2017/07/01

大人(おとな)になる


 先月号で牟田武先生(NPO法人教育研究所)が講演会で話された「本人と家族の間の壁」「本人と社会の間の壁」について述べましたが、もう一つ大事なことを伝えそびれていました。先生は「今の若者は大人にならないうちに成人なってしまった」と言われましたが、私も本当にそう思います。

私と今ひきこもっている、働けない若者との年令の差は30~50ぐらいあり、社会状況も変わりました。

私が学生の時20才になり成人式(その頃から始まったようです)の通知が来ました。でも私は「20才になったけど、大人になった感じがしないので式には参加しない」と親や友人に言いました。

私にとって“大人”とは、自分で物事を決めて、経済的にも自立しているイメージでした。でも私は思春期頃からのコンプレックスが続いており、主体的に物事を決めたり、自分の思い、考えを自由に話す、という、コミュニケーションの力に欠けていると思っていました。(親が過保護、過干渉だったからだ、と内心で親を責めたりしていました)

でも今に比べれば社会全体が貧しいものでしたので、大人になったら“働く”ものだと思っていました。また、社会全体、学校のこと進学のこともそれほど重視しなかったので、勉強に追われることもなく、仲良かった友達が中学でやめて、働く――ということに心を痛めました。

戦後の“民主主義”が何となく社会を明るくしているような時代でしたし、男女平等ということも意識される時代で、男子が4年制大学に行くなら、女子も4年制大学に行ってもいい(短大をすすめる教師や親も多くいましたが)と思いました。

また、「女子は働かなくていい、主婦になるのだから」という風潮もありましたが、私は親からの“自立”のためにも働かなければ、と思って来ましたし、コンプレックスの反動だと思いますが“充実感を感じながら生きたい”という思いも強くあり、今も続いています。

自分のことばかり述べましたが、今の若者は「大人になる、大人になって何をするのか」ということをあまり考えない、学校の成績や進学のことばかり重視する教育の中で育って来たように思います。“好きなこと、楽しみを持つ”ということのないまま。

(ゲームは“本当の楽しみ”ではないと思います。部活も“勝つ”ことのみ目標では、仲間作り、仲間意識もあまり育たないのではないでしょうか。)

私より少し若い親の世代は高度成長時代、“仕事にがんばる”ことが父親の役目のようにも思って来たようです。そして生きることの目標のように。職場などの人間関係に傷ついて、働くことができなくなった。子どもに対し“がんばれば出来るはずだ”と強く言ったために何とか3年続けましたが、その後、精神的にダウンし、働けなくなった――ということもあります。

つけ加えれば、子どもは主に、親の生きる姿、社会で生きる姿を見て(直接見えなくても、親の話を聞いて)、社会化がなされると思います。社会での生き方、人間関係の持ち方、を学びます。でも、高度成長時代、父親は夜遅くまで働き、子どもは殆んど父親と接しない、そんな中で、社会での生き方を学べないまま大人(成人)になってしまう。“働く、仕事”についてのイメージをつかめないまま、働くことの不安がつのる。

男子は父親を、女子は母親の姿を見て社会化が進むわけで、男子は父親と殆んど接しないまま成人になるので、どう生きたらいいか、どう働いたらいいか分からない不安が漠然と起き、社会へ出ることの不安、恐怖がつのり、ひきこもる――それ故、ひきこもる青年は男子に多い、と思います。