2011/09/10

あしたが消える・・・

 昼間は蝉の声、夜は虫の声、秋が近づいています。でも、原発の影響は深刻さがますます明らかになって来たように思います。いつ収束するのか・・・。管(元)首相は”脱原発”を宣言しながら、他国への原発輸出は容認しています。そして経済界や世論の中にも「脱原発は無理だ」という声を聞きます。一挙に失くすというのは無理でも方向だけは”脱”に一致しないものか、と思います。新聞の中に「問題は『不合理な原発をどうするか』より『不合理が自明な原発をどうにもできない社会をどうするか』なのだ」という言葉を読み、まったくそうだ、と思いました。

 先日、「原発と被災地を支える会」主催の映画会で、20年前に作られた映画「あしたが消える、どうして原発?」を見ましたが、20年前にすでに今回の福島原発事故を予想し、その影響を訴えているのです。日本のあちこちの原子力発電所の建設にたずさわった父親がガンにかかり、半年ほどで亡くなった、という女性が「なぜ?」という疑問を持ち福島原子力発電所を訪ねたり、専門家に疑問をぶつけたり、ということを中心にしたドキュメンタリーです。その少し前にチェルノブイリ事故があり、それらを合わせながら、原発問題を追及したものです。

 その中で、福島原発が地震などで破壊された場合、チェルノブイリの事故と同等の影響を世界に与えると言っていました。そして女性の言葉がとても印象的です。(要旨は)「原発によって多くの電力が作られて、生活がとても便利になり豊かになったけれど、その背後には原発の建設や修繕に関わった人たちがいる。その人たちの犠牲の上になりたっていることを考えてほしい」

 科学の発展、進歩により作られた今の便利な生活を不便な生活に戻すことには、なかなか心が決まらない人が多いでしょう。科学によって何でもできる、自然を支配できる、不快感を取り除き、痛みを弱め、快適な生活・・・そうした傲慢さが今回の原発事故につながったのではないでしょうか。地球は人間だけのものではないし、現在生きている人の為だけではないはずなのに・・・

 生活が便利に快適になりましたが、精神的にも楽に豊かになったのでしょうか。最近のニュースでは、国民の五大疾患として、精神的疾患が付け加えられました。

 なぜ精神的疾患が増えているのでしょう。