2018/08/01

「青年の集い」の意味


時々青年の集いに参加している女性から、道草の家のメールに長いメールが届きました。(「青年の思い」の所に、概要「人間関係・・・」を載せています。)「話を聴いてほしい」とのことでしたので、「是非、青年の集いの場に来て、話し合いましょう」と返信しました。

そして、昨日、青年が2人いる所に彼女が加わり、悩みを話し出しました。1人は色々質問しました。それは彼女の話に興味を持ってくれている、ということになりますし、話し易くもなります。もう1人の青年は黙って聴いていました。後には自分のことを話しました。

大勢だと話しにくいでしょうし、3人に囲まれて話をするのは、ゆったりする感じになるのではないかと思います。

数年前にはいつも数人の青年が来ていました、そこに2人のスタッフ。賑やかでした。それはそれで良かったと思います。部屋が2つありましたから、スタッフに「向こうの部屋で話を聞いて!」と言って、別の部屋で話を聴いてもらう青年もいました。また、大体は自由に話をしていましたが、仕切る青年もいて、順番に当てて、順番に話をすることもありました。

反発の言葉をその場では言わず、後で私に「あの人のあの言葉は気になる」と言って来たりしました。

「青年の集い」も、変遷がありました。始めはごちゃごちゃした感じでした。

“ひきこもり”とは違う青年(大人)も来たりしていましたから。

また、“ひきこもり”のことも社会でそんなに大きく取り上げられませんでしたから。「青年の集い」に参加する青年の数の大小は、それなりの意味があるのかもしれません。

青年と親とが一緒に話し合う機会を作ったこともありました。自分の子どもとあまり(全然)会話がない親も居ますから、青年の話を聞くのはとても参考になったようです。