2010/12/03

代表の言葉(2010/12)

  競争社会から共生社会、多様性を認める社会へ

 11月の親の会は青年の要望で、青年と親が一緒に話し合う会にしました。お互いの問いかけと答が活発になされましたが、その時一人の親の方からの「親や社会に対する要望は?」という問いに、青年は「アルバイトをしようとする時、ひきこもっていて働いていない時期のことを、そのまま言えなくてごまかさないといけないけど、それをそのまま言っても働ける社会であってほしい」と言いました。

 今は一層、働くことが厳しくなりましたが、ひきこもりのことがテレビや新聞などでとり上げられるようになった10数年以上前(私が関わり出した)から「ひきこもっている、働けない」ことの理解はなかなか得られず、働き出すことは、とても難しいものでした。ひきこもる青年は、不登校から続いている人、一度働いてから、ひきこもってしまった人が増え、増加し続けて、社会でも問題になって来ましたが、不登校は「誰にでもなりうる」という認識になって来たものの、「ひきこもり」は甘え、怠け、と見られがちです。

 私が所属している日本精神保健社会学会で、「競争社会から共生社会、多様性を認める社会へ」というテーマで話し合われました。今の社会の矛盾、人々は“心豊かに”ではなく“追いつめられた”感じになっている、また環境問題もあり、「社会の方向を変えなくては」と前から言われて来ましたが、どのくらいの人々が自覚しているのか、疑問です。

 男性は、父親は「競争によって頑張って、頑張って働いて来た。それによって社会は発展した。子どもとは余り関われなかった。そのために子どもがひきこもるようになった、と言われても困る」と思う方が多いと思います。繊細で真面目で優しい子ども、青年が、競争について行かれないことを、なかなか理解できないようです。

 でも、様々な人がおり、親子でも気質や育った環境が違います。親の世代は子供の頃まだ、兄弟も多く、近所付き合い、親戚付き合いもあり、多様な人々の生活、生き方を見ることができました。でも、それがなく、多様な人、大人の人、働いている人を見ることなく、過した子供は、“大人のイメージ”、自立した、働いている大人のイメージを描けない、ある青年は「子供の頃“サラリーマン”というのは何となく分かる、でも自分にそれは合わないと思うけど、他の職業のイメージが持てない、将来のことが考えられず非常に不安だった」と言ってます。

 多様性の問題は、「動植物の多様性が非常に大事だ」ということも、最近よく言われています。絶滅する品種が多くなり、少い品種、単一の品種になると、それも弱って行き、自然環境としても大きく損なわれて行きます。

 また「1/4の奇跡――「強者」を救う「弱者」話」(マキノ出版)という本を読んだのですが、アフリカのある村での伝染病(マラリア)の発生のことから科学者や医者が調査し、生き残った人、マラリアに強く、障害のない遺伝子をもった人は、障害のある人(1/4は必ず生まれる)がいてこそ、生まれる、ということが分かりました。これは私たちの生活にも当てはまり、私たちが元気でいられるのは、過去や現在、病気や障害を持ち苦しんでいるから、その人たちが引き受けてくれるからだ――ということを知りました。

 学会で「でも、共生、多様性を自覚している人は少い、どうやって広めていけばいいのか」という疑問も出されました。

 それは「自分のまわりの人、家族や職場、学校、地域、コミュニティ(ネットでも)の人たちに伝え、その人たちがまわりの人に伝えることで広がって行くのではないか」とのことで、私は、道草の家の活動を通して、そしてこうして会報に書くことにより、少しでも実行できるのではないか、と思いました。

心の叫び

 自分の生き辛さは子どもの頃からの親との関係によるものだ、と気づいた青年(女性Tさん)が、他の親の方からも話しを聞きたい、ということで一緒に話し合ったわけですが(後の方に掲載)、その中で印象に残ったことは、「子どもは黙っていても、反抗的な言葉、態度をとっても、親から認められることを望んでいる」という言葉です。そして、親から認められているか、混乱して“生きるか死ぬか”を考えてしまう時は「“見捨てられる恐怖”が強い」ということです。

 「見捨てられてはいないか、疑心暗鬼、『見捨てられない』と思えるまでは長くかかるが、諦めないでほしい」とも言ってます。

 親と話さない、心のことは話さない、或いは顔も見合わせない、という場合でも「親は自分を見捨てないでほしい」という気持を抱いているのではないでしょうか。「親は見捨てないよ」ということをどうやって伝えたらいいか、分からない、難しい、という方が多いかと思います。

 でもTさんの言葉、「諦めないでほしい」、そして「親のせいでこうなった」など子どもに責められた時、「親だって一生懸命そだてたのに」と言って、責め合うのではなく、これをきっかけに「向き合ってほしい」というのも分かります。それはとても難しいことでしょう。親自身も自分と向き合うことですから、しんどい―でもできれば、これをきっかけに、自分と向き合い自分の生き方、子どもの生き方を考えるチャンスにしてほしいですし、自分らしく生き生き生きられる生き方を見つけてほしいと思います。

2010/11/05

代表の言葉(2010/11)

東北の旅 

 2泊3日の小さな旅をしました。久し振り。2年前の夏、信州を旅して以来です。去年から、旅をしたい!と思っていたのが、やっと実現しました。

 やはり仕事(活動)の中で重い話を聴いたり、青年たち(男女)と関わり、”ひきこもり“に関連する社会問題を考えるのは、疲れる面もあり、リフレッシュしたい、そして、人間の生き方に何か新しい視点、心の持ち方がつかめたら、という思いもありました。仙台にいる友人や、福島にいる姉兄に会い東北の自然に触れることで。

 まず驚いたのは、上野から仙台まで1時間半もかからない、ということ。30数年前に山形へ行った時は夜行で行ったことを覚えております。

 仙台は、都心を少し離れると、森の中の道にはいり、“森の都”と言われる所似だと感じました。そして歌にあるように両岸を木々で覆われた“広瀬川”、ゴミゴミした千葉や東京近辺とは違うな!爽やかな気分になりました。

 翌日は山形の蔵王、山寺を廻るバスに乗りましたが、11月の気温になったため、蔵王の頂上に行くエコーラインは凍結してしまい、頂上には行かれず、雄大な山々は望められなくて、残念でした。でも小雪が降り出して、紅葉した葉に積もって、紅葉と雪が同時に見られ、バスの中から歓声が上がりました。雪の積もったゲレンデ(まだすべれませんが)の方に行くと、その向こうの森が雪に煙り、墨絵のようでした。

 芭蕉の句「静けさや岩にしみいる蝉の声」で有名な山寺、行ってみたいとかねがね思っていました。1000段以上の石段を登り切れるか少々不安もありましたが、何とか登れました。

 切り立った岩の間に木々が生え、何10段か石段を登ると、小さな寺があり、また登ってを繰り返し、一番上の寺(本堂)に着きました。その近くの岩の上に、はみ出したように建つ見晴し台、その上に立つと、遠くの山々が見え、胸が広がりました。帰りは、ゆっくりと、所々にある石仏、お地蔵さんに手を合わせたりしながら、降りました。

“生きもの感覚で生きる”

 仙台での夜、ホテルでの一人の夜長を、何か本を読みたいと思い、駅の近くにあった本屋に行き、「人間、金子兜太のざっくばらん(人間は自然そのもの、だからこそ“生きもの感覚”で生きよ)」という本を見つけました。兜太さんは「俳句に季語がなくてもいい」と言っている俳人ということで興味はありました。“生き物感覚”って何だろう?買いもの求めてホテルのベットの上で読んだのですが、兜太さんは芭蕉を尊敬していますが、一茶の俳句に、その生き方にぞっこん惚れ込んでいます。私も一茶が好きで、2年前の信州のたびで、一茶の故郷を訪ねました。

 以前、ほんの、ほんの少しだけ俳句をかじったことがあり、旅の途中で、こうした本に出会ったのも、何かの巡り合わせのように思いました。

 一茶の句は、「人間と自然の共存」というより人間も動物、同等の生き物、ということを詠んでいます。

「蚤どもがさぞ夜永だろさびしかろう」

という句を作ってますが、一茶も蚤も同じ気持で生きているわけです。

 芭蕉の頃は“人と自然”、その親密感を詠んでいますが、一茶になって“人間は自然だ”というところまで変わって来ました。私もそう思いたいのですが、余りにも文明、文化の発展した現在の社会で生きていて、それとどう折り合いをつけるか、まだ私には消化しきれません。

 今の私たちの心の悩み―複雑な文化に比例して深く、重くなって来ているように思います。

 一茶も兜太さんも「愚」のままで生きる、生きものとして「生々しく生きる」と言っているわけですが、自分が「愚」であることを認めれば、そんなに悩まなくてもいいかもしれません。そして、「生きもの」として、人間同志、人間・動物同志、尊重し合う、信頼し合う―ことができればどんなにいいでしょう。

 今の日本では人々は「頑張って、人と同じように、人よりも抜きんでて」ということを目指す―風潮が強い。ひとたび“ふつう”からはずれ、ひきこもる状態を過したりすると、「頑張っていない」と言われがちです。そして、そういう自分に青年たちは自己否定感を持ってしまいます。

置いてきぼり

 東京から仙台まで1時間半で行ってしまう…旅を味わう暇もなく…芭蕉は何日もかけて旅をして名句を作った、どちらが豊かでしょう。文明が発展するほど格差が大きくなり―みんなが同じように出来るわけではありません―苦悩も増加するように思います。“生きもの”としての共感も失われ、競争相手になったり、ひけ目をかんじたり…。

 小学6年の女の子が自ら死を果たしてしまった。教室で昼食をいつも一人ぼっちで食べていた、とのこと、誰も気にしなかったのだろうか、誰も声をかけなかった、どんなにかさびしかったことでしょう。耐えられなかったその思い!!

 人間も生きもの、魂を持った同じ生き物同志―という感覚が本当に失われてしまったのだと思います。

 虐待により幼児が死に至ることが多くなっています。また、子供の頃親に虐待を受け、非常な生き辛さを必死に生きて来た中年の方のカウンセリングをしてますが、子どもを育て、仕事や近所付き合いの社会生活の中で精神的な不安定さを抱え、今も生き辛さに苦しんでいます。でもまた、虐待をした親も、その親からの育てられ方によって、環境によって、荒んだ精神状態になり、子どもに当ってしまった、と思われます。

 交通機関の時間短縮を始め、短時間で様々なことができる便利さがどんどん進んでいる(私もそれを受けている)わけですが、何かを置いてきぼりにしているように思います。

2010/10/21

10年間良く続いた!

  9月も下旬になり、会報の打ち込みの日が近づいて来ても、テーマが浮かびません。自然と浮かぶ時もあれば、何を強く感じているのか、伝えたいことは何か、を自分の心に問いかけることで、テーマを決めて行くこともあります。そして最初の書き出しの言葉が浮かぶと、割と書けて行きます。
 今回も4日前に「何を感じ、何が気になり、何を伝えたいか――」をよくよく自分に問いかけて、やっと会報を読んで下さった方の「10年よく続きましたね」という言葉が浮かびました。私から見れば、先号でも言いましたが、「いつの間に10年たった」という感じで、特に感慨はないのですが、でも、振り返れば、同じ仕事や活動が(中学教師やいのちの電話など)10年続いたことはなく、10ヶ月から5年位でした。道草の家の活動(仕事)は、10年続き、そして、これからもやって行きたいことですから、自分に合った自分が求めていたものだから、かと改めて思いました。
 それまでたずさわった仕事(活動)は、それぞれ色々と葛藤があり、「自分に合わない」と思ったり、やめる時は強い挫折を感じたものでした。
 高校頃から――親との葛藤から――強いコンプレックスと、憂鬱感があり、それが却って何もしないではおられず、結婚してからも、仕事や活動をして来ました。自己表現が下手、自己主張ができない、でも指示されたことのみやることもいやだし、と言ってもリーダー的にもなれず、それが挫折の大きな原因だったかと思います。
 そんな中で、カウンセリングに行き当り、「ひきこもる青年の居場所」を開きました。道草の家の活動を主体的にできますし、小規模ですので、私でもある程度リーダーの役割ができるようです。

気質に合う活動、仕事、生き方
 今でも、軽いゆううつ感がありますし自信のない面もあります。十分な活動ができていないのではないか、青年や親に方と適切な関わりができていないのではないか―など、色々と思い悩むことも多くあります。そして、カウンセラーの仲間の活動や学会発表などを開くと「バリバリ働いている!」と少し揺らぎます。
 でも以前にくらべれば、憂鬱感も弱くなりましたし、前よりしゃべれるようになりました。
 そして今考えてみればSAT療法(筑波大学教授、宗像恒次氏、開発)で学んだ「気質」(後の頁を参照)に照らし合わせてみると、今の仕事は私の気質に合っているのだと思われます。
 私の気質は「自閉気質」がメインで「循環気質」がサブにあります。「自閉気質」は「マイペース」「社交性はない」が「自分の世界がある」「話をじっくり聞ける」という面があり「循環気質」は「人としゃべりたい」「人に愛されたい、認められたい」という欲求がありますので、青年の集いで青年たちと話し合う場があることは私の「話を聴きたい」のと「しゃべりたい」という気持を満たし私に合っているのでしょう。
 また強くはありませんが「不安気質」もあり憂鬱感、コンプレックスもあることは全くない人よりは心悩む人の気持も想像し易いし、共感し易いと思います。そして
“しゃべれない”悩みを持つ人の気持も分かり易い。“思ったことができない。思っても思うようにできない“人の気持も分かる感じがします。(人前で落ちついて話すことが今だに出来ないし、挫折感を何度も味わいました。)「自分が頑張って、困難を乗り越えて来た、だから誰でも頑張ればできるはず」という言葉をしばしば聞きますが、そうは思えません。
 でもまた、執着気質が低いのでそんなに完璧を求めないで、活動を続けられるだろうと思います。
 じぶんの気質を否定しないで理解して、自分の気質に沿った、気質を生かした生き方、仕事をすることだ、と今頃になって分かりました。余り、世間一般の理想を求めないで、人と比べないで自分の気質の特性を知って、ネガティブな方向に向かうことを抑え、ポジティブの方向に向かうことを意識することが大切だと思います。
 例えば、執着気質の特性、完璧主義の人は、120%を求めて頑張り、無理し、達せられないと「自分はダメだ」とストレスが強くなり、がんやうつ病の原因にもなりますが、その自分の気質を自覚し、「50%、30%でいいんだ」と意識することで、ストレスが避けられます。(きっちりとした仕事など信頼を必要なところでは完璧さが生かされます)
 不安気質の強い人は、意識して自分の不安の半分位で抑えれば、先の様々な状況が想像でき、リスクを避けられます…。(参考文献:宗像恒次著「自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる」)

2010/09/03

10年、経ちました

『10年、経ちました』
道草の家の活動を始めてから、この9月でちょうど10年経ちました。

あっという間に、もう10年経ってしまったのか、という思いです。
よくも悪くも大きな問題がなかったから、そう思えるのかもしれません。
勿論、色々と困難はありましたが、何とか1日1日が過ぎて行き、1ヶ月が過ぎて行き(会報発行がそのけじめでしょう)、そして1年が過ぎて行くという積み重ねだったかと思います。
暗中模索の中で始めた頃の青年たちの顔が浮かびます。
そして、遠ざかったり、また現れたり、だんだんと遠ざかったままの青年、望んだ方向に行かれた青年も多くないけどいるな(仕事に、或いは学校に)、でも、精神的な不安定さが強くなって来られなくなった青年、対応が適切でなかったのでは、と思われる青年には心が痛みます。
今どうしているだろう、電話をかけたい気持も時々起こるけど、元気になっていればいいですが、不安定なまま、或いは、より不安定になっているのを知るのは辛い、受話器に手が伸びません。
また、青年の集いに来なくなり、道草の家が必要でなくなった、それは精神的に自立していくことであり、嬉しいことですが、少しさびしい感じもします。
みんなが道草の家の青年の集いの雰囲気に合うわけではなく、1回とか2~3回で来なくなる青年もやむをえない、と思いながら、残念に思ったり、また学校のような義務があるわけではない、自由な気持で集う場、でも人と人と心の触れ合いが中心の居場所、出会いと別離があり、喜びもありますが、さびしさを伴うのは仕方がないことでしょう。
ひきこもる青年をとりまく社会も変わってきました。
就労の格差、収入の格差、そして貧困の問題も多くなってきました。
ひきこもりの問題も、解決の方向に行くのではなく、長期化、高年齢化が進み、社会に出る、自立する、ということは『難しい!』――と親も支援する人も、感じるこの頃です。
また人と人とのつながりが一層弱くなり、支え合う感覚が鈍くなっている感じがします。
自分の欲得で人を殺したり、自分の鬱積をはらすために(自分も死にたい気持で)見ず知らずの人を殺したり、子どもの虐待、死に至るものも多く起こっています。

『支援は、理解する、理解しようとすることから』
 若い母親が幼い姉妹を放置し、死に至しめた事件、「母性に欠けている」とか頼る人(親、兄弟、友人)がいなかった、と思われがちですが、「経済的な援助があったら」というよりも「理解者、自分を理解して受けとめてくれる人」がいなかった、ということが大きいように思います。SAT療法によれば、「情緒的理解者」がいない時、自信がなく依存心が強くなり、自分に快を与えてくれる人、物に依存し、のめりこんでしまう――と言われます。彼女は夜の商売にのめりこみ、子どものことを考えられなくなったのでは、と思われます。大人になるまで、自分を理解してくれる人、安心できる人、そういう存在があることを体験していなかったのでしょう。
 ひきこもる青年の、「社会に出られない」「働けない」という心の葛藤をなかなか理解できず、社会の多くの人は「甘えている」と思うようです。親でも、子どもが心の中のことを話してくれないと、理解できず、「甘えているのでは」という思いに傾きがちです。
 殆んど話してくれない青年、話してくれてもなかなか理解できない場合もよくあります。そして、本人も言葉になかなか表現できないこともあります。人それぞれ、体験も違うし、心の中も違います。表面的には似ている場合も多いですが。
 そして、親と子どもは、気質も違うし、育った環境、時代も違います。「親として子どもを大切に思って育てた」「愛情をもって育てた」「子どもを束縛しないで、子どもの気持を尊重した」――「それなのになぜ?」と思う親の方も多い。勿論完璧な親はいないので、親を責める気持は毛頭ありませんが、ただ、人間の心は複雑であり、「こうすればこうなる」「善意で育てたのだから、よく育つはずだ」と言えないところがあります。(科学万能的な考えでは)
 また、「親が変われば子どもも変わる」と、ひきこもりの問題の勉強会ではよく言われます。でも「どう変わればいいのか分からない」と親の方からよく聞きます。私は100%は理解できない、でも理解しようという気持があることが、「理解しようとしてくれてるのだな」という安心感を与えると思います。また、理解することは(部分的であっても)親の考え方、感じ方を変えるわけで、それは子どもにとって、「親が大いに変わった」ということになると思います。

『心の支援の場に』
 来所する青年が増えず、収入、運営費の不安がつきまとう今の状況、道草の家の方向性は、今のままでいいのか――という思いも浮かびます。
 長く続けるには財政的基盤が重要、それには行政の中に組み込まれた、障害者支援センターやひきこもり支援センターのような形をとれば、行政からの人件費、運営費がもらえます。でもそれには多様な状態の人を受け入れ、多様な相談に応じ、また、他の機関との連携、書類提出など雑務も増えることになり、個々の青年との心の関わりや、辛い心の人のカウンセリングをする時間、余裕が少くなるだろうという危惧を感じます。
 私の力の限界もあり、自分がしたいこと、できることを考えると、今の方向性を少しづつでも充実していくことかと思います。先に述べた「情緒的支援」の場となること、「道草の家に行けば、理解してくれる人、受けとめてくれる人たちがいる」という場になること――だと考えます。勿論それは私一人ではできないことですので、多くの方の応援をお願いしたいと思います。
 私にとっても、精神的な支援が必要ですし、勿論経済的支援も、私の思いに共感して下さる方、具体的にボランティアとして参加して下さったり、できれば後継者になって下さる方がいつか現れたら――と願っています。
不登校クラスも、まだ希望者がいなく、開設してませんが、何時からでも開設し、充実した活動をしたいと思っていますのでよろしくお願い致します。

2010/08/11

人間は自然の一部

  こんもりとした、濃い緑の森がいくつか連なっている風景、少し上の方から映されている――映画「地球交響曲第7部」の中で――のを見た時、「こういう世界もある」「世界は広いんだ」という言葉が浮かびました。そして胸に風が通ったように感じました。
 日頃、辛さを抱えている人と関わったり、道草の家の課題を考えたり、そして、今の社会の厳しく見通しのつかない問題を目にし、耳にしていると、“生きる”ということが辛く厳しいものに感じがちですが、そればかりではない、との思いも浮かんで来ました。
 映画では3人の方の生き方、人間と自然との関係などが映像と共に語られ、そして、神社とそれを囲む森、神社で行う行事が映されていました。
 その中で「大自然の目に見えない力に生かされていることを思い出す時、人は素直になり、元気をとり戻すことができるのではないでしょうか」という言葉が胸に響きました。「生かされている」という確信までには思えないのですが、でも「そうかもしれない」という思いはあります。
 人間も自然の一部だと思います。動物や植物と同じように。そしてこうも言ってます。「我々一人ひとりは、皆地球の大きな生命が進化する過程で生まれた、ひとときの姿なのです」
 でも人間は科学を発達させ、どんどん人工化が進んでいます。「人間も自然の一部」ということを忘れ、科学によって何でもできる、という思い上がりが、かえって生き辛さを作り出している面が大きいと思います。
 科学によって縛られていることはないでしょうか。
 ちょっとでも体に臭いがあってはならない、家の中もちょとでも臭いや菌があってはならない――など。昔(そんな遠い昔ではなく)は賞味期限など記載されることはなく、においや味で(ちょっとだけ食べてみて)食べられるかどうか判断したものでした。
 コンピューターが発達し、何でも計算し、予想し、追跡できるようになったのに、それを“格差”を縮めるために、弱い立場の人のために使えないのか――単純に不思議に思います。
自然に癒される
 私が自然に惹かれ、自然に癒されるのは、幼い頃、自然に囲まれて育ったからだと思います。
 山(子どもでも登れる低い山)や川(泳いだものでした)そして田んぼや森があったから、そこで遊んだからだと思います。広々とした明るいイメージの田んぼ、深く暗い森、山の中腹にある大きな石もおままごとの家でした。森に囲まれた神社も遊び場、社(やしろ)の前にしかれたきれいな砂で、蟻地獄を作り、蟻をいれたり…また田んぼになる前、れんげの花が一面に咲いた中で、冠を作ったり、でんぐり返しをして遊んだこと、秋に稲が稔った時はいなご取りをし、刈った後は落穂拾いをしたこと――などが思い出されます。今はもうそんな遊びはないでしょうね。
 さて、青年の集いで青年がいみじくも言った「子どもの頃から家族の葛藤が強く、心の触れ合いがなかったせいか、外(自然)への関心がなかった。関心があったら“自然”からエネルギーをもらい“自然”に癒されたであろうに」という言葉にはっとしました。青年たち、人間関係に傷つくことが多いわけですが、それを癒すのにそんなに強く“自然”を求めていないようにも思います。勿論、「人間関係で傷ついたものは人間関係で癒す」という面もありますが。また、育つ時に、まわりにそうした自然が少なく、家族や友だちと自然の中で過ごすことが少なかった――ということもあるでしょう。
 青年たちが自然からもエネルギーをもらい、楽な気持になって、自分を肯定し、生き生き生きられる時間が少しでも多くなることを願っています。

出会いの場
 新たなことをする、新しい行動をする時、予想したようには行かない、そして「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔の念が起きます。初めて開く「生き生き生きるカウンセリング講座」も定員が少ないし、参加費も共同募金からの助成を受けて安いのですぐ集まるだろうと安易に考えていたのですが、申込み者がわずかで「もっと早くから、もっと広くPRすればよかった」と後悔、そして憂鬱感がふっと浮かんできます。それは私の気質、育ち方によるのでしょうが、カウンセリングを学んでだいぶよくなって来ましたが「行動しなければこんな気持にならないだろうに」と私の弱さが出てきます。
 青年の集いの参加者も(暑さのせいもありますが)少ない日が続き「どうして行ったらいいのだろう」と思うと気持が沈みます。でも「このままのことがずーっと続くとは限らない、色々と工夫して行けば、もっと増えるだろう」「カウンセリング講座も初めてなのだから、次回はもっとよく考えて行えば、参加者も増えるだろう」と思い直しました。
 そして“数の問題ではない”ということにも気づきました。「青年の思い」の中でもあるように、2人の青年の出会いがお互いに心が通じ合い、充実した時間を過ごせた、という思いにさせ、肯定感、生きるエネルギーにもなったと思う時、2人だけでもそういう思いになること、そういう出会いを道草の家で作れたことは居場所を続けて来た意味がある、という思いにさせてくれました。

2010/07/10

引越し奮闘記

  6月末の引越しのため、会報の発送が遅くなりました。
 引越しの準備を心がけていたものの、やっぱり細々したものが間に合わず、引越し屋さんが来てから、バタバタと追われながら箱につめたり、トラックに載らない、ということで多くの小さな家具を残して処分することになったり、2日にわたって奮闘し、何とか終わりました。(箱から出して整理するのはまだです)
 色々なものを処分したものの、「とっておけばよかった」「早くから予想し、準備すればよかった」と後悔しきり!でも娘はそんなこともないので救われました。そして、こんな時でないと思い切りができないわけで。(母の残した寝具や、布きれや食器などが後から後から出て来て、大事にとっておく母の時代の生活がしのばれます)
 そして約1日心を痛めたのは、猫を小平の家に連れて行ったものの、夜中に少し開けておいた窓から出て行ってしまい、朝気がついて家のまわりだけは名前を呼びましたが、応答がなく、そのまま今までの家に掃除に行きました。「新しい家の臭いも覚えないまま出て行ったから戻れないかもしれない。そういう縁なのだろうか。縁があったら戻ってくるだろう」と話し合いました。ところが夜遅く帰ってみるとドアのそばにいるではありませんか。「縁があったのだ」と3人で大喜び!
 さて、1階の私の部屋を少し整理し、朝、雪見障子から外を見てみようと、障子を上げたのですが、少しの草木と前の家の壁ばかり。船橋の家とは大違いです。船橋の家は23年住み、木々が育って、窓からは緑ばかりが見えて、それに慣れていたのですが。小平の家も草木を植えたら育って緑いっぱいになるだろう、どのくらいで?私が生きて、住んでる間に…?
生きる意味(2)
 皆さんは「生きる意味」をどんなふうに考えていらっしゃるでしょうか、「余り意識していない」「分からない」という方も多いかもしれません。或いはそういうことを考えなくてすむほど満たされて過ごしている方もいることでしょう。
私は若い頃、「生きる意味などない、生まれたから生きているだけ」と思ったり、「人生は不条理だ」と思ったり、否定的な思いがありました。でも好きなことをして、充実感を感じて生きたい、とも思いました。そんな中でいくつかの挫折をしながら今の仕事、活動に至ったわけですが、今も難しい課題を抱えて過ごしている中で、ふっと「ヒマラヤが見える山の中腹で、一日中、ヒマラヤが、日の光で変化して行くのを(朝、夕は茜に映えたり)眺めていたい」思ったりします。悠久の中にいる自分の存在を味わえるかなと思います。
 また私も高齢になってきて「後何年生きられるだろうか」と思う時「死は無になること」という思いもあり、怖さを感じたりしますが、宇宙の始まりから今まで原子、分子が生命となってぼう大な時間の中で進化し、人間が生まれ、私が生まれた、そうしたつながりの中の一つの輪に自分がいて、死は宇宙の原子、分子に戻るのだから無ではない、とも思ったりします。
 或いは仕事などに精一杯頑張っている自分に、逆にゆっくりと自分の体を、呼吸を味わい、聞こえてくる島の声を感じる時、“生”の実感を味わえるかもしれません(座禅がそんな感じでしょうか)
 おいしいものを食べた時、好きな音楽を聴いている時、庭の花を眺めている時などささいなことに幸せ感を味わい、生きる意味を感じるということもあります。
 あるお母さんに生きる意味を尋ねたら、「生きていてよかった」と思えること、「楽しし」と感じること、を大切に生きたい、との答でした。「こう思う前は、他の人の目、評価を気にして心の安らぎもなく過ごしていたが、子どもがひきこもるようになって、気づかされた」とのことです。
 高度成長期は、成功、沢山働いて、沢山収入を得ること、そして社会から認められることが、生きる意味のように思われていましたが、それには適応できない人が多く出て来て、少しは見直されて来ているようですが、まだまだ、根強くあります。
 働いていない、働けない青年は「自分は社会から認められない、それは自分には生きる意味がないことなのだ」と思ってしまう場合が多い、と思います。「どんな人も生きる意味はあるのだ」と言っても簡単には同意できないでしょう。
 自分の存在を肯定的に感じることが根本にあることが必要かもしれません。でもどうしたら、存在を肯定できるのか。人は社会一般的ではない人を否定しがちです。でも、存在そのものを誰が否定できるのでしょう。否定する権利はないように思います。
 まわりの人がその人の存在を肯定する――状態全部を受け入れられなくても――ことはできないでしょうか。
 そして、小さな楽しさを感じることの積み重ねが、自分を肯定し、生きる意味を感じさせるのかもしれません。青年の思いでのT.Nさんも言ってるように、しばしの間でも瞬間でも、楽しさや心地良さや嬉しさを感じることを大切にして。

2010/06/02

正しい行動から愉しい行動へ

 5月末、内外の社会情勢、ニュースを見聞きするにつれ、心が重くなります。沖縄の基地問題は沖縄の人々を“裏切る”決着になりそうです。韓国と北朝鮮の関係も険悪な状態になって来ました。
 青年たち(男女)も苦しみからなかなか抜け出せない…。(かなり抜け出している青年もいますが)
 先月号では「光と影」について述べました。世間一般が認めているものを“光”とし、個々にはどうしても起きてしまうが、一般には認められないものを“影”として、人生には両方ある――それを受け入れられれば、精神的な苦しみは弱まるのではないか…。
 一人の青年が感想を送ってくれました。(「青年の思い」に載せました)「子供の頃に親から“光と影”の両方があることを教えてくれていたら、もっと素直に生きられたのに。でも気づいた時から、本当の意味での「生きる」が始まる…」と。
 “光”については他の言葉で言えば「世間一般が言うことは“正しい”とする」ことだと言えるでしょう。正しいか、正しくないかを基準に考えてできるだけ“正しい”ことをすべきだ、と子供の頃から植えつけられて来ました。つまり他の人たちの評価を第一に考えてしまう。個々には能力的なもの、気質的なもの、環境的なものが違うわけで、いつも誰でもみんなに認められることができるわけではありません。それなのに、日本人は真面目で勤勉な国民性があって、「努力すればできる、頑張ればできる」と言われがちです。
 真面目であればあるほど、それができない自分を責め、それが精神的な病を引き起こしたりします。
 他から認められる、評価される“正しい”行動をしよう――ということは2月号でも述べた、他者報酬追求型行動(生き方)と言えます。そしてそれに対して自分を自分で認め、自分がしたいことをする。自分が愉しいことをする、という自己報酬追求型行動(生き方)があります。
 本能で生きている動物や文明が素朴であった時代は、他者報酬追求型行動と自己報酬追求型行動の区別はなかったと思います。でも、現在はとても複雑になって来ました。考えてみれば皆が“正しい”と言っても、100人が100人同じ考えではないし、同じことができるわけではない、無理があります。“正しい”と思われる行動よりも、自分がしたいこと“愉しい”と思うことをする――という方向に向かえば、苦しさ、しんどさは弱まると思います。
 それに気づいた青年がいます。職場の同僚と同じように働けない自分を責め、そのようにさせた(と思う)親を責め、そしてまた、親を責める自分を責める、そしてその辛さから過食に走り、またそういう自分を責めてしまう――という悪循環の中にいた、青年。でも、自分は“正しい”ことばかりしようとしている、でも、人と同じにできなくてもよい、できない自分を責めないで自分のために、自分が愉しい思いをするために行動する、働く、生きる――と考えるようになり、悪循環から抜け出しつつあります。
 また、親が子供に「アルバイトくらいできるでしょう、なぜ働かないの?」と言ったりする場合もよくありますが、大人になるまでの過程や、働いた体験から、人がこわい、特に職場の人間関係や集団の中で過ごすことに苦痛、恐怖を感じる、ことがなかなか理解できません。世間が認める働き方、生き方しか“正しい”と思えない…

生きる意味
 テレビで社会学者の上田紀行さんが話した言葉にはっとしました。
 今、日本の社会は不況であり、自殺者も多い。でもそれは経済的不況よりも、「生きる意味の不況」の方が重大だというのです。経済の高度成長期は「よく勉強し、いい学校にはいり、いい会社に勤め、高い給料をもらって、豊かな生活をする」という生きる意味を持てた。でも今はそれを持てない、そして、それに代わる生きる意味がみつからない――というわけです。上田さんが学生に聞いたところ、半数が、「自分は使い捨ての存在」と言ってるそうです。
 それぞれがそれぞれの生きる意味が持てる“生きる意味の自由、自立”が大切、そして、それを可能にする社会の支えが必要だ、様々な意味で弱さを持った人に対して、何としても支え切る社会のシステムが必要だ――とも言っています。
 ある青年が「納得できるような生きる意味が見つかったら、自分は動けるだろう」と言った言葉を思い出します。
 彼は高校生の時に学校の行事のための集団活動が非常に苦痛になって来て「自分はサラリーマンにはなれない、でもサラリーマン以外の働き方を知らない」:と絶望的になったそうです。「サラリーマンとしてお金のために頑張り、競争し、豊かな生活をする」という一般的な価値志向(生きる意味)に違和感を感じたようです。
 その後、アルバイトをしましたが、なじめず、だんだん辛くなり、頑張ろうとしても仕事も続かず、働けなくなって、家にいるわけですが、「中学生、高校生の頃に、サラリーマンだけでなく、色々な職業があり、色々な生きる意味があることを教えてくれたら、学ぶことができていたら」とも言っています。
 それぞれが自分の“生きる意味”が持てる社会、ハンディがあっても、障害があったり、老人になり、自分の力だけでは動けなくなっても、社会が支える、社会に、人に助けられながらも、自分の存在の意味を感じられる――という社会であったら!
 老後も、人に援助を受けて生活しながらも、「迷惑をかけているから愉しんではいけない」と思わないで、「愉しんでいいんだ」と思える社会。そして、生活保護なども、「迷惑をかけるから受けない」と無理をしないで、弱さを持った人を助ける、お互いに助け合うことが同意される社会であってほしい、と思います。
 ある青年の場合、幼い頃から、精神的な弱さを持った母親を助けてあげたい、と思いながら生きて来て、成人して母親と2人の生活を何とか支えて来たのですが、自分も様々な葛藤の中で心の病いを持ち、でも経済的には働かなければならないと頑張って来て、限界に来ている状態になっています。社会制度の援助を受けて働くことを休むか少くして、ゆっくりして愉しさも感じる生活をしてほしい、と思うのですが、抵抗があるようです。頑張ること、母親を支えることに生きる意味を感じていたからかもしれません。自分を大切にするような「生きる意味」に変えられたら、と思います。

2010/05/09

光と影

 4月は冬に逆戻りの日がくり返しましたが、5月を迎え、木々の新緑が光に映え、目にしみて、春は確実に訪れ、そして初夏に向かっているのを感じます。しばし心もなごやかに、ほっとするような感じになりますが、新緑を見ても、心が動かない、癒やされない人もいるだろう、道草の家の青年たち(20代、30代の男女)のことを考えます。
 そして、最近、長谷川博一さん(カウンセラー、東海女子大学教授)の著書を何冊か読み、「ああそうなんだ、そうかもしれない」――と、私達の心、そして「なぜ苦しむのだろう」という問いへの答えが、かなり得られたように思います。悩み苦しみながら、「どうしたらいいか、どう考えたら心が落ちつくか」分からないまま、社会に出られない多くの青年たち、そしてその親の方たちのことを思いました。
 それは、人には、人の生には、光と影があるのに、光ばかり求めて、それが得られない自分、影の部分がある自分を「ダメな人間だ」と思い、苦しみに陥るのではないか、と思うのです。
 長谷川さんの本の中に、あるお坊さんの言葉として、木の葉が秋に落葉となる時、表を向けたり裏を向けたりしながらひらひらと舞い降りる、表だけ見せて落ちることはできない。人間の生も、表と裏があり、両方をみせながら生きるのがよい――とありました。そのことが長谷川さんがカウンセリングをした東ちづるさんの著書「<私>はなぜカウンセリングを受けたのか」に書かれています。
 女優の他司会やコメンテーター、ボランティアなど多方面に活躍しているちづるさんが、一人になると、自責の念、自己嫌悪に陥り、虚しさ、さびしさに涙し、大声で叫びたくなる、死にたくなるという苦しみを抱えていたとは想像もしませんでした。
 でも、30代半ばで、自分はAC(アダルトチルドレン)だったと気づきました。自分のことよりまわりに気を使い、“いい人”として生きて来た、自分の本当の気持ちを知ろうともせず、相手、まわりの期待に合わせてしまう…お母さん自身が、まわりの人、世間の人、家族にとって、いつも明るくしっかりした人でいることを一生懸命やって来て、それをちづるさんにも期待し、ちづるさんはそれに応えて、家でも学校でも“いい子”をやって来たわけです。相手の期待に「できない」とか「いやだ」とかも言うことなく。それはいつも“光”だけで生きようとして“影”を認めない、無理な生き方だったわけです。
 また「子どもたちの『かすれた声』」の中では、「キレる」少年たち、ふつうの子がキレて(解離状態を起こし)犯罪を犯してしまうのも、自分の影の部分(「人と同じようにできない」とか、まわりから「ダメだ、ダメだ」と言われそれに反発できず自分も「ダメな自分」と思ってしまう)がふくらんで、自己否定感と、絶望感が爆発した、と言っています。女の子の場合、摂食障害やリストカットもそうした解離状態だとのことです。(みんなが「光」と「影」を認め、両面を生きることが大切なのに)

影を認めない社会
 なぜそういうことが多くなったのでしょう。
 一つは、社会全体が、進歩、発展とか高度成長に価値をおき、だれでも努力、頑張れば上昇できる――という風潮があって光の部分が強調されたのでは、と思います。「頑張る」ことに最大の価値があるような。(ちなみに外国では「頑張れ」という言葉はないそうです。強いて英語に訳せば「chin up」で「上を向け」「めげるな」「自信を持て」という意味
になる)
 もう一つは、日本の伝統的な社会風潮として、「世間に合わせる」「人と協調する」ことを大切にしており、人と違ったり、一般的でないことを恥しいとか、いけないことに思ってしまう。そういう影の部分を認めない風潮があります。そしてそんな中で不登校、ひきこもっている、働いていない自分を「ダメな人間」と思って、それはまた、対人恐怖、神経症、うつなどの症状にもなって行きます。そして働く自信、意欲を奪います。
 たとえば、子どもが小さい頃、一人遊びが好きなのを、「仲間と遊ばなければ」、という親の価値観があり、親は子どもを一生懸命、仲間と遊ばせようとした、子どもは自分の気持に合わないことを強いられ、でもそれが十分できないことに「自分はダメな人間なんだ」という思い、そのまま大人になる。いざ働こうとしても、働くことに恐怖を感じる。でも親は「自分が頑張って来た、頑張って働けたのだから、子どもも頑張れば働けるはず」という思いから抜けられない。親子の溝は埋まらない…。
 私のことを言えば、母は完璧主義、「失敗してはいけない」という思いが強く、私も「失敗することはいけないことだ」という価値観を植えつけられたように思います。でも、性格的にのんびりしているので、母の言うことをきちんきちんとはできず、頑張ることもできず、いわゆる“いい子”にはなりませんでした。ただコンプレックスばかり強くなり、悩むことが多くなりました。それでも社会に出られたのは、時代がのんびりしていたことと、幼い頃は親の干渉も少なく、友達と自由に遊び、友達関係を作る力がついていたからだと思います。でもこの頃も、「うまくいかないのでは」とか「失敗したのでは」と思って、ゆううつ感をふーっと感じる時があります。
 これが、本人が完璧主義で頑張り屋の気質があれば、まわりもそういうことを評価するという現代の風潮の中で(学校が特に)完璧にしよう、頑張ろうとする気持が助長されます。でもそれは続かず力がつきる、でも完璧であることを求め失敗をする自分を責めて苦しむ、という状態になる場合もあります。
 或いは、親がまわり、世間に合わせ、協調する生き方をして来ても生き辛くなかった場合、同じ様に子どもにそれを期待してしまった時、性格的にも時代的にも同じでないので、子どもは内向的で繊細のため、主体的に人と関われず、「人を傷つけないよう」という思いも強くなる、そして人と関われない自分をダメな人間だと自己否定感が強くなる…
 人間は、「できないことも、失敗することもある」「まわりと違うことも多い」。光に照らされることばかりではないはず、「不登校だった」「働いていない」「通院している」など、多数派ではない、影の部分を認めない社会、――そしてそれを感じて自己否定感に陥っている青年たち。
 青年たちは、様々な力、知性も感性も豊か、表現力、器用さもあります。ですから、自己否定感から抜け出せれば、仕事もできるように思います。それには、生きていく中には光ばかりでなく影の部分があるのが自然なのだ、人と違っても、失敗しても、それは自然なことなのだ――と思えることではないでしょうか。

2010/04/21

貧しい国 豊かな国

 母が亡くなって1年半、小じんまりした家に引っ越すことになり家具や、衣類、食器類などの整理に追われてる日々を過ごしています。使われてない(進物の)食器も沢山あり、どう処分したらよいか、また子どもたちが残した本や子ども文庫をした時の本も沢山あり、余り古く汚れてしまった本はリサイクルに出すとしても、簡単には廃棄できず、それを選別するにも時間がかかります。溢れてしまった“物”に、使われない物に囲まれてしまったことを痛感します。
 そんな、すっきりしない気持、また、青年たちも、様々な状態で苦しんでいるのを感じる日々。過去のことを思い出して(ふっと浮かんでしまう)苦しい思い、うつの気分になってしまったり、強迫観念と戦う日々苦しさに耐えていたり経済的に厳しく、不安定な気分を抱えながら働かざるを得ない青年。
 そして、外(日本の社会)に目を向ければ、年間3万人以上の自殺者そして、孤独死の老人・・・
 こんなことを(いつもではありませんが)感じている時「インパラの朝」(中村安希、集英社)という本に出会い、一気に読み、“生きることの本質”について考えさせられました。
 これは27才の女性が約2年かけて、東南アジアから中近東そしてアフリカに一人旅(バックパッカー)をした記録ですが、観光旅行ではなくその国の人々のふつうの庶民の、暮らしを体験したい、というものでした。
 私がまず、驚いたのは、どの国の人々も、前からの知り合いのように声をかけ、家に招き、ご馳走をし、宿泊もさせたりもしたこと。外国の人を警戒もせず、最初からの友達のように、家族のように扱う、誰にも、裏表なく、接することができる人間信頼感!
 彼女(著者)は、自分は女性だからかもしれない、と言ってますが、以前、ある青年から、トルコなど中近東を一人旅した時、街などですれちがった、現地の人が、自宅の食事に誘ってくれた、と言い、「中東を旅してる時は、現地の人々は裏表がない。気持が安らいでいた。モスクなどにも誘われて、お祈りの場にいたが、違和感はなかった。でも日本に帰ると、人に意地悪されている思いになって人が怖くなる、とても働く気にならない」と言っていました。男性でも、旅人を歓迎してくれるようです。
 彼女がイランにはいった時、誘ってくれたイラン人に「テロなどこわいイメージがあるのだけど」という言葉に「外国にはそういうイメージしか伝わってないようだけど、私たちは仲良く、楽しくくらしている。私たちの生活を知ってほしい」との答えでした。アフリカに渡ってからの旅、エチオピア、ケニアなどの東アフリカ、ザンビア、南アフリカなどの南アフリカ、ガーナ、ニジェールなどの西アフリカ、そして、サハラを北上しモロッコへ…という実に沢山の国々をバスやトロッコの列車、そしてヒッチハイクのトラックなどに乗って旅した訳ですが、いつも、バスなどで一緒になった人が、あるいは、通りで出会った人が困っているのを助けてくれ、何泊もさせ、ご馳走をしてくれたり、次の行先のための交通手段を考えて手配してくれたり、それも殆んど無償で。
 それを読むにつれ、私たちは見ず知らずの人にそんなことはできない、国民同志でも助け合う気持は低く、格差が広がり、“貧困”という言葉が日常的に出て来る日本。物に溢れ、飲食も衣類などもまだまだぜいたく、でも本当に困っている人を救えない。将来への不安は殆んどの国民は持っている…。アフリカと日本はどちらが貧しい国か、どちらが豊かな国か…。彼女の言葉は印象的です。(まとめると)
 「私はアフリカへ行って貧困と向き合い、現地の惨状を確認し世界に現状を知らせ、アフリカの貧困の撲滅を訴え、慈愛に溢れる発想を示すはずだった。けれど、あてがはずれた。なぜなら予想していた貧困が思うように見つからなかった、人々は不幸な顔をしてなかった。
 アフリカは教える場所ではなくて、教えれくれる場所。助けてあげる対象ではなく、助けてくれる人々だった・・・
 アフリカは小さな声で、小さなその手で、助けてくれた。迷い込んだサバンナで、体力の尽きた路地裏で、意味も分からず乗り込んだバスや、暗くなった街角で、私に多くの暖かい手をアフリカはいつも差し伸べてきた」

感動した本、癒されるアニメ…
 青年の集いでは、笑いの絶えない楽しい会話がなされたり、今自分が抱えている悩みが話されたり(それへのみんなの思いが語られる)様々なことが話し合われます。
 先日は、自分の好きなアニメ、ストーリーに感動した、ということが話されました。「その主人公の思いがけない死の場面から、『自分は死んではいけない、生きなければいけない、苦しくても』という思いになった。原作者に『ありがとう』と言いたいけど、手紙ではなく、実際に会って伝えたい。それは、もっと自分が成長してから」。一つのアニメ、映画、一冊の本、マンガが、見る人に読む人に生きる勇気を与えてくれる――すばらしいと思いました。
 私も本が好きでよく読みます。心が癒されるものもあれば、心の問題や社会問題をより理解できるようなものもあります。
 家の本を整理しながら、「この本は読んだ時感動したな。もう一度読んでみたい」という本にいくつも出会いました。内容のくわしいことは覚えてませんが「よかったな」とう思いは残っています。今後「不登校クラス」が始まった時、子どもたちに読んでほしい、と思い、道草の家の方に移そうと思ってます。そして出歩けなくなった老後も本を読みながら過ごせば、退屈しないでしょう。
 絵本は、短く、すぐ読めますが、少ない言葉の中に、絵の中に作者の凝縮された思いが伝わってきます。
 私の子どもの頃は、終戦前後で子どものための本もあまりなく、また買ってもらえず、私の子どもが、子どもの頃に私が子ども会の役員になった時「子ども文庫」を作ろうという案が出て、各家から本を持ちよって「子ども文庫」を作りました。その時、絵本や童話に目覚めました。
 絵本や童話を読むと、心が癒されたり、豊かになった気持になります。現実には起こり得ないことも、自然に感じます。動物が話す、違う種の動物が話し合ったり、人間と動物が話をしあったり、助け合ったりします。勧善懲悪ではないけど、人間同志もこうなれるのではないか、こうなりたい…というものを感じます。或いは、自然の豊かさ、親と子の思いやり(動物の形のも多い)、友だちへの思いやり、旅人への思いやり、本来は人間、親子や、訪れる人と信じ合える、助け合える、思いやれるものではないか、そして楽しくすごせるものでは?――アフリカの人々のように――という思いにさせられます。

2010/03/06

心のことは割り切れない

 「心のことは割りきれない、十分には理解できないことが多い」と思うのですが、どうでしょうか。
 薬が日々開発され、病気(体の)治療も日に日に進んでるような感がします。体の病気も、心、精神と結びついていて、“薬だけで”とは言えませんが、薬の効果はかなりあると思います。
 そして、「精神的な病気も薬で直る」と思いがちですが、(特に身近にそういう人と接してない人は)、非常に複雑であり、難しさを感じます。科学的に論理的には割り切れない“心”を大切にして来なかった“つけ”が――科学が発達しても――今来ているのかと思います。
 私たちのように、居場所を開いたりして社会復帰を目指しているプロなのに、なぜ青年たちを“働く方向に”持って行かれないのか――を疑問を持つ方もいるようですが、青年たちと接していると、そう簡単ではないと感じます。
 皆「働きたい、働けるようになりたい」と思ってます。でもそれは、ほど遠いことのように思ったり、また、「一歩勇気を出せば」と思ってもその一歩が出なかったり、ということがあります。働くことを考える以前に日々過ごすことの辛さ(精神的な不安定さ、――不安、うつ、いらいらなど)と闘っている青年もいます。調子がいい時は出てくるのですが。
 さらに、対人恐怖が強く、働くことが大変でも、経済的にどうしても働かなければならない、と頑張っている青年もいます。それよりも、働かない自分を許せない、働かないで毎日家にいてゆっくりすることもできない(「ゆっくりして病気を直したら?」と言うのですが)という、複雑な気持を抱いているのです。つめて働くことはストレスがたまり無理なので1日おきぐらいに働いて、障害者年金などで補うものがあるといいのですが、成人した後、年金を払えなかったので、障害者年金はもらえない状況です。
 過去のことを色々と後悔したり、働けない自分を責めたり、今の自分をダメだと思ったり、また人と接する中でも、傷つくことが多く、否定されるのではないか、と言う不安を抱いている青年たち、先に述べたように、何げない話を楽しくしたり、悩みを分かち合ったり、そして、積極的に心を癒す心理療法の必要性も感じるこの頃です。

和田ミトリ

思ってもできないことがある



  科学が発達し、近代化社会になり、科学的に――科学で全て分かるわけではないのですが、――計算して、計画をたて、実行すれば、努力すれば計画通りに物ができる、という考えにもとずき、生産性が高まり、高度経済成長期が続きました。その中で病気に対する薬も開発されて来ました。
 努力すれば、計画が達成できる、成功する――という考えは、人々の中に浸透して、今の中高年は、そうした中で頑張って来て、高度成長を支えて来ました。今はバブルもはじけ、反省も出て来ましたが、でも、努力、頑張ることが大切だ、という思いは根強くあるように思います。
「なぜ働かないのか」「働こうとしないのか」(働きたくても働く場がない現状とは別にして)ニートやひきこもる青年に対し、疑問を感じる人も多いと思います。特に父親は、働くのは当然と思って来ましたし、外との交流を断ち、親にも心を閉ざす子どもを、或いは外に出られても、働こうとしない子どもをなかなか理解できない。また、男女問わず、仕事のことだけでなく、日常生活の中でも、人間関係などにも、頑張って、努力して、思うことができた人は、「やってみればいいのに」「やってみないとできるかどうか分からないのに」と思いがちです。
 私は「思うことが、思ってもできないことがいっぱいある」という感じで生きて来た様に思います。例えば人前で緊張して話せない(高校生の時、英語など当てられても、ささやくような声しか出なく、隣に座っていた男子に「蚊のなくような声で聞こえない」と言われました)、ぼーっとしていて気がつかない、気配りができない、勉強会でも発言できない…などここには気質、性格の問題(失敗を怖れる、傷つきやすさ、など。)もあるかもしれません。そして、それは育ち方も影響しているかもしれません。

和田ミトリ

心の悩みを分かち合う

  雪が降った2月でしたが、蕗のとうが、道草の家の崖にも生え出しました。スタッフの山元さんが摘んできて、すぐに天ぷらにして、青年たちと味わいました。うすみどり色、少し苦く、そして何とも言えない香りが、春をつげているように感じました。
 去年から、休んでいた青年(女性たち)もまた参加するようになり、話も広がり嬉しく思います。
 去年は明るく話をし、聞き役をしていた青年が、自分の辛い気持を話し、涙も見せたのを、他の青年たちが、「ここは悩みを話せる場、辛い気持をそのまま出してもいい場」そして「自分も辛い時がよくあるので、〇〇さんの気持が分かる、話してくれて嬉しい」などと言い、道草の家が心の悩み、辛さを分かち合える場であることを、青年たちが再確認させてくれました。具体的にすぐ解決策が出なくても、辛さがすぐなくならなくても、仲間やスタッフの共感によって、分かち合うことによって、辛さを少し柔らげることができるでしょう。
 はっきりしたトラウマだったら、それを取り除く心理療法がありますが、継続的な不安感、恐怖感、対人恐怖などは、それを取り除くのは、簡単ではありません。でも仲間、スタッフとたわいのない話をしたり、時々は自分の悩みを話すことで、「楽しかった!」という気持、そして悩みなども受けとめてくれて「人は信頼できるのだ」「信頼できる人もいる」と思えれば、対人恐怖なども少しづつ薄らいでいくと思います。
 でもまた、こうした集りに参加できない青年たちの問題があります。

和田ミトリ

2010/02/12

愛の欲求

  1月は活動開始が遅かったせいか、あっという間に過ぎ、もう2月です。梅の蕾も開き始めました。

 しばらく遠ざかっていた青年も、久し振りに青年の集いに参加できるようになり、また新しく来所した青年も仲間に迎えられ、割合自然に集いの中にいられたようでほっとしています。でも一方では、調子が悪くなり、12月、1月と参加がなかった青年もいます。なかなか連絡が取れない青年もいて心配です。

 親の会でも子どもの将来が見通せない、どう関わっていいか分からない――という話が多く出ます。私も、関わっている青年が、不安定な気持で苦しんでいるのを、どう関わっていいか分からず、考えると胸がひきしまるような感じがします。

 親の方達も、子どもの将来、自分がいなくなった後のことを考えると、どんなに不安を感じることでしょう。でも多くの方が、穏やかに話しておられます。私だったら不安でいっぱいになってしまいそうなのに。

 でも、とても苦しんでいる方もおられます。

 そうした苦しみはどうして起こるのでしょう。親としての子どもに対する心配、不安は当然ですが、それだけではなく、他の人、世間の人たちが、自分たちの親を、ダメな親と非難しているという、思いがあるからではないでしょうか。それが一層、苦しさを増しているように思います。人に認められたい欲求は誰にでもあり、その欲求が満たされず、認めてもらえないことが苦しさになってしまう。それは子どもを愛する気持を邪魔することになりかねません。

 どうしたらいいか、どう考えたらいいか・・・

 人間が生き続けるための欲求として、大きく2種類に分けられます。一つは生理的、身体的欲求(食欲、性欲、睡眠欲など)の一次的欲求と、それが満たされた社会での心理社会的欲求、心の欲求の二次的欲求があります。
 それが不足している場合を図示すると(宗像SAT療法)次のようです。

(図)

 そして、宗像氏は心の欲求を「愛の欲求」と呼び、(この欲求が充たされないと、恐れ、怒り、悲しみ、苦しみなどの二次的情動が生まれる)本質的欲求として3つの欲求をあげています。

①慈愛願望欲求(愛されたい欲求):他者に自分の欲求を無条件に充足されることで満足する欲求。

②自己信頼欲求(自分を愛したい欲求):自分で自分の欲求を充足することで満足する欲求。

③自分が他者の欲求を無条件に充足することで満足する欲求。

「人に愛されないと自分を愛することができず、自分を愛することができないと、人を愛することができない」という原則があります。

 親の方は心の中では「できれば子どもを無条件に愛したい」という気持はあると思います。でも、「子どもがひきこもってるような親はダメな親で社会、人からは認められない」と思って苦しみます。その苦しみは子どもを否定することになり、その思いは子どもに伝わり、子ども自身も自分を否定して一層動けなくなる――ことも考えられます。

 とは言え、私たち日本人にはまわりに合わせ、世間を気にする風潮がありますし、私たちは親に十分に愛され、認められてその欲求を満たして育った、と言える人は少ないと思います。

 では、どうしたらいいか…人から認められなくても、“自分を認め愛する”ようになるには、親の会などで分かり合える仲間の中で認め合う、ということも大事だと思いますが、自分が好きなこと、楽しいことをすることによって自分を愛することができる脳の仕組みがあります。そして自分を愛することができれば、人を愛する方向に向かうことができるでしょう。

  他者報酬追求型生き方と自己報酬追求型生き方

 「青年の思い」の中でも青年たちが言ってるように、青年たちも、「人から認められたい」「社会から認められたい」という思いが強く、傷つき易さもそうしたところから来てることが大きいように思います。競争社会の中で、人との比較に敏感になってるところもあり(繊細な気質もありますが)、不登校だったコンプレックスなどが強かったりして、なかなか自分を認められません。

 親や周りから十分に愛され、認められなかった、ということもありますが、近代社会・産業社会、生産をいかに多く効率よく行えるか、ということが期待され、他者からの評価が中心の社会の影響も大きいと思います。つまり他者報酬型生き方(他者報酬で、認められたい、愛されたいという心の欲求を充足しようとする生き方―SAT理論から)です。そこではどうしても人と比較してしまい、上には上もあり多くの人から賞賛される人はごく限られた人ですし、なかなか自分を認めるようにはなりません。

 他者からの報酬を期待するのではない、自己報酬追求型生き方(自分を愉しみ、他者を愉しむ満足感という自己報酬を追及する生き方)に方向を変えることが大切だと思います。現在は情報化社会に移って来ており、近代社会での他者報酬追求型生き方は行きづまって来ております。今の社会で他者報酬で生きられる人はごく少数ですし、それを求めることは、生き辛さにつながるように思います。生き方、方向を変えるのは、なかなか難しいと思いますが、そうしたことを2月13日(土)の「生きることを考える会」で話し合えればと思います。

(参考文献「SAT療法を学ぶ」金子書房)

 和田ミトリ

2010/01/21

明けましておめでとうございます

 昨年は社会情勢が激しく揺れ、環境問題も厳しく、不安に満ちた一年でした。

 今年も、それがどう変わるか、どう変えて行くのか、先の見通しのない年明けになりました。 

 社会の渦にひきこまれずに(無視するという意味でなく)、自分の生活を、青年たちやまわりの人々との関わりの中で、気持が明るくなるような、できるだけのこと、できることをして共に生きたいと思います。

 若者もそうでない者もまだ発揮してない力があるはずです。その可能性を信じながら。

                            スタッフ一同

 

           新しい年をむかえて

 新しい年になりました。1月1日、今年はどんな年になるのでしょう。

 本当に、社会の情勢のことを考えれば、不安と、私には何もできない無力感を感じます。でも私たちは社会情勢の中にいるものの、全てがそれに重なるわけではなく、個人の生活、精神的な生活、人と人との交わり、芸術や創造的なものを楽しむ生活、自然との交わりなど、人間として、根源的なもの、古来から受けついで来たものが、あるように思います。

 そういう意味で、新しい年に、自分にとっても、まわりの人、気になっている人にとってもいい方向に向かう期待を胸に感じます。

 苦しんでる人に苦しみがやわらぐように、絶望と諦めに陥っている人に「そんなに絶望しなくてもいい、みんなでお互いに支え合えばいいのだから」と言いたい気持ちです。(年の始めだから、気軽に言えるのでしょうが)

 宮沢賢治の「雨にも負けず」を思い出します。こんなふうに悩んでる人、悲しんでる人に声をかけ、話を聴き、慰め、一緒に労働し(手伝って)困っている人を助けられたらどんなにいいでしょう。でも今の日本は非常に複雑になってしまって、心も複雑になってしまって、どういう言葉がいいのか、探さなければなりません。悩みが軽そうに見える場合も、他人にはなかなか理解できないところがあるでしょう。(「親の会」でも話されました)。そして、思いつめてしまって「未来も、今までと同じようにうまく行かないに違いない、苦しいに違いない」と思うのも人間故のことでしょう。


              人間の想像力

 人間は動物と違って、先のことを想像する力があります。

 前にも書きましたが、日照りが続くことを予想して、そのための準備をすることができます。でも悪い方ばかり想像して、不安におびえ、意欲をなくしてしまうこともあります。良い想像をして「~したい」「~になりたい」という希望を持ち、「できそうだ」と思って、意欲が出て、それに向かうこともできるし、絶望して「これからの自分はダメだ。何もできない」と想像すれば意欲も出ません。人間は良いほうにも悪い方にも想像する、想像力がある故にやっかいな動物と言えるかもしれません。

 新しい年に「今年は何かできそうだ、いい年になりそうだ」と期待を、意識してでも持ってほしいと思います。肯定的に、プラスの方向に考えれば、脳の働きも活発になり、意欲も出るし、一方否定的にばかり考えれば、脳の働きは鈍くなり、ますますネガティブになり、うつにもなります。(脳の仕組みについて書かれた本は沢山出ています)

 また、今の生き辛さ、思うように動けない、なども、無意識に過去の体験の記憶に捕われていることがあり、それを良い体験の記憶に変える心理療法もあります。SAT療法――「おきてしまったいやな体験を自分の力で乗り越える」と言うことをイメージする、そのイメージが実際の体験の記憶と入れ変わるというものです。想像力の力が生かされるのです。) 新しい年への期待

 そこで、道草の家でも新しいことをしたいと思います。(9頁にあるような)「不登校クラス開設」は理事の渡部美佐子さんの発案ですが、道草の家に来ている青年の多くが、不登校を経験しており、学校に行けなくなった時、十分なケアがあったら、引きこもりまでにはならなかったのでは、とかねがね思っていました。(渡部さんは、千葉市、市原市の適応指導教室で指導員を10年ほどしています)

 「生きいき生きるためのカウンセリング講座」は、私が以前にカウンセラー養成講座の講師をしていた体験から、カウンセラーにならなくてもカウンセリングマインドを身につけることで、生きやすくなり、人間関係もよくなる、と思っていましたので、啓蒙活動とPR活動の意味もあり、実施したいと思います。(協同募金助成金の申請もしてます)

 「パソコン修理室開設」は青年が「パソコン関係の仕事をしたいと思っても、短時間で週3、4日の仕事はなかなか見つからない。パソコンの修理は、自宅で自分のペースで出来る、と聞いたので、道草の家でやってくれないか」という要望があり、他の青年も「人が大勢いる所では、緊張して働けないので、道草の家でのパソコン修理だったら是非やりたい」と言いますので、開設できれば、と思います。ただし、それを担当する、運営してくれるボランティアの方がいれば、のことです。お知り合いの方でもいらっしゃらないでしょうか。見つかるまで呼びかけたいと思います。


      働いている者にとっても話せる場を

 昨年の暮れ、思いがけない青年が訪れました。5、6年前に数回青年の集いに参加した青年、お母さんからは、派遣の仕事で他の県に行っていると聞いてました。「覚えてますか」と聞かれてぼんやりした記憶でしたが、だんだんと名前と参加してた頃の彼を思い出しました。派遣切りに会った話は「青年の集い」(6頁)にまとめてありますが、考えされられたのは、「派遣の厳しさ、派遣切りのひどさ」と「働いている者にとっても、悩みを話せる場、聞いてくれる仲間が必要だ」ということです。具体的な解決に至らなくても。でも欲を言えば、仕事ができなくなった時の経済問題や、就労を一緒に考え、つきそってくれるボランティアの方がいれば、と強く思います。

 和田ミトリ

2010/01/07

「道草の家」会報100号を迎えて

 11月号を作っている時、青年から「12月でちょうど100号になりますよ。記念号にしたら?」と言われました。「あ、もう100号になるのだ、いつの間に!」毎月毎月、休まずにとにかく発行することだけを考えて来た8年4ヶ月です。

 道草の家の活動を始めて1年たった時、(2001年9月)青年の集いに参加している青年から「たまにしか来られない青年や、こういう居場所に『行ってみたい』と思っている青年に、毎月のスケジュール表と、ちょっとした文、お誘いの文や感想などを載せたお便りを送ったら?」という提案があり、毎月お便りを出すことになりました。
 しばらくは6頁でしたが3年ほど前から8頁になり、内容も豊富になりました。カットも最初はカット集からとっていましたが、イラストが描ける青年(女性が多い)が現れ、オリジナルなものになりました。内容とは特に関係なく描いてくれたものを、活字に打ち込まれた文や詩の間のスペースに組み入れて行くのが私の楽しみとなり、「これで今月号も出来た!」と心の中で叫びます。

 とは言え、100号記念号としてどうしたらいいのか、十分考える余裕のないまま過ぎてしまい、ただ青年たち、特に仕事を始めたりして青年の集いにあまり来なくなった青年に呼びかけ、「私と道草の家」というようなテーマで書いて貰うように頼みました。親のかたにもお願いしました。数はそう多くはありませんが、嬉しい言葉を頂きました。

 

         いいこともやなこともあった・・・

 私の子どもより若い青年たちと日々接しているのですが、「自分の未来は考えられない」「自分は何もできない」「自分はこれから社会の中で生きられそうもない」「苦しみしか考えられない」など、絶望的になったり、諦めてしまっている青年がいます。
 私の生きてきた年数の半分にも満たない、1/3にも満たない青年たちがこんなふうに思う…どんな言葉をかけたらいいのか、青年の心に響くような言葉は何か。思い悩みます。

 わたしは思春期頃から、人と話すことに、判断することにコンプレックスを抱いてきました。色々と悩んで来ました。この頃になってやっと青年たちと話せる、親御さんとも話せるようになった(勿論、十分ではありませんが)と感じ、やっと成長したな、と思います。今だに大勢の前で話すのは苦手ですが。

 青年たちの多くは、私の若い頃より表現力があるように思います。感性も知性も豊か…なのに絶望し、諦めてしまって「これからも同じ」「社会に出れば同じ苦しみを味わうことになる」と思ってしまう。・・・それだけ辛い、苦しい経験をした――ということかもしれませんが。

 でもちょっとでも楽しいこと、嬉しいことはなかったでしょうか。私は失敗も多くし、苦い経験も沢山しました。挫折も何回となくしました。でもいいことも楽しいこともあったと思います。本が好きだったり映画が好きだったり、絵が好きだったり(観ることが中心)自然にひかれたり、好きなことが色々あったからかもしれません。
 青年たちが、少しでも自分が好きなことして、これから楽しいことを嬉しいことを見つけて行かれるのではないかと思うのですが。

 そして、人間色々の生き方があっていいはず。一般的な生き方でなくても人と比べないで、“楽しさ”を、小さなものでも、大事にしながら、自分の生き方を見つけてほしい、と思います。
(でも、簡単にそうは思えない――という青年の声が聞こえて来そうです。)

 ただ、人は一生かけて成長するのではないでしょうか。社会に出ている人も、“成長した人”というわけではなく、色々と未熟な面があります。例えば感情が育ってない人が多いのを感じます。

 

                本来の自分

 人と交わりを避けている自分、人とうまく交われない自分、働いていない自分、働いていても思うようでない…をダメな人間として自分を責めている青年が多くいます。今の自分を受け入れられない…「ありのままの自分を受け入れることから動き出せる」とよく言われます。でも、ありのままの自分、ダメなところがあるのを受け入れられればいいですが、“もっとよく生きたい!もっと違う自分になりたい!”と思うのも自然です。精神的に落ちこんで動けなくなった時、そういう自分を責めていれば、ますます落ちこみ、動きがとれなくなってしまいます。悪循環。

 人間には、色々な面があります。落ちこんでいる自分も自分の一部かもしれませんが、自分の生きいきした面が隠されてしまっているのだと思います。人間、生まれたばかりの赤ちゃんは、自分をダメな人間とは勿論思いませんし、自分の欲求のまま快、不快で、喜んだり、泣いたりします。赤ちゃん、幼児は生き生きと笑い泣き、怒り、そして自分で楽しいことを見つけて、遊びます。・・本来は人間はこのようではなかったのでしは?でも、文明が発達すればするほど、無邪気にすごす、ということは難しくなります。或いは、その国による社会風土、社会状況によっても。日本は精神的に生き辛さを感じる若者が多くなってるように思います。
 本来の自分を取り戻してほしい!!

 SAT療法に「未来自己イメージ法」「宇宙自己イメージ法」という本来の自分を感じる心理療法があります。SAT未来自己イメージ法は、大まかに言いますと、強力なスポンサーがいて、支援してもらえると仮定して、自分がやってみたい「愉しいこと、リラックスすること、幸せなこと、元気が出ること」をイメージしてみる。十分イメージして満足したら、自分に自信がつけるように、何かチャレンジするか、学習することをイメージする。自信がついた自分が十分イメージできた時、「フッと浮かぶ自己像(表情や服装や人柄など)が、“本来の自分”――というものです。
 もっと自分でも、肯定できるような本来の自分、本当の自分がいるはずです。一緒に見つけませんか。