2016/11/02

道草の家を訪れた青年たち


 ひきこもりの青年の居場所として16年活動を続けて来ましたが、ひきこもりの状況は様々です。そして巣立つ状況も或いは来なくなる状況も様々です。

(その前に10年近く、個人カウンセリングで、ひきこもりや不登校の青少年と関わって来ました)

 中学校で不登校になり、学校にも行けずひきこもっていて、少し落ちついて来て(或いはゲームにあきて)「仲間のいる所に行きたい」気持ちになり居場所を探して、道草の家に来るようになった場所が比較的多いです。或いは高校や大学を出た後、会社勤めをして、そこでの人間関係が辛くなって、うつになり、やめて、家で過ごしているうちに少し落ちついて来て、「外に出なければ」という思いで、その最初の“場“として道草の家を探して来所するようになった青年。又、発達障害があって(3スペルが―)、親と一緒に参加する場合もあります。

快復の過程も様々ですし、社会参加の糧も様々です。

2016/11/01


 道草の家の庭には柿を1本植えてあります。ちょうど奥の部屋(2階です)の窓を開けると目の前に柿の実が数個色づいているのが見えます。去年も23個色づきましたが、捥ぐのは簡単ではないので、下からは届きませんし、2階の窓からは、長い柄のついた剪定ばさみを使ってとるのも、難しいかなと思ってそのままにしてました。いつの間にかなくなっていました。色づいた葉と共に落ちたのでしょう。
 今年は数も多いので是非とりたいと思います。
 子どものころ、田舎に住んでた時はおやつは庭になっている果物とか、さつまいも、とうもころし、でした。あんずを友だちと勝手にとって食べたりしました。また、栗の木がある森に近所の年長のお兄さんが連れて行ってくれて、拾った栗を生まなまま食べました。柿はしぶ柿はしぶ柿しかなく、大人たちが柿の皮をむき、干し柿にするのが、夜なべの仕事でした。
 田舎の実家は農家ではなかったのですが、庭に柿の木や梅の木などを植えていました。とうむぎ畑もありました。遠い思い出になってしましました。
 思い出ばかり語っていても仕方がありませんね。いま、若い世代の青年と関わっているのですから。
 この家を建てた30年前には、庭を畑にしてました。春菊を育てたり、コスモスの種をまいたりしました。来春は、私も足がすっかりよくなって畑仕事もできるだろうと思います。してみたいと思います。青年たちと一緒に。