2019/04/01

ひきこもり


先日、テレビのニュースで「40歳~61歳のひきこもりの人数は613000人」と言っていました。そして「男性が四分の三、就職氷河期の影響」とも言っていました。

私が“ひきこもり”に関わりだした頃は、不登校とひきこもりが一緒に問題視されて、「就職できないからひきこもった」というイメージはありませんでした。

そして、学校時代は勉強をしていれば過ごせるし、友達が居なくても変な目で見られないけど、卒業すると“就職”は人間関係が伴うので“こわい”というイメージになりがちです。まず“面接”の時にどう話したらいいか分からない、“話せない”と思い、進めません。通信高校、通信の大学までは行かれる、公開授業には出られる、でも卒業した後、他人と交わる、話をする場には出られない、家に引きこもる――ということも。

「道草の家」に来所する青年たちも、繊細な性格なのか、集団行動が苦手、などで、学校時代、休み時間は教室に残っていて、引け目を感じていた、と言います(いじめがあった訳ではなく)。

また、いじめがあった訳では無いけれど、クラスメイトに気を使い、疲れて登校出来なくなった――と言う青年も居ます。

親が人によく気を使う、その影響を受けて、人に気を使い、疲れて仕事が続かなくなる――という場合も。


外に出ると、淡いピンクの桜が目に付きます。春真っ盛り――という言葉が浮かびます。日本人にとっては、桜は日本の象徴という感じかも知れません。

でも“桜の木の下で、みんなで集って…”という気持ちにはなれません。

私にとって桜は、“眺める”と言うイメージなのだと思います。

思い出します。幼い頃、名古屋で、寺の中の一部屋に間借りしていたことがありました。その寺の境内に、大きなしだれ桜の木があり、春になると見事に咲きました。また、名古屋に来る前に住んでいた福島県の片田舎では、川の岸に桜の木が、並木のように植えられていました。桜は幼い頃の思い出に繋がります。

先の選挙で、会場の小学校に行きましたが、校庭の端、道路に面したところに大きな桜の木が何本も植えてあり、間近に見えました。何年前に出来た小学校か分かりませんが、小学校が出来た頃から、子どもたちを眺めながら大きくなっていったのでしょう。