2009/11/16

秋、社会、青年

 ひざの上に上がって心地よさそうにまるまっている猫、その暖かさ、手ざわりが嬉しい季節になりました。早や1ヶ月が過ぎ、もう11月、秋が深まって来ました。各地の紅葉のニュースを見ると、心が騒ぎます。

 でも、社会は慌ただしく動いており、政権が変わって、みんなの期待の方向に進むというわけではなく、絶えず、ぶつかり合い、拒絶などの場面を見ると気が重くなります。

 経済支援が貧困に苦しむ人々をすくい上げてくれること期待しましたが、そう簡単ではなく、将来の見通し、安心して過ごせる見通しはあやふやなもので、不安を感じてしまいます。

 道草の家に時々来たり、電話で関わっている青年、母子家庭で母親は余り働けず、彼が何とか働かなければならない、精神的な不安定さを抱えながら必死に働いているのですが、やはり将来の不安はぬぐいようもありません。時給の安い職場で、年金も払う余裕もないまま、将来年金ももらえるわけではなく、でも「先のことを考えると不安でたまらない、でも考えても仕方ない。一日一日できることをやるしかない。できることで働くしかない」と言っています。私はせめて彼の話を聞くしかないのですが。

 日本は経済的に豊かな先進国の上位にありながら、貧困家庭が増え、病院に行かれず、学校の保健室で治療してもらう子供たち、食事も給食一食でしかとれない子供たちのニュースを聞くにつれ、社会の矛盾を感じます。

 スウェーデンなど北欧の国々は、教育費、医療費が無料で、老後のことも保障されています。それは、給料の多い人が税金の率も高く、給料の少ない人の分を補う形で保障は皆平等に受けられる――ということのようです。

               微妙な心

 「どこで間違ったのだろう」・・・と自分の生き辛さは、思うように働いて十分な収入を得て、安心して生活できる、とは程遠い今の生活、職場などでの人づき合いも、いつも自信がなく、気軽に話せる友だちがいない、今・・・「どこで、方向が違ってしまったのだろう」と思う青年がいます。

 また、精神的に不安定で辛く、自由に外出もできない状態を「自分が悪いのだ、過去にもっと人と関わる生活をしていたら」と人を、家族を、社会を責めることなく、耐えている青年もいます。

 道草の家に参加する青年たちは心の苦しさを抱えています。その程度、症状はそれぞれですし波があります。でも広い意味で社会に出ている青年たちは自信を持ち、心豊かに生きているかと思うと、そういう人は少いように思います。国際的な青年意識調査が時々あり、何年か前にそれを読んだことがありますが、正確には覚えていませんが、「自分に満足している」「将来に夢がある」「人の役立ちたいと思う」などにYESと答えた日本の青年は、他の国に比べて、非常に低かった!経済的にも文化的にも発展している日本なのに!と思います。

 子供の頃から、「それでいいのよ」「よくやってるね」というような、その子を肯定するような言葉かけが、親や教師やまわりから少かったのでは?そして、子供の気持を大人の方からたずねることも少かったのでは、と思います。おとなしい子はおとなしいなりに、学力が遅れてる子はそれなりに、受けとめ、「一緒に遊ぼう」「一緒に学ぼう」という雰囲気がなかったのでは?経済成長重視と同じように、子どもたちにも「努力」「頑張る」「競争」「効果」を重視して来たように思います。

 父親は“仕事一筋”が評価され、家族、子供と交わる余裕がなく、母親はそれを支えるのに精一杯、子どもの微妙な心、繊細さを理解できなかった――ということもあったのでは。

          心豊かに過ごしたい

 青年たちは、心の苦しさを抱え、波もありますが、青年の集いの時はなごやかに話をしています自分の悩みを聞いてほしい時もあり、嬉しかったことを話したり、好きな音楽を話したり。そして自分の好きな曲のMDなどを持って来てみんなで聴いています。

 私など音楽にうとい方なので「こんな曲もあるのだ」と、世相を反映したり(社会の矛盾を訴えたり)、人生の不条理を訴えるような曲だったり…癒される感じのもの、元気づけられるもの、「共に生きよう」というメッセージを感じるもの…様々で、心が豊かになります。

 そして、青年(今は女性ですが)たちに誘われて美術館や画廊めぐりをすることも楽しいひと時です。9月はディズニー映画の原画を描いたメアリーブレアの原画展を見に行きました。10月は銀座のポーラミュージアムで、世界の大画家の絵を見に行きました。(ゴッホ、ピカソ、モネ、セザンヌ、シャガールなど数は少ないですが、無料で見られ、得をした感じでした)そして銀座を歩いていた時に個展の看板があり、「面白そうね」と入ってみたものも、結構面白いものでした。

 家にずーっといて、道草の家に来始めて2年位になる青年、映画館に行ったことも美術館に行ったこともなかったが、この頃、そういう所にも行きたい気持になった、――と言います。世の中には、面白いもの、楽しいもの、美しいものがあることに目覚める機会になれば、と思います。

 和田ミトリ

2009/10/01

エコをめぐって

 地球温暖化、CO2削減、そしてエコのひっぱく性が叫ばれています。

 戦前に生まれ、70年も生きていると、身のまわり、日本社会が目まぐるしく変わり、こうなるのも当然という気がします。

 貧しい終戦前後から、高度成長期に移り、生産性を高めGNPを高め、物質的豊かさ、便利さが唯一の目標かのように突っ走ってしまいました。でも、高度成長の初期も、公害の問題が指摘されていました。海が埋めたてられ、工場がどんどん立ち、煤煙がむくむくと上げていて、「豊かになって行くだろうな」という思いと、このまま進むとどうなるのだろうという思いがありました。

 私の子供の頃(終戦前から昭和30年頃)は今の便利なもの、電化製品などは、何もなく、よく過ごせたな、と今は思いますが、当時は、別に不便だとは思いませんでした。井戸水をポンプでくんだり、つるべでくんだり、手伝いもしましたが、そんなに苦になりませんでした。(大人は大変だったかも)

 そして、おもちゃなど、既製品は少なく、その分工夫して遊びました。紙で作った着せ替え人形や、おままごとも、びんやかんのふた、茶わんのかけら、木の葉などで遊びました。小学校高学年になるとおままごとはしなくなりましたが6年生までままごとの道具をとっていて、友だちに「まだとってあるの」と笑われたことを思い出します。小学生の頃は、学校から帰った後、晩ごはんまで、友だちの家に行ったり、思いっきり遊べたと思います。田舎にいた頃は、バナナは高価なものでしたが、野いちご、ぐみ、桑の実をつみとって、その場でたべました。

 私の子供たちの子供の頃は、ままごとセットやリカちゃんなども出て来ており、有り合せでなくてもよくなりました。まだ学習塾もそんなになく、よく遊んでいたと思います。姉弟で、また友だちとままごとをしたり、外でも鬼ごっこや、崖すべりなどしたりまだゲームもそんなに普及してなかったので、友だちとよく遊んでました。今の子どもたちは外で何をして遊ぶのでしょう。

 千葉に移ってから、都心に向かう電車から見える乱立した高いビル群、このビルは永久に堅固に立っているわけではなく、劣化し、弱体化して行く、その時、どうなるのだろう、と恐怖を感じる時があります(その実例がニューヨーク貿易センタービルの崩壊でしたが)。ITも高度になり(私はついて行かれませんが)、物が豊かになり、非常に便利になりましたが、私たちの心は豊かになったでしょうか、<青年の思い>の所でも書きましたが「ゆっくりがいい」という仕事はないものでしょうか。“競争”にあわないゆっくりとした人や、上手く人づき合いが出来ない人など、流れに乗れない人たちを残して、突っ走ったのが今の社会の状況ではないかと思います。

 私にできることはすでに道草の家の屋根に太陽光発電パネルをとりつけてますし、新しいものを買わない、ということぐらいしかないように思います。でも、私の勝手な希望ですが、日本は森林の占める割合が大きい、でも、手入れされずに放ってある森林が多い、間伐材を取り除いたりして、新しい木を植えたりして森林をよみがえさせればCO2削減につながる、でもそれをする人がとても少ない。青年たち、若者たちが、森を守り、森を育てる働きをしてくれたら!と思います。

             感動する・・・

 茂木健一郎氏の「感動する脳PHP文庫)が目にとまりました。そう言えば私はこの頃、「感動したい!」と意識しなくなったな、と思いました。私は結構“感動”を求めてた人間だった…疲れた時、虚しい時など感動的な映画を見たい、と思ったり、様々な絵画、静かなものから激しいもの、オーストラリアやアメリカなどの原住民の素朴で力強い絵を見に行ったりします。そこから今の生活、仕事のために学ぶわけではなく、映画も癒されるような穏やかな美しいものばかりではなく、過酷な生活をしている、必死に生きている子供たちの映画も見たりします。そういう映画は一層疲れるのに――私は感動を求めていたんだ、と思いました。

 美しい!きれい!なども感動の言葉ですが、そうした言葉にはならないものを胸に感じる時、生きていることを肯定できる感じがします。私はそれを求めていたんだ、生きてることを肯定的に感じたい、そしてエネルギーがほしいんだ、と思います。私も含め、旅をしたい!と思う人も、新しいもの、美しいもの雄大なものに感動を求めているのだと思います。

 茂木氏も言っています。「意欲を引き出すためにも、エネルギーを生み出すためにも、『感動する』ということが重要なファクターになる」感動する対象は、何も映画や絵画などの芸術、或いは雄大な風景だけではありません。身のまわりに沢山あります。

 市川房枝さんだったと思いますが、100才位になっても「毎日10こ感動するものを見つける」と言っていました。道を歩いていても、道端に「こんな花が咲いている」とか「あの緑のはっぱの色はすてき」「あの雲は面白い形をしている」など新しい発見も一つの感動です。そう思えば、毎日新しいことに出会います。そこにささやかかもしれませんが感動が生まれます。昨日と違った何かを発見して「あ、きれい」「あ、いいな」「あ、面白いな」など、意識することで生まれるようにおもいます。

 「美しいものに触れて感動する。新しい経験や発見に出会って感動する。その一瞬一瞬の積み重ねが人生を豊かにする」わけです。そして脳のメカニズムから見ても感動は能を活性化します、また「感動する脳」とういうのは鍛えれば鍛えるほどグレートアップするそうです。(年をとっても

 さらに、何かに感動した時、まわりの人がそれを素晴らしいことだと後押ししてくれるか、否定されるかで、(その反応で)脳の働きは全く変わって来るそうです。映画館で同じ場面で涙を流したり、友だちと観て「あの場所は感動したね」などお互いに言い合うことで感動回路が強化され感動は何倍にもなることでしょう。

 どんな小さな感動でもかまいません。ぜひまわりの人と共有してみませんか。

 道草の家でも最近月1回「お好み焼きを食べよう」という会を作ってスタッフや青年が自分流のお好み焼きを作って、みんなで食べています。食べながら「おいしいね」と言い合ったりする時、ほんのささやかなものですが感動を分かち合って、ほんのちょっと生きるエネルギーを高めているように思います。

和田ミトリ

青年(彼、彼女)たち、それぞれ

 最近、青年の集いも少しずつ賑やかになって来ました。

 3年位青年の集いから遠のいていた青年が(連絡はとっていましたが)また参加するようになったり、仕事の方が大丈夫だから――ということで、会報も送らずに3年位過ぎた青年がひょっこり現れて、毎月「お好み焼きを食べよう会」に参加し、7月は自分でもんじゃ焼きを作ってくれたり(自分で様々な具、材料を用意し、4種類のもんじゃを焼いてくれて、皆「こんなおいしいもんじゃ焼きを初めて食べた」と口々に言ったものでした)、或いは、アルバイトを始めたり、専門学校に行ったりして時々しか来なかった青年もいて、他の青年とはすれ違いで、2、3年ぶりに会ったということで、「久しぶりだね」と挨拶しながら「変わったね」「成長したね」とお互いに言う場面もあり(私もそれを強く感じます)、道草の家の役割と青年たちの成長を感じ、嬉しくなります。

 でも一方では一時青年の集いに参加していたのが精神的不安定さが強くなり、道草の家に来なくなった青年また親の方の相談だけで、本人とは直接会ってませんが、非常に難しさを感じる青年がいます。

 暴言、暴力がひどくなって、疲れきったお母さんに、その辛さは感じるのですが、具体的なことは何も言えず、申し訳ない気持になったりします。(後で「お子さんとは少し距離をとって自分の生活を大切にする時間をとって下さい」というような手紙を書きました)また、そんなに不安定ではなく比較的静かに過ごしていても親としてどう関わっていいか分からないまま、時間が過ぎて行く・・・という親の方の相談も受けます。他の親の会の話し合いでも、このような悩みはよく聞きますし、こういう形のひきこもっている青年は結構多いのではないかと思います。親がだんだん理解して来て、何とか話し合いたいと思っても、避けられてしまい、手がかりがない。――非常に難しさを感じます。このような家庭では、家族の会話も少い場合が多いようで、私は「今は、子供の自立とか働く、ということは横においといて、親も自分の人生を楽しんだりしながら家族がもっと気楽に話ができるような雰囲気を作ることを心がけては?それが先ではないか?」と言ったりするのですが、これもまた難しいことかも知れません。

         感情、優しさ、について

 体が不自由になって介護が必要になった方が、自分がかねがね行ってみたいと思っていた所、旅行などに連れて行ってもらった時とても喜ぶと同時にその後リハビリにも熱心になり、笑顔も多くなった、とよく聞きます。それはきっと、行きたかった所へ行ってそこで見た風景などに感動するから、感動によって生きる意欲エネルギーが出たからだと思います。

 先月にひき続き、感動、そして感情について、感動と感情の関係について考えたいと思います。(茂木健一郎著「感動する脳」にそいながら)

 感動は、感情の高まりから生まれて来るものですが、喜怒哀楽などの一つだけで生まれてくるものではなく、様々な感情が複雑にからみ合い、それが再び集約されて生まれてくるものと言えます。「一言では表現できないような複雑な感情」なのです。そして、それは人間らしい心の動きであり、人生に意欲をもたらし、人生を豊かにするものと言えるでしょう。感動を生み出すためには様々な感情を意識して感じること、自分の心の多様な動きを意識することが大切だと思われます。

 優しさは基本的には人と人との関係の中から生まれてくるものであり、一方通行だったり、押しつけになっては、生まれない、まずは相手の気持を理解することから始めることになります。勝手な思いこみでなく、相手のありのままを理解し、受けとめること、相手を思いやる気持、――相手がただ喜ぶだろうから、と勝手に押しつけるような気の使い方とは違います。

 他の人の気持ちが分かる――人間は特性としてその能力を身につけており、それはまず、感情という共通回路を通して、感情が伝わることから始まります。

 “感情”は、思考や感覚とは違って、人から人へ、脳という垣根をこえて、瞬時に伝わって行きます。相手が「悲しい」と言い、悲しい表情をすれば、「悲しいんだな」とすぐ感じます。人間はそうした感情の共感回路を脳の中に持っているわけです。自分の悲しい体験と照し合わせながら、瞬時に感じます。

 でも、その共感回路がうまく動かないのはどうしてか・・

 人間は、おうおうにして、心に抱いている感情と、表に出てくる顔の表情にくいちがいがある、ポーカーフェイスがある、ことで互いに気持ちが分かりあうことが難しくなる。分からないことによって誤解が生じたりします。まずこのポーカーフェイスの存在を認識し、他人の心というものは、見かけとは違うことを理解し、その心の状態を推測できる力を高めること。では、どうしたらそうした力を高めることができるか、そこには「感動する」こと、新しいものや美しいものに触れ感動することと同時に、人間関係の中での感動を味わうこと、人と心が通い合うことで、静かな感動を体験することが大切だと思います。

 道草の家の青年の集いが、心の交流できること、分かり合える喜びを感じ、人の気持が分かる力をつけることが、少しでもできれば、と願っています。

和田ミトリ

道草の家の青年(彼、彼女)たち

 8月は総選挙や、芸能人の事件、そして将来の見通しの立たない社会状況が、連日報道され、私も何かしら気ぜわしさを感じて過ごしました。早や8月も終わりに近づき、会報のことが気になりながら、なかなかペンを取れずにおりました。気になり心に占めるものは何か…やはり青年たちのことです。

 なぜ、そんなに悩み苦しまなければならないのか。

 

 家を出られなくなった青年、人と交われなくなった青年――育つ過程の問題(家庭、学校、地域などの環境)や気質の問題(繊細、過敏、几帳面、完ぺき主義など)そして社会の問題が重なってのことでしょう。

 社会がもっとゆるやかであったら!多様な個性、生き方が受け入れられるものであったら!と思わずにはいられません。不登校だったこと、長くひきこもっていたこと、長く無職であったことをどうしても引け目に感じて、なかなか社会に出るイメージが湧かない、勇気が出ない…それは“真面目に考えるから”――ということも大きいかと思います。

 生きる価値、働く意味、人との交わり方、本当の自分、など考え、でも納得いく言葉が出ない…。

 また、ここ数ヶ月、気分が落ちこんで外へ出る気力、道草の家へ行く意欲がなかなか湧かない、でも道草の家に来てしまうと、「色々話ができて楽しいし、自分のことを分かってくれて気が楽になる」と言う青年もいます。或いは、積極的に自分の悩み、問題をみんな(グループ)の前に出し、みんなで考えて、気づきを得ようとしている青年もいます。

道草の家の目標を改めて考えさせられます。それは「生きることの土台づくり」です。

 仲間との交流、スタッフとの交わりの中でコミュニケーションの力を培う。また共通な部分で共感したり、違いを認め合ったりしながら、お互いに信頼できること、人間信頼を取り戻したり、また創造的なことをしたり、「自分らしく生きていいんだな」ということを感じたり、そして何より自分を表現したり、話し合うことに楽しさを感じる時間があって、生きる意欲が出て来ることを、願っています。

 同時に、道草の家に来ている青年の多くは通院しており、またそうでない青年も皆、心に心理的葛藤があり、それを解きほぐすことも大切であり、心理療法的なことを青年の集いに取り入れています。(認知行動療法、アサーション、気質、アダルトチルドレンなど)心理療法も一対一でやる良さ、必要性もありますが、グループでやる良さもあります。他の人が発した悩みも、自分の中にも似たようなことがあるなと思ったり、一緒に考えることで、自分の問題についても考えたり、他の参加者の発言に気づきが得られる――という効果があります。雑談の中に悩みが出されて、皆で考えることもよくあります。

 また自分の興味あることについても話題が出ます。先日は村上春樹が話題になりました。皆が加われるわけではありませんが村上春樹だったら加われる、という青年もいます。聞いているだけでも「こういう作家がいるんだな<ノルウェイの森>が映画化されるそうだが、見てみたい気もする」と思ったりするようです。

 先日はインドカレーを食べに行って道草の家に戻って来て、好きな食べ物の話題になりました。それには皆が加われ、盛り上がりました。そして、一人の青年が、「健康診断で尿酸値が少し高めになったので、母親と一緒にヘルシーな料理を考えて作った、図書館で料理の本を借りたが、コピーしてもきれいな色が出ない。それで自分で色鉛筆で写した」と言い、ケータイに撮ったその絵を見せてくれました。小さい写真ですが、きれいに描かれているのが分かり、みんなで感心しました。

             感情、感動について

 7月号で「感情、感動、優しさ」について書きましたが、青年の集いで、「自分の感情についてどう思うか」尋ねました。

 一人の青年は「自分の感情を余り意識したことがない。怒っている時とか不安な時、嬉しい時は、自分は怒ってる、不安だ、などと思うけど、それ以上に色々感情があることを意識してないし、言葉でも余り表現してない」と言いました。他の青年は「子供の頃から感情を余り表現してなかったように思う。思春期頃から辛くなって親にぶつけたけど、他の人とは感情を抑えたり、辛くなるので感じないようにした面もある」と話しました。スタッフも「子供の頃から、親は感情表現が豊かでなかったし、子供の気持、感情を聞いたりもしなかったので、自分も感情の表現が苦手になった」と言いました。

 日本人は感情を率直に表現することを「はしたない」として抑えることを美徳とする伝統がありました。そして、男性は、職場(会社など)では、感情を入れないで、事柄だけで進めた方が、仕事がスムーズに行く――という時間を多く過ごしているため、感情を余り感じなくなってしまった、という面もあるように思います。父親が、母親よりずっと、子供の心の苦しさを共感できない、理解できない――という場面にしばしば出会いました。

 心の問題、悩みなどは、「その通りだ」と事柄だけ同意されても自分の気持が出せて、その感情に共感して貰えないと、本当に解ってもらえたとは思えない(カウンセリングがそうですが)――という体験をしています。

 意志とか簡単な決めること、そして決断も、思考、頭で理屈を考えるだけで、できるものではなく感情が伴ってはじめてできるものです。感情の病気、うつ病になると、意志が持てず、決めること(簡単なことでも)決断ができなくなります。

 そして、青年たちに「感動することで、感情が豊かになるし、自分の中に起こる感情を意識し感じてゆくと、感動も豊かになる、そしてそれは生きるエネルギーになる」と話しました。

 「小さな感動でもいいのですね」「今日は空がきれい、道端の小さな花がきれいだとか、風がさわやかだとか、カレーがおいしかったとか」

「映画を見て泣くのも?」「勿論!」

 そんな話をしながら、5時になり集いの時間が終わる時に、「今の気持はどんなかしら。体の感じも、胸やお腹の辺りに注意を向けて、何か感じたら教えてください」という私の問いに「楽しい気持、胸の辺りが暖かな感じ」「話が出来て嬉しい気持、胸の辺りが軽くなった感じ」などの言葉が返ってきました。

和田ミトリ

“ひきこもり”のイメージは?

 皆さんは“ひきこもり”という言葉にどんなイメージを持つでしょうか。私は“ひきこもりの青年”という言葉より“ひきこもる青年”と言う言葉を使います。“ひきこもり”はひとくくりにしてしまいますが“ひきこもる”は状態を示すので、少しは巾があるように思うのです。でも一般には“ひきこもり”という言葉が使われており、そうした青年を身近かに知らない一般の方は一つの病名のように、一つの症状を持っている人をイメージしたり、家の中に、自分の中に閉じこもって、暗い顔をしているイメージを浮かべるのでは、と思います。

 社会(学校、職場、地域)に出られない、という状態は同じですが、様々な生活状態、様々な精神状態がありますし、その苦しさ、生き辛さもそれぞれであり、複雑です。道草の家のような居場所に来れる青年、或いは街に出られる青年は、見かけは何も変わっていないので、働かないのは「甘えている」「勇気が足りない」とか「自分だって、誰だって働くのはしんどい。いやなことが多いけど頑張って働いている」と思われがちです。

 好意的に見ている人も「自分も子どもの頃から悩みながら、生き辛さを感じながら社会生活を送って来た。ひきこもりの青年とは紙一重の違いだけ、だからひけ目を感じないで社会に出てほしい」と思ったりするようです。

 家の中から殆んど出ないで、家族とも殆んど話さない状態の青年と、居場所に出て来て人と交われる青年、その間に、外に出るが人と接しない青年など、様々な状態の青年がいるわけです。そして、その親も悩み苦しんでいます。

            青年たちの苦しみ

 道草の家に来ている青年たちのことを私自身も十分に理解しているとは思いませんが、もっと理解し、青年たちが少しでも自信を持って自分を肯定できて、生き生き生きるようになってほしいと思いながら一緒に過ごしております。

 <青年の思い>にも載せているように「道草の家に求めるもの」「落ちつく時」「きつい、辛い時」「コンプレックス」などについて自分を見つめながら、仲間のことも考えながら、自分の思いを表現豊かに語っています。そして明るい会話です。家にいる時も、音楽を聴いたり、本を読んだり、イラストを描いたり、或いは映画を見たり、美術館に行ったりなど一人でも趣味を持って過ごしています。でも多くの青年が落ちこみ不安定になって外へ出る意欲がなくなる時があり、波があります。

 先月号でも書きましたが、精神的な病いを多くの青年が抱え、なかなか回復しない、という面もあります。なぜ、症状がでるようになったのでしょう。

 子どもの頃から――小学生の頃からの場合もありますが、多くは中学生の頃から――生き辛さを感じて来たように思われます。気質的には繊細でまじめ、完璧主義なところがあり、家庭ではいい子であった場合が多く、中学生の頃、いじめなどに会い不登校になり、高校入学で心機一転、と思いながら、やはり同級生になじめず、すぐ不登校になってしまった、そしてそういう自分を責めることが、精神的な不安定さをもたらしたように思われます。「自分の人生は終わった」と思った青年もいます。でも多くの青年は、その後、通信制高校に行ったり、大検を取ったりして高卒の資格はあるわけですが、それだけ頑張ったにもかかわらずひけ目を、コンプレックスを強く感じています。そうした経過から、また他の経過をたどる場合も、色々重なり合い、他人の評価を気にしたり、失敗を怖れたり、傷つき易さ、対人恐怖などの心の苦しさが生じたのではないかと思います。

 そうした中でも、少しずつ元気が出て来たり、コミュニケーションの力もついて来てアルバイトを考えるようになったり、少しずつ始める青年もいます。また、仲間との交流の中で、相手を思いやる気持も膨らみ、自己表現もでき成長して行くのを感じます。

 精一杯生きており、知性も感性も豊かな青年たち、何とか社会に出られるようになりたいとの思いをどうしたらかなえられるか…能力はありながら…何が足りないのだろう…ひとつにまとめれば、「自分は自分でいいのだ」という「自己肯定感」が低いのではないか、と思います。では「自己肯定感」をどうしたら高められるのでしょう。それが、課題かと思います。青年たちと一緒に探って行くことなのでしょう。

           心を閉ざす青年たち

 一方では、心を閉ざし、親をも拒否している青年、そうした子供どもを持った親の方の苦しみを思うと、心が痛みます。親だけで相談に来られる方や他の勉強会などで聞いたりするのですが、私もどう答えたらいいか、非常に難しさを感じます。

 親の接触を避けていて、たまに声をかけても「干渉するな」と言われ、メモを書いても「メモをするな」というメモが置かれたりして、取り付く島もない、こうなるのに何があったのかも教えてくれない。親も何が何だか分からない、という状態・・・という場合もあります。

 お父さんの相談を受けて私が「話を聞くと、お子さんは大人しい方だから学校で何も言えずいじめに合ったのかも知れない」と言うと「ぼくの頃もいじめがあった、ぼくも大人しい方だったのでいじめられた。でも学校へは行った。何とか学校は続けたし、働いて来た。いったい何が違うのだろう」との言葉が返って来ます。「子供時代のまわりの環境、前は兄弟も多く、近所づき合い、親戚づき合いもあり、色々な人との交流があり、そこで人間関係や色々な生き方を学べた。でも今は、親子だけの関係になって、父親も家で過ごす時間が少く、社会性が身につけられなくなった」と言いますと、「それは大体分かる。でも、親はどうしたらいいのだろう、何をしてあげられたのだろう、まだ10代の終わりだけど、何もしなければ、このまま部屋に閉じこもったまま何年もたってしまうのではないか。何かしなければ、と思ってもどうしたら言いか分からない」と切実な言葉が。子どもから暴言暴力を受ける親も辛いけど、何も言ってくれない親もどんなに辛いことでしょう。 

 私も十分な答えはなく、「親は心配している」「親も理解してあげられなくて悪かった」「親がしてあげられることはないか、教えてほしい」などと伝え続けることでは?たとい返事がなくても、と言うしかなかったのですが・・・・

和田ミトリ

2009/06/01

緑の木々に思う。

 6月は、緑が一段と鮮やかです。うすい緑から濃い緑まで、街路樹や家々の庭の木々。
 緑が少なくなったとは言え、千葉は、歩けば緑が目にはいります。
 でもまた、テレビで見る棚田の緑はとりわけ美しく感じます。
 そして、森の木々も様々な緑の葉をしげらせています。そんな中で、若者が働いている姿が、また若い女性も楽しそうに田植えを手伝っている情景が映されています。

 でも道草の家で関わっている青年たち(彼、彼女――いつも両方を言ってます)何人かはとても苦しい辛い日々を送っています。
 大きな波の底の方に行ってしまったようでなかなか浮かび上がれず、苦しんでいる。・・・・
 一方では自分のやりたい事を生き生きとしてやっている若者がいるのに、一方では悶々と苦しんでいる青年がいる・・・どこで方向が変わってしまったのでしょう。
 私が出会っている青年たちは、本当に知性も感性も豊かなものを持っているのに
 いつも感じていることなのですが「何で?」と思います。
 色々なことが重なったのだろうとは思いますが。
 生まれつきの気質(とても繊細で感受性が強い、深く考える)もあるのでしょう。 家庭や学校の環境もあるでしょう。(それはまた時代の影響を大きく受けています)

 

         子育てと社会

 「ちちんぷいぷい、痛い痛い飛んで行け!」という言葉は皆さんも聞いていることでしょう。
 小さい子が転んだりして、ひざをすりむいたり手足を打った時、母親が自分のつばをつけたり、さすったりしながら、「ちちんぷいぷい…」と言った時、痛さも消えたように感じる――という情景を何かで見たり聞いたりします。
 青年たちの心の痛みが、こんな感じで消えたらどんなにいいことでしょう。私自身は、親に「ちちんぷいぷい…」をしてもらった記憶はないし、自分の子どもにそうしたこともありません。いつの時代にそういうことがあったのでしょう。
 人間社会が余りにも複雑になった――ことが、人々に精神的苦しみをもたらしたのではないかと思います。

 先日、テレビで見たのですが、類人猿と人間の一番の違いは、親は子供が“自分で生きられる”まで子育てに専念する、(楽しみながら――のようです)それしか親(大人)の役割がないようで、特にそれ以外の文化はなく、それ以外の楽しみはない――という単純な生き方のようです。
 私は子育て以外に自分のやりたいことをやって来ましたし、類人猿のような生活に戻ったらいいとは勿論思ってません。
 ただ、親が子どもが本当に自立できるまで育て切ることが難しい社会になってしまった!――ということに心が痛みます。

 親御さんからの相談も受けていますが、可愛くて、愛情こめて育てたつもりなのに、思春期頃から、或いは20代から精神的に不安定になってしまって、30才すぎても不安定さが消えない。
 そして、「人がこわい、人とうまく交われない。自分はダメな人間だ」と悶々として、そこからなかなか抜け出せない、ということを聞き、親も子どもも苦しんでいる姿に私がどう手助けできるか、思い悩んでいます。

 

       幼いころのイメージ

 青年の思い」(会報)でまとめたように、青年たちに幼い頃の自分のイメージ最初に浮かぶものを聞きました。
 大部分の青年が、みんなから離れて一人でいる姿を浮かべています。
(一人で楽しく遊んでいるイメージ、友達と楽しく遊んでいるイメージを浮かべる青年もいますが)
 子供の頃から、みんなとなじめず、そういう自分を否定的に感じていた、それが大人になっても人と交わることが苦手、不安を感じてしまうことにつながるようにも思います。

 気質的に「自閉気質」は「自分の世界を大切にする」ものですが、それはそれでいい悪いの問題ではなく、そういう気質を受け入れる寛容さがない社会になっていることが問題かと思います。
 その子の特性である気質が生かされず、周りからの疎外感を感じ、否定感を感じてコンプレックスになってしまうのではないかと思います。
 一人で遊ぶことを楽しめればいいのですが、楽しかった思い出はない、という青年もいます。
 幼い頃のイメージが、さびしそうだ、辛いようだと思うのは、幼い自分(インナーチャイルド)が傷ついて、それが癒されないままになっているからだと思われます。
 先月号でも延べましたが、本来幼い子どもは、自分の興味のまま、自分の気持のまま、好きなことに集中し、楽しむことができるのですから。

 インナーチャイルドの癒し方、育て方をまだ十分勉強してないので、もっと勉強して青年たちが少しでも生き易くなるよう、一緒に考えて行きたいと思います。

和田ミトリ

2009/05/01

生きづらさについて(2)

生きづらさについて(2)

   年会費ありがとうございました――これからも!

 4月に年会費をお願いしたところ、多くの方から送金して頂き、本当にありがとうございました。
 ただ、郵送費としてはまだ不十分ですし、充実した活動、運営のためにも、これからでも結構ですので送金して頂ければ大変助かります。
読者の皆さまよろしくお願い致します。


            アダルトチルドレン

 先月から、青年たちの生きづらさを考えているのですが、「人間関係がうまく行かない、しんどい」「気を使いすぎ、傷つき易い」などが多く、これは、、機能不全な家族で育った、いわゆるアダルトチルドレンの行きづらさでもあるようです。
 機能不全とまででなくても、いつも“いい子”でなければならなかった、素直な自分を出せなかった、――親の価値観や育て方で――ということが、大人になっても人間関係がしんどく、自信がない(ありのままの自分を信じられない)につながるようです。

 

「アダルトチルドレンの癒し」について書かれた本のチェックリストには40ほどの項目がありますが、青年たちと関連のがあるものをあげると

  •自分に自信がない
  •自分に対して過酷な批判をする
  •自分は生きている価値がないと思う
  •人生を楽しむことが下手である
  •他人から認められたいという気持が強い
  •摂食障害を起こしている
  •他人の目が気になる、被害妄想に陥りやすい
  •抑うつ状態に陥る

 私自身も生きづらさを感じて来ましたが、両親が仲が悪いというわけではなく、半分自分の意志で9才で養女になり、養父母との信頼関係が出来ないまま、思春期になり、大人になってしまった。
 大家族から3人になり、寂しさを感じながら、それを素直に出せず、「帰りたい」とも言えず、子供心に諦めを感じてしまった。
 大人になってもなかなか自己表現、自己主張ができず、自信がなく強い言葉にはひいてしまうような…そして時々うつ的になったり。

 でも、私の子ども時代は、勉強はそんなに重視されず、時間もあって、よく遊んだこと、友だちと楽しく遊ぶことができて大人になっても楽しむことができます。好奇心もあり、好きなこと、したいこともあります。
 ですが、青年たちの中には、子供の頃、楽しかった思い出がなかったり、今も好きなことも特になく、したいことも分からない、と言う青年もいます。

 そして、青年たちは「他人から認められたい」という気持が強く、「人と同じようにできない自分」――「働いていない自分」とか、「年齢相応の社会性がない自分」を“ダメだ”と思ってしまう。人それぞれだから“ありのままの自分でいい”とは思えない。
 「ありのままの自分では人に受け入れられない」(親にも人にも)という思いが心にしみついていると思われます。

 そこには、親が自分の思い価値観通りに子どもを育てたい気持が強く、子どもの気質に合わせたり、子どもの気質を尊重することに気づかなかったりして(親と子の気質とか時代環境も違う)、愛情がなかったわけではないのに…ということもあります。

 親が人に合わせること、協調することが苦にならないため、(性格的に外向的で、自己表現もできて)子どもにそれを求めるとか、母親が父親や祖父母に非常に気を使ってるのをみたり、聞いたりして、或いは両親の仲がとても悪く、中をとりもったりして、「母親のことが心配、支えなくては」との思いも起こり、我がままも言えず、「いやだ」とも言えない…そんな子ども時代を過ごしたことが想像されます。


            インナーチャイルド

 皆さんは自分の子どもの頃、小さかった頃を思い浮かべるとき、どんなイメージ、姿が思い浮かぶでしょうか。
 笑っている小さい子、泣いてる子、怒ってる子、何か訴えてる子、或いは何も浮かばない方もいるかもしれません。
 私は、笑ってる小さな子が浮かぶのですが、それを浮かべるとき、悲しい気持になります。小さな頃の悲しさがまだ癒されないのかもしれません。

 多くのアダルトチルドレンは、子どもの時心に傷つき、その癒し方が分からなかったため、その傷あとが残ったまま大人になってしまったと言えます。
 自分の心の中には、大きな傷のため成長が止まってしまっている子ども――それをインナーチャイルド(内なる子ども)と言います――が誰にも(大人になった本人にも)理解されず、認められず、愛されず、小さくなっておどおどしながら心の中にうずくまっているのです。

 インナーチャイルドは本来はその人の気質、性格と、子どもとしての普遍的な天性を持ったもので、本当の自分と言えます。

 生まれて間もない赤ちゃんから、育って行く赤ちゃんのイメージはどうでしょうか。
 あどけなさでいっぱい!自分の興味のまま動き、自分の気持のまま泣いたり笑ったり、そして新しいことに挑戦し、学ぶ力、好きなことに集中する力があります。

 でも、人と一緒に過ごす時、自分が好きなことだけを言ったり、したりして生きて行くわけには行かないのをだんだんと知って行きます。そして大人に近づくにつれ、様々な人と出会い、社会のルールに従うことも必要になって来ます。自分のインナーチャイルドと、大人として自制する部分とを折り合いをつけて生きて行くことになります。

 ですが、アダルトチルドレンは、インナーチャイルドが傷つき、抑えられて、成長しないため、ありのままの自分を認められず、ありのままの自分を出せず、(自制することも言葉を選ぶことも必要ですが)自発性や個性が出せずにいつも本来の自分を生きていない不全感を感じている、それが生きづらさの主な要因ではないかと思います。そして青年たちだけでなくその親の方も、私も、多かれ少なかれアダルトチルドレンではないかと思われるのですが。

 アダルトチルドレンから抜け出し、本来の自分をとり戻すには、インナーチャイルドを癒やし育てていく必要があると思います。どうしたらインナーチャイルドを癒し育てて行かれるか、関心のある方がいらしたら、一緒に学んでいきたいと思います。
 (参考文献 「アダルトチルドレン癒しのワーク」
          西尾和美著 学陽書店)

和田ミトリ

2009/04/01

生きづらさ

 冬に逆戻りのような日々はありましたが、春は確実にやって来るのを感じます。桜の開花は早いのに満開は遅い、自然は一直線には移って行かない、人間の思い通りには進まない。でも、日本は四季の変化が豊かで、自然を身近に感じられます。

 月末が近づくと会報を書かねばならないことを考え、「できるかな」という不安がよぎります。でもこうして1ヶ月を振り返りながら、感じることに集中してまとめて行くことは、私にとっていい機会が与えられている、“恵まれている”のを改めて感じます。そういう機会がないと1ヶ月、2ヵ月、漠然と過ごしてしまいます。

 青年の集いに参加している青年、訪問や電話で関わっている青年たちのことを思うと、青年たちは非常に生きづらさを感じており、心が痛みます。社会に出ている人も勿論生きづらさを感じている人は多いですが、青年たちは、そのため、なかなか前に進めない、そして、それぞれ生きづらさは少しずつ違うわけで、それを少しでも和らげていくのが道草の家の役目かなと思います。

 私自身、どちらかと言うと、生きづらさを感じて来ました。思春期頃からコンプレックスが強く、話すことが苦手、不全感を感じて、でも――だからでしょうか――社会と関わることをしたい、充実感を感じるようなことをして、身心を精一杯動かすようなことをしたいと思い、性格的に(てきぱき活動的でないので)合わないのにリーダーシップをとるようなこともしたりして、生きづらさを感じる日々を送って来ました。でもそうしたことを何もしないのも生きづらいのかもしれません。人間は単純ではなく相反する性格や思いを持つものでしょう。文明が発達し、社会が複雑になればなるほど、一層そうなって、生きづらくなるように思います。

          生きづらさと人間関係

 青年たちの生きづらさの多くは人間関係の問題のようです。「人間関係がきつい」「人間関係の作り方がわからない」「自信がない」「緊張する」など。

 「相手はどう思うだろうか。自分の言葉で相手が不快に思ったり、傷つくのではないか」「自分はこういう場(職場、人がいる場)で適切な言葉を発しているだろうか、年齢相応の話、言葉使いをしているだろうか」などとても気を使っています。気を使えないのではなく気を使いすぎています。(私は、ぼーっとした性格で母に「気が利かない」とよく言われました)。でもあまりにも、相手のことを考え、自分の気持を素直に出せないでいる、それがもやもやしたり、苦しかったりします。

 「相手を傷つけることは非常に悪いこと」という観念が強いように思います。それは自分が傷ついた体験を持ち、その辛さが分かるからでしょう。(繊細だったり、いじめを受けたりして)。人間はそれぞれ違うように、その人その人の思いがあって、傷つけるつもりでないことにも傷ついてしまうこともある、(単に考え方が違うだけでも)ということを子供の頃から認識する体験がなかったからかもしれません。その人の問題で傷ついてしまったのに、傷つけるほうが悪い――と一方的に思う人もいるわけで、傷つけたり、不快にさせることを全く避けては人間関係は築けないでしょうが、あまりに繊細だったり非常に辛い体験をしているとなかなかそうは思えないようです。また日本人は体質的に傷つきやすいということも聞いています。

         自己肯定感を得るには

 どうしたら、「少々人を傷つけるのは仕方がない」と思える、或いは深く傷つかないような自己肯定感、自己信頼感が得られるでしょうか。

 一つには「人の役に立っている」感謝され「ありがとう」と言われる体験を多く持つことかと思います。家庭の中で親や家族から「ありがとう」と言われる体験やボランティア体験をすることなど。

 そして、自分も意識して「ありがとう」と言う体験も大事では、と思います。昔から、ごはんを食べる時、「いただきます」と言いますが、稲を育てたお百姓さん、精米して、お店まで運ぶ人、お店で売るお米屋さん、そしてそれを買って来てごはんを炊いたお母さん(そのために必要なおかまやお茶わんを作った人も)…など沢山の人、八十八の手を経て食べられるようになったことを感謝する意味があって、「いただきます」「ごちそうさま」を言うのだと教わりました。

 その他、お金で色々物を買ってますが、そこには沢山の手が加えられているのですね。(お金さえあれば、好きな物が買える、好きなことができる、と思いがちですが、目の前には見えない沢山の人の手があってこそ、可能になるのだと思います。)

        心の不自由さを外したい?

 「心の自由、不自由」をもう一度考えてみますと、「したいことができない不自由さ」を第一の不自由とし、第二の不自由として「できるはずなのに」「誰でもできることを、できない自分はだめ」と自分を責めることなのですが、この第二の不自由さを感じなければ、心はそんなに不自由にならない、楽になると思います。

 つまり「うまくいかないこともある」「失敗したとしても、失敗することは本当に悪いことではない、完璧などありえない」「失敗するから何もしない――よりも、失敗するかもしれないけど、行動する方がいい」とは思えないでしょうか。

 日本人の風潮として「失敗は悪いこと」と言われ、(私の母もそう言ってました)自己責任ばかり追及されがちですが、もっと寛容になってほしいと思います。契約社会と言われ、責任も重視されるアメリカですが、失敗してもそれを回復しようと努力する人には応援支援する国民性があると聞きました。

 それから人間には先のことを考える想像力があって、先のことをマイナスに想像してしまう心の不自由さもあるわけですが、また先のことをプラスに想像する力もあるわけです。

 「自分はこういうことをしたい。こういうことをしたら自分はこうなるだろう」とか、「こういう自分になりたい」「こういう自分になりたいからこんなことをしたい」など、プラスのこと明るいイメージを抱く、それは脳を活性化させ、また脳の記憶の場所にそういうイメージが記憶されます。(SAT療法でよく言われます)。そしてエネルギーが出ます。そして明るいイメージの方に近づくことができる…可能性があります。

 人の心は不自由な面がありますが、視点を変えれば自由になることもあるのではないでしょうか。

和田ミトリ

2009/03/01

ひとりごと

 人と関わる私を見て「優しいだけでなく、強さも必要だ」という言葉を受けることがある。私は強い人、強い言葉にたじろぐ弱さを持っている。人に対し強いことは言えない。でも人と関わることが好きで、心の交流を求めてカウンセラーの道を選んだ(色々な活動、仕事を経て 私の心の根本にある感情は何だろう。10年位前は「悲しい」という言葉がよく浮かんだ。今は殆んど意識されないが、今、ふと心の奥にある感情をみつめると、“悲しい”という言葉も浮かぶ。でも多くを占めているわけではない。

 そう、少し悲しく、少し不安で(時には大きくなるが)、少しユウウツで(時には大きくなるが)、少しさびしく、少し明るく、少し暖かく、そして少し諦めの気持があり、すこし何か未来への期待があり…それが“自分”なんだという気持ちがある。若い頃は非常に自信がなく、悲観主義が強かった。今は「人間って、みにくい存在だ」と思う面もあるが、「人間ってやっぱりいいもんだ」との思いもあり、それが自分を支えて来たのだろう。

 また気質的に完ぺき主義ではなく、思いつめないところがあり悲観的な気持、ユウウツ感にとらわれることがあっても、好きなこと楽しいことをしたい気持も残っており、(映画、読書、テレビドラマ、美術館めぐりなど)、話ができる友だちがいた――ということが、今まで何とか活動を続けられた理由かもしれない。

 カウンセリングだけの仕事であれば、私のカウンセリングに合う人が続けて行くことでいいけれど、「道草の家」という所で大勢の青年や親の方、支援者などと関わる場合、できるだけ多くの人が、参加することで得るものがある――ことの考慮も!

 「私でいいのかな」とふと思うこともあるけど、スタッフに支えられ、青年たちから元気をもらいながら、(青年たちと話すのも好き)できるだけのことをやるしかない――よね、とひとりごと。自分の弱さを自覚しているからこそ、弱い人の気持になっている人、弱い立場の人、辛い気持になっている人の気持を理解し易い――ということもあるだろうし。でも十分に理解し、十分な対応ができないことも勿論あって、「許してほしい」と言う気持も・・・・

心の自由・不自由

 自分の気持ちはいつも自由だ――と思える人は少ないでしょう。生活が豊かになったのに、なぜこんなに悩むことが多いのか――と思う人が多いのでは。

 人間以外の生物、ある昆虫などは土の中、木(幹)の中に何年もじっとしていても悩まない。人間は知恵が発達し、明日のこと、さらにその先のことを考えるようになり、植物を育てたりして先の備えもできるようになった、でも一方、飢饉で食べられなくなるのではないか、という先のことを考えての不安の感情も生じて来ます。(以下、「心はなぜ不自由か」(PHP新書)を読んで共感したところをまとめてみます。)

 昔の人の生活は自然に支配されることが多く、選択肢が少ない一生でした。でも文明が進むにつれ多様になり、選択肢が多くなって来ます。目の前の対象を手に入れる自由が多くなればなるほど、手に入れられない不自由も多くなります。この自由とは「しようとしてできること」で、不自由とは「しようとしてできないこと」と言えますが、それを第一の不自由とすれば、できないと分かった上で、当初したいと思った、その思いそのものを、自分でコントロールできない――という第二の不自由が起こって来ます。

 多くの人がやっていることだから「できるはず」「かんばればできるはず」・・・でもがんばってもうまくいかないこと(第二の不自由)そして悩み苦しむ――ということは非常に多いのではないでしょうか。

 青年たちや親の方、今の日本社会を見るにつけ(自分も含めて)、第二の不自由に振りまわされ、辛い思いをしてる人が多いのを感じます。「多くの人が働いているように、なぜ自分は(子どもは)働けないのだろう」「なぜ、普通の、社会一般の人と同じようにコミュニケーションができないのだろう」「自分と同じくらいの年の人は結婚しているのに、自分はできない…」など、特に日本人は「他人からどう見られているか」「普通が大事」という観念があるので、多くの人(普通)からはみ出たことを恥しいと思いがちです。

 でも、しようとしてできないことは誰でもあると思います。素質、気質、それまでの辛い体験、そして体験不足などで。

 はっきりした障害があれば、それを自然の壁(人為ではどうしようもない)として、断念して、ありのままをひき受けて、それなりの生き方を考えて行こう、という思いに、切り変えられます。でも長くひきこもっている青年やいじめ、不登校を経験している青少年は、自立の力がついていないこと、目に見えない力不足もありますし、対人恐怖が強かったり、それ以上に強いコンプレックスという“第二の不自由”で自分を縛ってしまい、動きをとれなくしていると思います。目に見えた障害があるわけではないので、人は「がんばればできるはず」と思っているに違いない――という思いにとらわれて苦しんでいます。

東南アジアの子どもたち

 <青年の思い>の方でも語られていますが、フィリピンなど東南アジアの貧しい生活をしている子どもたちが、生き生きした目をしている――というのはなぜでしょう。一つには、今述べた心の不自由を感じていないからでは、と思います。一日一日を精一杯生きることで、他の選択肢がないことは、「もっと他のことをしたいのにできない」とか「できない自分はダメだ」と思うこともないからだと思います。できること(マンゴを売ったり、ゴミの山から売れるものを探したり)をやっているし、家族や友達と助け合って生きている実感があるからではないでしょうか。人とくらべることがなく意識しないでしょうが、お互いに認め認められ自己肯定があるでしょう。

 若いお母さんなど子育てに不安を感じ、神経過敏になっているのを聞きます。砂場で遊ばせるのも、猫や犬のふんがあるから不潔で病気になっては困るの――と言って遊ばせない――とかなど

 そして、他の子に遅れをとらないよう、1才から塾につれて行ったり、先の先のことを考えているようです。自分も人も信頼できなし、先のことを考え、不安になる、まわりとくらべて遅れないか、ふつうでないとどう思われるだろう。――と他を気にするから不安になる。親自身が不安であれば子どもが不安になる、日本の子どもたちは他の国にくらべ自己肯定感を持てない子どもが多い。そのままの自分を受け入れられない不自由を感じているし、それには、自分を肯定できない気持もあるでしょう。

 私たちが万葉の時代、万葉集の歌・防人の歌などに憧れ癒されるのも選択肢のない中で他とくらべることなく素直な自分の思いを、ひたむきな思いを歌っているからではないか、と思います。

和田ミトリ

2009/02/01

気になること

会報を作る時期、自分の文を書き上げる日が迫っているのに、はっきりしたテーマ、「これを皆さんに伝えたい」「皆さんと一緒に考えたい」というものが浮かびません。

胸とお腹のあたりに気持を集中して「何が気になっているのだろう」と問いかけてみる。しばらくの間。…「早く家の中を整理しないと」という言葉が浮かぶ。母が亡くなった後、母のものも、自分のものも整理して…それは分かっている。他のこと――やはり道草の家の青年たちのことが浮かぶ。いい方向に変化があった人、調子が悪くなった人、変化がなかなかない人…それから、NPO法人として活動をもっと充実したものにしたい…。

           青年たち

やはり青年たちができるだけ自分を肯定でき、自分らしく生きいき生きられる方向に歩んでほしい――ということが一番思うことです。最近一歩、二歩と踏み出した青年がいて嬉しく思います。それは急に――という感じです。

ある青年は1年以上通って来て青年の集いに参加していましたが、自分からはまったく話さず、質問に簡単に答えるだけの日々――が、急に自分から質問したり、答える時も色々と話すようになりました。それは、自分から話さなくても、他の人の会話を聞いているだけでも、言葉のやりとりが、体の中にはいっていたのでしょう。その2週間位までは、私の質問「この集いで話をすることは、来ている人と話し合い親しくなって、色々話せる仲間がほしいからか、それとも、アルバイトをするためにコミュニケーションの力をつけていからか」に対して、「仲間がほしいからではない、アルバイトのためのコミュニケーションができるようになりたいから」と答えていたのが、急に自分から質問したり声かけたり、自分の考えを言うようになりました。不登校になってから10年近く家族以外の人と話したことがなかったのですが、他の人に関心を持ち、仲間との会話を楽しむようになりました。青年たちが自分の悩みを話している場でも、適格な質問をしたり自分の考えを述べたり目を見張る変化です。

もう一人の青年は1年近く集いに参加していましたが(間が1ヶ月以上もあいたり、ポツポツという感じで通ってました)、自分からは話さないし、質問にもなかなか答えられない時があったりしていたのが、先日「相手のことを知りたい、とか、興味のあることを質問してみる」ことを順番にやってみることにして、彼に「質問してみて」と言ったら、彼は隣の青年に質問しました。そして、相手の答に自分のことを話したり、また質問したり、言葉のキャッチボールができ、会話が続きました。場面を設定して話易くすれば、きっかけを与えれば、できるんだ!――と嬉しく思いました。

また、「青年の思い」の中でも紹介しましたが、青年たちがグループで話し合うことの効果も感じます。今までも「アサーション(自己主張)」とか「認知行動療法」の時間を設け、お互いに悩みを話し合いながら、解決の方向を探る――ということをやって来ましたが、特にそういう時間を設けなくても、自然にそういう話し合いがなされることがあります。
ただ、こういう話し合いに参加できない、他の人と交わる(特に同世代)ことができない青年もいて心が痛みます。

中学や高校でいじめに合ったり、集団にはいれず疎外感を感じたりして、アルバイトをしても人間関係がうまくいかず、辛い思いをし、他人にも自分にも強い不信感を持ってしまった…青年たち。

ある青年は高校時代、集団行動に苦痛を感じ、自分はサラリーマンにはなれない、と思ったと言います。と言って他の職業のことは何も知らず、高卒後いくつかアルバイトをしたが、人間関係が難しく続かなかった。その後も、必死に応募しても採用まで行かず、一人で絶望的になったまま、「自分は働けない」という思いから抜け出せずにいます。「卒業までに色々な職業があり、自分にはどんな職業が合うか、を知りたかった。その機会があればよかった」とも言います。

またある青年は高校でいじめられ、それに親や教師が十分な対応ができず、何年もそれをひきずっています。自己肯定感が持てず、傷つき易く、しばしば怒りになります。他の青年とも共通するのですが、高校生に出会うのが非常に苦痛です。

相談される方のお子さんは、他の人に会えない、同世代のグループにはいれないという場合が多く、心のことは触れたくない青年がいます。(訪問などで私と話しながら、グループには参加しないで、働き出した青年もいるので、必ずしもグループ参加が必要ではないと思いますが)

人と会うのも苦痛、働くことを考えるのも苦痛、働くことは恐怖、という青年に、親や私たちはどう関わったらいいか。不安や恐怖をとり除く努力をするか、「働かなくてもいいよ」と言って上げれば苦痛はなくなるのか、その子にとって何が幸せなのか――

          啓蒙活動について

NPO法人としての道草の家の活動を広く知ってもらいたい、と同時に地域の人、一般の人にも役に立ちたい(道草の家の人材を生かして)という意味で啓蒙活動を積極的に行いたいと考えています。

その一つとしてコミュニケーションワークを公民館で行いましたが、前回は道草の家の青年やスタッフなど関係者が多かったので、(充実したワークで「継続してほしい」という声がありました)、次回は主として一般の方を対象に8回シリーズで4月から行う予定です。

もう一つは内部向けに(主として青年や親の方対象、どなたでも)ミニ講演会を開こうと考えています。まず理事の方たち、ユニークで豊富な仕事や活動をされてますので、その体験を話して頂くことにしました。(隔月に)

まず最初に3月15日(日)に帝京平成大学教授(生体情報学)の溝手宗昭先生に「興奮と抑制」というテーマで話して頂きます。(くわしくは3月号で)

           過去のこと…

今の家に住んで22年(その前は2~7年毎に5回転居)、なんと沢山の使わないもの、いらないものがたまってしまったことでしょう。

捨てるもの、とっておくものを判断しながら…若い頃書いた日記や読んだ本、そして友だちと作った文集など、50年のものがたまっています。老後にもう一度読む時間があるかもしれない、過ぎ来し年月を、後悔を伴わないで味わうことができる時が来るような――気がして捨て切れずにいます。

最近まで後悔ばかりしてましたが、少しずつ、ひきずる時間が少なくなって来ました。難しさも感じますが、自分に合った仕事と思いますし、青年たちから元気を貰ったり、多くの方に支えられているのを感じるからかもしれません。

和田ミトリ

2009/01/01

新しい年への思い

 新しい年が明けました。

 昨年は多くの人が、ますます生き辛さを、先に対する不安を感じる年でした。

 若者にとっては一層、先に見通しがつかない不安を強く感じることでしょう。

 でも社会がそうであっても、自分自身が新鮮な体験をし、好きなもの(人)に出合ったり、開ける感じが得られる――という可能性と、そういう自分を少しでも信じられれば、その何分の一かは実現できるように思います。

 自分への可能性、期待を持ちたいものです。

 平成21年 元旦

スタッフ一同

元旦の思い出

 新しい年になりました。皆さんはどんな気持ちでしょうか。

 新しい年だからと言って、何も変わらない、いいことも起きそうもない、という人と、何かしら新しいことが起きて、いいこともありそうな…という人もいるでしょう。

 そして、お正月というと、どういうことを思い出すでしょうか。

 大人になって、主婦になると、結構お正月もあれやこれやと忙しく、新年、元旦をゆっくり味わうこともあまりできなくなりましたが、私は、福島県の田舎での子供の頃の元旦が最初に浮かびます。朝早く、日が指す前、友だちと八幡様にお参りに行った時のこと、冷たい空気の中、雪の残る不規則な段々を登り、拝殿の前で手を合わせる…何か新鮮な気持ちを感じました。(何を祈ったかは全然思い出せませんが)

今の日本社会

 そんな頃からもう60年がたちました。色々なことがありました。自分のことだけを考えて過ごしてもいい、好きなことに熱中できる無邪気な子供時代は終わり、自分の家族のこと、子どものこと、そして道草の家の青年たちのこと、社会のことなど、考えざるを得なくなりました。

 去年の暮れから国民の経済的問題は一層厳しくなり、職を奪われ、住む家、寝る所も奪われた人々が寒空に放り出される状況が起き、胸が痛みます。

 戦後の上昇期、高度経済成長期からバブルがはじけ、そして米国から始まって世界に

広まった、グローバル化、新自由主義の影響を受け、日本は、規制緩和を強行しました。それは、社会全体の人々のためというより、企業の利益追求を、競争主義を押し進めるだけでそれに加われなかった人は、「自己責任」として無視されて行きました。

 そして、昨年後半に世界をおそった金融危機は日本にとっても戦後最大の危機とも言われます。それは資本主義、新自由主義、ひたすら成長を優先した、その矛盾の行き着いた所、来るべきものが来たとも言えると思います。

 私は、ひきこもる青年が増えていることは、社会の矛盾、高度成長を押し進めた競争主義、効率主義の矛盾を“警鐘”するものだと思い、述べて来ましたが、今や、現実になりました。繊細でまじめである故、学校や職場での競争主義、効率主義について行かれず、社会に出ることに不安や恐怖を感じる、ひきこもる青年という一部の問題ではなく多くの人々の問題になりました。格差は大きくなるばかりで、お互いに助け合う、思いやる――と言うことを忘れた結果だと思います。

 私が関わっている青年の中にも、不況の波で、仕事が続けられるか、収入も少なくなるのではないか――親が殆んど収入がなく、安定剤などを飲みながらやっとの思い働いている――と一層不安に陥っている青年もいます。経済的な不安がなければ、もっと楽な気持で働けると思いますし、経済的援助を必要ですが、私ができることは彼の思いを、電話で聴くことだけで、どう他の援助に呼びかけていいか、考えあぐんでいます。

新しい年への望み

 でも、このような社会ですが、一方では日々の中にささやかな楽しみを見つけたり、新しいことが起こりそうな期待を感じることはできます。

 道草の家では昨年NPO法人になって、新たな活動として啓蒙活動「コミュニケーションワーク」を近くの公民館で行いましたが、これを更に続けるか、違った活動をするか、理事会でも話し合いを持つ予定です。

 また、青年たちと一緒の活動にも新しい転回が起こりそうな…昨年、新しい青年たち(男女)が加わり、何か新しいアイディアを出してくれそうです。また、男性ボランティアスタッフ(様々な仕事の経験を持っている)も加わりましたので行動的な、或いは仕事につながるような体験ができるかもしれません。そんな中で青年たちが自分の好きなことを見い出せたら、と思っています。

 そして後の「青年の思い」の中で述べているように青年たちは前向きに新しい年に自分のやりたいことを考えています。「資格をとりたい」とか「コミュニケーションをとれるようになりたい」「もっと人と交わりたい」など、人間関係を作る能力を高め、それを楽しみたい欲求を持っています。

 就労状況が厳しい今、空白のある青年にとっては一層厳しいでしょう。ここは開き直って“じっくりと力をつけ、力をためる時間”だと思ってはどうでしょうか。この時期、焦らずに自分の特性を見つけ、それを生かす道を探すことを第一にしてはどうでしょうか。

 親の方たちも、まわりの方も、青年たちを見守り応援して上げて頂きたいと思います。そして道草の家の活動に新しいアイディアを寄せて頂けたら、と思います。

 私自身、個人的なことでも道草の家のことでも、先のことをマイナスに考えると、不安とユウウツさが起こり暗い気持ちになります。先のことは分からない――だったらプラスに考えよう、そうすると胸がふわっとなり、明るい気持ちになります。うまく行かなくてももともと、楽観的に、いい方の夢を持ちたいと思います。楽観的でないと脳の回路がうまく働かないそうです。“できそうだ”と思うだけでも脳の回路がよく働いて、エネルギーも出て来て、実現する可能性も高まると思うのです。