2012/01/08

明けましておめでとうございます

  明けましておめでとうございます。
  昨年は過酷な自然と不尊な人工がぶつかりあった年だったように思われます。人工優位にはならないことを思い知らされました。
 未来の人たちのことを考えながら、自分たちの生活も考えていかなければ・・・生き方が問われていると思います。生き辛さを抱えた人たちが(子どもも青年も大人も)少しでも心が解きほぐれるような生き方はないでしょうか。 
 それぞれが生まれていてよかった、生きていて良かったと思えるような”生きる”ことに対する観方・・・を探りたいと思います。皆様のご支援ご指導のもとに。

幼き頃のお正月と遊び
 幼い頃のお正月を思い出します。
 9才まで過ごした福島県の田舎町での元旦は、朝起きるとすぐ八幡さまにお参りします。友だちと行ったり兄と行ったり。裏の川の向こうの、こんもりした森、きちんとした石段は少なく、大まかに作られた段々をくねくねと登ると普段の遊び場でもある境内は、何か新鮮な感じ、鈴についた紐をゆすると鈴が鳴ります。手を合わせて拝みますが、何を祈ったかは覚えてません。
 9才で移った名古屋は、都市ではありますが、終戦後間もない頃で、つるべ式の井戸も使っていました。元旦の朝、一人で顔を洗いに行き(その水は暖かかった)、そして、すぐそばの少し高くなった所に登り、初日の出を拝みました。
 田舎でのお盆も懐かしく思い出されます。朝方、暗いうちに起き、家族でお墓にお迎えに行きます。それぞれが提灯を持ち、私も子ども用の小さい提灯に灯りをともして歩くのがとても楽しみでした。道を行きかう人は大体顔見知りで挨拶をしながら歩いて行きます。お墓でお参りし、帰る頃はほの明るくなっています。
 そして、学校の授業で、育った稲の中をいなご取りをしたり、稲が刈られた後には落穂拾いをしました。また、近所のお兄さんに連れられて、栗拾いに行き、生のまま栗を食べたり。そして母がお風呂の薪を集めに、少し離れた林まで行く時リヤカーを押す手伝いもしました。遊びも手伝いも、自然の移り変わりの中で、自然と共にゆったりと(大人はそれほどではないでしょうが)過ごしたように思います。
 名古屋でも、授業の合間に縄跳びしたり、ゴム跳びしたり、帰宅後も友たちの家に行き、かくれんぼしたり、(私はお寺に間借りしていたので)お寺の境内で鞠つきをしたり、小学校時代は、「よく遊んだ」「楽しかった」という思い出ばかりです。
 でも、道草の家に来る青年たちは、子どもの頃、「楽しく遊んだ」という青年はいないようです。私の子どもの頃と、青年たちが子どもの頃とはどこが変わったのでしょう。

ぐうたらと「勤勉」
 そんな時、古本屋で「ぐうたら学入門」(2005年発行)という本を見つけました。「ぐうたら」―という言葉、私も、片づけ、掃除が嫌いなぐうたら、面白そうだと思い、買い求めました。
 著者は全国の村々の昔話を聞き取り調査をしたのですが、有名な桃太郎、そして二宮尊徳は、ぐうたらな怠け者だったそうです。明治になって、学校制度ができた時、教科書ができ、そこに勤勉な二宮尊徳として載せた、ということです。また「三年寝太郎」という昔話などに関連して、「ぐうたら」なことも村の中で受け入れられ、他と違った面を持ってい排除されることなく、どんな人間でも、そこにいる意味がある社会―が本来の村の姿だ、と述べています。それは、田に水を入れるのは、共通の水源からひいた水を近い所から順番に田に入れて行く、自分勝手に入れる訳にはいかない、自分の田はみんなの田であるということを基本に、お互いに田植えや稲刈りを手伝い合ったり、暮らし全体を助け合うという、みんなに守られている村社会だったのです。
 今の私たちの生活はどうでしょうか。明治以降の学校教育の中で、「勤勉」こそ「善」であり、「ぐうたら」は「悪」だと刷り込まれました。そして戦後の近代化、さらに高度成長の流れの中で、社会に認められるように未来に向かっての努力と意志の強さが要求され続けました。それが出来る人が評価される―他者とのしっかりした人間関係、信頼関係の形成よりも。
 道草の家で関わる青年たちや親の会(他の会でも)など話される悩みを考えるにつけ、このことが大きく影響していると思います。社会全体の大量生産、大量消費のもとに、学校では、社会全体の大量生産、大量消費のもとに、競争主義、効率主義が浸透し、勉強、成績が第一になり、友達や教師との人間関係は軽視されました。
 そして、子どもたちは、「いま」を失って行きました。子どもたちは、本来、「いま」を生きるものです。遊びはそれ自体が目的ですから、「未来のため」にではなく、
「いま」に集中すること、それが楽しいのだと思います。青年たちの子どもの頃、楽しく遊んだ思い出がない、というのは頷けます。また、いじめが起きてしまうのも、子どもたちに「いま」を楽しめてないからでしょう。たえず未来、将来のことが気になるのでは?(スポーツも”勝つ”ことばかりを目的にしてます)

ひきこもる青年と親の苦しみ 
青年たちが社会が求める大人になるためのレールに乗れなかった、競争主義に耐えられなかったのは、能力が低いのではなく、繊細であり、人間本来の心、感受性が強いからだと思います。でも、不登校になり、ひきこもってしまった自分は社会から認められない人間だ、と思ってしまい、「ダメな人間」として強い自己否定感を持つ。それが、精神的不安定さをもたらし、社会に出ることを難しくしていると思います。
 そうした子どもを持つ親の方は、社会人として高度成長真っ只中で働いて来ただけに、「一生懸命頑張って来た、働いて来た」との思いが強く、「なぜ、自分の子どもが学校へ行かないのか」「なぜ働かないのか」と理解に苦しみます。自分の生き方を否定されたようになり、子どものことを受け入れがたい・・・その苦しさを、私もだんだん分かって来ました。さらに、社会のレールから外れてしまったことは、世間の人々からは「落ちこぼれ」と見なされ、根性がない、意志が弱いというレッテルを貼られてしまう。まわりからも、親戚や友人からもそういう目で見られて肩身が狭い、「友人や親戚付き合いも減ってしまった」と言います。
 それでは、「勤勉」をモットウに頑張って来た、今の日本社会はみんなにとって、より生き易くなってるでしょうか。お互いに支え合える関係が社会全体にあり、将来にも安心感があるでしょうか。「生きていることはいいことだ」と思えるでしょうか。
 東北大震災は、過酷でしたが、自然の偶然が幾重にも重なり合って起こった自然現象として受け入れ易く、みんなで助け合おう、支え合おう、という気持ちになりました。しかし、原発事故は大きな不安をもたらしました。
 「勤勉」「勤勉」のもとに推し進められた経済成長、そして成長神話―いつまでも成長できるわけではないのに―より豊かに、より便利に、より新しいものを、それには電気が必要だ、ということで原発が作られました。しかし、事故は、自然を限界以上に操作した結果であり、経済成長の神話に警鐘を鳴らしたものと思います。(前にも「ひきこもりは社会への警鐘」と書いたことがあります)物質的な豊かさはあっても、精神的豊かさをもたらしていない、格差も広がり、将来への不安はさらに大きくなりました。「お互いに支え合える、何とかなる」とは思えなく・・・
 「勤勉」は必ずしも「善」ではなく、「ぐうたら」は必ずしも「悪」ではない、自然の営みにそって、それぞれがそれぞれの生き方をしていいんだ―という思いが、自分に対する否定的な思いを少しでも肯定にさせられれば、と思います。
(参考文献:「ぐうたら学入門」名本光男著 中公新書ラクレ)