2013/03/02

心と体は一体――その声を聴こう――

  2月号で、「普通や理想を求めると、それができない自分を責めて精神的病を引き起こしたり、体も不調になり、そしてそれからの回復を遅らせる」ということを述べましたが、なぜなのか考えてみたいと思います。

 普通になりたい、とか理想を求めることは頭で考えることで、本当に心から思っていることではない、それ故に矛盾があり、葛藤があり、心を苦しめる、そして我慢し頑張れば、頑張るほど、精神的に苦しめ、痛いとひき起こすのだと思います。

 1月号の青年の思いの中の言葉「普通になりたい。理想を求めてきた。自分の本当の気持を抑えて、相手の気持ばかりを優先して考えて来た。我慢し、頑張って来た。心の調子も体の調子も悪い。心が悲鳴をあげているのを無視していた・・・」は、悲痛です。

 その“心”はどこで感じるのでしょう。

「心が痛む」時、胸のあたりがちくちくします。精神的なストレスがあると、胸のあたりに、圧迫感を感じ、ストレスがたまると、体もピンピン、というわけには行きません



心は体で感じるもの、心と体は一身同体だと、考えてよいと思います。

 ですから、「何かをしなければ」と思う時、「本当の自分の気持はどうなのか」を自分の“体に聴く”ということをした方がいいと思います。体の中心、胸のあたりやお腹の辺りに注意を向けて、「自分は本当にこれをしたいのか、本当に求めているのか」を尋ねてみた時、息苦しさや圧迫感を感じれば、それは本当の気持でないという事です。

 「~しなければ」「~であるべき」と考えるのは頭でです。頭と、心身の不一致が行き辛さや病いをひき起こすわけです。

 文化が進み、都市化が進み「皆に遅れないように」とか「~でなければ」という価値観が多くなり、物質的には豊かになりながら、生き辛さを感じる人が多くなりました。(多数のひきこもる青年や不登校児、そして自殺者!)