2013/03/03

人間、いつも同じではない

 頭で考える時「これが正しく、これは正しくない」とか「これは良いことで、こちらは悪いこと」と決めつけ、それがずーっと続くものだと思いがちです。

 でも人間関係を考える時、心も体も変化し、一定ではないのを感じます。昨日の自分と今日の自分は違う、さっきの自分と今の自分は違う、或いは、あの人の前とこの人の前では違う、と感じるのはしばしばです。(前に「分人」ということで書きましたが)

 それは人間も自然の一部ですし、生きているからです。

 そして、私たちは同じ人間でも、同じ空間にいても、相手と自分とでは違うことを感じたり考えたりします。「自分の思いを相手は分かるはずだ」と思っても、そうでないことがしばしばです。

 お互いの違いを認め、できるだけ理解しようとしながら、十分理解できなくても「相手はそう思うんだな」「そう感じるのだな」と思うことができたら、人間関係がもう少し楽になり、生き辛さも弱まるのではないか、と思います。

 でも、私がとても心が痛むのは、心を閉ざし、親とも殆ど話をしなくなった青年たちのことです。会話があれば少しづつ理解を深める可能性はありますが、ない時、親は「本人が望んでいるのなら」とそっとしておくか、でも「このままでは」と思いながらも、「どう向き合うか」――解答が見つからなく、苦悩する親の方たちの思い―に心が痛みます。

 そうした中でも親はどう生きるか、「親の生き方」が問われる、とおっしゃった方もいます。

2013/03/02

心と体は一体――その声を聴こう――

  2月号で、「普通や理想を求めると、それができない自分を責めて精神的病を引き起こしたり、体も不調になり、そしてそれからの回復を遅らせる」ということを述べましたが、なぜなのか考えてみたいと思います。

 普通になりたい、とか理想を求めることは頭で考えることで、本当に心から思っていることではない、それ故に矛盾があり、葛藤があり、心を苦しめる、そして我慢し頑張れば、頑張るほど、精神的に苦しめ、痛いとひき起こすのだと思います。

 1月号の青年の思いの中の言葉「普通になりたい。理想を求めてきた。自分の本当の気持を抑えて、相手の気持ばかりを優先して考えて来た。我慢し、頑張って来た。心の調子も体の調子も悪い。心が悲鳴をあげているのを無視していた・・・」は、悲痛です。

 その“心”はどこで感じるのでしょう。

「心が痛む」時、胸のあたりがちくちくします。精神的なストレスがあると、胸のあたりに、圧迫感を感じ、ストレスがたまると、体もピンピン、というわけには行きません



心は体で感じるもの、心と体は一身同体だと、考えてよいと思います。

 ですから、「何かをしなければ」と思う時、「本当の自分の気持はどうなのか」を自分の“体に聴く”ということをした方がいいと思います。体の中心、胸のあたりやお腹の辺りに注意を向けて、「自分は本当にこれをしたいのか、本当に求めているのか」を尋ねてみた時、息苦しさや圧迫感を感じれば、それは本当の気持でないという事です。

 「~しなければ」「~であるべき」と考えるのは頭でです。頭と、心身の不一致が行き辛さや病いをひき起こすわけです。

 文化が進み、都市化が進み「皆に遅れないように」とか「~でなければ」という価値観が多くなり、物質的には豊かになりながら、生き辛さを感じる人が多くなりました。(多数のひきこもる青年や不登校児、そして自殺者!)

2013/03/01

ひろがる、つながる――地域の人々と――

  家から出られない、人と交われない、不登校やひきこもる青少年を訪問し、話し相手になり、少しでも人と交わる楽しさを感じてほしい――という目的で始めた「訪問支援ボランティア養成講座」が、道草の家に来ている青年(男、女)、現・元ボランティアスタッフ、母親など8人が参加しましたが、一応終了し、2月からは継続研修を行っています。

 そして、「お年寄りの話なら聴けそうだ」と言った青年もおり、独居老人など話し相手がいない方を訪問し、話相手になることも、青年の優しさを生かすことができると思います。

 近所の民生委員の方に相談しましたら、お弁当を月1回届けるお年寄りもいたり、「ふれあいサロン」と言って、年令を問わず集まって話をしたり、歌を歌ったり(2月は折り紙でお雛様を折る)――など楽しむ集まりがあることを聞き、参加しました。

 “身近な所から進める活動の大切さ”を改めて気づきました。“ひきこもる青年の居場所”を12年前に始めた時は、他県からも来たりして、広く呼びかけなければ、と思ったのですが、そんなに大勢のケアをする容量はある訳ではなく、身近な検見川町(1丁目から5丁目もあり)の中で、不登校やひきこもる青年に対し少人数でも、「話し相手になったり、居場所がある」ことを伝えられたら、と思います。

 花見川区の社会福祉協議会にも相談しましたが、ボランティアとして登録し、また民生委員の方たちを通して、一緒に地域に加わったら、――というアドバイスを受けました。

 また、船橋市に、障害者のための社会訓練の場として「ひなたぼっこ」という喫茶店があることを、そこで音楽で交流している、シンガーソングライターの古田さんから聞き、訪ねてみました。中心になっている理事の方と話す中で、かねがね、道草の家に来ている青年の作品(パステル画やコラージュなど、青年の集いでのカリキュラムにあります)を発表する機会がないかと思っていたのですが、喫茶店の壁面に展示することを考えて貰えることになりました。

 道草の家の活動を少しでも多くの人に知って貰う機会になれば、と思います。理事の方とお互いに「広がりますよね」と話し合ったことでした。

 道草の家を始めた原点、パンフレットを作る時にみんなで考えた「道草の家からのメッセージ」の最後の言葉に戻り、細やかでも活動を続けられたら、と思います。

小さなお子さんからそのお母さんや青年から中高年の方まで、世代を超えて自分を大切にし、そして人を大切にする心が育まれることを願っています。