2010/01/21

明けましておめでとうございます

 昨年は社会情勢が激しく揺れ、環境問題も厳しく、不安に満ちた一年でした。

 今年も、それがどう変わるか、どう変えて行くのか、先の見通しのない年明けになりました。 

 社会の渦にひきこまれずに(無視するという意味でなく)、自分の生活を、青年たちやまわりの人々との関わりの中で、気持が明るくなるような、できるだけのこと、できることをして共に生きたいと思います。

 若者もそうでない者もまだ発揮してない力があるはずです。その可能性を信じながら。

                            スタッフ一同

 

           新しい年をむかえて

 新しい年になりました。1月1日、今年はどんな年になるのでしょう。

 本当に、社会の情勢のことを考えれば、不安と、私には何もできない無力感を感じます。でも私たちは社会情勢の中にいるものの、全てがそれに重なるわけではなく、個人の生活、精神的な生活、人と人との交わり、芸術や創造的なものを楽しむ生活、自然との交わりなど、人間として、根源的なもの、古来から受けついで来たものが、あるように思います。

 そういう意味で、新しい年に、自分にとっても、まわりの人、気になっている人にとってもいい方向に向かう期待を胸に感じます。

 苦しんでる人に苦しみがやわらぐように、絶望と諦めに陥っている人に「そんなに絶望しなくてもいい、みんなでお互いに支え合えばいいのだから」と言いたい気持ちです。(年の始めだから、気軽に言えるのでしょうが)

 宮沢賢治の「雨にも負けず」を思い出します。こんなふうに悩んでる人、悲しんでる人に声をかけ、話を聴き、慰め、一緒に労働し(手伝って)困っている人を助けられたらどんなにいいでしょう。でも今の日本は非常に複雑になってしまって、心も複雑になってしまって、どういう言葉がいいのか、探さなければなりません。悩みが軽そうに見える場合も、他人にはなかなか理解できないところがあるでしょう。(「親の会」でも話されました)。そして、思いつめてしまって「未来も、今までと同じようにうまく行かないに違いない、苦しいに違いない」と思うのも人間故のことでしょう。


              人間の想像力

 人間は動物と違って、先のことを想像する力があります。

 前にも書きましたが、日照りが続くことを予想して、そのための準備をすることができます。でも悪い方ばかり想像して、不安におびえ、意欲をなくしてしまうこともあります。良い想像をして「~したい」「~になりたい」という希望を持ち、「できそうだ」と思って、意欲が出て、それに向かうこともできるし、絶望して「これからの自分はダメだ。何もできない」と想像すれば意欲も出ません。人間は良いほうにも悪い方にも想像する、想像力がある故にやっかいな動物と言えるかもしれません。

 新しい年に「今年は何かできそうだ、いい年になりそうだ」と期待を、意識してでも持ってほしいと思います。肯定的に、プラスの方向に考えれば、脳の働きも活発になり、意欲も出るし、一方否定的にばかり考えれば、脳の働きは鈍くなり、ますますネガティブになり、うつにもなります。(脳の仕組みについて書かれた本は沢山出ています)

 また、今の生き辛さ、思うように動けない、なども、無意識に過去の体験の記憶に捕われていることがあり、それを良い体験の記憶に変える心理療法もあります。SAT療法――「おきてしまったいやな体験を自分の力で乗り越える」と言うことをイメージする、そのイメージが実際の体験の記憶と入れ変わるというものです。想像力の力が生かされるのです。) 新しい年への期待

 そこで、道草の家でも新しいことをしたいと思います。(9頁にあるような)「不登校クラス開設」は理事の渡部美佐子さんの発案ですが、道草の家に来ている青年の多くが、不登校を経験しており、学校に行けなくなった時、十分なケアがあったら、引きこもりまでにはならなかったのでは、とかねがね思っていました。(渡部さんは、千葉市、市原市の適応指導教室で指導員を10年ほどしています)

 「生きいき生きるためのカウンセリング講座」は、私が以前にカウンセラー養成講座の講師をしていた体験から、カウンセラーにならなくてもカウンセリングマインドを身につけることで、生きやすくなり、人間関係もよくなる、と思っていましたので、啓蒙活動とPR活動の意味もあり、実施したいと思います。(協同募金助成金の申請もしてます)

 「パソコン修理室開設」は青年が「パソコン関係の仕事をしたいと思っても、短時間で週3、4日の仕事はなかなか見つからない。パソコンの修理は、自宅で自分のペースで出来る、と聞いたので、道草の家でやってくれないか」という要望があり、他の青年も「人が大勢いる所では、緊張して働けないので、道草の家でのパソコン修理だったら是非やりたい」と言いますので、開設できれば、と思います。ただし、それを担当する、運営してくれるボランティアの方がいれば、のことです。お知り合いの方でもいらっしゃらないでしょうか。見つかるまで呼びかけたいと思います。


      働いている者にとっても話せる場を

 昨年の暮れ、思いがけない青年が訪れました。5、6年前に数回青年の集いに参加した青年、お母さんからは、派遣の仕事で他の県に行っていると聞いてました。「覚えてますか」と聞かれてぼんやりした記憶でしたが、だんだんと名前と参加してた頃の彼を思い出しました。派遣切りに会った話は「青年の集い」(6頁)にまとめてありますが、考えされられたのは、「派遣の厳しさ、派遣切りのひどさ」と「働いている者にとっても、悩みを話せる場、聞いてくれる仲間が必要だ」ということです。具体的な解決に至らなくても。でも欲を言えば、仕事ができなくなった時の経済問題や、就労を一緒に考え、つきそってくれるボランティアの方がいれば、と強く思います。

 和田ミトリ

2010/01/07

「道草の家」会報100号を迎えて

 11月号を作っている時、青年から「12月でちょうど100号になりますよ。記念号にしたら?」と言われました。「あ、もう100号になるのだ、いつの間に!」毎月毎月、休まずにとにかく発行することだけを考えて来た8年4ヶ月です。

 道草の家の活動を始めて1年たった時、(2001年9月)青年の集いに参加している青年から「たまにしか来られない青年や、こういう居場所に『行ってみたい』と思っている青年に、毎月のスケジュール表と、ちょっとした文、お誘いの文や感想などを載せたお便りを送ったら?」という提案があり、毎月お便りを出すことになりました。
 しばらくは6頁でしたが3年ほど前から8頁になり、内容も豊富になりました。カットも最初はカット集からとっていましたが、イラストが描ける青年(女性が多い)が現れ、オリジナルなものになりました。内容とは特に関係なく描いてくれたものを、活字に打ち込まれた文や詩の間のスペースに組み入れて行くのが私の楽しみとなり、「これで今月号も出来た!」と心の中で叫びます。

 とは言え、100号記念号としてどうしたらいいのか、十分考える余裕のないまま過ぎてしまい、ただ青年たち、特に仕事を始めたりして青年の集いにあまり来なくなった青年に呼びかけ、「私と道草の家」というようなテーマで書いて貰うように頼みました。親のかたにもお願いしました。数はそう多くはありませんが、嬉しい言葉を頂きました。

 

         いいこともやなこともあった・・・

 私の子どもより若い青年たちと日々接しているのですが、「自分の未来は考えられない」「自分は何もできない」「自分はこれから社会の中で生きられそうもない」「苦しみしか考えられない」など、絶望的になったり、諦めてしまっている青年がいます。
 私の生きてきた年数の半分にも満たない、1/3にも満たない青年たちがこんなふうに思う…どんな言葉をかけたらいいのか、青年の心に響くような言葉は何か。思い悩みます。

 わたしは思春期頃から、人と話すことに、判断することにコンプレックスを抱いてきました。色々と悩んで来ました。この頃になってやっと青年たちと話せる、親御さんとも話せるようになった(勿論、十分ではありませんが)と感じ、やっと成長したな、と思います。今だに大勢の前で話すのは苦手ですが。

 青年たちの多くは、私の若い頃より表現力があるように思います。感性も知性も豊か…なのに絶望し、諦めてしまって「これからも同じ」「社会に出れば同じ苦しみを味わうことになる」と思ってしまう。・・・それだけ辛い、苦しい経験をした――ということかもしれませんが。

 でもちょっとでも楽しいこと、嬉しいことはなかったでしょうか。私は失敗も多くし、苦い経験も沢山しました。挫折も何回となくしました。でもいいことも楽しいこともあったと思います。本が好きだったり映画が好きだったり、絵が好きだったり(観ることが中心)自然にひかれたり、好きなことが色々あったからかもしれません。
 青年たちが、少しでも自分が好きなことして、これから楽しいことを嬉しいことを見つけて行かれるのではないかと思うのですが。

 そして、人間色々の生き方があっていいはず。一般的な生き方でなくても人と比べないで、“楽しさ”を、小さなものでも、大事にしながら、自分の生き方を見つけてほしい、と思います。
(でも、簡単にそうは思えない――という青年の声が聞こえて来そうです。)

 ただ、人は一生かけて成長するのではないでしょうか。社会に出ている人も、“成長した人”というわけではなく、色々と未熟な面があります。例えば感情が育ってない人が多いのを感じます。

 

                本来の自分

 人と交わりを避けている自分、人とうまく交われない自分、働いていない自分、働いていても思うようでない…をダメな人間として自分を責めている青年が多くいます。今の自分を受け入れられない…「ありのままの自分を受け入れることから動き出せる」とよく言われます。でも、ありのままの自分、ダメなところがあるのを受け入れられればいいですが、“もっとよく生きたい!もっと違う自分になりたい!”と思うのも自然です。精神的に落ちこんで動けなくなった時、そういう自分を責めていれば、ますます落ちこみ、動きがとれなくなってしまいます。悪循環。

 人間には、色々な面があります。落ちこんでいる自分も自分の一部かもしれませんが、自分の生きいきした面が隠されてしまっているのだと思います。人間、生まれたばかりの赤ちゃんは、自分をダメな人間とは勿論思いませんし、自分の欲求のまま快、不快で、喜んだり、泣いたりします。赤ちゃん、幼児は生き生きと笑い泣き、怒り、そして自分で楽しいことを見つけて、遊びます。・・本来は人間はこのようではなかったのでしは?でも、文明が発達すればするほど、無邪気にすごす、ということは難しくなります。或いは、その国による社会風土、社会状況によっても。日本は精神的に生き辛さを感じる若者が多くなってるように思います。
 本来の自分を取り戻してほしい!!

 SAT療法に「未来自己イメージ法」「宇宙自己イメージ法」という本来の自分を感じる心理療法があります。SAT未来自己イメージ法は、大まかに言いますと、強力なスポンサーがいて、支援してもらえると仮定して、自分がやってみたい「愉しいこと、リラックスすること、幸せなこと、元気が出ること」をイメージしてみる。十分イメージして満足したら、自分に自信がつけるように、何かチャレンジするか、学習することをイメージする。自信がついた自分が十分イメージできた時、「フッと浮かぶ自己像(表情や服装や人柄など)が、“本来の自分”――というものです。
 もっと自分でも、肯定できるような本来の自分、本当の自分がいるはずです。一緒に見つけませんか。