2008/01/01

あけましておめでとうございます

 「軽やかに歩いたり、スキップする自分になりたい。今は地べたをはってるような感じなので」とある青年は、私の問い「もし、どんな可能性もあるとしたら、どういう自分になりたいか」に答えました。
 今の社会は、実に重いことばかりです。働く環境、生活する環境も閉ざされている感じです。
 重い気持ちを持ちながら、必死に仕事をしたり、働くことに向けて頑張って生きようとしている青年たちが、少しでも軽やかな気持ちで過ごせるよう、今年も皆様と一緒に歩んでいきたいと願っています。


 苦悩と闘っている青年たち、仕事をしながらも、「みんなと同じように思うように働けない、自分はダメなんだ」と自分を責めたり、「会社では楽な方の仕事をさせてもらってるのに、きつく感じるし、職場の人たちとも殆ど会話ができず、きっと変な人間だと思ってるだろう。でも自分には仕事するしかない。先の見通しがなく不安だ」と言う青年。或いは、うつがひどくてエネルギーがないのに「働かない自分は社会的に認められない」と面接に出かけたり、または親からの送金が後半年位でなくなる。それまでに自活できるようにしないと、でも、空白の期間があって、面接でそれを聞かれるのがこわい」と言い、就労活動に踏み切れない青年・・・。

 そんな青年の苦悩を考えると、私の気持ちも地面の方に吸い込まれて行くような感じがします。青年の気持ちに共感するのはいいけど、同じような気持ちになり、それも何人かの気持ちを想像するあまり、自分の気持ちを落ちこませてしまっては何もならない、「私のできることをやるしかない」と頭では分かっているのですが・・・

 明るい穏やかな気分であれば、プラスのことが考えられ、積極的な関わりができる、もともと、うつになり易い気質を、明るい気持ちで新しい年を過ごしたい・・・今、そうなれそうな3つのことを思い起こしました。

 一つはSAT療法の宇宙自己イメージ法を受けた時の感覚です。ごく簡単に述べると、カウンセラーの言葉に導かれて、自分が原子、分子、素粒子になって宇宙に向かって行くイメージを、そして理想の宇宙のイメージ(宇宙のはじまり)を想い浮かべていく、「無数の星が輝き、粒子のあなたも輝いてますか」などの言葉かけに、だんだんと自分が粒子になって、まわりも同じような粒子がいて、様々な色の光を放ちながら、一緒に揺れているイメージが浮かびました。その時の気持ちは、明るく、開放的なものでした。そしてその時の自己イメージは「大らかで生き生きとした自分」でした。今もそのイメージを浮かべると心、胸の中がほのかに明るくなります。療法を受けた時ほど光いっぱいではありませんが。

 二つ目は、「青年の思い」の所にも載せましたが、I君との会話です。「今の職場が短縮されて、収入も少なくなる、でも転職するにも、もうすぐ40才になる年令、なかなか見つからない。働いているのに、生活費に足りない分を借金して、借金が増えていく」と言いながら、自分も、まわりも、社会も責めない――彼と話をしているとほっとします。
 辛い、苦しい時期(今もそんなに楽な精神状態ではありませんが)自分との闘いの時期、人と交わるのもしんどいと思いながらも、「交わらなければ何も変わらない」と思い、努力して交わりの場に出た、そうした中で、学ぶものに、自分を変える言葉に出会った――という言葉に感動しました。過酷な生育歴を持ちながらも、ただまわりのせいにするだけでなく、自分なりの努力、考え方を変えて行くことで乗りこえて来たのではないかと思います。
 自分の体験、世の中の変化などをプラスに考える――ということができる。そして、自分を認められるようになった――という変化。一時は苦しさのみを訴える時もありましたが、精一杯、自分なりに働いて来た、他の人とくらべれば、働く量や収入は少ないけど、働き続けてきただけでも、自分を認めて上げたい――という気持ちが胸に響きます。

 もう一つは、道草の家のクリスマス会に小学5年の女の子3人(不登校と不登校気味の子)が宮本さんに連れられて来た時感じたことです。
 パステル画を描きたい、とのことで自由に描いてもらいましたが、色彩豊かな、のびのびとした明るい絵、写生とは違う絵で、内面から出る創造力、想像力の豊かさを感じました。そして楽しそうに話し合っていて、私たちにも話しかけて来ました。明るく元気です。
 でも、学校には行ってない、行きにくい子どもたちです。宮本さんから話を聞くと個性や能力が強く、豊かで学校のクラスメートや先生などと合わない、コミュニケケーションがとれない、一斉の授業に合わないなどで学校に行くことが非常に辛いようなのです。学校にいる時とこのように自由に好きなことをしている時とは、全然違うそうです。大人しかったり、のんびりしていて集団行動がうまくできない、仲間にはいれない――などで不登校になる子も多いのですが、それとも違うタイプの場合もあるのだと感じました。

 学校に行かなくてもいい、家で自由にしていいとなると、本を読んだり、絵を描いたり、折紙、手芸などをしたり、のびのびと過ごせるそうですが、やはり友だちを求めていて、一緒に過ごすと実に楽しそうで、生きいきとするのを感じて、このままの明るさ、元気さそして生きいきした自分を大人になっても保ち続けてほしいと願わないではいられません。
 大人になるにつれ、萎縮してしまう人が殆どですが、自立、責任を伴う大人でも楽しく生きいき過ごせる筈――女の子たちから、明るさ元気さを貰いながら、彼女らしさをつぶさないで、生かして行かれるよう、どんな手助けをしたらよいのか、を探って行きたいと思います。

2008年元旦 和田ミトリ