2013/10/01

虫の声、鳥の声

  9月も下旬まで猛暑が続きました。でも蝉の声に代わって夜は虫の声が賑やかになりました。昼間は鳥の声がよく聞こえます。青年が「鳥の声が聞こえますね」と言いました。「昼は鳥の声、夜は虫の声よ」と答えて、道草の家は季節の移ろいが感じられます。

 夏の蝉、初秋の虫・・・短い命ですが、次世代(来年)に受けつがれると思いました。でも、「いや、来年は大丈夫だと思うが、ずーっと、というわけには行かない」という疑問も起きました。

 地球の温暖化によって、猛暑も洪水も起きる、南の小さな島では海面が上昇して、人が住めないくらい小さくなっています。それは、人間があまりにも”熱”を使う生活をするようになったからだと思います。

――時間――

 先日、青年たち(男女)と画廊巡りで、青年の一人が選んだ「日本民藝館」に行きました。民芸品――名もなき人々が作った手作りのもの、素材は布、木、鉄、陶器、石など――様々なものが展示されていました。

 その中にこまかく織りこんだ、刺繍をした、大きな布がありました。小さな説明書を見ると「男性腰布○○民族、20世紀」とあります。(日本のものは、17、18世紀が多い)「あ、今も時間をかけて、何日も手で織ったり、刺繍をしているのだな。”早く”とか焦ることなく・・・」と思い、その光景が目に浮かびました。ゆったりとした時間の流れ・・・。

 一方日本ではリニア新幹線――東京名古屋間が40分――の着工計画が明確となり、途中の停車駅も決まり、20??年には竣工というニュースを見ました。そして、停車駅がある市の市長は「どんな経済効果があるか」と嬉しそうにコメントしてました。

 先月号でも新幹線の速さについて述べましたが、何のためにそんなに早く目的地につかなければならないのでしょうか。1964年のオリンピックに合わせて作られた新幹線が開通した時、「名古屋から東京に仕事に行っても日帰りできる」「でもかえって忙しくなる」というようなことを聞きました。完成まで20年(?)位かかるとのことですが、「オリンピックに間に合わせろ」という声も聞かれます。

――地球は一つの生命体――

 そんな時、「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の監督、龍村仁さんの講演を聴く機会がありました。独特の思想がこめられたオムニバスドキュメンタリー映画。第一章を見てとても感動しました。4章まで見た記憶がありますが、遠のいてしまって、もう第8章の撮影にとりかかっている、という話にはっとしました。

 あの時の感動をもう一度味わいたい、でも自主上映の映画、すぐにはかなわない。著者の本を読みました。「地球(ガイア)をつつむ風のように」という本ですが、最初のページに「ガイア理論」として次のように書かれていました。

 「太陽系の第三惑星である地球は、それ自体が一つの大きな生命体としての仕組みをもっており、我々人類はもちろんのこと、動物も虫も草も木も風も岩もすべてが有機的につながった大きな生命体として、35億年の歳月を生きつづけている」その一つの例として、地球の大気は、どの場所に行っても酸素の比率がおよそ20%に保たれていると述べられ、まさに地球が一つの生命体と考えられる証拠、納得しました。

――近代科学――

 でも、温暖化の影響は日増しに大きくなっているように感じます。それは、人間が科学の力で、自然をあまりにも操作したからだと思います。

 科学の力で(コンピューターで)綿密な計算で考え、作りあげる。新聞の記事に、ある科学者が、原発事故に関して、「1秒ごとのデーターは公開されているのに

1/100秒のデーターは公開されていない、おかしい」でもその後「1/100秒のデーターが公開されて、それを見てやはり○○○が破損されているのが分かった」という言葉が載っていました。

 1/100秒の変化も影響するような機械を作り、それをデーターに表す・・・私など想像もできない世界ですが、そうした科学の力は、地球を一つの生命体としてみる時、その生命体を破壊するもののように思います。

 また、近代科学の発展により精密な機械が作られ、大量の物質が生産され、また経済効力なども、科学的に計算されるなど、私たちは科学の力に魅了されてしまったようです。科学的というのは「普遍性」「論理性」「客観性」をもつことであり、それが最も大切なこととなりました。現実の生活世界、心の世界は、それは通用しないことを忘れてしまったかのようです。「こうすれば、こうなる」「こうなったのは、こうしたから」ということで全てが割り切れない。(「影響」はある程度考えられますが)色々と「相互性」がありますし。

 「働かないのは、学校へ行けないのは努力が足りないから、頑張らないから」と思う一般の人もまだまだ多いと思います。なかなか社会に出られない青年たちはひけ目を感じ「自分はダメな人間」と思ったり、「オリンピックに沸き立つ世界は別世界」と思ったり・・・ではないかと思います。

 繊細な人たち、真面目な人たちが科学の力を優先する現代社会の影響を受け、ついて行かれず、自己否定感が強くなったように思います。

 正社員で働く青年(大人)も過酷な労働を強いられている(長時間の残業、しかもその残業代を払ってもらえない)ことが多くなってきています。

 暗いニュースばかり目に付きますが、暗い気持で生きたくない。どう考えたらいいのだろう・・・

 ふっと、私が接する人たち、青年や親御さん、家族や友人などを大切に感じることかな、と思いました。そして、地球生命体の仲間、鳥や虫や動物(猫を飼っています)や草や木や、そして石ころや、風を大切に感じることかと思います。(行為を伴わないことが多いでしょうが)