もともと言動がゆっくりの私ですが、年齢が進めば、なおさらゆっくりになってきました。でも、ひきこもる青年(彼、彼女)や不登校の少年少女たちは、心が傷つきエネルギーが落ちているので(人と話したい、人と関わりたい、という気持ちが出てきて、集いに参加するようになったのですが)、私の「ゆっくりさ」が合うのかもしれません。
そして、学校や職場で頑張って疲れ果て、しばらく家に引きこもった後に、ゆっくり過ごせる場として(そういう場を探していた)、道草の家は存在しています。
パンフレットにも「道草の家からのメッセージ」として載せてあります。
ひきこもる青年たちの居場所を開こう、と思った時、どういう名前にしようかと考えたのですが、その前に自分の住宅で(新興住宅街)子供文庫を開き「道草文庫」という名前にしました。
「道草しながら寄って下さい」という手作りのちらしを、近所の子供たちに配ってもらいました。
わき見もしないで、一本の道を進むのは、望ましいことでしょうか。学校を卒業後、ひたすら正社員を勤め、退職後はどんな生活が待っているでしょう。また、派遣社員など非正規雇用で働くことにコンプレックスを感じながら働く・・・。
しばしゆっくり休みことも大切かもしれません。道草することも一つの体験、大きな体験かもしれません
「道草の家」という居場所を開こう、と思ったのも、船橋の方で「心のことを話し合う会」を仲間と一緒に開き、心の悩みを話し合っていたのですが、「不登校、ひきこもる青少年の居場所を作りたい、親の会も開きたい」という私の思いの実現を手伝ってくれました。ネットで呼びかけてくれたりしました。
パンフレットもその仲間と一緒に作り、終わりの方のページに載せた「道草の家からのメッセージ」も仲間で考えました。
初心に帰り、それを改めて書きたいと思います。
―――道草の家からのメッセージ―――
心が疲れた時、心が空しいとき
ふと立ち止まって足元を見ると
道の片隅に、小さな草や小さな花が
目につくことがあるでしょう。
道草の家は、そうした時に
ふと立ち寄れる場であり
共に話し合い、共に学びあうなかで
人と人のつながりを感じ
心が癒されたり
「もう少し自分らしく生きてみようかな」
という思いになることを望んでいます。
また、人と交わったり社会に出ることが
困難な青年達にとっても、気軽に集える
場であり、社会に出るためのワンステップに
なることを願っています。
小さなお子さんからそのお母さんや
青年から中高年の方まで、時代を超えて
自分を大切にし、そして人を大切にする心が
育まれることを願っています。
―――――
道草の家が居場所として、しばらくゆっくり過ごすことで、世界は広いこと、また、道を歩く時、目を下にやれば、コンクリートの割れ目から緑の草が伸びていることなどに、気づくことが出来ると思います。
学校に行かれない、働けない――ということを否定的にばかり考えないで、(家にひきこもっている時、心は、ゆっくりしているわけではなく、自分を責めさいなんでいます)道草の家に来て、ゆっくり休みながら、意味のある時間を過ごしてほしいと思っています。