2018/12/01

オーロラ


夜は一人なので、割とテレビを見ます。社会問題、「人間とは何か」(AIについて等)など興味深いものも多くあります。一方、「宇宙のこと」(他の星、「宇宙人はいるか」等)、この間は「AIと感情について」と「世界のオーロラ」についての放送がありました。同時刻なのでどちらを見ようか、一瞬迷いましたが、「オーロラ」の方を見ることにしました。実際に見ようとすれば、北極に近いところ(アイスランド)に行かなければなりません。でもテレビで放送されるのも、十分見ごたえがありました。とてもきれいです。金色というのか、黄色、若草色というのか、暗い北極の空に輝いています(そして今は、世界の各地で赤いオーロラを見るとのことです)。自然はこんなに美しい」と思いました。

動物の番組も多くあり、アフリカなどに住んでいるライオンや象の生態も放送されており、間近に見られます(実際は遠くから映しているのでしょう)。

自然には癒されます。励まされます。そう感じるのも人間だからでしょう。

小さなもの


先日、日本精神保健社会学会(小規模の学会です)で、道草の家の活動について発表しました。

私は、人前で話すことが苦手で、緊張します。とにかく発表は何とかやり終えましたが、終わった後、内容が聴いている人たちに伝わっただろうか、と不安になりました。

でも、ふと思いました。小さなもの、少ないことでも伝わればいいのではないか。小さなことでも何か伝われば、それは意味あることだと思いました。他の方の発表を聴いても、全部を捉えることは出来ません。小さなことでも。少ないことでも心に残ればいいのではないか、と思いました。

日々の生活の中でも言えることだと思います。来所の青年(青年の集いに参加する青年)は、ここ数年少なくなりました。一人、二人、三人位です。でもそこで話し合うことは、お互いに何か得るものがあるのではないか、小さなことでも、何かあるのではないかと思います。

青年の言葉を一つ一つ大事にすれば、言葉は少なくともお互いに伝え合うことが出来ると思います。

みかん


千葉は、みかん畑はありませんが、近くの道路、路地を歩いていると、庭にみかんの木が一本、植えられているお家があるのを目にします。

先日、あまり通らない路地を歩いていると、みかんの木が見え、門も開いています。その前を通りながら中を見ると、その家の方がこちらを見て、「みかん、持って行きませんか」と声をかけてくれ、一袋のみかんを下さいました。頂いて、家に帰り、袋を開けると、数個の小さなみかん(スーパーでいつも買っている)と、小ぶりの夏みかん位ある大きなみかんが入っていました。

その大きなみかんを、いつも腰掛けているテーブルの真ん中において毎日眺めていました。

そういえば、名古屋に住んでいた子どもの頃、庭にみかんの木(低い)が数本、植わっていて(実は大きかった)、そのみかんはとても甘かったのを思い出しました。

秋から冬にかけて、みかんを食べられるのが日々の楽しみでもあります。