2017/11/01

ふるさと


姪の発案で、10月末の土日に親戚が集まりました。

福島県の白河から車で30分ほどの所に石川町があり、青森から、福岡から、東京・千葉から、と19人が集まり、温泉旅館(猫啼温泉)に泊まり、夜遅くまで(明け方まで)、話はつきないようでした。私は早く寝ましたが、息子はいとこのだんなさんたちとロックの話など盛り上がっていました。

ふるさとの風景は変わりません。旅館の裏側の森は緑と紅葉が入りまじり、とてもきれいでした。

車で移動し、菩提寺で特別に法要が営まれました。住職が、お経を読み、後半は私たちも一緒に唱和しました。

その後、住職が“鈴木家”の由来を話され、この石川町の・・・・に貢献した・・・・というようなことも述べていました。

私はふと、「こうした先祖の話、行跡を聞けない人も多いのではないか」と思いました。

その後、お墓に行きみんなで線香をあげました。お墓のまわりの雰囲気は、子どもの頃と変わりません。

ふるさと・実家・・・、私の子どもにとってはどこだろう。

私は持ち家を“道草の家”として開放しているので自分の部屋としてはひと部屋、ベッドや冷蔵庫などでいっぱいです。

青年たちが集まる部屋は、自分だけの時はテレビを見たりリビングとして使っています。

さて、娘に「ふるさとは何処だと思う?」と聞きましたら、「原風景として思い出す所、子供の頃楽しく遊んだ小方山かな」と言いました。

 小方山は、山口県との境になる広島県の市ですが、前に海があって、周りに森もあって、社宅の中にも広場もあり、また周りに少し崖があって、子供達は登ったり、すべり降りをしてよく仲間と遊んでいました。

 戦後、高度成長時代、周りに自然が少なくなり、転勤も多くなって、子供もとって”楽しく遊んだ所”というのは少なくなったのではないでしょうか?

 そして、都会に憧れ、田舎を離れて、そのまま戻らない人も多くなりました。石川町でも、メイン通りの商店街では(見かけは変わらないのですが)3代目が戻って来ないので、潰れてしまった店が何軒もある、と兄嫁は言っていました。

 テレビ番組「小さな村イタリア」では、農業や牧畜などをしている20軒位の小さな村で、若い時、一時は学業や就労で村を離れていても、中年になると戻って来て親の仕事を一緒にやって、受け継いで行く、というストーリーが多くありました。

 そして子供の頃、一緒に遊んだ仲間と、夕方になると集まって酒を飲み交わす―という場面が多く有りました。

 イタリアでは、今もそういう村が多いのかも―と思います。毎週、放映されても尽きないのですから。