2011/04/06

東日本大震災に思う

 何と表現したらいいのでしょうか。津波の後の被災地の画面!信じられない!バーチャルの世界を見ているようです。実感が湧かない。でも、見続けていると気が重くなる。でも見続けないと!という気持も起こる。子どもたちに携帯のメールをすると返事がすぐ来て、無事を知る。福島県の親戚に電話をして2日目に通じて、無事を知る。「よかった」と言い、喜び合う…でも、「無事でない多くの人がいるのだ」という思いが頭をよぎる。やはり、身近でない人でないと実感が湧かないのか…。
 皆さんも、この大震災で、様々な思い、心痛を感じたことでしょう。震度6強の地震は、初めての経験、本当にびっくりしました。11日は「青年の集い」の中で、青年とボランティアスタッフの3人でしたが、テーブルの下に潜りました。そしてテレビをつけると、震源地は宮城沖、…マグニチュードは時間を追って高くなります。津波の情報、岩手県の海岸沿いに親戚があるM君、「大丈夫かしら」と言うと、「海岸に近いけど高台に家があるから大丈夫」との答でした。
 でも、次の「青年の集い」(14日)では、M君は、「親戚は、津波の被害が大きくて、テレビに地名も出ている陸前高田、連絡が取れなくて、無事だったら連絡してくるはずなのに、連絡をくれないのは、ダメだったかもしれない。」と涙ぐんでいます。どういう言葉が、彼の気持を受けとめることになるのか、言葉が見つかりません。
 その3日後に彼からメールが来て、「親戚が連絡して来て、全員無事だった」とのこと、私もほっとし嬉しく思いました。
 でも、親戚や友人が亡くなったり、行方不明になっている人は、実に多いと思いますし、避難所(自宅も)に過ごしている方たちも家族が亡くなったり行方不明になっている場合が多い、不安と寒さに耐えながら、どんな気持でしょう。
 支援がなかなか届かない、というニュースを見て、(自分も何もできないのですが)もどかしさを感じていましたが、少しづつ届くようになって来たようです。
 国中で、「少しでも支援したい」と思う人々が、大勢物資や行動で支援をしています。一方では、食料など買しめする人もいます。「みんなで助け合いたい。助け合えば何とかなる」という気持と、「人は当てにならない。自分のこと、自分の家族は自分で守るしかない」という気持と、二つの気持が複層しているのを感じます。
 「人は当てにならない」と思う人は、人との関係に不安を感じ、「助け合える」という感覚がないのでしょう。また、豊かな生活に慣れて、物がなくなった時、「どうしたらいいか」という不安が強いのかと思います。私は戦前の生まれで、終戦前後の貧しい生活を体験をしているので、「物がなくなる、少なくなる」―ということには「その時はその時」と思えます。また、自分だけがお腹いっぱいごはんを食べていて、隣の人が食べるものがない―ということには平気でいられないように感じます。と言って、現在も、私の身近にいないだけで、食べるものがほとんどない人は大勢いるわけで、そういう人のために、何かしているわけではないのですが。
 私にできることは何だろう―と考えます。今、できることをしたいと思います。青年たちを支えること、悩み苦しみ、生き辛さを抱えている青年たちを支えること―それによって私も支えられている―だと思います。
 青年たちが、(少数でも)元気になることが、この社会のエネルギーをほんの少しでも高めることになると思います。やっとの思いで働いている青年(道草の家で関わっている)もこの地震で仕事が縮小されたり、待機ということが起こっています。経済的にはなかなか支えられませんが、(必要な青年もいますが)、少しでも心の支えになりたい、道草の家として支えられたらと思います。
 そして私自身の心身の健康をできるだけ保って、被災地の復興の足をひっぱらないようにしたい。また、原発事故の問題も不安がつのっていますが、これからの日本社会をどう再生するか、考えなければならないと思います。今までの物質的豊かさは求められない。質素な生活の中にも心の豊かさが感じられるような…。
青年たちへ
必死に生きている青年たちに呼びかけたい気持でいっぱいです。
Nさんへ
 「今は生きている、という実感がある」と元気に話すNさん。1年前と見違えるようです。自分の感情を大事に、自分の感情をもとに考えたり、話したり、動いたりしているのですね。
 去年、家を出て、パートナーと住むようになって、自分の足で自分の気持で生きるようになったのですね。それまでは、外での人間関係に辛くなると、家にひきこもって、親に当たり、親も「よしよし」してくれた。――共依存だったと、今は思う。子どもの頃から親の期待に応えることで守られているような…でも外で相手の期待に応えるように合わせても、人は守ってはくれないし、違和感を感じ辛くなる。たえきれなくて、不登校、ひきこもりをくり返して来た。でもどん底に落ちこんだ時、親との共依存に気がついた。親に反発しながらも親に依存している自分。親から離れよう!親にも言いたいこと、本当の気持を言おう。――と、実行しているNさん。
 親を乗り越えて、一段と大きくなって、自分の道を歩んで下さい。
Cさんへ
 「こころのサプリメント」に参加して、感想を述べてくれたCさん。「トラウマによって心の傷も大きいけど、トラウマによって成長したのもある」と聞いて、「そうかもしれない」と思った、とのこと。子どもの頃から、友だちと積極的に楽しく遊ぶということがなく、気を使って過ごして来た、クラスのいじめ、からかいから不登校になり、ひきこもり状態になった約10年、でも「これではいけない」と思い、少しづつ外へ出たが、そこでも傷ついてしまう。――をくり返しながら、でも最近は人と関わることの楽しさも感じるようになった。けれど「人と関わることは傷つくこともある。」ことを受け入れるには苦しい…やはり、ひきこもりのブランクがある自分はダメなのか――という思いも起きたりする。…
 “ひきこもり”はただの空白か、無駄な時間なのでしょうか、そうは思いません。その中で考え苦しんだことは、感じる力、考える力を豊かにしたと思うし、また、そこから人の中にはいって行く過程に感じたことは、同じような体験をした人の心の痛みに共感する力を育てている、と思います。
 実際、青年の集いで話すCさんは、人の話に共感したり考えたりする力を感じ、私も一緒に話し合うことが充実するのを感じます。これからも、落ち込むことがあるかと思いますが、それが自分を豊かにすることを信じて下さい。一緒に信頼し合い支え合う、仲間(スタッフも)がいるのですから。