2008/06/01

5月の道草の家

 5月の会報に年会費についてお願いしましたら、多くの方から年会費をお送り頂きました。ありがとうございました。賛助会員という方が多かったのですが、会報を継続して読んで下さり、道草の家の活動を支援して下さること、嬉しく思います。またNPO法人化を祝って下さるお便りも頂きました。

 5月もまたあっという間に過ぎました。道草の家の活動としては、特に大きな変化はなかったのですが、青年(男女の意味です、いつも)一人ひとりを見れば、変化はあったなと思います。

 去年から参加している青年、最初は問いかけに少し返事をするだけでしたが、この頃はしっかり、長い言葉で返ってくるようになったり、5年前に親子で一度相談に来た青年が、やはり居場所に来ることで人になれたいと、参加するようになったり、調子が悪くなってなかなか外出できずにいたが、8ヶ月ぶりに来所した青年や、6年ぶりに電話があり、「また行って話をしたい」という青年、アルバイトはしているが、思いを話せる居場所がほしい、ということで参加するようになった青年、「生活の自立をしたい」と、家を出て一人暮らしを始めた青年、だんだんと落ちついて来たが、今年になって一層落ちついて来て、ボランティアを始めた青年、そして、3年以上続いたアルバイトをやめることになった、「自分に合う仕事を見つけるのは難しい、でも何とかなると思って、今まで何とかやって来たので、探すしかないと思う」と言う青年もいます。

 でもまた、葛藤や不安が強く、対応が難しい青年もいます。私自身も余り動揺しないで、精神的な安定を保っていたいし、より良い関わり方を探るために、何冊か本を読みました。

 その中でも、割と少ない言葉で生き方を示している本に出会いましたので、紹介したいと思います。「こんなふうになれたらいいな」という段階ですが。「希望のしくみ 」(宝島社新書)という本で、スリランカから来た初期仏教のお坊さんと養老孟司さんの対談です。

無常ということ

 まず釈迦の立場として<すべては無常。心もからだもその他の物質も、すべては固定したものではなく、瞬時に変わって流れている>が基本であり、<「しかし、ほとんどの人間は「自分も物も変わらないものだ」という前提に立って生きています。生き方も、ものの見方も、何もかもがすべてアベコベです>と書かれています。

 そして<「我がないと私はない」は錯覚・・・変わるからこそ、無常だからこそ、私という存在が成り立つ。赤ちゃんの時から死ぬまで、体が変わっていく、思考、概念、知識などが変わっていく、好き嫌いも変わっていく、楽しみ苦しみが変わっていく、それが「生きている」ということ・・・>という言葉も意味深いです。本当に(本当は?)そうだと思います。赤ちゃんの時から今まで、体も心も変わって来ました。人間にとって「無常」が前提ではないでしょうか。

 また<変化しつづける無常の世界では、自我に執着していては生きられない。「無我」でないとダメなんです・・・いま私は、ここに一人、勝手にいるわけではなくて、皆様があって、皆様の協力があって、いまこの場面が成り立っている。だから「私は」「私は」ということではまったくありません。ほんのちょっとで皆で救い上げましょう。自分も手を貸しましょう・・・>

 それが<共同体として生きるための知恵、「慈悲」>だと言うのです。そんなに大げさに考えないで、<「生きとし生きるもの」という共同体を慈しみ、親切にすることが、生きる上での基本だ>というのですが。

 確かに今の社会は不条理なことが多く、一般の庶民を苦しめることが多いのですが、一人で生きているわけではないわけで、自分ができることを「手を貸す」ことはできるのでは?。「無我」は全く自分がなくて、人の言うなりになっている、というのではなく、自分も人も変わっていくのだから、自分の思いだけにこだわらない、ということだと思います。

 そして<内も外もたえず変わっていることを理解する人は、落ちついて生活できる・・・成功したからといって舞い上がることもなく、失敗したからといって落ちこむこともありません>・・・<「一切の概念をすてる・・・捨てて完全にものに執着しないという状態をつくる。・・・「後悔しない」というしっかりした気持をもつ>という言葉!

 私は先のことを「うまくいかないのでは」と否定的に考え、前々から不安を感じることも多く、そしてうまくいかなかった時は「ああ、やっぱりダメだった」と落ちこんでしまします。「成功も失敗も自然の流れなのだ」と思えれば、どんなに気が楽でしょう。「これはこうあるべきだ」という思い込み(概念)にとらわれているから、こだわりがあるから、後悔もし、落ちこみ、辛い思いをするのだと思います。思い込みから抜けるのはとても難しいですが、そのしくみを意識するだけでもいいかと思います。

 無常、無我――こだわりからの解放――そして慈悲につながって行くようです。

 また、次の言葉はとても印象的です。
<「苦しみ」とは「現実をありのままに受け入れないこと」。だから現実を受け入れられたら「苦しみはない。「現実をありのまま受け入れるのが苦しいんだ」と勘違いしている>という言葉。

 私も思うように行かない時「本当はこんな筈じゃなかった」と悶々とすることがしばしばです。また他と比較して、期待を持ち、それがかなえられそうもないと思って苦しむ。たとえば、バリバリ働いている友達や同世代の人達のことを見て、「自分もああいうふうに働きたい、働ける筈なのに、自分は働いていない、自分はダメだ」と思ってしまう。期待が苦しみをもたらすわけです。現実を受け入れ「今自分ができることはないか」ということから出発する――ことができればと思うのですが。

 また<人は変わりたくないと、また変わるはずもないと、心の中で決めつけています>とも言っています。過去に非常に辛い体験(トラウマ)があると、一歩踏み出すことを怖れる。また同じような辛い体験をするのでは、と思ってしまう。「すべてのものは(人は)変わる」ものですから、「変わりたい」と思えば、変われると思います。過去のこだわり、トラウマをなくすことなどを一緒に考えてくれる人、助けがあれば。

 そして<「すべては無常」という合理的な考えも、感情でそうは思えなくなった、「感情で至った結論は」「瞑想」という観方によって、すべて無常だと体験させることが必要だ>とも言っています。

 スマナサーラさんが「自分を変える、気づきの瞑想法」という本を出しているので、それを読んで私自身も「瞑想」をやってみたいと思います。来月、そのことを伝えられたらと思います。もっと大らかに、生きいきと生きることができたら!

お薦めの本

「希望のしくみ 」 アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司著 宝島社新書

「はじめてのひきこもり外来―専門医が示す回復への10ステップ 」 中垣内正和著 ハート出版

 帯の言葉
 「全国の引きこもり親の会」顧問の精神科医が豊富な臨床例から治療の道筋をわかり
 やすくアドバイス
 「人生はいつからでもスタート」希望はある
 主な内容
 ひきこもりからの回復――親の10ステップ
 ひきこもりからの回復――若者の10ステップ

「夢、イメージ、成功、そして、自分を変えること 」 ジョイ石井著 インデックス・コミュニケーションズ発行

「「弱さ」のちから―ホスピタブルな光景 」鷲田清一著 講談社
「そこに居てくれることで救われるのは誰か?」

(どなたにとっても参考になる、得るものがある、というわけではありませんが、道草の家に置いてありますので、よろしかったら、手にとって見て下さい。)