2013/07/01

緑の広がり

 今月の画廊巡りは佐倉市にある川村美術館に行きました。

 千葉駅から成田方面の電車に乗りかえると、車窓からは次第に緑の広がりが見えました。田んぼの苗が緑に輝き、風に小さく揺れ、遠くまで続いています。千葉にもこんな田んぼがあるのだと改めて思いました。青年たちも「わあ、きれい!」と思いがけない風景に感動したようです。佐倉駅から美術館に行くバスの中からも緑の田んぼが広がって、所々に濃い緑の森が見えました。

 館内はコレクションの展示と企画展(彫刻、立体)がありましたが、一つ一つの絵の前に立ち、作者はどんな思いで描き、何を表そうとしているのか、と(特に抽象画)思いました。縦3m横5m以上もあるカンパスに、殆ど赤一色で塗りこんだ絵、ただペンキを一色で塗ったものとは違う、微妙な色の変化、深みはありますが、作者は仕上げるまで何回も何回も色々重ねて「これが描きたいものだ」という思いに至ったのでしょう。そして達成感を感じたのでしょう。或いは「まだ十分ではない」と思いながら、一応の完成としたかもしれません。

 こうしたことから思うのは「描きたいものがある」「したいことがある」それに没頭できる。「これが自分が生きることだ」と思える「生」に羨ましさを感じます。勿論、自分の思いがなかなか表現できない苦悩はあるでしょうが。

 大多数の人はこうした芸術品を見て、感動して、何らかのエネルギーをもらう、或いは気持を解放する、ということなのでしょう。

美を求める

 でもまた、人間は動物と違って、何かを求めながら生きている。”美的なものを求める”のも人間の本質かもしれません。

 先日、テレビ番組で見たのですが、日本人がアフリカのある国を訪れた様子を映していたのですが、女性が数人並んで座り、色鮮やかな糸を組み合わせ、複雑な模様で、首のまわりにつける広い襟のようなものを編んでいました。そして、様々な模様の首飾り、頭飾り、ブレスレットなどを身につけていました。取材していた旅人に一人の女性が「編んであげる」と言って、すぐにブレスレットを編んで、手首にはめてあげていました。

 その楽しそうな表情、女性たちの幸せそうで満ちたりた笑顔が忘れられません。

生き辛さ

 同時に、関わっている青年たち、親ごさんたち(会ってはいないお子さんのことも)の苦悩を思い浮かべます。

 コンピューター機能が高まり、「ビッグデーター」とかで何でも(?)分かってしまう・・・便利ではありますが、怖さを感じてしまうのは私だけでしょうか。

 ついていかれない――文明がこんなに発達したのに貧富の格差は大きくなっています。そして、「働く場がない」という若者と「働くのがこわい」という若者が増えています。また不登校の小学生、中学生、高校生も増えています。

 私たちはどうしたらいいのでしょうか。

 細やかなことですが、道草の家で開いた訪問支援ボランティア養成講座を受けた青年が、不登校の小学生を訪問し、一緒に遊んだり話をしたりしています。

 これからも、訪問支援や傾聴ボランティアの養成講座を開き、少しずつでも活動を広げたいと思っています。また、一般的にも、「よりよい人間関係を形成する」ことと通じることだと思いますので、そうした講座を秋から開きたいと考えています。

気質について(親と子の気質)

 なかなか子どもの気持が分からない――という親の方も多いのでは、と思います。一生懸命愛情を注いで育てて来たのに、不登校になったり、ひきこもったりして、人の中に、社会に出られない――なぜだろう・・・と親子で思い悩む方もおられます。

 青年たちと、そして親の方たちと接する中で、この頃感じることがあります。育てる過程で、子どもが行き易いように、という思いで「こうしたらいい」とか「こうしなさい」とか「こういうことが、人との関係で大事」などと言ったりします。子どもは親に認められたいし、愛されたいし、守ってもらいたい気持で、親の期待にそうように努力します。

 でも、親と子とで気質が違えば、親にとって生き易い生き方、楽な人間関係も、子どもにとっては、生き辛さになったり人間関係に悩むことになったりします。

 たとえば、親が外交的な気質で不安気質があまりない場合、”人に合わせる”ことはそんなに負担でなく、人間関係もスムーズに行く――ということがあり、子どもにも「人に合わせた方がいい」と言ったり、そういう親を見て、子どもは親の期待にそいたいと思い、人に合わせることに努力します。でも繊細で完璧を求める気質であると、うまく合わせることが負担になり、家の方が居心地がよく、家にこもりがちになります。主体的に人と交わる力を培えなったり、合わせられない自分を否定的に感じたりします。

 或いは、子どもが繊細で感受性が強く、色々なことを感じてしまう――に対し、親がおおらかで、細かいことをさほど気にしなかったり、また”頑張る”強さを持っていたりすると、「何で頑張れないのか」とか「そんなことで」など言いがちです。子どもの気持をなかなか理解できない。子どもは子どもなりに頑張ってもできなかったのであり、傷ついているということが分かりにくい。

 親が分からずや、とか、子どもが頑張らない、とかではなく、親と子の気質の違いが、すれ違いを起こしていることが多いのではと思います。

 道草の家に来る青年にも「気質のチェック」をしたりしますが、自分の気質の特性を知ることで、自覚することで、その辛さの一つの要因、例えば完璧主義にはまらないように少しずつできるようになっています。

 親の方も、自分の気質を知り、子どもの気質を想像して、双方を理解ができるようになってもらえれば、と思います。(親の会などで気質を調べたいと思います)