2016/09/03

子ども時代の過ごし方

 もう少し、日常的に子ども時代のことを考えれば、私の人間関係の基礎は子どもの頃、友だちとよく遊んだこと、対等な人間として大事な存在だと無意識に感じられたことだと思います。

 小学校にはいっても、帰宅時間は早いので、お互いの家に遊びに行ったことが懐かしく思い出されます。私はお寺の和室を間借りしていたので、お寺の境内(本堂の前のコンクリート)で、鞠つきをしたり、本堂の廊下でお手玉をやったりしました。また広い庭に囲まれた洋館風の友達の家に遊びに行った時は、その庭でかくれんぼをしたりしました。
 中学にはいってから仲良くなった友達の家に遊びに行くと、家は窓ガラスを入れる余裕がなくて、古いブラインドがつり下げられていました。
 また、中学校はそんなに外で遊ぶことはなくなり、放課後は3,4人位でおしゃべりをするのが楽しかったです。高校時代は”遊ぶ”という感覚はなくなりましたが、”悩みを話す”友達が各学年で1人はいました。
 そんな中で、自分に自信がなくても親友はでき、基本的には人間信頼が培われてきたかと思います。
 ちなみに私の子ども(51才と48才)の子ども時代は学校の規則が厳しくなりました。服装がセーラー服のスカートのひだの数まで決められていましたし、髪も男子は刈り上げ、女子は髪を伸ばしても肩まで、というものでした。PTAの役員もしていたので、先生方と話す機会がありましたが、「服装の規則が厳しすぎるのではないか」と尋ねると「非行は服装に表れるから、厳しくした方が非行を防げる」とのことでした。クラスの授業はそんなに荒れてはいなかったのですが、娘は「分かる人!」と教師に聞かれてもしーんとして誰も手を上げない、それが”反発”だったと言ってます。
 時代が変わって、今は簡単にラインでやりとりできるようになりましたが、その安易さがかえって誤解を招いたり、自分の期待通りの反応でないと、怒りにまでなってしまうのですね。(勿論、みんながみんなではないのですが)基本に信頼感がないからだと思います。