2013/03/03

人間、いつも同じではない

 頭で考える時「これが正しく、これは正しくない」とか「これは良いことで、こちらは悪いこと」と決めつけ、それがずーっと続くものだと思いがちです。

 でも人間関係を考える時、心も体も変化し、一定ではないのを感じます。昨日の自分と今日の自分は違う、さっきの自分と今の自分は違う、或いは、あの人の前とこの人の前では違う、と感じるのはしばしばです。(前に「分人」ということで書きましたが)

 それは人間も自然の一部ですし、生きているからです。

 そして、私たちは同じ人間でも、同じ空間にいても、相手と自分とでは違うことを感じたり考えたりします。「自分の思いを相手は分かるはずだ」と思っても、そうでないことがしばしばです。

 お互いの違いを認め、できるだけ理解しようとしながら、十分理解できなくても「相手はそう思うんだな」「そう感じるのだな」と思うことができたら、人間関係がもう少し楽になり、生き辛さも弱まるのではないか、と思います。

 でも、私がとても心が痛むのは、心を閉ざし、親とも殆ど話をしなくなった青年たちのことです。会話があれば少しづつ理解を深める可能性はありますが、ない時、親は「本人が望んでいるのなら」とそっとしておくか、でも「このままでは」と思いながらも、「どう向き合うか」――解答が見つからなく、苦悩する親の方たちの思い―に心が痛みます。

 そうした中でも親はどう生きるか、「親の生き方」が問われる、とおっしゃった方もいます。