2008/07/01

いつくしみの瞑想

 先月号では、初期仏教についての対談集「希望のしくみ 」(A・スマナサーラ 養老孟司著、宝島社新書)に書かれていた「無常」、「全ては変って行く」という言葉が、私の気持ちを楽にしてくれたことを書きました。でも、まだまだこだわり、過去や未来への不安にとらわれてしまう自分を感じます。特に不安定な青年と関わる時に、もっと安定した気持ちで関わり、もっとしっかり支えて上げられれば、と思うことがあります。それには瞑想によって心を強くしたい、できるのでは、と思い、スマナサーラさんの「自分を変える気づきの瞑想法―やさしい!楽しい!今すぐできる!図解実践ヴィパッサナー瞑想法 」(サンガ)を買い求め、読みました。

 ここでは瞑想は「こころのトレーニング法」であり、ストレスやトラブルに負けない「こころの力」を育てる方法だと言っています。生きることを楽にするこころのエネルギー、前向きに気持ちよく生きる力を育てる――。

 そして、瞑想には「サマタ瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」の2つがあり、「サマタ」とは「落ちつく」という意味で、落ちついた静かなこころをつくる瞑想法です。「ヴィパッサナー」とは「明確に見る」という意味で、今自分の体に起こっていることをありのままに観察する瞑想法です(サマタ状態を前提とする瞑想)。体の感覚、動きに集中して、思考、雑念、妄想、感情ができるだけ起きないような、集中力をつけて心を育て強くする、それによって知恵、気づきがあらわれる――ただ、1回30分から1時間、2、3週間の瞑想の時間が必要ということで、余裕、或いは覚悟が必要のようです。

 そうした、こころをゆっくり育てる余裕がなく、緊急な治療として苦しみを和らげるサマタ療法をまずやってみようと思いました。

 他人に無制限にやさしいこころを育てる「いつくしみの瞑想」は、こころの中で願いをこめて言うのですが(声に出してもいいです)、まず自分が大事だということを認め、自分の幸せを願うことから始めます。そして、親しい人の幸せを願いながら(私は家族や青年たちを思い浮かべます)、生きとし生きるものへの(世界の飢餓や戦争で苦しんでる人、動物などを思い浮かべて)いつくしみの気持ちを言葉にしながら自分のこころの中にふくらまして行きます。

 私も、思いつくと電車の中でこころの中で言ったり、寝る前や、目覚めた時に言ってみたりするのですが、そのせいか、難しい問題をかかえている時も、「ここに、こうしてちゃんと目覚めている自分がいるのだ」と思えて、余り不安にならなくなりました。全文を載せてみます。

私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとがかなえられますように
私に悟りの光があらわれますように

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとがかなえられますように
私の親しい人々に悟りの光があらわれますように

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとがかなえられますように
生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように

和田 ミトリ