2010/02/12

愛の欲求

  1月は活動開始が遅かったせいか、あっという間に過ぎ、もう2月です。梅の蕾も開き始めました。

 しばらく遠ざかっていた青年も、久し振りに青年の集いに参加できるようになり、また新しく来所した青年も仲間に迎えられ、割合自然に集いの中にいられたようでほっとしています。でも一方では、調子が悪くなり、12月、1月と参加がなかった青年もいます。なかなか連絡が取れない青年もいて心配です。

 親の会でも子どもの将来が見通せない、どう関わっていいか分からない――という話が多く出ます。私も、関わっている青年が、不安定な気持で苦しんでいるのを、どう関わっていいか分からず、考えると胸がひきしまるような感じがします。

 親の方達も、子どもの将来、自分がいなくなった後のことを考えると、どんなに不安を感じることでしょう。でも多くの方が、穏やかに話しておられます。私だったら不安でいっぱいになってしまいそうなのに。

 でも、とても苦しんでいる方もおられます。

 そうした苦しみはどうして起こるのでしょう。親としての子どもに対する心配、不安は当然ですが、それだけではなく、他の人、世間の人たちが、自分たちの親を、ダメな親と非難しているという、思いがあるからではないでしょうか。それが一層、苦しさを増しているように思います。人に認められたい欲求は誰にでもあり、その欲求が満たされず、認めてもらえないことが苦しさになってしまう。それは子どもを愛する気持を邪魔することになりかねません。

 どうしたらいいか、どう考えたらいいか・・・

 人間が生き続けるための欲求として、大きく2種類に分けられます。一つは生理的、身体的欲求(食欲、性欲、睡眠欲など)の一次的欲求と、それが満たされた社会での心理社会的欲求、心の欲求の二次的欲求があります。
 それが不足している場合を図示すると(宗像SAT療法)次のようです。

(図)

 そして、宗像氏は心の欲求を「愛の欲求」と呼び、(この欲求が充たされないと、恐れ、怒り、悲しみ、苦しみなどの二次的情動が生まれる)本質的欲求として3つの欲求をあげています。

①慈愛願望欲求(愛されたい欲求):他者に自分の欲求を無条件に充足されることで満足する欲求。

②自己信頼欲求(自分を愛したい欲求):自分で自分の欲求を充足することで満足する欲求。

③自分が他者の欲求を無条件に充足することで満足する欲求。

「人に愛されないと自分を愛することができず、自分を愛することができないと、人を愛することができない」という原則があります。

 親の方は心の中では「できれば子どもを無条件に愛したい」という気持はあると思います。でも、「子どもがひきこもってるような親はダメな親で社会、人からは認められない」と思って苦しみます。その苦しみは子どもを否定することになり、その思いは子どもに伝わり、子ども自身も自分を否定して一層動けなくなる――ことも考えられます。

 とは言え、私たち日本人にはまわりに合わせ、世間を気にする風潮がありますし、私たちは親に十分に愛され、認められてその欲求を満たして育った、と言える人は少ないと思います。

 では、どうしたらいいか…人から認められなくても、“自分を認め愛する”ようになるには、親の会などで分かり合える仲間の中で認め合う、ということも大事だと思いますが、自分が好きなこと、楽しいことをすることによって自分を愛することができる脳の仕組みがあります。そして自分を愛することができれば、人を愛する方向に向かうことができるでしょう。

  他者報酬追求型生き方と自己報酬追求型生き方

 「青年の思い」の中でも青年たちが言ってるように、青年たちも、「人から認められたい」「社会から認められたい」という思いが強く、傷つき易さもそうしたところから来てることが大きいように思います。競争社会の中で、人との比較に敏感になってるところもあり(繊細な気質もありますが)、不登校だったコンプレックスなどが強かったりして、なかなか自分を認められません。

 親や周りから十分に愛され、認められなかった、ということもありますが、近代社会・産業社会、生産をいかに多く効率よく行えるか、ということが期待され、他者からの評価が中心の社会の影響も大きいと思います。つまり他者報酬型生き方(他者報酬で、認められたい、愛されたいという心の欲求を充足しようとする生き方―SAT理論から)です。そこではどうしても人と比較してしまい、上には上もあり多くの人から賞賛される人はごく限られた人ですし、なかなか自分を認めるようにはなりません。

 他者からの報酬を期待するのではない、自己報酬追求型生き方(自分を愉しみ、他者を愉しむ満足感という自己報酬を追及する生き方)に方向を変えることが大切だと思います。現在は情報化社会に移って来ており、近代社会での他者報酬追求型生き方は行きづまって来ております。今の社会で他者報酬で生きられる人はごく少数ですし、それを求めることは、生き辛さにつながるように思います。生き方、方向を変えるのは、なかなか難しいと思いますが、そうしたことを2月13日(土)の「生きることを考える会」で話し合えればと思います。

(参考文献「SAT療法を学ぶ」金子書房)

 和田ミトリ