2017/10/01

それぞれの歩み


にきこもりの青少年の居場所を開いてちょうど17年になります。多くの青年が居場所、“青年の集い”に参加し、しばらく過ごし去って行きました。“たまに参加する”という青年も多くいますし、数年たって再び来所するようになる場合もあります。また、働き出して、フルタイムに近い形なので、来れないのでメールをよこしたり、電話で話をすることもあります。

やはり、何とか働き出しても、職場の人間関係などに辛さを感じるようです。特にこちらから“働いたら”と勧めるわけではないのですが、“働かなければ”という思いが強い青年が多いかもしれません。また、「本当に働きたい気持ちになったら働く」という青年もいます。

そして、道草の家に来るようになったきっかけ、過程も様々です。

比較的多い(多かった)のは中学生ぐらいに不登校になり高校にも行かれず、家にひきこもっていたが、「人と話したい」「アルバイトするにもコミュニケーションが出来るようにならなければ」と思って、ネットで探したり、公的機関に問い合わせたりして、道草の家を知るというのが多いようです。

でもまた高校や大学などを出て、会社に勤め出し、そこでの人間関係(上司との、同僚と)が辛くなり、うつにもなって、仕事をやめ、しばらく家にひきこもる、そして、少し落ちついて来て、人との交流もしたい気持ちになって、道草の家を探して(公的機関に教えてもらったり)訪れる、という場合もあります。

青年たちは繊細でまじめです。無理をして、うつにもなってる場合が多いです。

道草の家では“働く”ことを目的にかかげていません。むしろ、互いに自分の悩みを話したり、他の人の悩みを聴いたりするなかで、「自分だけではない」という思いから、少しづつ人間信頼をとり戻します。スタッフもそういうことを心がけながら一緒に話し合います。“引っ張ったり、押したり”ということではなく“添う”感じかと思います。私はエネルギーが低いので、ちょうどいいのかもしれません。

そうした中で、青年たちは自己肯定感が出て来て力が尽き意欲も出て、“働こうか”という気持ちになるようです、でもあせったりして、思いに心がついて行かない場合もあります。

私は青年が就労支援事業の方に行くことを勧めたり、或いは引きとめたりしません。いつの間にか就労支援事業に行き出し、事後報告を受けたり、または「昨日サポステに行ったけど、辛かった」でもまた行かなくもいいと思うけど、行き出した行かなければ、と思うのね」と言ったりしますが、青年の自主性を大事にしたと思っています。

毎月、会報を出していますが、1週間位前から「今月は何を書こう」と考えるようになり、また「青年たちには誰に書いてもらおう」と少々焦ります。でもこれをきっかけに集いに来ない青年に「調子はどうですか、仕事の方はどうですが」と聞き「会報に載せる文、“この頃の思い”を書いてもらえませんか」とメールを出します。

そして今月号には長文を書いてくれた青年もいて、豊かなものになりました。残念ながら今月は「親の会」に出席の親の方がいませんでしたので、俳句を創っている親の方に俳句を送ってもらいました。

こうして今月号は何とか原稿は出来ました。3日午後1時パソコンに打ち込んで下さる方が、もうすぐ来る時間です。