2018/11/01

居場所


道草の家は、2000年の9月に開設しました。経緯を簡単に書きますと、カウンセラーになりたい、カウンセリングの勉強がしたい、と思い、東京メンタルアカデミー(TMA)で養成講座を受け、1995年にカウンセラーになりました。そこでは、ひきこもり、不登校の青年の居場所(フレンドスペース)が併設されており、そうした青少年がたむろしていたので、千葉にある持ち家(人に貸していたのをやめて)で居場所活動を始めました。名前をどう付けようか、と思った時、その頃自宅で子供文庫をやっていて、名前を「道草文庫」と付けていたので、その名前をつけました。また、船橋の勤労市民センターで「心のことを話し合う会」を友達と開いていましたので、その仲間が引越し、開設の準備を手伝ってくれました。その仲間の2人が、もう中学生のお子さんが居ます。

パンフレットも一緒に作りました。最後の「道草の家からのメッセージ」は、仲間と作りました(パンフレットも、来所する青年と一緒に改正しました)。

さて、今、道草の家は“居場所になっているのだろうか――”

時々(1、2カ月に1回)来る青年は「いつでも来たい時に来たらいい(行ったらいい)所」としてゆったりした気分で来ているようです。

数年前に来た時は、幼稚園から集団生活が苦手で殆ど行かず、高校も通信高校、「でも、大人になれば働かなくてはならない、今からコミュニケーションの力を付けておかなければ」と思い、「道草の家を親が探してくれたので、来た」と言っていました。その後、通信で大学を卒業し、少しアルバイトをしましたが、そんなに焦らないようです。

一方、半年くらい前に来て集いに参加している青年は、「就労支援事業」の方に行きました。そして、道草の家をできるだけ毎日、出るようにしています。

1時間でも30分でも――道草の家で過ごし、話をする――

後になりましたが、「居場所」という意味では、「家庭」が第一に考えられます。人間関係の基礎が作られます。

私は一人っ子だったので、親の干渉、過保護、過干渉が思春期の頃から辛くなりました。中学校に行けば、同級生の女の子からからかわれ、「家の方がいい」と思ったり、家に居れば干渉されるのが嫌で、「学校の方がいい」と思ったものでした。

思春期を過ぎると、家庭よりも友達の方が居場所として重要になってきます。そしてそれが多様になって、広がっていきます。

今も、年に2回くらい会って話をする友達が居て、何でも話せる感じで、居場所になっています。お互いに否定したりアドバイスをしないのが魅力のようです。

でも、学校で友達が出来ず、或いはグループに入れず(中学、高校はクラスの中にグループが出来ることが多い)、孤立感から不登校になることが多い。また、大学までは“勉強”をしていれば存在意味があると感じて登校しますが、いざ“就職”となると、人と直接出会うことに不安(恐怖?)を感じ、家にひきこもる――という場合もあります。

家庭が居場所の基礎になると思います。親子関係、兄弟関係の中で、社会性が育てばいいのですが、学校や社会が絡んでくるので複雑です。

就職して、職場の人間関係で傷つき、3か月で辞めた青年は、自分を責める話をしていましたが、時間が出来た、ということもあり、親子で旅行し、癒されたのでしょう、元気になり仕事を始めました。6か月のアルバイトが続いています。

一方、ある青年は、職場の人間関係で仕事を辞めた後、しばらく家に居ましたが、親は話を聞いてくれず、居心地も悪いので、でも体を動かすのが好きで、バスケットが出来る公園に行って、知り合いが出来たり、建設現場の仕事を見つけて、働き出したりしています。

自分のやりたいことを見つける、自覚するのも、ゆったりと過ごせる居場所の意味があると思います。道草の家は話し合いが中心ですが、話さなくても出来るコラージュやパステル画の時間もあり、10代の女性はそれらが好きで、一心にやっていました。最初の頃は、写真集から切り抜いてコラージュに貼る女性の顔に、顔の形に切り抜いた楕円形の紙をわざわざ貼って顔を隠していましたが、だんだんそれが少なくなり、「デザインの専門学校に行きたいので、電車に乗る練習一駅ずつ乗って、だんだん増やしていく練習をしているので、道草の家には行かれません」というメールが来ました。