2018/04/01

支える、支えられる


もういつの間にか八十歳、八十年生きてきたのだと思います。でも、実感が湧きません。

 八十年、色々なことがあり、色々な人との出会いがありました。若い頃の社会の雰囲気は、高度成長が進んで行く、それを肯定的に感じられている時期で、学歴、就職がとても重要になってきました。

 でもまた、日本の雰囲気、社会風土として、まわり(世間)に気を使う、気にするということは残っていました。

 “学校に行ってない”、“働いていない”ことを知られないようにする、そういうことが、“ひきこもり問題”を大きくしているのではないか、と思います。

 また“自立”ということは、なんでも自分で行うこと、できることではなく、分からないことは人に尋ねられる、出来ないことは人に頼むことができる(支援してもらってもいい)、そうして他の人と一緒に生きることだと思います。そこにはやはり、他の人への信頼感がなければならないのですが、他の人に気を使う、気にするために、自分の悩みを話す事ができない人が多くいます。1回つまづくと「もうダメだ」と思ってしまったり…、一人で、親子でひきこもってしまう…のではないでしょうか。

 地域の人たちが、いい意味でお互いに気にかけ、助け合う支え合うことがあれば、今、こんなに生き辛い人、青年が増えることはなかったのでは、と思います。

 私は一昨年、左足首を打撲しました。三ヶ月整形外科に通い、湿布を貼り続けましたが、「もうこれ以上良くならない、年齢的にも。諦めた方がいい」と言われました。私は心の中で「そんな筈はない、元に戻るはずだ」と思い、ケアマネージャーさんにそのことを話したら、高齢者対象の筋トレができるデイサービスを紹介してもらいました。

 週一回、半日通ってますが、楽しく過ごしています。足のマッサージをしてもらい、簡単な筋トレの器具を自分で選んで順番にやっていく――ほっとする時間です。他の日は、色々と思い悩み、「テレビばかり見ないで、本を読まないと――」など、そして、デイサービスは「支えられているのだなあ」と思います。

 居場所としての「青年の集い」も、青年たちと話をするのは充実感を感じますし、“支え合っている”と言えるかもしれません。

 先日、数年ぶりに訪れた青年(女性)が「自分が本当にやりたいことを見つけたので、四月から京都に行く」と言いました(「青年の思い」の所に書いています)。自分の道を進む前に、その話をしに来てくれたことは、本当に嬉しいことです。

 社会に出る一歩として、ひきこもっている青年たちがもっと参加してほしい、支え、支えられる関係を学んでほしい、身につけてほしい、と強く思っています。一対一(カウンセリングのように)で話すだけでなく、仲間と話し合うことが大切だと思います。