話を受け、何もしなくても自分の欲求を無条件に満たしてくれる、という母親や家族からの「認められている」という親和的承認欲求が満たされます。でも、だんだん育つ中で動き出したり、自分で食べ出したりすれば、全て思うようにはさせてもらえない、でも母親や家族に十分認められていれば、我慢することを覚え、自分の思いと人の思いの違いも感じて来ます。
 そして幼稚園にはいり、集団活動をするようになると、集団に合わせることも出て来ますが、母親の愛情を信じている安心感があれば、「集団的承認」の獲得にとりくむことができます。でも学校にはいるにつれ、その集団の嗜好や価値観と余りに違う時、無理に合わせようとすると精神的負担が大きくなり、合わせられないと集団から認められず、「集団的承認欲求」が満たされず、それも大きな苦痛になります。不登校になるきっかけは、このことが最も多いと思われます。
 職場においても「集団的承認欲求」が満たされるかどうかが、そこに居易いか、意欲が持てるかに大きく影響するでしょう。
 さらに、集団を超えた、一般的な視点から認められるかどうかも、生きる上で重要になります。キリスト教のように神が頂点にいて、神を信じ、神の教えを守っていれば、神に認められている、「自分の存在価値」が認められているという思いがあれば、精神的な安定が得られ、集団的承認をそんない求めなくてもいい、と思われます。
 でも、そういうものがなく、多様な価値観のある、日本の現代社会では、集団的承認欲求が満たされないと精神的不安定になり、生き辛くなります。
「一般的他者の視点」が弱く、自分で公正な判断ができない時、誰かに賛同を得なければ自信が持てない。それが、中、高生のグループから離れられない、そしてグループから疎外されれば、不登校にならざるを得ないということになるでしょう。
 私自身のことを考えると、子供の頃から母との葛藤が強く(養女ということもあった)、親から認められないとの思いが大きく、親からの「親和的欲求」は満たされなかった。でも、親友はできて高校、大学、社宅時代も親友はできました。(親友も「親和的承認」にはいります)。職場やボランティア活動では認められない思いがよくありました。個人的に親しくなる人はいましたが。
 自分で自分を認められるようになりたい、受容できるようになりたい、という思いでカウンセリングを勉強しましたが、今だに、「失敗して人から認められなくなるのでは」というような不安がよぎり、或いは人になかなか反論できない、人に対する怖さが抜け切れないようです。
 でも、私はある程度補い合えているのかなと思います。「役に立つことをしたい」と思い、色々活動してきたのも、親和的承認欲求が満たされなかったことの補いかもしれません。
 青年たちは「嫌われてるのではないか」と思ったり、また、とても傷つき易い。それは子供の頃から、他者からの承認欲求が満たされず、自己肯定感が低いためでしょう。どこでつまづいたのか、親からの親和的承認欲求が満たされない場合もあり、(母親が不安定で、自分が母親を守ってあげなければ、と思ってた青年)、また学校でいじめに合ったり、グループにはいれず疎外感を感じたり。そして「不登校だった」とか「ひきこもっていた」「働いていない」という一般的他者からの承認も感じられない、満たされない、という青年たち。今は仲間のいる「道草の家」という集団の中で、少しずつ集団的承認欲求がみたされるようになり、だいぶ元気になった青年もいますが、まだまだ難しさを感じます。
 ところで、最近の新聞で気になる記事があるました。日本の青少年研究所が行った「高校生の心と体の健康に関する調査報告」(韓国、中国、米国、の4カ国)によると、「自分を価値のある人間だと思うか」との質問に、日本は、6割強が「全然そうではない」「あまりそうではない」と答え、米中韓では、「そうだ」「まあそうだ」が7割強~9割強でした。
 なぜそうなのか、「承認欲求」と関連あるかもしれません。私たちの「承認欲求」について、もっと考えたいと思います。

2011/06/29

紫陽花に思う

 6月はあじさいがとてもきれいです。通り道の家々の庭に、様々な色合いで咲いています。紫陽花という字が当てはめられているように、紫のイメージが強いですが、それは、うすいピンクから濃いピンクに、また薄い青から濃い青に、どちらの系統も紫がまじっていて、私の好きな色、心がはずみます。
 紫陽花の色はピンク系、青系の種類があるわけではなく、土壌が酸性、アルカリ性の度合いによって変わるとのことで、とても不思議です。根を張っている土によって色が変わる―そしてそれぞれが美しい。花びらは同じ形で。
 人も育った環境、生活している環境で変わる面も多い。勿論、親からの遺伝もあり、様々な違いがあります。親と子は、時代も違うし、環境も違うのに、親は自分の思いから期待、理想を求めがち。それが親子の葛藤、生き辛さにつながる場合が多いように思います。
 子どもが親と同じだと、親の方が安心するのかもしれません。でも、自分をコピーしたような人間がいたら、出会ったら、何か怖いような、落ちつかないような気にならないでしょうか。私の場合も、子どもは私とそっくりでないので安心感があります。でもまた余り違うと、身近な人と思えないかも。
 親子でも、同じでないことに安心感や不安感がある。親の勝手なのか、そのバランスを持てればいいのか。でも、親子でも育った環境と、今生活している環境は違います。ですから、その違いを理解しがたい。十分理解できなくても、“違い”があることをまず受け入れる―ことができたら…。また、親子でも違うのに、社会の人々の間も環境がさらに違う。一層違いがあります。
 勿論、社会生活を送るのに共通なもの、共通な理解も必要。でも、それが余り、きっちりと多くを求めると、生き辛さがつのります。
 いじめなども、自分と同じでないものへの反発が原因の場合が多いと思います。もっとゆるやかに、それぞれの違いが受け入れられる社会、学校であったら、と思います。
チエを持つ存在故の苦しみ
 先月号では「人間は一つの有機体」だと述べました。でも、他の有機体と違って、言葉があり、思考力、創造力、抽象化する力があります。
 それによって科学が発達し、文明はどんどん発展しました。
 言葉――知ともチエとも言われますが、高史明氏の言葉を借りれば、「人間は“いのち”の論理の他にもう一つ、言葉のチエによって生きる存在」だと言えます。
 他の動植物のように、いのち、有機体の論理のみで生きられれば、精神的な苦しみもなく、人が人を殺すのを良しとする戦争などもなく生きられるでしょう。
 原始時代は少数の家族の集まりであり、その助け合いの生活から、多くの家族が集まって来るにつれ、支配者が現れ、欲望も大きくなり、争い、戦争が起こり絶え間なく続きました。科学の発達とともに武器も高度となり、悲惨さは増幅して来ました。
 一方、科学が発達するにつれ、効率的に仕事ができるようになり、物も豊富になり、様々な遊び、様々な楽しみも増え、外国へも宇宙にも行かれる、となり、努力すれば出来る、頑張れば社会的地位も高くなる…というような。何でも誰でも、頑張れば出来る――というような錯覚に陥った。そして、出来るはずなのに、それが出来ない自分はダメ、自分でも人からも認められない!――という苦悩が生じて来ました。
 科学が急速に発達し、社会が複雑になれば、皆が皆、そのペースに合わせ、その中でどんどん伸びて行くわけには行かない。生まれつき、内向的、繊細な人は、競争について行かれない。クラスの友だちは“仲良く”“助け合う”というよりも競争相手であり、そうしたことが受け入れられない子供は不登校になったり、人間不信になって行くでしょう。
 また、日本人はもともとは農耕社会であり、協力が必要なため、“和”を尊び、皆と同じように、という社会風土があります。多数の人がやっていることに合わせられないことに従って、“みんなに認められない”ことに、自分を否定的に感じてしまいます。無理をしてうつ病になったり、ひきこもったり、或いは虐待する親もやはり他と比較して「何でみんなができることができないのか」と怒りになってしまうのではないかと思います。

つながりを持ちたい
 一方、物が豊かになると、お互いの関係も“一緒に”“お互いに助け合う”ということが少なくなり、物に頼ることが多くなって来たように思います。昔は子どもも家の手伝いをしたし、(食事も大勢で一緒にしました。)ゲームもなかったので家族、兄弟が一緒に遊んだり、大人も子どももカルタやトランプをし、テレビも一台でした…。コンビニもなかったので、おしょう油など隣に借りに行ったり…。
 今は一人でも生活できる体制が整っています。わずらわしさがない代わりに、関係を持つ機会がなくなった、と言えるかもしれません。
 そんな中で、お互いに必要とする、必要とされる関係も感じられなくなり、“ひきこもり”の状態になって行く青年も多いかも知れません。“特別にできることがあるから”、必要とされる、というのではなく、それぞれがささやかなことでも、できることをして、また、“一緒にいるだけでもいい”、人の暖かさを感じられたら、と思います。
 今回の東日本大震災でも、被災者が避難所生活を穏やかに過ごしている情景を外国の人たちが見て驚いている、というニュースを見聞きしたが、日本人は(人間には)困った時はお互いに助け合おう、という気持がもともとあったのだと思います。が日帰りでも支援活動に行っているボランティア、自分が今持ってる力を、少しでも使いたい、必要なことをしたい―という思いがあるからでしょう。“絆”という大げさな言葉でなくて、関係、つながりを持ちたい気持は、本来人間にはあるのでは、と思います。

2011/06/06

一日の鴬

 5月半ば、朝方、窓の外の鴬の声に目覚めました。他の鳥の鳴声は区別がつかないことが多いのですが、「ホーホケキョ」という声は、はっきりと分かりました。今年も来たんだ、毎年、遅い春に、一日か二日鴬の声がします。どこから来てどこへ行くのか分かりませんが。青年の集いでその話をしたら、ある青年も、4月頃、父親の畑で(千葉市の外れ、借りている農園)うぐいすが鳴いた、と言いました。早春の鳥と思われますが、千葉では晩春のようです。
 うぐいすの声は子どもの頃から聴いてますし、懐かしさを感じます。毎年来てくれるんだ――という思い。小平の家に週末帰ると、猫が待ってくれてます。膝に乗ったり、布団にはいったりします。
 動物はほっとしますね。
 東北大震災で犬や猫を残して、避難せざるを得なかった人が多かったのですが、そういう方たちはどんな思いだったでしょう。残された犬や猫たちはどんな思いで過ごしたでしょう。後からペットとめぐり会ったり、新しい飼い主が決まったりしているニュースを見ると胸がなごみます。
 でも、原発の事故のため、酪農家が、急いで避難したために多くの乳牛をそのまま残して避難し、1ヶ月(?)位して戻ってみると、放した牛は、そこここに何とか生き延びた姿を見せたが、放さなかった牛は、重なるようにして死んでいた、というニュースを見て、胸がつまるような思いがしました。人間の勝手?で無残な死に至らせてしまった。
 自然の状態から、余りにもかけ離れたものを作り出す、人為的な過度な操作をしたものに、事故が起きた場合、人間の力でなかなか修復できない――ことを見せつけられたように思います。
人間は一つの有機体
 青年の集いで青年が言った言葉、「体に心地いいことを少しずつやって行けば元気が出る」ということ、自分の体験を通して感じたこの言葉は、カウンセリングの創始者ロジャースの著書「人間論」に書かれていることを思い出させます。「人間はいろいろの有機体の中の一つの種である」。動物、植物が、類、種に分かれていますが、同じ有機体の中の、人間という種だというわけです。(燃やせば、動物も植物も人間も、C、O、Hという元素になります)
 松の木が、枝を切っても伸びて行くように、もやしや草が明るい方に伸びていくように、人間も元来、明るい方、いい方向に進む方向性をもっている。ただし、それは、人間特有の頭脳だけで考えるのではなく(意識的思考だけでなく)、全身(有機体)で感じるものだ、というのです。
 ですから、頭だけで意識的思考だけで考え、行動しようとしても、有機体が求めているもの、経験していることと一致しないならば、矛盾が生じ、葛藤が起こり、神経症などの症状が出る。「~すべき」と頭で考え、「頑張らないと」と無理をすると、精神的病にひき起こすことにもなります。
 人間特有の能力として言葉やイメージ、抽象化の能力があります。私たちの生活に効果的に役立つこともありますが、自分自身を欺くのにも役立ち、経験していることを否定し、歪んだ自覚にもなります。
 また、それは創造性と密接に関係があり、意識的思考にだけ頼るのではなく、全体的、有機体的反応を信頼して進めることで、創造性が発揮できる。例えばアインシュタインが相対性理論に至ったのも、有機体的反応、感情(「言葉では表現するのは難しい」と言っています)が示す方向に従ったからで、理論を後から考察したそうです。

できることをする
 先月号「青年の思い」の中で、精神科医フランクルの言葉「…むしろ人生が何を我々に期待しているかが問題だ」という言葉が書きましたが、それも、全身で有機体として感じられる、身近な、無理しないで“できること”をして行くことが大切だと思います。
 今回の震災では多くのボランティアが様々な形の支援をしています。人間には「何か、自分のできることをしたい」という自己実現欲求があります。あまり無理でなく、自分のできることを考え、行ったのだと思います。(一日のことでも)
 「働くのは当然」「働けないのはおかしい」―と親や一般の方は思いがちですが、“社会で働くこと”を目標にし過ぎると、とても遠くて、とても無理だと思ってしまい、「何もできないんだ」「働けない自分はダメだ」と思い、何もしないで、できることもしないで過ぎてしまうことが多いのではないかと思います。
 SAT療法(筑波大学教授、宗像恒次先生らが開発)に「行動目化支援カウンセリング法」があります。
 辛い思い、怒りとか、不安、悲しみなどの感情があった時、その感情を、「何か期待通りに行かない時の感情」「見通しが立たない時の感情」として見つめて行きながら、「本当はどうしたいのか」「どうなりたいのか」を考えます。そして具体的にどのような行動ができるか、直感で考えます。実行自身度が80%以上になるような、できそうな行動を考えて行きます。始める時には思いつかなかったことが思いつき、浮かんで来たりします。
 「自分が本当に求めているのは何か」「何がしたいのか、何ができるのか」有機体である全身で感じながら、感情を大切にしながら、できることをして生きたいものです。

2011/04/06

東日本大震災に思う

 何と表現したらいいのでしょうか。津波の後の被災地の画面!信じられない!バーチャルの世界を見ているようです。実感が湧かない。でも、見続けていると気が重くなる。でも見続けないと!という気持も起こる。子どもたちに携帯のメールをすると返事がすぐ来て、無事を知る。福島県の親戚に電話をして2日目に通じて、無事を知る。「よかった」と言い、喜び合う…でも、「無事でない多くの人がいるのだ」という思いが頭をよぎる。やはり、身近でない人でないと実感が湧かないのか…。
 皆さんも、この大震災で、様々な思い、心痛を感じたことでしょう。震度6強の地震は、初めての経験、本当にびっくりしました。11日は「青年の集い」の中で、青年とボランティアスタッフの3人でしたが、テーブルの下に潜りました。そしてテレビをつけると、震源地は宮城沖、…マグニチュードは時間を追って高くなります。津波の情報、岩手県の海岸沿いに親戚があるM君、「大丈夫かしら」と言うと、「海岸に近いけど高台に家があるから大丈夫」との答でした。
 でも、次の「青年の集い」(14日)では、M君は、「親戚は、津波の被害が大きくて、テレビに地名も出ている陸前高田、連絡が取れなくて、無事だったら連絡してくるはずなのに、連絡をくれないのは、ダメだったかもしれない。」と涙ぐんでいます。どういう言葉が、彼の気持を受けとめることになるのか、言葉が見つかりません。
 その3日後に彼からメールが来て、「親戚が連絡して来て、全員無事だった」とのこと、私もほっとし嬉しく思いました。
 でも、親戚や友人が亡くなったり、行方不明になっている人は、実に多いと思いますし、避難所(自宅も)に過ごしている方たちも家族が亡くなったり行方不明になっている場合が多い、不安と寒さに耐えながら、どんな気持でしょう。
 支援がなかなか届かない、というニュースを見て、(自分も何もできないのですが)もどかしさを感じていましたが、少しづつ届くようになって来たようです。
 国中で、「少しでも支援したい」と思う人々が、大勢物資や行動で支援をしています。一方では、食料など買しめする人もいます。「みんなで助け合いたい。助け合えば何とかなる」という気持と、「人は当てにならない。自分のこと、自分の家族は自分で守るしかない」という気持と、二つの気持が複層しているのを感じます。
 「人は当てにならない」と思う人は、人との関係に不安を感じ、「助け合える」という感覚がないのでしょう。また、豊かな生活に慣れて、物がなくなった時、「どうしたらいいか」という不安が強いのかと思います。私は戦前の生まれで、終戦前後の貧しい生活を体験をしているので、「物がなくなる、少なくなる」―ということには「その時はその時」と思えます。また、自分だけがお腹いっぱいごはんを食べていて、隣の人が食べるものがない―ということには平気でいられないように感じます。と言って、現在も、私の身近にいないだけで、食べるものがほとんどない人は大勢いるわけで、そういう人のために、何かしているわけではないのですが。
 私にできることは何だろう―と考えます。今、できることをしたいと思います。青年たちを支えること、悩み苦しみ、生き辛さを抱えている青年たちを支えること―それによって私も支えられている―だと思います。
 青年たちが、(少数でも)元気になることが、この社会のエネルギーをほんの少しでも高めることになると思います。やっとの思いで働いている青年(道草の家で関わっている)もこの地震で仕事が縮小されたり、待機ということが起こっています。経済的にはなかなか支えられませんが、(必要な青年もいますが)、少しでも心の支えになりたい、道草の家として支えられたらと思います。
 そして私自身の心身の健康をできるだけ保って、被災地の復興の足をひっぱらないようにしたい。また、原発事故の問題も不安がつのっていますが、これからの日本社会をどう再生するか、考えなければならないと思います。今までの物質的豊かさは求められない。質素な生活の中にも心の豊かさが感じられるような…。
青年たちへ
必死に生きている青年たちに呼びかけたい気持でいっぱいです。
Nさんへ
 「今は生きている、という実感がある」と元気に話すNさん。1年前と見違えるようです。自分の感情を大事に、自分の感情をもとに考えたり、話したり、動いたりしているのですね。
 去年、家を出て、パートナーと住むようになって、自分の足で自分の気持で生きるようになったのですね。それまでは、外での人間関係に辛くなると、家にひきこもって、親に当たり、親も「よしよし」してくれた。――共依存だったと、今は思う。子どもの頃から親の期待に応えることで守られているような…でも外で相手の期待に応えるように合わせても、人は守ってはくれないし、違和感を感じ辛くなる。たえきれなくて、不登校、ひきこもりをくり返して来た。でもどん底に落ちこんだ時、親との共依存に気がついた。親に反発しながらも親に依存している自分。親から離れよう!親にも言いたいこと、本当の気持を言おう。――と、実行しているNさん。
 親を乗り越えて、一段と大きくなって、自分の道を歩んで下さい。
Cさんへ
 「こころのサプリメント」に参加して、感想を述べてくれたCさん。「トラウマによって心の傷も大きいけど、トラウマによって成長したのもある」と聞いて、「そうかもしれない」と思った、とのこと。子どもの頃から、友だちと積極的に楽しく遊ぶということがなく、気を使って過ごして来た、クラスのいじめ、からかいから不登校になり、ひきこもり状態になった約10年、でも「これではいけない」と思い、少しづつ外へ出たが、そこでも傷ついてしまう。――をくり返しながら、でも最近は人と関わることの楽しさも感じるようになった。けれど「人と関わることは傷つくこともある。」ことを受け入れるには苦しい…やはり、ひきこもりのブランクがある自分はダメなのか――という思いも起きたりする。…
 “ひきこもり”はただの空白か、無駄な時間なのでしょうか、そうは思いません。その中で考え苦しんだことは、感じる力、考える力を豊かにしたと思うし、また、そこから人の中にはいって行く過程に感じたことは、同じような体験をした人の心の痛みに共感する力を育てている、と思います。
 実際、青年の集いで話すCさんは、人の話に共感したり考えたりする力を感じ、私も一緒に話し合うことが充実するのを感じます。これからも、落ち込むことがあるかと思いますが、それが自分を豊かにすることを信じて下さい。一緒に信頼し合い支え合う、仲間(スタッフも)がいるのですから。

2011/03/09

命のつながり

 先日、東京国立博物館で開かれていた「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」を見に行きました。平山郁夫の絵は何度か見て、興味を持ってましたが、薬師寺の大ふすま絵が展示されているというので、是非、という思いで出かけました。
 まず入り口近くにあった「天堂苑樹」群青の中に淡い緑の林に囲まれた釈迦と弟子たちがうすい黄茶色にぼんやりと描かれている絵、群青の色の美しさ、深く透明な、やわらかく包み込まれるような色に魅かれました。
 薬師寺のふすまに描かれた、「大唐西域壁画」は玄奘三蔵がたどったシルクロードを平山氏自身たどりながら描いたという、非常に雄大な絵。砂漠の中に同じ色の、寺院の後と思われるものがそびえている、或いは砂漠に埋れかけている。何枚かの絵の後に「西方浄土、須弥山」という絵、ヒマラヤ、カラコラムを描いたものですが、雪を被ったけわしい山の頂、峰々。その後に、アフガニスタンの内戦で壊された、バーミアン石窟。
 こうした絵や壊れて頭だけになった仏頭や、平山氏が保存のために引き取った数々の仏像などを見ながら、2500年前に釈迦が開いた仏教、教えが、人々に伝わり、千数百年前には、玄奘三蔵が、17年かけて、インドまで仏典を求めた、という、シルクロード、そこには仏教を信頼した人々がいて、寺院を建て、仏教を造った、でも破壊されたり、朽ちて行い、でもまた今も、それらを大事に思う人々がいる、信仰は受けつながれている。日本にも伝わりました。
 なぜ人は苦しむのか、「老、病、死」のある人間の生、過酷の環境にある人々は、その答や生きる意味を救いを求めた、そこに信仰があったのでしょう。
 そうしたことを、展覧会を見ながら感じました。何千年も前の人々、とつながり、遠く離れた人々とのつながりを実感しました。
 さらに、オアシスにいこう人々の絵や、宵闇の濃い郡の空や木々、池の絵、空には月が輝いている――そのような絵を見ながら、「人間は人間だけで生きているのではないのだ」とふと思いました。木々や草や花があり、鳥や虫がいて、ラクダや馬など動物もいて、土や水があってこそ人間は生きられるのだと思いました。そして、空気や空、太陽や月があってこそ…
 人間社会の苦しみ、人間同士のいさかい、私自身の苦しみ、は一体何なのでしょう。文明を発達させて来た人間は自分は“偉い”と思う、不遜な気持があることが、かえって、現在の私たちの苦しみを生み出しているのかな――とも思えて来ました。

対人恐怖
 青年の集いで、ある青年が「対人恐怖がなかったらどんなに行き易いだろう」と言いましたが、「ひきこもる」青年、ひきこもる傾向の人の最も多く、最も強い症状は“対人恐怖”ではないかと思います。
 私も未だに対人恐怖の傾向があります。知らない人、大勢の中では非常に緊張して、思ったことが言えません。
 対人恐怖―人がこわい、緊張する―日本特有の病気と言えます。アメリカの精神障害マニュアルには、それに当る英語はなく、日本語のローマ字で「Taijinkyofu」となってるくらいです。
 日本特有なものとして、私たちを苦しめる対人恐怖がなぜ起こるのでしょう。
 外国との違いを考えると、外国映画を見た時に、欧米でも中国でも、親と子が、激しい議論、けんかのように言い合いをしている場面によく出会います。両方ともが負けてはいない、というような自己主張をします。でも日本では、口答をすること自体を封じる、子どもの言い分を聞こうとしないことがしばしばのように思います。子どもに自分の思い、気持を表現するようには育てない、自己主張、自己表現の力の大切さを感じない、大人になれば、きちんと自己表現をしなければならない場に出会うわけなのに。
 それは、親自身も自己主張する、自分の意見をきちんと言うようには育てられてない。まわりと違う考えを持っていても、まわりと合わせるように、育てられた、まわりに合わせる、協調すること(そうでないと嫌われる…)「和の文化」が続いて来たのです。
 「人はそれぞれ違う考え、気持ちを持ってよい」というより、子どもをまわりから評価されるよう“いい子”に育てようと、まじめな親は思いがちです。
 道草の家に来ている青年、訪問している青年は、相手、人、まわりのことをとても気にします。相手は、人は、自分をどう思うか、嫌ってはいないか、そして自分の言動が人を傷つけはしないか…自分の思いをそのまま言えない。本当の思いを抑えている自分と、表面に出ている自分、2人の自分――それが辛くなって、人を避ける…人と交わりたいと思い、居場所などに出て来ても、二人の自分に耐えられず、またひきこもる――ということもあります。
 そうした青年が外国に行くと、気持が楽になるそうです。外国の人はいつも本音を言ってるので、「内心はどうなのか」と思う必要はないし、意見などが違っても、不快な感情にならない。違っても当たり前と思える…自由に物が言える、親子関係――自分の言ったことが受け止めてくれる、(全部親が子どもの言うことを、叶えるというのではなく)、親は信頼できる、それは「人は信頼できる」ことにつながりますが、親が信頼できない時、他人は信頼できない「怖い人」となります。
 人が信用できないという思いに、いじめが加わると、強いトラウマとなり、非常に対人恐怖が強くなります。また対人恐怖には両面があります。自分は人に、嫌な人間だと思われているのではないか、というのと、自分は人を嫌な思いにさせてるのではないかというもの。…それに苦しんでいる青年たち。そして、実際に出会ってない社会の人々、世間に対しても「働かない」自分を否定的に見ているのだろう、という思いも、苦しめます。普通の生活ができない苦しみ、をも抱きます。
 どうしたらそれから脱することができるでしょう。
 親との関係、「いい子」でなくてもいい、自分の気持、感情を素直に出せる親子関係になることが、理想ですが、それだけでは時間がかかり難しいでしょう。それには、一つはカウンセラーや、仲間との交流の中で、自分をそのまま出しても大丈夫だ受け止めてもらえる、という体験を重ねて、自分と他者への信頼感を築くことだと思います。
 もう一つは、自分にマイナスの言動があった時、「気づかなかった、失敗した」など、自分を責め否定するのではなく「完璧でなくてもいいんだ」と、努めて思うようにすることだと思います。それには自分を自分の気持、感情を大切にすること、「青年の思い」にもあるように無理をしたり、感情を無視するのではなく、できるだけ心地よい時間を持つことだと思います。

2011/02/16

じぶん、わたし

 青年たちと話をしたり関わる時、私の生き方も問われているように感じます。青年たちの悩みは、私の悩み(程度は違いますが)でもあります。かなり生き易くなり、自分のやりたい方向に進んではいますが、日々、迷い葛藤があり、自分を否定したり、気分が沈んだり・・「これだ」「これでいいんだ」というすっきりした気持で過ごせません。勿論、「楽しい」「嬉しい」と思うこともよくありますが。
 初期仏教の長老、スマナサーラは釈迦の言葉として「生きることは苦」と述べていますが、青年たちやカウンセリングで出合った人との関わりの中でしばしば思います。
 どんな時に私は気持が沈んだり不安になったり、「私はダメだ」と思いが起こるのだろう。考えてみると、「わたしはできるはずだ」「こんなはずじゃなかった」と思う時と、計画したものが実現できなかった時、人との関わり、青年との関わりがうまく行かず、怒らせたり落ち込ませたりした時。もっと色々やりたいのに体力、気力が衰えて思うように行動できない時…
 一体何にとらわれているのでしょう。
「生きる勉強」(1)、「じぶん――この不思議な存在」(2)、「この<私>はどこにいるのか」(3)を読みましたが、<じぶん><わたし>にこだわっているからではないか――と感じました。
 青年たち、悩み苦しむ人たち、過去の自分を恥しく思ったり、ひけ目を感じたり、そして今の「働けない自分」「人とうまく交われない自分」にこだわってしまう。気質や心身の力そして今までの体験もあるわけで、できることもできないこともあるはず、なのに人と比較してしまう…さまざまな概念や基準に縛られている…
 また今の自分が<決まった自分>ではなく、変わって行くものですし、できる時もあるし、できない時もある…自然の流れ(他からの支援があったりして)もあるのではと思います。「私の人生、何だったか」とか「このさきもどうせ」ではなく今を、この今を、この瞬間を「しっかり生きよう」という、仏教の言葉を心に刻みたいものです。
他者への関心―つながり
 「他の人にない固有な自分がいる」はず、という自我意識は実体のない概念だ(1)とも思われますし、また<じぶん>とは何か―を考える時、それは<他者>との関わりの中でしか見えて来ない、他者こそがわたしたちの第一の鏡だ(3)とも思います。そして、他者に関心をもってもらうことが、「自分を支える力」「生きる力」になると。でも、それは待つのではなく、自分の方から関心をもつことを始めることによって、他者に関心を持ってもらえる、見守られる、支えられる、或いは自分が他人にとって意味のある存在になる(3)というわけです。
 「自分は人から必要とされないから生きる意味がない」という青年がいますが、まだ若いし、人とあまり関わらないで来てるし、特に人と共に何かをしたわけではないのに、必要とされるのを望んでる―と思います。まず自分が積極的に人と関わる、人を求める、ということが、先ではないかと改めて感じました。
 私たちは、受け身になりがちです。積極的に関わることが、相手に拒否されたら―という不安があって、身をひいてしまう、私はそうなりがちです。でも、相手を追求したり批判するような関心ではなく、自分にとっても、自分を豊かにしてもらえるような気持で関わる―ことであれば、相手も私に関心を持ってくれるだろうと思います。それが私の支えにもなるわけです。
 そうしたことが人と人とのつながりになるのではないでしょうか。
 家に、自室に、殆んどひきこもって親とも話しをしない青年にとっては、一時は、しばらくは自分を守るために心を閉ざしていても、他者の関心が心を開くのでは、と思います。暖かい関心、受容的な関心―そっとしておくだけでなく―を持ちそれを示すことが大事ではないかと思います。(文献「生き方の勉強」アルボムッレ・スマナサーラ、香山リカ対談、サンガ新書「じぶん…この不思議な存在」鷲田清一、講談社新書「この<私>はどこにいるのか」鷲田清一、非売品)
今年の計画、希望
 1月号に今年の計画、希望を書きそびれてしまいました。
 去年はいくつかの計画を立てました。まず「生き生き生きるカウンセリング講座」は共同募金の助成を受けて、開くことができました。市民会館で5回シリーズ(1回4時間)で、充実した内容、学び合いだった、と思います。「パソコン修理室」については、指導してくれるボランティアの方を探しましたが、適切な人が見つからず、また、“修理”というのは難しい仕事だ、ということで断念しました。
 不登校クラスについては問い合わせは数件ありましたが、残念ながら参加希望者はおらず、開くことはできませんでした。でも不登校の児童生徒は大勢いると思いますし、場所もありますし、ひきこもりの問題と密接につながってますし、是非開設したいと思います。どういう要望があるか(開設日や費用)もっとよく調べ検討したいと思います。一緒に子どもたちと関わって下さる方、また御意見、アイディアをお寄せ下さるよう、お願い致します。
 もう一つ、心に関する講座を今年も開ければ、と思っていたところボランティアスタッフをして下さっている小林さんから「DVなどで心に傷を受けた人のための、自分で自分をケアできるような講座をファシリティター(案内役)として勉強したので、そういう講座を開きたい」との要望がありました。青年たちの多くは過去に心の傷を受け、なかなか癒されたり、回復できずに、今も傷つき易かったりしており、また一般の方にもいると思うので、道草の家で開くことにしました。
 また青年の集いも青年たち(20~30代男女)が心の悩み、生きることの根本的な問題を話して、それを他の人たちが一緒に考える、という充実した時間があるのですが、青年の参加が少く、残念にも、また勿体なくも思います。もう少し参加者が増えるよう、工夫したいと思いますので、アイディアをお寄せ下さい。
 青年の集いには青年に限らず、年齢に限らず、生き辛さを感じたり、心のことに関心のある方の参加(一緒に話し合う)も歓迎しますので、利用して頂ければ、と思います。
 最後に運営費について、助成金などを含めて、捻出についてのアイディアや実際に動いて下さるボランティアをよろしくお願いします。

2011/01/24

明けましておめでとうございます

 昨年は無縁社会の問題が様々な形で表面化し、人と人とのつながりが非常に薄れてしまったことを痛感した年でした。
 道草の家ではパンフレットの表紙に「人と人とのつながりが心を育む」と書いて来ました。
 人となかなかつながれない青年たち、そして子どもも大人も、道草の家での出会いによって、つながるチャンスが持てればと願ってきました。
 仲間との交流、スタッフやボランティアなど大人との交流によってその楽しさと、自分と人に対する人間信頼が育まれ、社会に出る自信を持つことを願っています。
 今年も人と人とのつながりを大切にして行きたいと思います。
                                        和田ミトリ

人と人のつながり
 全国的には南から北まで大雪に見舞われ、大変な思いでお正月を過ごした方が多いと思われますが、関東地方は天候に恵まれ、穏やかなお正月を迎えることができました。
 娘の夫の実家(茨城のK市)に呼ばれ、初めて一緒にお正月を過ごしたのですが、彼の祖母や兄弟、いとことその子ども達など親戚の人々に会い、新しいつながりが増えたことを感じました。幼い子の、楽しくてたまらないようなはしゃぎ声、そして90才の祖母、東北から嫁いで来たいきさつも話してくれ、また、父母の兄弟が多く、いとこたちも大勢、その噂など行き来の多さ、つながりの豊かさに、心が暖かくなりました。
 でも昨年は若い人から高齢者まで孤独に死に、そして長い期間その亡骸が見つからなかった、という人もいて、そして若い人が餓死したり、自殺したり、という場合もあり、さらに、虐待による幼い子どもの死、痛ましいニュースを度々聞きました。
 そうした人々のことを取材した報告を読むと、支援してくれる人が周りにいない、人とつながりが薄く、「助けて!」といえない状況にあり、家族とのつながりも断えてしまって民間や公的な支援も最終的には届かずに終わってしまう…
 家族とのつながりが弱く、だんだん切れてしまう…そこには人に対する信頼感も失せ「どうせダメだろう。助けてなんてくれない」という心の叫びを感じます。
 なぜ、人と人のつながりがこんなに弱くなってしまったのでしょう。
 人は生まれた時、親或いは養育者によって育てられ、まずそこにつながりが生じます。そして、兄弟とつながったり、また近所の大人、子どもと関わり遊ぶことで、つながりが増えます。そこでつながる力が育ちます。次に学校で大勢の仲間、集団の中で過ごします。そこでつながりが広くなり、つながる力も育つはずですが…でも不登校児、生徒が増え、ひきこもる青年が増えている現在、学校ではつながる力が余り育っていないように思います。
 高度成長を進めるための競争主義、成績第一主義では、学校ではクラスメートは競争相手であり、助け合う仲間ではなくなりました。
 家庭では、兄弟が少なく、また多くの父親は、会社での仕事が生活の殆んど全部を占め、子どもと接する時間も少なく、関わる(関心を持つ)ことが少なくなってしまった。父親が家族とつながることが少なくなったことは、それだけ家族のつながりが弱くなった、と言えるのではないでしょうか。親の力を補ってくれた近所づき合いも少なくなり、色々な人と関わる力、つながる力を育てる力もさらに弱まった、と思います。
 繊細なために競争主義の雰囲気に耐えられず、自分を守るために不登校になったり、ひきこもったり、ということも多いでしょう。“人がこわい”…人間関係に敏感、つながりたいのにつながれない…故に苦しい、つながりを持てない自分をダメだ、と思って自分を責めてしまう…なかなか社会に出られない青年たちに感じます。

人に迷惑をかけてはいけない…?
 もう一つ、無縁社会と言われるようになって来た原因として、多くの日本人が「人に迷惑をかけてはいけない」という価値観を持っていることがあげられるのではないかと思います。
 几帳面でまじめな人ほどそう思い、子どもにもしつけとして「人に迷惑をかけてはいけない」と言ったりします。“迷惑をかけない”ようにするには、「人にいやな思いをさせない、負担をかけない」ように気をつけるわけで、人に頼むこと、助けを求めることは負担をかけることになるから、やってはいけないと思ってしまう。そして、「自分をいやな奴だと思うだろう」とも。
 でも、負担をかける、と意識しなくても負担をかけてしまうことはあるし、うまく行くと思っていても失敗することがあります。それはお互い様ではないでしょうか。そして“迷惑をかけない”というのは積極的に相手に関わった時、相手の思いとずれていた場合、いやな思いにさせるから、積極的に関わらない方がいい、――ということになります。「困っている人を助ける、親切にする、というような関わり」、でない方、「何もしない」方を選びます。孤独死した人のこと、前から気になっていても、とことん関わるまではいかない――ということもあります。
 ひきこもる青年、道草の家に来書する青年から、親に「迷惑をかけてはいけない」と言われた、とよく聞きますが、自分に自信がない場合一層、人の思いが気になり、積極的な関わりができなくなるでしょう。
 生きるか死ぬか、――という時にさえ、「人に迷惑をかけてはいけない」という思いが死を選んでしまう――それでいいのでしょうか。

生きていて、いいんだ!!
「自分は生きていてもいい存在、どんな時でも」と思えたら、助けを求めながらも、生きようとするでしょう。でもなかなかそうは思えない。
 親として「世間的に認められないのは、ふつうでないのは、恥しい」と思いがちですが、子どもの存在そのものは認められないのでしょうか。親、家族だったら、どんな状態でも生きてほしい。もっと広げて、その人を知る人もそう思うでしょう。知らない人でも、その人の死を知ったら、何とかならなかったか、と悲しくなるでしょう。
 基本は家族の中で、そして生活が、人との関わりが広がる中でお互いに認め合えれば、“つながり”を感じられれば、「生きていい、いいんだ」と思える。今まで、“つながり”を感じられなくても、つながりを感じるようになることはできるだろうと思います。「存在そのものが大切だ」という思いが通じれば、道草の家がそういう場になるように心から願っています。
 皆、生まれて今まで一生懸命生きて来たのですから。