2013/12/01

時間の流れ

 もう1ヵ月足らずで今年も終わろうとしています。

 本当に時間は早く過ぎていきます。子どもの頃はこんなことは考えなかった。過ぎた月日のことを考えたり、未来の月日のことを考えたりはしなかった――。それは多分、毎日楽しく遊んでいたからだと思います。もう何10年も前の私の幼少時期は勉強(成績)のことは、みんなあまり考えなかった、親も毎日の生活に追われて、子どもの勉強のことは、あまり頭になかったように思います。

 私の幼稚園、小学校の頃の思い出は友だちと(時には一人で)遊んだことです。大人になるにつれ過去のこと未来のことを考えるから、「楽しかった」ではすまない色々なことを考えるから時間が早く過ぎるように感じるのでしょう。「早く過ぎちゃうな」とか、「自分は一体何をしたのだろう」と思うと、「こういうことをした」とはっきり言えないような日々・・・

 でも体や心の苦しみを感じる場合は「こんな時間は早く過ぎてくれ!」と思うでしょう。私はそうした苦しみがなかった、とも言えるかもしれません。

 皆さんは、今年はいかがだったでしょうか。



 先日、青年の集いでコラージュをやる時に、雑誌をめくりながら、写真を見ていると、グレーがかった紫色の雲と白い雲が山なみの上に棚引いている写真が目にとまりました。「これだ!今日のテーマは”雲”にしよう」と思いました。でも雲の写真はあまり見つかりません。青年たちが雑誌から探してくれて、白く棚引く雲や白いむくむくした雲、日の光に反射する雲を見つけてくれ、それを組み合わせて貼ることができ(白い紙に)コラージュが完成しました。壁に貼り毎日眺めています。

 道草の家の西側の窓から、西の空が見えます。大きなビルがありますが、その両側に夕焼の空が見え、とてもきれいです。

 3、4年前、東京湾の向こうに夕日が沈むのがとてもすてきだ、と聞き、青年たちと50分位歩いて検見川浜に行ってみました。

 湾の向こうの低い山波(陸)の上に夕日が沈むのを、ゆっくり見ることができました。

 ちょうど、空低く雲が棚引き、夕日に映えて茜色に染まっていました。夕日が海に塔のように写り、波にキラキラするのもすてきでしたが、雲があることが、より美しく、自然の神秘さに感動したことを思い出します。その後も「また行ってみたい」と言いながら、のびのびになってますが、”来年こそは”と思ってます。

生き辛さ(私と青年たち)

 子どもの頃、若い頃のことをつい数年前のことのように感じたりしています。今来所する20代の青年(女性、男性)とは半世紀も年が違うんだな――改めて思います。半世紀も違っても私の子どもの感覚で関わってます。勿論「よく解る」というほどではありませんが、「かなり、ある程度解る」と思うことが多いです。

 それは「生き辛さを感じる」という点で共通なところがあるからでしょうか。私はどちらかというと、生き辛さを感じながら生きて来ました。青年たちの生き辛さはもっともっと強いものとは思いますが。

 「思ったこと、したいと思うことが”できない”」という実感が私にあることが、青年たちの思いがある程度解る――ということにつながるのでは、と思います。

 親の方たちから「自分は頑張って来た、頑張って働いて来たのだから、子どもも頑張れば働けるはずだ」という言葉を聞きます。

 私はあまり「頑張った」という記憶がなく、何回も挫折しましたが、頑張らず、(頑張れず)方向転換をして来ました。

 私の大きなコンプレックスは、人前で(グループでも)話す時、とても緊張して思うように話せない(全然話せない、話すことが浮かばない)――ということです。ちゃんと話したいと”思ってもできない”ことです。

 来所する青年たち、私の若い頃より表現力がある青年が多いです。私が「もっと自信を持ってもいいのに」と言いますが「いや、自信は持てない、まわりに合わせて話ができない」とか、「もっと気がきかないと」とか「会話が続かないのでは」などの答が返って来ます。”傷つき体験”があり完璧主義のところや気質的にも繊細なのだろうと思います。(私はそれほどではありません)

 私は思春期頃からコンプレックスを持つようになりましたが、それまでは無邪気に楽しく遊んでいた、という記憶があります。でも中学後半から反抗期になり、母の性格(完璧主義、支配的)もありますが、過保護、過干渉がとてもいやになりました。でもその気持を母に伝えられず、自分からあまりしゃべらない、(もともとおしゃべりではなかったのですが)そして”話すこと”にコンプレックスを持つようになりました。人前で話せない(高校の授業で当てられた時の声は「蚊の鳴くような声だ」と男子生徒に言われました)。特に社交的な場面では「どう言ったらいいか」「どう判断したらいいか」――表現力、判断力に強いコンプレックスを感じるようになりました。

 それでも色々活動して来たわけですが、著名な心理学者(波多野完治)の本「コンプレックス」という本を読んだ時、その中の「コンプレックスはエネルギーになる」という言葉に、「私はこれなのかも」と思いました。家庭にいる専業主婦だけの生活では私は「もんもん」としてしまうように感じました。

 そして、私には青年の多くが体験している学校での”いじめ”の体験はなく、また子ども時代に楽しく遊んだ体験があって、人生には楽しいことがある、楽しんでいいんだ――との想いが心の底に根づいている――ということが青年たちとの違いでもあるかと思います。

自己肯定感をとり戻そう

 青年たちには、これから”何10年”という”未来”があり、色々な可能性(自分に合ったことができる)があることを信じてほしいと思います。私はいつの間にか”何10年”ではなくなった――でもそれを気にしていても仕方がありません。今日、明日、来月、1年位先の計画を考えながら、”できること”をしたい、と思っています。

 青年たちも”できることをして行く”という積み重ねによって可能性が広がるし、ある程度の目標「こうなりたい、こういうことをしたい」に向かって少しずつ考えたり、実行して行かれれば、と思います。

 また、青年たちは、知的な能力、表現力、想像力を持っているのに自信がない、自己肯定感が低いと思います。「自己肯定感」をとり戻すには、育てるにはどうしたらいいか、どう考えたらいいか、一緒に考えて行きたいと思います。少しずつ、焦らずに。青年の集いや人間関係講座(来年も月1回開きます)で話し合いたいと思ってます。

2013/11/04

パステル画とコラージュ

  青年の集いでは月に2回位づつパステル画とコラージュの時間があります。

 パステル画は、写生でもいいし、何かを見て描いてもそのままでなく自分の色合いで自由に描いてもいいし、まったく具体的なものではなく、パステルの色を楽しむようなものでもいいし、また、自分の感情を表すようなものでもかまいません。「こういう気持を抱いているのだ」とはっとするものがあったり、様々な色で円を描きシャボン玉が飛んでいるような楽しい絵があったり、また緑色のグラデーション(水平に重ねていく)で、色々な草が生えている野原の広がりとも田んぼや森や遠い山波とも見えて、見る人が自由に感じていいものです。

 コラージュは雑誌の写真(すてきな服を着たモデルや雑貨や風景、植物や動物など)、とてもきれいですが、ありふれたもの、それを切り取って自由に白い紙に貼っていくのですが、その組み合わせは、楽しいものであったり、思いがけない、ハッとするものになったり、独特な雰囲気が、かもし出されます。ある女性は色々小さな物を買った時の箱や袋、シールなどを捨てがたく取ってあったのを大きな紙に貼りました。見ていても楽しいし、記念にもなります。

 パステル画もコラージュも、言葉にならないものを自由に表現するという自由さと、そして「一つのものができた」という達成感を感じられたらと思っています。

孤立無業について

 「孤立無業」という本を読みました。(玄田有史著 日本経済新聞出版社)

 仕事をしていない人で、他の人と交流がない人たちのことです。相談機関にも親の会にも来ない青年たちが何10万人もいると推定されてきましたが、そういう青年や親御さんたちはどういう気持ですごしているのだろうと、とても気になっていました。

 この本では総務局統計局が実施している「社会生活基本調査」とコンピューターによるアンケート調査からデーターを綿密に分析して、孤立無業の人たちの生活、その姿を写し出しています。

 「孤立無業」とは「20才以上60才未満の在学中を除く未婚無業のうち、ふだんずっと一人か、家族以外の人と交流もない人々」を指しており、その数は2011年には2000年の2倍、162万に達していると書かれています。そして60才未満未婚無業者の約6割を占めている。

 「家にいて誰とも交わらない生活を本人が選んでいるのだから認めて受け入れよう」とか「もう大人なんだから本人の問題だ。本人が決めるしかない」という親の言葉も聞きますが、本当にそうなのだろうか――と疑問に思って来ました。

 この本の分析によると孤立無業者はゲームに熱中しているわけではないし、ネットを通じた検索や情報収集を積極的にやっているわけではない――という姿です。

 そして「孤立無業になることも本人の選択もしくは自由ではないか」という第3者の疑問に対しては「孤立無業を好き好んで選んだ場合ばかりではなく、孤立していない無業者にくらべても精神的に不安定な場合が少なくないし、自由な時間を趣味や関心事に没頭しているということもあまりない」と答えています。

 「孤立無業を自由に選択した生き方とは、望んだものとはほど遠い」と思われます。私が電話で受けた相談では「子どもは、買い物など外に出るので、ひきこもりではない。だからひきこもりの居場所には行かない、と言っている」と言う親御さんもいました。「他人と交わっていないが外出はしているのでひきこもりではないと思い、そのうち働くだろうと思い、10年がすぎてしまった」と言う方も。

 道草の家に来る青年はしばらくはゲームなどして家にいましたが、仲間がほしい、仲間と話したい、悩みを聞いてほしい」などの想いで訪れます。「自分はひきこもりではない、だからそうした居場所には行かない」という青年の方がずっと対人恐怖が強いように思います。

 では、本人も親もなぜ積極的に支援を望まないのでしょうか。それは多分「普通の道、社会に出て働くという道からはずれてしまった。こうした人間を社会は受け入れないだろう」という自己否定感、そして諦めが強いのではないかと思います。

 そして、親ごさんもそうした気持と共に、「子どもを否定したくない。こどもが選んだものとして、このまま受け入れよう」という思いも起こるのではないかと思います。自分も子どもも責めたくない・・・

 ここで著者は「孤立無業は社会の病理なのだ」と言い切っています。体の病気などは、医者は病気になった患者本人を責めるのではなく、病気そのものを治そうと努めます。同じように「孤立無業」も社会の病理として社会全体で支援して行く必要がある――同感です。

 孤立化は日本の社会全体に広がっています。訪問支援(アウトリーチ)は非常に難しく専門的な知識や体験、関わり方の習得が必要です。そうした専門家の養成が急がれます。できれば、同じような体験をし、それを乗りこえた若者が、養成されるといいかもしれません。

社会の受け皿を

 アウトリーチの実践と同時に独立無業の人たちが「外へ出たい」と思った時に、意欲を持てるようにするには、社会はどういう受け皿を用意したらいいのでしょうか。

 道草の家はスタッフや仲間との交流の中で(心のことを話したり、楽しい活動もしたり)「人間信頼」を取り戻し、コミュニケーションの力をつけ、自分の生き方を考えられる、社会(職場、学校など)に出るためのワンステップの場として活動してきました。その中で、アルバイトを始めたり、就労に取り組む青年もいました。(直接、仕事を探してあげることはしませんでしたが)

 でも、新聞やNHKクローズアップ現代でとりあげられた秋田県の小さな町、藤里町の取り組みが、非常に印象的です。社会福祉協議会の綿密な調査によって現役世代(18才~54才)の8.7%がひきこもりかそれに近い状態と分かり、どうしたら、その人たちが外へ出るようになるか、を考えました。最初は「楽しいイベントだったら」と用意したのですが、誰も来ません。そして介護ヘルパーの研修会を開いたところ、大勢が参加しました。その後、役所の一角に居場所にもなり、働く場にもなる食堂を開き、自分達で運営するようになり、また、地域の特産物の通信販売も始めたとのことです。

 やはり、若者は、人は、何かの役に立ちたい、社会で仕事をしたい、という思いを持つことが多いのではないでしょうか。表面的な諦め(自分なんか社会に受け入れられない)の奥に「自分ができることがあればしたい」という気持があるのではないでしょうか。

 しばらく孤立無業であっても、社会は受け入れてくれる、自分が役に立つ場がある――という思いになるような「受け皿」働き易い職場やそれを探し易いシステムの充実が大切だと思います。

2013/10/01

虫の声、鳥の声

  9月も下旬まで猛暑が続きました。でも蝉の声に代わって夜は虫の声が賑やかになりました。昼間は鳥の声がよく聞こえます。青年が「鳥の声が聞こえますね」と言いました。「昼は鳥の声、夜は虫の声よ」と答えて、道草の家は季節の移ろいが感じられます。

 夏の蝉、初秋の虫・・・短い命ですが、次世代(来年)に受けつがれると思いました。でも、「いや、来年は大丈夫だと思うが、ずーっと、というわけには行かない」という疑問も起きました。

 地球の温暖化によって、猛暑も洪水も起きる、南の小さな島では海面が上昇して、人が住めないくらい小さくなっています。それは、人間があまりにも”熱”を使う生活をするようになったからだと思います。

――時間――

 先日、青年たち(男女)と画廊巡りで、青年の一人が選んだ「日本民藝館」に行きました。民芸品――名もなき人々が作った手作りのもの、素材は布、木、鉄、陶器、石など――様々なものが展示されていました。

 その中にこまかく織りこんだ、刺繍をした、大きな布がありました。小さな説明書を見ると「男性腰布○○民族、20世紀」とあります。(日本のものは、17、18世紀が多い)「あ、今も時間をかけて、何日も手で織ったり、刺繍をしているのだな。”早く”とか焦ることなく・・・」と思い、その光景が目に浮かびました。ゆったりとした時間の流れ・・・。

 一方日本ではリニア新幹線――東京名古屋間が40分――の着工計画が明確となり、途中の停車駅も決まり、20??年には竣工というニュースを見ました。そして、停車駅がある市の市長は「どんな経済効果があるか」と嬉しそうにコメントしてました。

 先月号でも新幹線の速さについて述べましたが、何のためにそんなに早く目的地につかなければならないのでしょうか。1964年のオリンピックに合わせて作られた新幹線が開通した時、「名古屋から東京に仕事に行っても日帰りできる」「でもかえって忙しくなる」というようなことを聞きました。完成まで20年(?)位かかるとのことですが、「オリンピックに間に合わせろ」という声も聞かれます。

――地球は一つの生命体――

 そんな時、「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の監督、龍村仁さんの講演を聴く機会がありました。独特の思想がこめられたオムニバスドキュメンタリー映画。第一章を見てとても感動しました。4章まで見た記憶がありますが、遠のいてしまって、もう第8章の撮影にとりかかっている、という話にはっとしました。

 あの時の感動をもう一度味わいたい、でも自主上映の映画、すぐにはかなわない。著者の本を読みました。「地球(ガイア)をつつむ風のように」という本ですが、最初のページに「ガイア理論」として次のように書かれていました。

 「太陽系の第三惑星である地球は、それ自体が一つの大きな生命体としての仕組みをもっており、我々人類はもちろんのこと、動物も虫も草も木も風も岩もすべてが有機的につながった大きな生命体として、35億年の歳月を生きつづけている」その一つの例として、地球の大気は、どの場所に行っても酸素の比率がおよそ20%に保たれていると述べられ、まさに地球が一つの生命体と考えられる証拠、納得しました。

――近代科学――

 でも、温暖化の影響は日増しに大きくなっているように感じます。それは、人間が科学の力で、自然をあまりにも操作したからだと思います。

 科学の力で(コンピューターで)綿密な計算で考え、作りあげる。新聞の記事に、ある科学者が、原発事故に関して、「1秒ごとのデーターは公開されているのに

1/100秒のデーターは公開されていない、おかしい」でもその後「1/100秒のデーターが公開されて、それを見てやはり○○○が破損されているのが分かった」という言葉が載っていました。

 1/100秒の変化も影響するような機械を作り、それをデーターに表す・・・私など想像もできない世界ですが、そうした科学の力は、地球を一つの生命体としてみる時、その生命体を破壊するもののように思います。

 また、近代科学の発展により精密な機械が作られ、大量の物質が生産され、また経済効力なども、科学的に計算されるなど、私たちは科学の力に魅了されてしまったようです。科学的というのは「普遍性」「論理性」「客観性」をもつことであり、それが最も大切なこととなりました。現実の生活世界、心の世界は、それは通用しないことを忘れてしまったかのようです。「こうすれば、こうなる」「こうなったのは、こうしたから」ということで全てが割り切れない。(「影響」はある程度考えられますが)色々と「相互性」がありますし。

 「働かないのは、学校へ行けないのは努力が足りないから、頑張らないから」と思う一般の人もまだまだ多いと思います。なかなか社会に出られない青年たちはひけ目を感じ「自分はダメな人間」と思ったり、「オリンピックに沸き立つ世界は別世界」と思ったり・・・ではないかと思います。

 繊細な人たち、真面目な人たちが科学の力を優先する現代社会の影響を受け、ついて行かれず、自己否定感が強くなったように思います。

 正社員で働く青年(大人)も過酷な労働を強いられている(長時間の残業、しかもその残業代を払ってもらえない)ことが多くなってきています。

 暗いニュースばかり目に付きますが、暗い気持で生きたくない。どう考えたらいいのだろう・・・

 ふっと、私が接する人たち、青年や親御さん、家族や友人などを大切に感じることかな、と思いました。そして、地球生命体の仲間、鳥や虫や動物(猫を飼っています)や草や木や、そして石ころや、風を大切に感じることかと思います。(行為を伴わないことが多いでしょうが)

2013/09/01

変わらない古里

  8月下旬、福島市で開かれている「若冲が来てくれたプライスコレクション江戸絵画と生命」を見に行きました。

 アメリカのコレクターが震災の被害が大きい東北3県だけで開く、ということで、また福島の実家にも寄れるということもあり、2日間でしたが、凝縮されたような旅を体験しました。

 まず、東北新幹線、車窓からは緑の田んぼが広がっているのが見え、ほっとした気分になりましたが、東京から福島まで1時間20分、「こんなに速いのでは旅を味わう余裕もない」と思いました。とは言え、私は一番短時間の列車を選んだのですが。昔、学生の頃、東京から名古屋に帰る時、急行券がもったいないと思い、鈍行に乗ったことを思い出しました。急行では7時間でしたが、途中、浜松で降りたりして10時間位かかったと思います。

 美術展は全部で100点。墨絵もありましたが、色鮮やかなものが多く、おおらかさを感じ、また、屏風絵(2対)はとても大きく、とりわけ若冲の「鳥獣花木図(花も木も動物もみんな生きている)」は圧倒されました。

 さて、福島の田舎の小さな町、9才まで過ごしたのですが、その時の思い出、記憶を確かめたいと思いました。森の中の神社、お祭りは夜で、両わきにローソクが灯っている石段を登って行った記憶、とても楽しかった――その神社を探しまわりましたが、見つかりませんでした。神社は沢山あったのですが。

 でも、私が通った小学校の空地を通った時、こんなに狭かったのか、と驚きました。コの字型に校舎と講堂が並び運動会をする運動場も広かったように思います。

 また、姪の車で、白河市近くの老人ホームにいる姉に会いに行く途中、私の生まれた村を通ってくれて、「ここら辺よ」と教えてくれました。周りは低い山並に囲まれて、緑の田んぼが広がる中に、小さな森と数軒の家がかたまっているのが何箇所かありました。「昔と今、変わってないかもね」と話し合ったことでした。

 姉は6才上ですが、子どもの頃のことはよく覚えていて、「みんなパンツ1枚で裏の川に泳ぎに行った」など話してくれました。私も、川でよく泳ぎ、川辺の砂で落とし穴を作ったことを思い出します。

 実家は福島県の南の方の山あいにあり、放射能の数値も低く、のどかな雰囲気で、子どもの頃とそんなに変わっていないことを感じた旅でした。

所属欲求、承認欲求

 でも、日本の社会は70年前と、いや4、50年前とも大きく変わりました。生き辛さを感じる人が非常に増えた、と思います。日々それを感じます。私が関わっている青年も、また情報として見聞する中でも。

 社会(学校や職場など)に出られない青年たち(居場所に来たり仲間と話せる青少年と、他の人とは話せず――買物など外出することもありますが――殆ど自室ですごす青年がいます)と関わりながら、「なぜそうなったのだろう」「どうしたらいいのだろう」といつも考えているのですが、先日、なの花会の講演「なぜ若者はひきこもるのか」を聞いて、「そうなんだ」と思いました。動物と人間の違い、昔と近代社会、現代社会の違いが、私たちに生き辛さを生じさせている、のだと感じたのです。

 類人猿と分かれて、狩猟時代になると、動物と違う文化が生まれ、人間の本質として「所属欲求」「承認欲求」「利他性」を持つようになりました。

 そして、狩猟時代、農耕時代は、親が働くのを手伝い、真似することで、自分で生きる力をつけて行く、――そこでは、家族や、まわりの人々、共同体によって所属欲求や承認欲求が満たされました。

 でも、近代社会、産業化社会になると、技術、知識を学ぶことが必要になり、学校教育が始まりました。また、社会も複雑になり、社会規範も覚えなければならない、学校では、色々個人の差があるのに同じスピードで、――ということについて行かれなかったり・・・。特に高度成長時期になると、”競争”させられ、そこでは、所属欲求も承認欲求も満たされにくくなりました。

 そして、中学高校ではクラスの中にグループが作られ、そのグループから承認されることで(ひたすら、グループの人たちに合わせることで)、承認欲求が満たされる、でも合わせられない子は、グループに入れない子は、辛くて不登校になってしまう・

・・ということになってしまったと思われます。職場でも、競争や効率主義に乗れない者は認められない・・・

 社会も親も数値の大小で評価する傾向になって来て、ゆったりとその子にあった育て方が出来ない、家族の中の所属欲求、承認欲求も満たされにくくなり、グループ、集団からの所属欲求、承認欲求を強く求める。でも、満たされない・・・そうしたことが私たち、青年たちを生き辛くさせている――と思います。



 では、どうしたらいいのか。一度不登校になったり、ひきこもったりすると、そういう自分を人は社会は、認めないだろう、という思いが強くなるわけですが、親や支援する人が、「認めているよ」というメッセージを常に送ることでしょうか。

 親自身も、(私もですが)人間不信にならないよう、自分を解放したり、癒したりする時をもつことも。動物にない人間の素晴らしさもあるはず。美を、芸術を生み出し、それを鑑賞する力が、歌う力があります。また、先に述べた、利他性――「人の役に立ちたい」という思いを持つことも。

 私もしばしば「失敗したかな」と落ちこむこともありますが、それも”心”を持つ人間だから――と思い直し、”できるだけのことをすればいい”と思ったりしています。

2013/07/02

  7月の上旬の猛暑、下旬の豪雨(全国各地で、また都会でも川が氾濫)、自然の厳しさを感じます。森が破壊され減少しているのも影響しているかもしれません。

 でもまた、道草の家の窓からは草や木、笹竹が緑に茂り(手入れしてないのですが)、黒揚羽蝶が飛んでいるのが見えたり、蝉の鳴き声もして、自然の営みを感じます。自然が月々に訪れて来てくれます。先日はもう赤とんぼを見ました。

 私は幼少時代を田舎で過ごし、蝉やとんぼをつかまえたり、蛍をつかまえてカヤの中に放ったり、自然を身近に感じてすごしたので、自然の移り変わりを懐かしむ気持がありますが、都会で育った今の若者はどう感じるのでしょう。

 窓の外、緑の中の黒揚羽蝶を見つけたのは青年でした。

「『助けて』と言えない、孤立する30代」を読んで

 この本は衝撃的でした。数年前にNHKのクローズアップ現代でアパートでの孤独死(餓死)やホームレスの30代の男性について取り上げたのを見た記憶はありますが、深く考えずに過ぎていました。

 この本の中の「助けて!」と言えない30代の人たち――今ひきこもりの状態にある青年たち(様々な状態があり、外にでたり、仲間と一緒に過ごしたりする場合もありますが、働いていない、学校に行ってないなど社会参加をしてない)のことを考えないではいられませんでした。重なる部分、つながる部分があるように感じるのです。

 アパートで「助けて」と一言書いた手紙を横に置いて餓死していた39才の男性――なぜ、実際に「助けて」と言えなかったのか、NHK北九州支社のディレクターたちが、その疑問を解きたいと思い、北九州市でホームレスの支援活動をしているNPO法人の代表と一緒に行動しながら取材した記録です。

 路上で寝ているホームレスの人たちの中で30代と思える若い男性に「寝る所はある、仕事も一緒に探そう」と声をかけるのですが、一回では応じない。テレフォンカードと支援者の電話番号を書いたものと1000円を入れた封筒を渡す――でも後で電話して来るのはほんのわずかだそうです。

 でも支援の言葉に応じた男性にその気持を聞くと「こうなったのは自分のせいだ、自分の努力が足りないからだ。働いていないことは親にもいえない」と言います。

 「助けて」と言えない世代。競争に勝ち、努力すれば、いい会社にはいれ、いい結婚ができる」と言われ、それができないのは、努力が足りないからだ――という“自己責任”を問われていると感じてきた世代。「助けて」と言えないのは、「助けて」と言わせない社会があるからだ――と著者(ディレクター)は言います。

 でもまた、親にも友だちにも、それが言えない――のは親子の関係も友人関係も、”困っている時には助け合う”という関係ではなくなった――のでは、と思われ胸が重くなります。

 プライドもあるのでしょう。「働いていない」とは親には言えない、食べ物も寝る所もなくなっても――

弱さを認め合えない社会

 さて、ひきこもっている青年の場合、親とよく話す場合もありますが、あまり話さない、全然話さない、そして、外へ全く出ない、買い物などには出る、居場所に行く、仲間で話したり、遊んだりする――など、様々な状態があります。親に暴言を吐く、親に自分の不安を訴える――なども。

 ある週刊誌には「働かない、家を出ない、そして親のカネをあてにしているわが子へ」という題で、働かずに家にいる40代の子どもをどうしたらいいか――について、色々な人が意見を述べています。親子の共依存、甘え、という言葉もありますが、私は、彼らが”働かない、働けない”のは、10代での不登校、大学を出たとしても、それが精一杯で働けなかった青年たちは、その時点で、「自分は学校にも行けない、働くこともできない、”自己責任”を果たしていない人間なのだ」と、はっきり意識してはいないが、深く感じ、傷ついているのだと思います。

 30代でホームレスになった青年は、20代は実家から出て他の都市に出て就職し、ともかく働けた。でも解雇などで職と住居を失ったまま、家に戻れないでいる。

 私が関わったり、親の方から聞く青年(勿論、男女)たちは、他人がこわい、働く場での人間関係は一層こわい、という面が強く”甘えている””怠けている”のとは違うと思います。やはり、失敗したり、困った時にそのことを言えず、「助けて」と言えない。

 学校でも、友だちは競争相手であり、助け合う仲間ではなく、いじめにあっても親に言えなくて、我慢に我慢を重ねた結果、登校できなくなった時は、深い心の傷になっています。

 中・高校ぐらいで不登校になった青年(来所する青年に多い)は、その時点で「社会は厳しい、自己責任を問う所、自分は社会からは認められない人間になってしまった、将来のことは考えられない」と漠然とでも思ってしまうのではないでしょうか。ある青年は、高校で不登校になった時、教師から「高校位出ないでは、人生も終わりだ」と言われた、と言ってました。

 また、中学で不登校になり、高校受験をしようと思ったが、とても辛くてできなかった、という女性はその頃から「窓が少しでも開いていると、外から何か恐ろしいものがはいって来るようで窓はちょっとでも開けていられない、カーテンも閉めたままだ」と言います。「でも、道草の家はすぐ近くに家や道路がなく、窓を開けていても緑の木や草しかみえないので落ちつく」とも。

 親の会での話しにも「自室の窓は雨戸もカーテンも閉め切ったままだ」ということをよく聞きます。外へ出られない青年にも、時々出られる青年にも、また仲間とは一緒にいられるようになった青年にも、「自分は社会から認められない人間だ」というような絶望感。諦めのようなものを感じます。

 一旦、一般社会のレールからはずれると、自己責任という言葉のもとに、自己否定間が強くなり、前に進めない青年たち。弱さを認めない、少数派を認めない社会とは何なのでしょう。生きるとは何なのでしょう。生きる意味とは?・・大きな課題です。

2013/07/01

緑の広がり

 今月の画廊巡りは佐倉市にある川村美術館に行きました。

 千葉駅から成田方面の電車に乗りかえると、車窓からは次第に緑の広がりが見えました。田んぼの苗が緑に輝き、風に小さく揺れ、遠くまで続いています。千葉にもこんな田んぼがあるのだと改めて思いました。青年たちも「わあ、きれい!」と思いがけない風景に感動したようです。佐倉駅から美術館に行くバスの中からも緑の田んぼが広がって、所々に濃い緑の森が見えました。

 館内はコレクションの展示と企画展(彫刻、立体)がありましたが、一つ一つの絵の前に立ち、作者はどんな思いで描き、何を表そうとしているのか、と(特に抽象画)思いました。縦3m横5m以上もあるカンパスに、殆ど赤一色で塗りこんだ絵、ただペンキを一色で塗ったものとは違う、微妙な色の変化、深みはありますが、作者は仕上げるまで何回も何回も色々重ねて「これが描きたいものだ」という思いに至ったのでしょう。そして達成感を感じたのでしょう。或いは「まだ十分ではない」と思いながら、一応の完成としたかもしれません。

 こうしたことから思うのは「描きたいものがある」「したいことがある」それに没頭できる。「これが自分が生きることだ」と思える「生」に羨ましさを感じます。勿論、自分の思いがなかなか表現できない苦悩はあるでしょうが。

 大多数の人はこうした芸術品を見て、感動して、何らかのエネルギーをもらう、或いは気持を解放する、ということなのでしょう。

美を求める

 でもまた、人間は動物と違って、何かを求めながら生きている。”美的なものを求める”のも人間の本質かもしれません。

 先日、テレビ番組で見たのですが、日本人がアフリカのある国を訪れた様子を映していたのですが、女性が数人並んで座り、色鮮やかな糸を組み合わせ、複雑な模様で、首のまわりにつける広い襟のようなものを編んでいました。そして、様々な模様の首飾り、頭飾り、ブレスレットなどを身につけていました。取材していた旅人に一人の女性が「編んであげる」と言って、すぐにブレスレットを編んで、手首にはめてあげていました。

 その楽しそうな表情、女性たちの幸せそうで満ちたりた笑顔が忘れられません。

生き辛さ

 同時に、関わっている青年たち、親ごさんたち(会ってはいないお子さんのことも)の苦悩を思い浮かべます。

 コンピューター機能が高まり、「ビッグデーター」とかで何でも(?)分かってしまう・・・便利ではありますが、怖さを感じてしまうのは私だけでしょうか。

 ついていかれない――文明がこんなに発達したのに貧富の格差は大きくなっています。そして、「働く場がない」という若者と「働くのがこわい」という若者が増えています。また不登校の小学生、中学生、高校生も増えています。

 私たちはどうしたらいいのでしょうか。

 細やかなことですが、道草の家で開いた訪問支援ボランティア養成講座を受けた青年が、不登校の小学生を訪問し、一緒に遊んだり話をしたりしています。

 これからも、訪問支援や傾聴ボランティアの養成講座を開き、少しずつでも活動を広げたいと思っています。また、一般的にも、「よりよい人間関係を形成する」ことと通じることだと思いますので、そうした講座を秋から開きたいと考えています。

気質について(親と子の気質)

 なかなか子どもの気持が分からない――という親の方も多いのでは、と思います。一生懸命愛情を注いで育てて来たのに、不登校になったり、ひきこもったりして、人の中に、社会に出られない――なぜだろう・・・と親子で思い悩む方もおられます。

 青年たちと、そして親の方たちと接する中で、この頃感じることがあります。育てる過程で、子どもが行き易いように、という思いで「こうしたらいい」とか「こうしなさい」とか「こういうことが、人との関係で大事」などと言ったりします。子どもは親に認められたいし、愛されたいし、守ってもらいたい気持で、親の期待にそうように努力します。

 でも、親と子とで気質が違えば、親にとって生き易い生き方、楽な人間関係も、子どもにとっては、生き辛さになったり人間関係に悩むことになったりします。

 たとえば、親が外交的な気質で不安気質があまりない場合、”人に合わせる”ことはそんなに負担でなく、人間関係もスムーズに行く――ということがあり、子どもにも「人に合わせた方がいい」と言ったり、そういう親を見て、子どもは親の期待にそいたいと思い、人に合わせることに努力します。でも繊細で完璧を求める気質であると、うまく合わせることが負担になり、家の方が居心地がよく、家にこもりがちになります。主体的に人と交わる力を培えなったり、合わせられない自分を否定的に感じたりします。

 或いは、子どもが繊細で感受性が強く、色々なことを感じてしまう――に対し、親がおおらかで、細かいことをさほど気にしなかったり、また”頑張る”強さを持っていたりすると、「何で頑張れないのか」とか「そんなことで」など言いがちです。子どもの気持をなかなか理解できない。子どもは子どもなりに頑張ってもできなかったのであり、傷ついているということが分かりにくい。

 親が分からずや、とか、子どもが頑張らない、とかではなく、親と子の気質の違いが、すれ違いを起こしていることが多いのではと思います。

 道草の家に来る青年にも「気質のチェック」をしたりしますが、自分の気質の特性を知ることで、自覚することで、その辛さの一つの要因、例えば完璧主義にはまらないように少しずつできるようになっています。

 親の方も、自分の気質を知り、子どもの気質を想像して、双方を理解ができるようになってもらえれば、と思います。(親の会などで気質を調べたいと思います)

2013/06/04

森と農業

 森の中で働く――男だったら――ことを夢見ます。

 なぜ?・・・幼い時過ごした福島県の田舎で友だちとよく森の中で遊んだことを思い出すからかも知れません。杉などの茂った森へ友だちと遊びに行き、こわい話(天狗の)をしたり、少し離れた所にある(所有地の)林に姉や母と枯木を取りに行ったり(風呂を炊くため)、蚕にやる桑の葉を採りに行ったことを思いだします。その時食べた赤く実った桑の実のおいしさ!甘さ!――その頃は戦時中、お菓子などありませんでしたから。

 そして、そこから眺めた下方の町並みの向こうの低い山並・・・山並の向こう側には何があるのだろう。自分たちの町と同じような町があるのだろうか、自分たちと同じような人々が暮らしているのだろうか――と思ったことを覚えています。日本という国のことも、他の国々のことも、地球のことも知らずに。広い世界があることも知らずに。

 でも、そうした幼い頃は、「人が悩む」ということも知らずに無邪気に遊ぶ楽しい日々でした。

 9才で名古屋に来てからは、大家族から養父母と3人の生活になり、さびしさを感じましたが、夢に出るのは兄弟など大勢で過ごした広い家の様子や友だちと遊んだ野原や森や林でした。

 さて、私にとっては懐かしい森や林が、日本国土からも、世界(地球)からもどんどん減って行っていること、このままでは生物は生存できなくなることを宮脇昭先生の著書「森の力」を読みながら(うすうすは知っていましたが)、その切実さを改めて知りました。

 そして、森と同じように農業も、地球の自然環境にとって重要であることも知りました。(「農から環境を考える――21世紀の地球のために」) 

 食料の自給率が30~40%だということも聞き、輸入ができなくなったらどうなるのだろうか、と心配でなりません。

 私たち生命あるものを支える自然環境、それはきれいな空気と水と土であり、それを保つのは森林であり、農業生産であること・・・宮脇先生は、沢山のポット苗(広葉樹の実を埋めて苗を作る)で世界中に森を作っているそうですが、今は行動できませんが、いつかそうしたことがしたい、と夢見ています。

国民性と心の苦しみ

 今の社会状況、そして思うように生きられず、悩み苦しむ青年たちと親の方たちのことを考えると、様々なことが押し寄せてくる感じで、整理できず、方向性も定かでない・・・

 親にも心を閉ざし、殆んど自室にいる場合、「どうしたいのか」「どうしてほしいのか」も分からぬまま、「本人がこれを望んでいるなら、それを受け入れてあげるべきでは?」と思い悩む親の方も、また「子どもを愛情こめて一生懸命育てたはずなのに」と思う方もおられます。

 生来の気質や、育つ環境(人間関係)、様々なことが重なって、今の状態になるわけですが、イギリス人と日本人について書かれた本を読んで、日本人の国民性もあるのでは、と思いました。日本人の心は複雑です。シンプルに生きられない。シンプルに生きられたら、ひきこもることも、悩み苦しむこともないと思われます。

 日本人の国民性(みんなが、というわけではありませんが)、真面目、完ぺき主義、協調性、我慢強い、頑張る――などがあげられると思います。

 農業が中心の生活だった時代は、お互いに助け合わなければならず(例えば、田んぼの水を上から順番に流していく)、また、文化が緩やかだった頃はこれらの気質が生かされたと思います。でも高度成長の時期にはこれらに”競争心”が加わって「みんなに遅れてはいけない」さらに、頑張ることが要求され、優しく繊細な子はその波に乗れずに、不登校やひきこもることになって行きます。

 でも、”人並みにならなければ”という思い、人並みになれない自分を責める・・・人並みに働いて仕事を持って安定した収入がある生活・・・でも、長く社会から離れていると、ほど遠い・・・友だちは医者になったりしているのに・・・

協調性、完璧主義

 親は子どもに幸せになってほしい、と願います。「いい学校」「いい就職」「いい生活」を願ったり・・・

 人から「いい子」「いい人」だと思われることを、そのような生き方をして来た親は、子供がそうなることを求めたりします。子どもは親に認められたいし、優しく、守ってくれる居心地のよさに、親の求める”いい子”になろうとし、他の人の中でも、そうなることを努力します。親は外向的な性格で、”いい人”であることが、そんなに無理でなくても、子どもは内向的で、繊細な場合、無理しなければならず、人に合わせる生活に生き辛さを感じるようになる。そして、自分にひきこもりがちになったり、そういう自分(人とうまく交われない)を責めたり・・・に陥る。

 真面目で完璧主義――も、社会に出ていないことのコンプレックスから必死に「完璧にやらなくては」「常識をわきまえていなくては」という思いが強くなり、そうできない自分を責める、ということも。

頑張ること・・・

 不登校になったり、ひきこもったり(働かない)することは、頑張りが足りないからでしょうか。私はむしろ真面目で頑張ったから、無理したから、不登校になったり、外(社会)に出られなくなったのだと思います。また、頑張る目標が以前のようにはっきりしなくなった、ということがあるかもしれません。これ以上、経済成長をし、生産性を上げることは、地球環境の悪化につながることを、青年たちは(ひきこもっていない青年も)無意識に感じてるかもしれません。

他と違ってもいい、自立

 イギリス人と日本人との大きな違い、イギリスでは人と”違う”ことを当たり前と思い、むしろ”違う”ことが評価されます。そして子育ての目標は”自立”させることだとはっきりしています。

 日本では、真面目がいい、頑張ることがいい、人にいやな思いをさせてはいけない、迷惑をかけてはいけない――などを、繊細で感受性が強い青年は、敏感に感じとってしまい、今の社会では生き辛くなってしまうのだろうと思います。

 感性も知性も豊かなのに、社会からは、はずされている、という思いになり、社会に出る意欲を失くしている面があると思います。

 生きる力、自立の力をどうつけて行ったらいいのでしょうか。まず第一に「自己肯定感」が持てることだと思いますが、それにはどうしたらいいのでしょう。「高い目標」に向けて頑張るのではなく、今できることを精一杯やることだと思います。それを続けて行く。親もまわりも、そういう思いで接することではないでしょうか。

2013/05/01

季節の巡り

  街路樹もすっかり黄緑の若葉におおわれ、また低いつつじの生垣も黄緑の中に鮮やかなピンクの花を咲かせています、家々の庭も様々な色の花が心地よさそうで、晴れた日は外を歩くと軽やかな気分になります。東北の被災地も津波にもめげず生き残った桜の木がうす桃色の花を見事に咲かせているのをテレビに映されていました。(また原発事故の福島でも)。そうした自然の営み、自然は生きているのだ!と元気づけられる感じです。

 一方では靖国神社の参拝のため、国会議員がぞろぞろぞろぞろ歩いている姿をテレビで見ると「一体なんだろう」と心が重くなります。太平洋戦争は一方的に日本が始めた戦争であり、韓国、中国を巻きこみ、東南アジアの島国を日本とアメリカの戦場としたことは責任は大きいと思うのですが、これを”侵略”とすることは”自虐的”だからよくない――と今の政権は言っています。また「主権回復の日」式典も行われ、沖縄の人々のことはまったく考えないのか、と不思議でなりません。

 そして原発についての対応を見るにつけ、現政権の人たちは、思考力、想像力が乏しいと思えてなりません。目先のことしか考えられない。「原発がなければ停電が起きて困るではないか」と閣僚がテレビで言ってましたが、原発の廃棄物の処理は何百年、何千年とかかる(それ以上かも)そうで、それを想像したら未来の人のために、原発はやめるべきだと思わないのでしょうか。

スローシティ

 先月、青年たち(女性3人男性1人)と画廊巡りに行きましたが、その時、集合時間が来ても来ない青年から携帯に電話があり、「今から用意して行くので1時間位遅れる」と言って来ました。私は1時間も遅れるなら、先に行ってもいいと思い、集まっている青年たちにそう言ったのですが、青年たちは「1時間待ってもいい」と口々に言います。私は「そうなんだ、時間の決まっている所に行くわけではないのだから、待ってもいいはず」と思い、青年たちの優しさを改めて思いました。

 私は友だちと待ち合わせる時、5分、10分の遅れもいらいらしたり、「時間を間違えたのでは」と思ったり、”時間”に捕われた生活をして来たな――と思いました。待つのも、話したり、考えたり、感じたりしていれば無駄な時間ではないはず。

 そんな時、「スローシティ」という本に出会いました。スローフード、スローライフ、という言葉は聞いていましたが、それほど関心はなく過ぎており、「世界の均質化と闘うイタリアの小さな町」という副題に魅かれました。先月号にテレビの「小さな村イタリア」がとても好きだ、と書きましたが、それに通じるものがあるのでは、と思い、買い求めて読みました。イタリアには「スローシティ連合」(人間サイズの、人間らしい暮らしのリズムが残る町のネットワーク)がある。それは「グローバル化社会の中で、人が幸福に暮らす場とは何かを問い続け、町のアイデンティティをかけての闘い、挑戦」そして「美しい村の風景とは何か――大地とつながっている、という感覚を暮らしや町づくりに浸透させていくこと」と書かれています。

 私たちは、あまりにも進歩、発展をお求め、大地から離れた生活を近代的だと思い、高いビルが立ち並ぶ街を造って来ました。今も高いビルがどんどん建てられています。

それを豊かさの象徴のように思ってきました。

 いつも言っていることですが、物がいっぱいあり便利で効率的な生活環境となって、私たちの心も豊かになったでしょうか。

 先にのべたように、国民のことも、周辺の国々の人々のことも、そして未来の人のことも考えられない、想像できない人たちによって政治が進められていること、そして生き辛さを(精神的、経済的に)感じる、多くの人たち!(子どもも青年も中年も老人も) スローシティに憧れます。

学力と自己肯定感

 今、「脱ゆとり」という言葉が広まっています。世界の国々が参加する経済協力機構(OECD)が行う学習到達調査(PISA)の最近の調査で、前回より順位がかなり落ちた、ということで、それは”ゆとり教育”のせい、だから”ゆとり教育”をやめよう、ということです。

 学校教育は何のためにあるのでしょう。何を目標にしているのでしょう。基礎的な学力と共に人と関わり、心の成長(主体性など)など、大人になって社会生活を送れる力をつける、その人なりに生きる力をつける、ことかと思います。

 日々関わっている青年は、感受性や思考力は高いのに、自己否定感が強く、なかなか前向きに進めない。不登校になったり、ひきこもったりすると「自分は社会参加していないダメな人間」という思いが強くなり、それを取り除くのは大変難しい。日々そういう思いの青年たちと共に闘っていると言えるかもしれません。(大げさな表現ですが)

 子どもの頃から自己肯定感を持つにはどうしたらいいでしょうか。

 北欧、デンマークの学校教育が(テレビで見ましたが)とても参考になります。PISAでも上位の学力を持っている、デンマークの教室の様子。まず、子供たちが、自分がやりたい学科を選び、主体的に勉強する。分からない所は、教師やボランティアの母親や先に理解した子供が教える、納得できるまで勉強しているようです。それでもその学年の勉強について行けない児童は下の学年のクラスに行って勉強する。自分で選んで、であり、コンプレックスは感じないし、まわりもこだわらない。むしろ理解できないまま進級してしまう方がおかしい、という考え。ゆっくりだったら理解できるタイプの子どももいるはずですから。

 こういう学校教育の中で主体性と自己肯定感は育つと思います。競争ということはないわけですから、他と比較することがなく、お互いに助け合うこと、それぞれの特性を認め合うことが培われるように思います。

 日本では競争心で勉強させる、ということが多く、お互いに助け合う仲間ではない、心を許して合えなくて、まわりに合わせることが無難だ、と思いがちになる、そんな中でいらいら感もつのり、いじめにつながる――ということもあるように思います。

 これだけの問題ではないかもしれません。大人、日本人の多くは自己肯定感が低いように思います。心穏やかにゆったりと過ごせたら!人と比較しないで自分ができることを精一杯やること、かな、と思います。 

2013/04/02

3月

  3月は何かあわただしく過ぎたように感じます。

 冬のような寒い日も結構あって、いつ春になるだろうと思いましたが、初夏のような日が来て一挙に桜の花がほころびました。梅も桃も木蓮も。道草の家に降りる階段の横の雪柳も、白い小さな蕾があるな、と思った翌日、もう白い雪をかぶった柳の枝々になりました。

 でも、3月は2年前に東北大震災があった月、11日の前後にはテレビも新聞も、まだ殆ど復興とは言えない被災地を写し出していました。また原発についての報道も、見通しのたたない難しさばかりを感じさせるものでした。どう考えたらいいか、疑問ばかりですが、意思表示したり、行動したりする力のないまま、気が重く、つきつめないで過ぎていきます。

 今朝、うぐいすの小さな鳴き声を聴きました。いつもは4月か5月頃に聴くのですが。

イタリアの小さな村の人々

 前にもこの欄で書きましたが、テレビの「小さな村の物語 イタリア」は本当に心を癒してくれます。毎回2人の初老の男女を中心にその生活(仕事も含めて)を追ったドキュメンタリーです。一度は他の地域で暮らしたり、出稼ぎに出たものの、父親から「戻って来て、一緒に仕事を手伝ってほしい」と言われ、「やっぱり、自分が育った故郷がいい」と言って戻ってきた――という場合が多いです。

 子どもたちの兄弟も、殆ど近くに住んでいて、すぐに集まって一緒に食事をしながらおしゃべりがはずみます。「父親を尊敬している」という言葉が出たりします。また、老人になっても、友だち同志でしょっちゅう集まって、居酒屋の場合もありますが、木陰のベンチに腰かけながら楽しそうに話し合っています。「沢山の思い出があるから話はつきないんだ」と言ってます。

 勿論、イタリアの中には生活が厳しくすさんでいる所もあるかと思いますし、この村は気候が穏やかで小さな村、ということもありますが、穏やかに過ぎて行く日々に憧れさえ感じます。

 私たちの生活とどこが違うのでしょう。そこでは、子どもは親の仕事を一緒に手伝いながら、或いは見ながら育つ。特に親が意識して「いい子に育てよう」とか、勉強ができる子」にとか「仕事は厳しいから頑張れる子に」とは思っていないように思います。日本では少し前までは「親の背中を見て子は育つ」と言われてきましたが、イタリアでは、国民性もあるのでしょうが、おしゃべりが好きで、親子、家族がおしゃべりしながら向き合って過ごしているように思われます。

「いい子」「いい人」

 相談を受けているお母さんたちから、人と交わらず殆ど家から出ない状態からなかなか抜け出せないお子さんについて、「いい子だったのに」とか「いい子に育てようと思うことのどこが悪いのでしょう」と聞かれたりします。2月、3月号で”普通”についての疑問を述べましたが、”いい子””いい人”についても考えさせられます。

 「いい子」とはどんなイメージでしょう。「素直で協調性のある子」「まじめで頑張る子」というような、そして「勉強ができる子」がつけ加えられたりします。「いい子」「いい人」と思われるのは心地いいものです。でもそれはあくまでも”相手にとって””親にとって”の「いい子」ということになります。本人にとっては親に認められることは嬉しく、親の期待にそうようになって行き、自分の気持を抑えたり、自分の本当の気持を自覚しないままに大きくなります。

 でも、学校などで様々な子と出会えば、だんだんといつでも「いい子」でいることは、みんなに合わせることはしんどくなって来ます。自己主張ができない、けんかもできない・・・。

 イタリアの小さな村では(これは一部の村?でもこの番組は毎週ずーっと続いています)ゆるやかな時の流れの生活、また気質のせいかもしれませんが、どんどん自己表現して、相手と違っていてもそんなに気にしないようです。また人より立派にならなくては、人より成功しなければ、という思いもあまりないようです。日本のような経済原理が優先して「より多く」「より早く」「より高く」を目指すことがなく、日常的な家族や友人との交流を楽しんでいるように見えます。

 日本が経済的に豊かになった今、でも格差は大きくなり、ひきこもる青年(成人)やニート、家族関係が切れてホームレスになる若者や老人が増えているのはなぜでしょう。そして悩み苦しむ青年たち。

 いつも思うことですが、道草の家で関わる青年(男女)たちは皆、感性も知性も豊かなのですが、自己否定感が強く自信がないため、社会に出られない―もっと自己肯定感が持てれば、社会に出られるのに――と強く感じます。

 青年の集いでは「自分の言った言葉が相手にいやな思いをさせたのでは?」とか、「相手の言葉で辛い思いになった」などが話されます。過去に傷ついた体験があるので、とても気になるのでしょうが、「人にいやな思いをさせることはよくないことだ」「いい人であるべき」という日本人の価値観の影響もあるかと思います。

 そしてある青年は、「誰にも合わせられる会話をしたい。それができないと社会にでられない」と思い、人の中に出て訓練しようとしましたが、無理だったようです。それは自分の本当の気持を無視することであり、かえって精神的辛さが増してしまったのだと思います。

 その後、「”誰とでも”ということではなく、興味が同じだったりして、話が会う人とだけ話せばいいんだ」という気持になった、と言っています。本当にそうだと思います。私も興味が同じような話が合う人が少ない友だちになっています。

 もう一つ「我慢強さが美徳」という日本の価値観も生き辛さを増していると思います。いじめやグループにはいれないなどで学校に行きたくない気持になあっても「学校は行くべき所、我慢しないと!」と言われ、我慢して登校したため、どうしても登校できなくなった後、なかなか回復はできず、ひきこもる生活へ、―となる場合が多く見られます。また「転職したい」と言っても親から「石の上に3年、我慢しないと!」と言われ、我慢したために打つになってしまった、ということもあります。

 青年の集いの中で、或いはメールのやりとりなどで、自分が理想が高かったり、無理していることに気づき、価値観や生き方を少しづつ変えて生きたい、という気持になった、という青年もいます。

 自分の気持を大切にして、自分ができることを細やかなっことでも、精一杯やることに意味があるのかな、という気もしています。

2013/03/03

人間、いつも同じではない

 頭で考える時「これが正しく、これは正しくない」とか「これは良いことで、こちらは悪いこと」と決めつけ、それがずーっと続くものだと思いがちです。

 でも人間関係を考える時、心も体も変化し、一定ではないのを感じます。昨日の自分と今日の自分は違う、さっきの自分と今の自分は違う、或いは、あの人の前とこの人の前では違う、と感じるのはしばしばです。(前に「分人」ということで書きましたが)

 それは人間も自然の一部ですし、生きているからです。

 そして、私たちは同じ人間でも、同じ空間にいても、相手と自分とでは違うことを感じたり考えたりします。「自分の思いを相手は分かるはずだ」と思っても、そうでないことがしばしばです。

 お互いの違いを認め、できるだけ理解しようとしながら、十分理解できなくても「相手はそう思うんだな」「そう感じるのだな」と思うことができたら、人間関係がもう少し楽になり、生き辛さも弱まるのではないか、と思います。

 でも、私がとても心が痛むのは、心を閉ざし、親とも殆ど話をしなくなった青年たちのことです。会話があれば少しづつ理解を深める可能性はありますが、ない時、親は「本人が望んでいるのなら」とそっとしておくか、でも「このままでは」と思いながらも、「どう向き合うか」――解答が見つからなく、苦悩する親の方たちの思い―に心が痛みます。

 そうした中でも親はどう生きるか、「親の生き方」が問われる、とおっしゃった方もいます。

2013/03/02

心と体は一体――その声を聴こう――

  2月号で、「普通や理想を求めると、それができない自分を責めて精神的病を引き起こしたり、体も不調になり、そしてそれからの回復を遅らせる」ということを述べましたが、なぜなのか考えてみたいと思います。

 普通になりたい、とか理想を求めることは頭で考えることで、本当に心から思っていることではない、それ故に矛盾があり、葛藤があり、心を苦しめる、そして我慢し頑張れば、頑張るほど、精神的に苦しめ、痛いとひき起こすのだと思います。

 1月号の青年の思いの中の言葉「普通になりたい。理想を求めてきた。自分の本当の気持を抑えて、相手の気持ばかりを優先して考えて来た。我慢し、頑張って来た。心の調子も体の調子も悪い。心が悲鳴をあげているのを無視していた・・・」は、悲痛です。

 その“心”はどこで感じるのでしょう。

「心が痛む」時、胸のあたりがちくちくします。精神的なストレスがあると、胸のあたりに、圧迫感を感じ、ストレスがたまると、体もピンピン、というわけには行きません



心は体で感じるもの、心と体は一身同体だと、考えてよいと思います。

 ですから、「何かをしなければ」と思う時、「本当の自分の気持はどうなのか」を自分の“体に聴く”ということをした方がいいと思います。体の中心、胸のあたりやお腹の辺りに注意を向けて、「自分は本当にこれをしたいのか、本当に求めているのか」を尋ねてみた時、息苦しさや圧迫感を感じれば、それは本当の気持でないという事です。

 「~しなければ」「~であるべき」と考えるのは頭でです。頭と、心身の不一致が行き辛さや病いをひき起こすわけです。

 文化が進み、都市化が進み「皆に遅れないように」とか「~でなければ」という価値観が多くなり、物質的には豊かになりながら、生き辛さを感じる人が多くなりました。(多数のひきこもる青年や不登校児、そして自殺者!)

2013/03/01

ひろがる、つながる――地域の人々と――

  家から出られない、人と交われない、不登校やひきこもる青少年を訪問し、話し相手になり、少しでも人と交わる楽しさを感じてほしい――という目的で始めた「訪問支援ボランティア養成講座」が、道草の家に来ている青年(男、女)、現・元ボランティアスタッフ、母親など8人が参加しましたが、一応終了し、2月からは継続研修を行っています。

 そして、「お年寄りの話なら聴けそうだ」と言った青年もおり、独居老人など話し相手がいない方を訪問し、話相手になることも、青年の優しさを生かすことができると思います。

 近所の民生委員の方に相談しましたら、お弁当を月1回届けるお年寄りもいたり、「ふれあいサロン」と言って、年令を問わず集まって話をしたり、歌を歌ったり(2月は折り紙でお雛様を折る)――など楽しむ集まりがあることを聞き、参加しました。

 “身近な所から進める活動の大切さ”を改めて気づきました。“ひきこもる青年の居場所”を12年前に始めた時は、他県からも来たりして、広く呼びかけなければ、と思ったのですが、そんなに大勢のケアをする容量はある訳ではなく、身近な検見川町(1丁目から5丁目もあり)の中で、不登校やひきこもる青年に対し少人数でも、「話し相手になったり、居場所がある」ことを伝えられたら、と思います。

 花見川区の社会福祉協議会にも相談しましたが、ボランティアとして登録し、また民生委員の方たちを通して、一緒に地域に加わったら、――というアドバイスを受けました。

 また、船橋市に、障害者のための社会訓練の場として「ひなたぼっこ」という喫茶店があることを、そこで音楽で交流している、シンガーソングライターの古田さんから聞き、訪ねてみました。中心になっている理事の方と話す中で、かねがね、道草の家に来ている青年の作品(パステル画やコラージュなど、青年の集いでのカリキュラムにあります)を発表する機会がないかと思っていたのですが、喫茶店の壁面に展示することを考えて貰えることになりました。

 道草の家の活動を少しでも多くの人に知って貰う機会になれば、と思います。理事の方とお互いに「広がりますよね」と話し合ったことでした。

 道草の家を始めた原点、パンフレットを作る時にみんなで考えた「道草の家からのメッセージ」の最後の言葉に戻り、細やかでも活動を続けられたら、と思います。

小さなお子さんからそのお母さんや青年から中高年の方まで、世代を超えて自分を大切にし、そして人を大切にする心が育まれることを願っています。

2013/02/14

雪の日に思う

 1月14日、関東に久しぶりの大雪が降りました。朝、窓の外を見ていると、雪が降ってるのが見え、そして「みぞれみたい」と思う間もなく、白い雪に変わって来ました。その日は外出の予定もなく、雪を見て過ごしましたが、鉄道もストップ。一旦、鉄道で外出した人は、帰るのが大変でした。
 北陸や北日本はこれどころではなく、屋根の雪降ろしなど、外の仕事をどうしてもしなければならずまた、バスなども走らない時もあり、雪に閉ざされた生活になります。私などは外へ出るのも寒くて、億劫、――でも子どもの頃は大雪が降ると嬉しく思いました。兄が雪のトンネルや雪の階段を作ってくれましたし、祖父が作ってくれた簡単なそりで坂をすべり降りたり、楽しい遊びができました。
 初めて中学の教師をした冬、かなりの雪が降り、授業をやめて生徒たちと雪合戦をしたことが思い出されました。もう何10年も前のこと、「若かったな」と思います。
 何10年の前のことも、昨日のことのように思い出され、その後今まで色々なことがあり、色々なことを体験し、色々なことを感じながら生きて来て、今がある。今の活動がある・・・それを思うと、私は何を楽しみ、何を苦しんで来たのか、という思いも浮かびます。今、青年や親の方と関わりながら、重なる部分もあり、重ならない部分もある、時代も大きく変わりましたし、私の個性や個人的体験もありますから。でもやはり青年たちの心の苦しみ、生き辛さは身近に感じます。

無邪気さからコンプレックスへ
 まず、小学生までは遊ぶことが楽しく、友だちと無邪気に遊んでいたな、と思います。一人で本を読んだり、絵を描いたりするのも好きで、それは、中学、高校と続き、今も読書や絵を見るのが好きです。
 でも、中学の終わりから高校にかけては、反抗期にもなり(養女になり一人っ子ということもあり)親の過保護、過干渉が、とても苦痛になりました。でもそれをはっきり言えず、悶々としました。もともとおしゃべりな方ではなかったのですが、言葉の表現や、喜怒哀楽の感情の表現もあまりできず、「しゃべれない」というコンプレックスになりました。親しい友だちとは話せますが、特に大勢の中だとか、社交的な場での言葉が出ない、言葉を知らない、それはその場、その場での的確な判断力もない――ということにもなり、今もだいぶ薄らいではいますが、感じます。
 よく、親の方たち、特にお父さんが、「自分は頑張って仕事をして来た。頑張ればできるはず、働けるはず」と言いますが、私は「こうなりたい」と思ってもできないことがある――と実感しています。
 結婚して社宅生活をしている時も、社交性がないこと、気がきかないことは居辛い感じがしました。「何か足りないのかな」という思い・・・やはり家庭の主婦、子育てだけでは満たされない思い。そして「常識で」で囲まれてる感じもし、圧迫感も感じました。それが、家庭の外に出て勉強したり、活動したり、仕事をしたい、という思いにさせたのかもしれません。

“普通”をめぐって
 会報1月号の「青年の思い」に、「『普通になりたい』と思って、理想を求めてきた。でもそれ自体が生き辛さになることに気づいた」と書いた青年がいます。青年の言葉に改めて日本人の多くの人が持つ“普通”という価値観を考えました。
 日本は古来から農耕で成り立っていたムラ社会で共同体意識が強く、「みんなと同じように」「他の人に合わせて」という価値観を持っていました。村の人々が同じような生活をしていれば、助け合いながら“同じように”ということも必要であり、そんなに難しいことではなかったかもしれません。でも近代化が、都市化が進み、様々な生活がなされるようになりました。そして文化も多様になり、様々な芸術(音楽や衣装も実に様々)、趣味も多様になりました。
 でも「みんなと一緒に」という価値観は残り、また、「人それぞれでいい」と思う余裕がなく、多くの人は「みんなと一緒に」に安心感を覚えるようです。多数の人の歩く道が“普通”であり、それが“幸せ”なこと――というような価値観が根強いように思います。でも、人はそれぞれ個性があり、育つ環境も違い感じ方も違います。感性豊かで感受性が強い人ほど、そうした価値観に違和感を覚える、それを無理に合わせようとしたり、自分の方を否定すれば、精神的な不調をもたらすことになります。
 青年たちに“普通”に対する思いを聞いたのを青年の思いの所にまとめましたが、“普通”や“理想”を求めると、それができない自分を責めて、精神的な病いを引き起こし、それからの回復がなかなかできない、と言っています。また、“普通”という価値観を意識からなくし、或いは、“普通でない自分”を認めると、こだわりがなくなり、気持も楽になり動き易くなる、と言う青年もいます。
 私は、「常識がない」「しゃべれない」というコンプレックスを感じながら生きて来ましたが“普通でない”ことを認めていたようで、むしろ“普通”に反発を感じていたとも言えます。それが、失敗しながらも、色々と活動をして来た、起因になったかもしれません。沢山の失敗をして来た、これからもすると思いますが、人生そのものは失敗とは思わないでしょう。これから何10年も生きる青年たち、“普通”にこだわらないで、自分の心身が求める生を生きてほしい、と思います。
 自分にとって意味ある価値観は何でしょうか。

2013/01/11

明けましておめでとうございます                     

 新しい年を迎える時、幼い頃のお正月を思い出します。
 元旦の朝、兄や友だちと一緒に低い山の上にある八幡様にお参りに行き、鈴を鳴らし、手を合わせて拝みました。何を願ったかは覚えていませんが、空気の冷たさと共に清々しい感じになりました。
 新しい年にはっきりした希望は持てませんが、何か新しい変化がありそうな、胸がファっとするような感じがします。まわりの人たちと共に、自分のできることを精一杯行いながら、ささやかなことでも変化のある年にしたいと思います。
 どうかよろしくお願いします。

 
 つながりを求めて・・・
 元旦、特に神社に信仰があるわけではありませんが、毎年神社にお参りし、手を合せています。何となくの習慣です。お正月には有名な神社には大ぜいの人が訪れます。1年に1回お祈りし、お願いするだけでも、気持が休まるのでしょう。私は「この1年、みんな無事で過ごせますように」という漠然とした言葉が浮かびます。人間と動物の違いは、宗教を持つことかと思います。
 人間は昔からそういうものを求めて来たように思います。何か、目に見えないものに守られている、先祖が見守っている、そして、そのもとに、今生きている人もつながっている・・・。つながりを求めている、つながりの中心になるのが、先祖とか神社にまつられている神・・・。
 今、世界中に、沢山の国、沢山の人種が存在していますが、もとをただせば、もとをたどれば、類人猿から分かれた一人の人間だったのではないでしょうか。
 まわりの自然の中に、一つ一つ(一人一人)神が宿る、という思い・・・その神々のもとに、人々がつながっているのを感じるのは人間のみであり、それ故、人間は生きのびてきたのだと思います。でも、その謙虚さが失われた時、自然の造反が襲ってくるのではないでしょうか。


  学校教育(つながりは・・・?)
 道草の家で関わっている青年(彼、彼女)、10代の少年少女(親の相談も含めて)の悩みを聴き、彼らの心の苦しみを感じる時、なぜ、そんなに生き辛さを抱えるようになったのか――を考えてしまいます。主として共通することは、中学、高校(入学してすぐ)で不登校となり、その時の心の傷をひきずり、その時、学校時代に刻みこまれた価値観が、今も大きく影響しているように思います。要因は一つだけではありませんが、感受性が強く、また真面目で、あるだけに、学校教育の問題をもろに、受けたのだと思います。そうした折、「子どもの声を社会へ」という本に出会い
非常に共感しました。子どもオンブズパーソンの著者の言葉を参考に考えて行きたいと思います。
 私が子ども時代、また50年前私が中学校の教師をした頃は、いじめも、不登校もなく、のんびりしていました。でも、私の子どもが小、中学生の頃は、競争意識が出始め、不登校になる子も出るようになりました。それは、経済の高度成長を平行して、高まって行ったように思います。誰でも高校にはいれる機会ができた――ということで機会は“平等”なのだから、あとは本人の“努力”だ、ということになりました。そして学力があれば、いい高校にはいれ、いい大学にはいれる、そして、いい就職ができる、という路線ができ、学校教育の最大の目的は「学力を高める」こと――だという方向に教師も親も進みました。「学力」を高めること、そのための「努力」のみが、子どもへの激励となって来た。それは、日本の経済力を高めることになる、社会全体の価値観と同じです。
 日本は経済成長を続けました。(今は限界になり、成長神話をやめさせねば、という時に来ていると思いますが)

 それで私たちは心豊かな日々、幸せ感を抱いて過ごせるようになったでしょうか?
 不登校の子どもたち、社会に出られない、ひきこもる青年たちの生き辛さ、苦しみを思うと、「学力を高める努力」、に問題があったと、思われてなりません。
 努力すれば、高められる、それができないのは努力しないから、という「自己責任」となってしまい、「努力しようとしてもできない状態にある」或いは「努力しても学力は高まらない」という「弱い状態にあること」「弱いままでいられる自由」を無視することになってしまいました。
 子どもは同じ能力を持って生まれてはいない、ある面では高く、ある面では低くそれぞれの能力、素質を持って生まれています。
 「競争」「努力」「自己責任」には何が抜けているのでしょうか。一人で頑張る―
―というイメージであってそれは他の人を排除すること人とつながることを拒否することになると思います。
 不登校の子、ひきこもる青年の苦しみは、人とつながれない苦しみ、辛さだと思います。 中学校で不登校になった少女の話を聞くとグループに入れないことが辛くて・・・と言います。グループの人たちが話してる、趣味とか、アイドルのことなどに合せられなくて、仲間に入れなかった。また高校入学して、心新たにして、と思っても自分から仲間に入れなくて、数日で不登校。
 それは、本人の問題というより、不登校をしない生徒たちにも本当のつながりを感じなくなり、本当のつながりを求めなくなったのだ、と思います。仲間グループができても「仲間に違う考えを言っても仲間でいられる」という安心感がないし、一人ぼっちの子に声をかける余裕もない・・・

 私たちは、教育を、生き方をどう考えたらいいのでしょう。学校教育は集団の中で人間関係の体験をし、自立に向けてお互いに成長していく――そのために様々な関係性を持ち、分かち合う場であると思います。競争による緊張感はゆるめるべきことでしょう。
 社会生活は競争だけでは生きていかれない。どんな強い人でも、一人では生きていかれない。一人で完結できるものではないと思います。力、知恵のある人は、”それを分かちあうこと”たと思います。(分かち合うために能力を持っている)
 弱い人は弱いままでいられる――助けを求められる、受け皿があるという社会。昔はしゃべれない(苦手な)人はしゃべれないままで、それに合った仕事がありました
。 「学校は仲間に会えて楽しい所」というイメージが取り戻せたら!!(私はそうだった)
 子どもオンブズパーソンの著者は、相談してくる子どもの声を聞いて、それを社会につなげたい――と言っています。
 今苦しんでる子どもの声は、大人になりつつあったり、大人になった(かつて不登校だった)青年たちの声でもあります。 今もなお、不登校やその後のひきこもりに自己否定感を強く持ち、苦しんでいる青少年(彼女、彼)が、それを乗り越え、むしろその体験を生かして生きることができたら、と新年を迎えて改めて願います。
(『子どもの声を社会へ』桜井智恵子著 岩波新書)