2010/03/06

心のことは割り切れない

 「心のことは割りきれない、十分には理解できないことが多い」と思うのですが、どうでしょうか。
 薬が日々開発され、病気(体の)治療も日に日に進んでるような感がします。体の病気も、心、精神と結びついていて、“薬だけで”とは言えませんが、薬の効果はかなりあると思います。
 そして、「精神的な病気も薬で直る」と思いがちですが、(特に身近にそういう人と接してない人は)、非常に複雑であり、難しさを感じます。科学的に論理的には割り切れない“心”を大切にして来なかった“つけ”が――科学が発達しても――今来ているのかと思います。
 私たちのように、居場所を開いたりして社会復帰を目指しているプロなのに、なぜ青年たちを“働く方向に”持って行かれないのか――を疑問を持つ方もいるようですが、青年たちと接していると、そう簡単ではないと感じます。
 皆「働きたい、働けるようになりたい」と思ってます。でもそれは、ほど遠いことのように思ったり、また、「一歩勇気を出せば」と思ってもその一歩が出なかったり、ということがあります。働くことを考える以前に日々過ごすことの辛さ(精神的な不安定さ、――不安、うつ、いらいらなど)と闘っている青年もいます。調子がいい時は出てくるのですが。
 さらに、対人恐怖が強く、働くことが大変でも、経済的にどうしても働かなければならない、と頑張っている青年もいます。それよりも、働かない自分を許せない、働かないで毎日家にいてゆっくりすることもできない(「ゆっくりして病気を直したら?」と言うのですが)という、複雑な気持を抱いているのです。つめて働くことはストレスがたまり無理なので1日おきぐらいに働いて、障害者年金などで補うものがあるといいのですが、成人した後、年金を払えなかったので、障害者年金はもらえない状況です。
 過去のことを色々と後悔したり、働けない自分を責めたり、今の自分をダメだと思ったり、また人と接する中でも、傷つくことが多く、否定されるのではないか、と言う不安を抱いている青年たち、先に述べたように、何げない話を楽しくしたり、悩みを分かち合ったり、そして、積極的に心を癒す心理療法の必要性も感じるこの頃です。

和田ミトリ

思ってもできないことがある



  科学が発達し、近代化社会になり、科学的に――科学で全て分かるわけではないのですが、――計算して、計画をたて、実行すれば、努力すれば計画通りに物ができる、という考えにもとずき、生産性が高まり、高度経済成長期が続きました。その中で病気に対する薬も開発されて来ました。
 努力すれば、計画が達成できる、成功する――という考えは、人々の中に浸透して、今の中高年は、そうした中で頑張って来て、高度成長を支えて来ました。今はバブルもはじけ、反省も出て来ましたが、でも、努力、頑張ることが大切だ、という思いは根強くあるように思います。
「なぜ働かないのか」「働こうとしないのか」(働きたくても働く場がない現状とは別にして)ニートやひきこもる青年に対し、疑問を感じる人も多いと思います。特に父親は、働くのは当然と思って来ましたし、外との交流を断ち、親にも心を閉ざす子どもを、或いは外に出られても、働こうとしない子どもをなかなか理解できない。また、男女問わず、仕事のことだけでなく、日常生活の中でも、人間関係などにも、頑張って、努力して、思うことができた人は、「やってみればいいのに」「やってみないとできるかどうか分からないのに」と思いがちです。
 私は「思うことが、思ってもできないことがいっぱいある」という感じで生きて来た様に思います。例えば人前で緊張して話せない(高校生の時、英語など当てられても、ささやくような声しか出なく、隣に座っていた男子に「蚊のなくような声で聞こえない」と言われました)、ぼーっとしていて気がつかない、気配りができない、勉強会でも発言できない…などここには気質、性格の問題(失敗を怖れる、傷つきやすさ、など。)もあるかもしれません。そして、それは育ち方も影響しているかもしれません。

和田ミトリ

心の悩みを分かち合う

  雪が降った2月でしたが、蕗のとうが、道草の家の崖にも生え出しました。スタッフの山元さんが摘んできて、すぐに天ぷらにして、青年たちと味わいました。うすみどり色、少し苦く、そして何とも言えない香りが、春をつげているように感じました。
 去年から、休んでいた青年(女性たち)もまた参加するようになり、話も広がり嬉しく思います。
 去年は明るく話をし、聞き役をしていた青年が、自分の辛い気持を話し、涙も見せたのを、他の青年たちが、「ここは悩みを話せる場、辛い気持をそのまま出してもいい場」そして「自分も辛い時がよくあるので、〇〇さんの気持が分かる、話してくれて嬉しい」などと言い、道草の家が心の悩み、辛さを分かち合える場であることを、青年たちが再確認させてくれました。具体的にすぐ解決策が出なくても、辛さがすぐなくならなくても、仲間やスタッフの共感によって、分かち合うことによって、辛さを少し柔らげることができるでしょう。
 はっきりしたトラウマだったら、それを取り除く心理療法がありますが、継続的な不安感、恐怖感、対人恐怖などは、それを取り除くのは、簡単ではありません。でも仲間、スタッフとたわいのない話をしたり、時々は自分の悩みを話すことで、「楽しかった!」という気持、そして悩みなども受けとめてくれて「人は信頼できるのだ」「信頼できる人もいる」と思えれば、対人恐怖なども少しづつ薄らいでいくと思います。
 でもまた、こうした集りに参加できない青年たちの問題があります。

和田ミトリ