2009/01/01

今の日本社会

 そんな頃からもう60年がたちました。色々なことがありました。自分のことだけを考えて過ごしてもいい、好きなことに熱中できる無邪気な子供時代は終わり、自分の家族のこと、子どものこと、そして道草の家の青年たちのこと、社会のことなど、考えざるを得なくなりました。

 去年の暮れから国民の経済的問題は一層厳しくなり、職を奪われ、住む家、寝る所も奪われた人々が寒空に放り出される状況が起き、胸が痛みます。

 戦後の上昇期、高度経済成長期からバブルがはじけ、そして米国から始まって世界に

広まった、グローバル化、新自由主義の影響を受け、日本は、規制緩和を強行しました。それは、社会全体の人々のためというより、企業の利益追求を、競争主義を押し進めるだけでそれに加われなかった人は、「自己責任」として無視されて行きました。

 そして、昨年後半に世界をおそった金融危機は日本にとっても戦後最大の危機とも言われます。それは資本主義、新自由主義、ひたすら成長を優先した、その矛盾の行き着いた所、来るべきものが来たとも言えると思います。

 私は、ひきこもる青年が増えていることは、社会の矛盾、高度成長を押し進めた競争主義、効率主義の矛盾を“警鐘”するものだと思い、述べて来ましたが、今や、現実になりました。繊細でまじめである故、学校や職場での競争主義、効率主義について行かれず、社会に出ることに不安や恐怖を感じる、ひきこもる青年という一部の問題ではなく多くの人々の問題になりました。格差は大きくなるばかりで、お互いに助け合う、思いやる――と言うことを忘れた結果だと思います。

 私が関わっている青年の中にも、不況の波で、仕事が続けられるか、収入も少なくなるのではないか――親が殆んど収入がなく、安定剤などを飲みながらやっとの思い働いている――と一層不安に陥っている青年もいます。経済的な不安がなければ、もっと楽な気持で働けると思いますし、経済的援助を必要ですが、私ができることは彼の思いを、電話で聴くことだけで、どう他の援助に呼びかけていいか、考えあぐんでいます。