2012/11/11

宮沢賢治の生地を訪ねて

 10月の初旬、岩手県の花巻、宮澤賢治の故郷を訪ねました。宮澤賢治の童話は大好きで、以前から賢治が生まれ、生きた故郷を訪ねたいと思ってました。
 花巻は内陸なので地震の影響もなく、のどかでした。小高い山の上にある賢治記念館からは、北上川や森や田畑が眺められ、こういう所で賢治は過ごしたのだ、北上川が水が少くなったとき、現れる泥岩を見て名づけた「イギリス海岸」の辺りを農学校の生徒と歩いた様子が目に浮かび、懐かしさを感じました。
 賢治は去年、地震の後賢治の「雨ニモマケズ」の詩がネット上で誤解されたりもしましたが、「雨ニモマケズ」は、晩年手帳に書き、死後発見されたものです。公表したいと思ったわけではなく、自分自身の理想的生き方を書いたものと思います。また地層や星空などにも興味を抱き、農村の貧しさに心を痛め、田畑の作物がよく育つよう肥料の研究もし、村人にも指導しました(死の間際まで)。 多様なものへの関心をあまりにも急いで行動に移したためか、37才で早世しました。
 何と言っても賢治の魅力は童話だと思います。賢治は仏教(法華経)の信仰も強かったようですが、童話はそうした宗教くささ(説教的)は全然なく、ファンタジックでユーモアに満ちていて、穏やかな自然の営みを感じさせられるものが多いです。動物も植物も森も山も、心があるかのように、会話をしている様子が描かれています。人間と動物が会話したり、森が会話したり(どんぐりと山猫)、鉄道のレールの側にある信号機や電柱も会話します(シグナルとシグナレス)。
 なぜ、賢治に魅かれるのか――今の社会、あまりにも「自然」と離れてしまってギスギスしている、物質的なものにとらわれているように感じるからかもしれません。「自然」にも心があると思えた時代。「自然」には神が宿ると感じられた時代!
 「自然」と会話できる、賢治、それを童話や詩に表現し、残してくれた!
ふと、私も「自然」と会話できるのではないか、近くにある草や木に、雲や月や夕日に、虫や鳥に私の方から声をかけたら、答えてくれそうな。そうすれば「みんな一緒に生きている」と思えるのではないか、とふと今、思いました。


発達障害

 「訪問支援ボランティア養成講座」が始まり、現、元ボランティアスタッフ、親、青年達が参加しました。2回目は「発達障害」(生まれた時から脳に微細な障害があてアンバランスな発達になる)についてですが、(6頁にも載せてあります)身近にいる発達障害を持っている青年・少年のことも話され、具体的な難しい問題も出されました。
 ある中学生の場合、本人も他の人と違った面、自分でもどうしようもない面があることを気づいていても「障害」という語がはいっているため、受け入れられない。そして触れたくないため、「支援してほしい」とも言えない・・・親子で悩みながらも、「生き易さ」の方に進めない。
 また、ある青年は、就職したが、上司からの指示をうまくとらえられず、仕事ができないことで、うつ病になり休職した後、「アスペルガー症候群」であることが分かり、職場復帰後は、指示の仕方をくわしくするなどの配慮で、仕事をすることができた――というケースもあります。
 言葉にないことも、読みとる、他の人の気持を想像することができない――という
「アスペルガー症候群」は、自分もまわりも理解し、意識することで補うことができると思います。 そして、ケアをしないまま大人になると二次障害のうつ病などを起こすこともあります。
「個性だ」と言って、ケアをしないのも、「障害」ということで偏見を持たれるのも
、本人を生き辛くさせます。「自分にもあてはまる」という発言もあり、「誰でも多かれ少なかれそういうものを持っている、グレーゾーンがある」ということにまとまりました。
 人は完璧ではなく、色々な欠けてるものを持っているわけで、そういう相手も自分も許しあえるようになりたいものです。

居場所

 数年前にはよく来ていましたが、仕事を始めてからあまり来なくなった青年が、久しぶりに、3年ぶりぐらいに訪れました。仕事をやめて一人暮らしですし、人恋しさもあるのでしょう。以前にくらべ落ちついた話しぶり。介護関係の仕事をしていたので、もう一人集いに参加していた青年も介護関係の仕事をしており、話がはずみました。また、10代の女の子にも優しく話しかけていました。以前は、自分の心の悩み、苦しみを訴えていましたが。
 そして、時々来所する青年、精神的に落ちて、働くことはできませんが、知的障害者の作業所(喫茶店)で音楽活動をしている青年が言っていました。彼の友だち、働いているのですが、「ぼくは働くひきこもりだ」と言っている、とのこと。職場ではある程度話はするけど、帰宅すると、一人暮らしで、まったく人と話をしない。人との関わりがない、時々彼と楽器の演奏などをすることが唯一私生活での人と関わり、そして「なんで生きているのか、君の方が生きているよ」と言うそうです。
 道草の家では数年ぶりに訪れたり、電話がかかって来たりします。話し合いが中心で、就職先を探してあげるような活発な活動は特にしてませんが、思い出してくれるようです。
 でもまた、テレビなどで見聞きするのですが、若者のホームレスが増えている、ということには心が痛みます。ある青年は数年前に地方から東京に出て、寮のある職場に就職したのですが、解雇され住む所も失いました。その数年間家族とは連絡とっておらず、実家に戻るわけには行かないようです。アパートを借りるお金もなく、住所不定では、アルバイトでもなかなか雇ってもらえず、時々日雇いをする程度。炊き出しの列に並んだり、路上などでダンボールの中で寝る――という姿が放映されていました。
 どうしてこうなったのでしょう。家族関係も薄くなったし、悩みを話せる友達関係も作れないし、孤立していく若者。そして働く場を見つけられない。経済的には豊かだと言える日本ですが、全体として、助け合う、支え合う、という人間関係がなくなってしまった。居場所、誰にとっても、いつでも訪ねられる居場所が方々に必要なのでは、と思います。