2019/03/01

居場所の意味


「道草の家」という名前を付け、居場所を開いたのは、2000年の秋です。18年が過ぎました。様々なことがあり、悩みも多かったのですが、何とか続けてきました。

自分も悩む方なので、カウンセリングに興味を持ち、民間のカウンセリングルームで開いている講座を受けました(そのカウンセリングルームで、主にひきこもりや不登校の青少年とその親のカウンセリングをしました)。そのカウンセリングルームに併設されている居場所(ひきこもりや不登校の青少年のための)がありましたが、「参加費が高くてあまり行かれない」と言ってました。

そこで、「そうだ、千葉の検見川に、人に貸している持ち家がある、貸すのをやめれば、そこで居場所活動が出来る」と思いました。居場所と言っても、そこで青少年が話し合ったり、コラージュやスポーツをやることは、お互いに認め合い、受容共感をする、ということであり、勿論、言い合いになったりすることもあるので、カウンセリングを学んだスタッフが配慮する必要があります。仲間に認められることは、自己肯定感を強くします。心の悩みを話すことも勿論有意義ですが、趣味的なことを話すのも楽しく、心を豊かにすると思います。先日はハーブの話が出ました。実際に育てている青年や、かなり勉強している青年、話が弾みました。聞いているだけでも心が和みます。他人と殆ど話をしていない青年は(ある時期からひきこもったり、不登校だったりで)私と一対一で話すことで慣れて行き、言葉が出るようになる、ということもあります。また、他の青年の言葉から「生きることは楽しいこともある」と言うことを感じたりもします。そして、働いたことがある、或いはこれから具体的に働こうとしている青年の言葉から「働くこと」の状況や悩みを知ります。

ある青年はしばらく道草の家の青年の集いに参加した後、「就労支援事業」の方に行きました。12ヶ月間、電話で様子を聞くと、母親が「毎日、何時に行って何時間作業をする、ということをだんだん増やしていく――という形で参加している、コミュニケーションの力は付かない、また道草の家に行ってみようかと言っている」とのことでした。実際には来ていませんが、その後どうなったか、電話で聞いてみようと思います。

「青年の集い」に参加する青年は、殆どが「大人になったから、働かなければならない」と思っていますが、「働きたい、と思うようになったら働く」と言っている青年も居ます。それはそれで、青年の気持ちを大切にしたいと思います。

先日の集いの時に、女性が「自分にぴったりの仕事が見つかった。まだ正式には頼んでいないけど」と言いました。それは、広い野菜畑と、野菜を売るお店と、野菜を調理して出すカフェが一緒になっているところとのことで、体を動かすのも好きで、お料理も好きな彼女には合っていると思います。私は、嬉しくなりました。