2011/11/01

フクシマにて

 実母の法事で久し振りに訪れた故郷のお寺と墓地は、とても静かで、穏やかで、幼い頃と殆ど変わりません。福島県の真ん中にあるとは思えない。燈篭や墓石の上の部分が落ちて壊れているのだけが地震の名残を見せているだけです。
 福島県は広いので、浜通り、中通り、会津地方と分けて天気予報などは伝えたれていますが(地震情報も)、故郷の石川町は中通りにあり、低い山と山の間に流れる川沿いにある小さな町です。原発事故で発散した放射性物質は、風に乗って山の上を吹き抜けて行き、石川町には余り落ちないとのことで、セシウムのレベルは低く、避難者を受け入れています。
 でも福島県庁に勤める甥、姪、兄妹などの話は、風評被害のことで、「フクシマ」というだけで拒否、敬遠されてしまう。会津地方などもセシウムのレベルは非常に低いのですが、「フクシマ」とひとくくりにされて農産物も拒否されます
 地震、東北大震災に対しては、全国から、「頑張ろう」「応援してる」「絆」などの言葉から寄せられ、多くのボランティアが訪れ、痛みを分かちあっている感じですが、原発事故に対しては、ただただ放射性物質に対する拒否、恐怖感になっています。福島県や近県でもセシウムのレベルが低いところでも、0ではなく、でも全員が避難するわけには行かない、福島県の中の低いレベル中に住んでる人たちは、静かに痛みを分かち合っているように感じます。京都の「大文字焼き」の場合など、長時間、何日も燃やすわけではないし放射性物質の不安を分かち合ってもいいように思うのですが、・・・
いのちと原発
 新聞の一つの記事(10月26日朝日新聞)を読み、怒りと共に悲しい気持ちになりました。それは、福井県敦賀市町の言葉です。「原発には確かにリスクがある。けど、我々は一定のリスクを背負った分、経済的メリットを受けるという選択をしています」「他の都市でも工場がなくなったら、別の工場を誘致してくるでしょう。私たちは原発という『地域産業』を誘致しているのです。」確かに生活するにはお金が必要です。でも、こんなに多大な影響をその市町村以外にも、日本中に世界中に恐怖を与えていることを認識しないのでしょうか。そして未来の人たち、何10年、何100年の先のことを考えないのでしょうか。放射性物質は簡単に消えないのですから。
 一方、茨城県東海村村長は「『原発がなくなったら住民の雇用はどうするか』『村の財政はどうするか』という論議も村内にあります。しかし原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を一基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円のカネがはいる。それがなくなると、また『原子炉を誘致せよ』という話になる」「福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢にすぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです」と言っています。
 敦賀市長の考えも、個人の問題というより、そう思わせる日本の社会なのだ、ということでしょう。
 原発事故が起きても「それをやめたら今の生活、電力を使った生活はできなくなる」「地域温暖化を防ぐためのクリーンなエネルギー」とも言われ、きっぱり「脱原発」と言えない人もまだ多いようです。ということを知ったら、どう考えたら、国民皆が「脱原発」と思えるでしょうか。それに関する本は沢山出てますが、生命科学者柳沢桂子さんの「いのちと環境」(ちくまプリマー新書)が分かりやすく、根本的なことが書かれていると思います。※生命の誕生から人間の存在と環境、成長の限界、人間と気候変動、人類は生き残れるか、―というテーマで書き進められています。
 まず「放射能が怖いのは、放射線がDNAを傷つけるからです」「放射線は、植物にも昆虫にも細菌にも、すべての生物のDNAに影響を及ぼす、直接的にも間接的にもその影響はおそらく私たちにとって甚大なものになるでしょう」と書かれ、
 「私たちは地球を壊してしまいました。その原因は人口の増加と産業が盛んになりすぎたことです。温室効果ガスも増えています。いずれにしても私たちは今の生き方を考え直さなければなりません。」そして最後に「私の人生の終わりに際して、これから生まれてくるものたちに幸せに暮らしてほしいと祈らずにはいられません。まして私たちが木を切り倒し、地面を砂漠化し、沢山の高レベル放射性物質を残してこの世を去るなどということはとても悲しいことです。私は病気でほとんど寝たきりですので、病床で本を書くことしかできません。元気な皆さん、どうか力を貸してください。」と結ばれています。

青年たち
 道草の家の活動の中で関わる青年(彼、彼女)たちのことがいつも気になります。いい方向に進んでる青年もいますが、生きることの辛さがなかなか弱まらない青年がいて、どう考えたら、どう関わったらいいか、思い悩むことの多い日々です。
 自分の精神的な不安定さ、辛さ(通院している)の上に経済的不安がさし迫っている青年・・・母子家庭で母親は心身がかなり弱って来て、その世話をしなければならないし、自分が働かなければならない。でも、同僚や客とも話ができず、コミュニケーションを身につけていないことで落ち込む日々。個人経営で時給は安いし、いつ首になるか分からない。と言って他の仕事につける当てはない。せめて障害者年金を貰えたらいいが、余裕がなく年金を払ってないために貰えない・・・どうしても仕事をするのが辛くなって、一週間休み、それ以上休むと首になるので「頑張って行きます。頑張ります」という言葉で終わる電話。
 具体的な方策もなく、聴くしかありません。「生活保護も考えられる」という私の言葉で市役所に聞きに行ったこともありますが、受給額は今のアルバイトの収入よりも低く生活できない、それに「働かないことには後ろめたさを感じ自分を責めてしまい、楽な気持ちにはならない」と言います。何かいい知恵はないでしょうか。
 また、「青年の思い」に「道草の家への期待」として書いてくれた青年、精神的な苦しさを抱え数年前に訪れ、間をあけながらも来所しています。最初の頃にくらべれば、落ちついて来て、他の青年ともなごやかに話をしています。でも家では激し感情が揺れどうしても自分を責めてしまうとのことで、親も私も「そんなに責めなくていい」「もっと自信を持ってもいいのに」と言うのですが。
 間をあけて来る青年でも、電話やメールのやりとり、などで何とか関われるのですが、親の方たちの相談の中で親と話をしない、顔を合わせない青年たちに対しては、どう考えたらいいか、どういう術があるのか、考えあぐねます。なぜ人と関わろうとしないのか。強い人間不信と絶望感があるのだろうと思います。私たちが手助けするキッカケをつかめないまま時間が過ぎていきます。その難しさを痛感します。私たちの思いをどのようにして伝えたらいいか・・・親御さんには根気よくメモで「心配してるよ、大切に思ってるよ」ということを伝えては?と言ってるのですが。