2008/08/01

生を肯定できる時

 先日、これからのことを考えると、しんどいこともあるし、期限までにやらなければならないことが沢山あるし、「やれるだろうか」と不安になって、ふーっとゆううつな気分になりました。生きることを否定的に感じてしまうような。

 そんな時、「あの音楽を聴こう、『銀河鉄道の夜』を聴こう。これを聴けることだけでも、生きていることを肯定できる」と思いました。そのCDは、千葉市に新しくできたプラネタリウムを見に行った青年が、星空が上映されている間流れていた音楽が気に入って、買って来て道草の家に持って来たものでした。

 その音楽を聴いているうちに心が安らぎました。宮沢賢治の童話(銀河鉄道の夜)は大好きで、寝る前に毎晩読んだ時期もありました。ゆったりした曲は、童話の雰囲気を思い出させ、広い宇宙を感じさせ、そして、純粋で夢見がちな子供の頃の懐かしさで胸がふくらみました。

 若い頃、仲間に裏切られて(と思って)人間不信に陥った時がありましたが、でも「昔から人間は美しいものを創って来た、絵画や彫刻や伝統工芸的な物、或いは建物などを。そういうことができる人間の一面は信頼できる」と思ったものでした。

 それから統合失調症の人が殆んどの時間を気分がもやもやして、生きているのを辛く感じながら過ごしていたのが、ある時、気分がすっきりした時があって、ちょうどその時、窓から夕日の沈むのが見えて「こんなにきれいな夕日を見ることができて、それだけでも生きている意味があると思った」と、ある本で読んだのを思い出します。

 私も自然の中にいる時、雄大な自然を見たりした時、(道草の家の行事で山歩きをした時、房総の山なみを眺めて、2、300mの高さの山でしたが、幾重にも連なっている山なみの雄大さに心が広がる感じでした)生きていることの、喜びを感じます。皆さんは?

 青年たちに聞いてみましたが、人との関わりの中で感じるものと、自然によって、また人間の創ったものによって「生きていることはいいことだ」と感じるのと両方があると思います。人との関わりの中で感じることは生きることを積極的にさせると思いますが、なかなかそればかりも得られないことも。直接でないもの、芸術的なものや自然の中でも感じられたら(感動したり、安らいだり)生きる力になるのではないでしょうか。

和田 ミトリ