2012/05/07

働けない子への思い

 精神的に不安定になり、外へ出ない、人と交わらない、働かない―という自分の子どもを何とか理解し、自分なりの生き方を見つけることを信じ、日々関わる、寄りそうことに必死な親の方もいれば、「何で働かないのか、何で頑張らないのか」と、どうしても理解できない親の方(主に父親)もいます。以前働いていた心理研究所で開いていた父親の勉強会に私も参加していた時のお父さんの言葉を思い出します。「子どもが働かないことを認めることは自分に”死ね”ということと同じだ」、それほどまでに「働くことは絶対的価値観、頑張るべき、頑張ればできるはず」と思えてしまうことは何なのでしょうか。私などは、子どもが働かないのは、「何らかの理由があって働かないのだ」と思ってしまいます。私の息子は、数ヶ月働かない時期がありましたが、「私自身、不完全で、葛藤の多い人間、それが一番繊細な子どもに影響しないはずがない」と思いました。

 高度成長期に男性は「生産性をあげること、それには頑張って働くこと、だれでも努力すればできる」―という思いで必死に働いてきたのでしょう。企業戦士とも言われた。自分の子どもが働けないことが受け入れない位に、絶対的価値観だったのでしょう。そして、感情を持ったら仕事はできない―と感情を感じないようにしてしまった。感情がなければ、辛い思いをしている人の気持もわからない。

 でも、その結果の今の社会、住み易いでしょうか。物が豊かで効率的で便利になって来ました。でも、リスクの多い原発を作り、また便利な車がスピードを出し走り回っている街中―とてもとても悲しい子どもの死をひき起こす事故が度々あります。

 そういう社会に適応できない青年たち。青年たちが弱いのでしょうか。がんばらないからでしょうか。怠けているのでしょうか。