2009/10/01

“ひきこもり”のイメージは?

 皆さんは“ひきこもり”という言葉にどんなイメージを持つでしょうか。私は“ひきこもりの青年”という言葉より“ひきこもる青年”と言う言葉を使います。“ひきこもり”はひとくくりにしてしまいますが“ひきこもる”は状態を示すので、少しは巾があるように思うのです。でも一般には“ひきこもり”という言葉が使われており、そうした青年を身近かに知らない一般の方は一つの病名のように、一つの症状を持っている人をイメージしたり、家の中に、自分の中に閉じこもって、暗い顔をしているイメージを浮かべるのでは、と思います。

 社会(学校、職場、地域)に出られない、という状態は同じですが、様々な生活状態、様々な精神状態がありますし、その苦しさ、生き辛さもそれぞれであり、複雑です。道草の家のような居場所に来れる青年、或いは街に出られる青年は、見かけは何も変わっていないので、働かないのは「甘えている」「勇気が足りない」とか「自分だって、誰だって働くのはしんどい。いやなことが多いけど頑張って働いている」と思われがちです。

 好意的に見ている人も「自分も子どもの頃から悩みながら、生き辛さを感じながら社会生活を送って来た。ひきこもりの青年とは紙一重の違いだけ、だからひけ目を感じないで社会に出てほしい」と思ったりするようです。

 家の中から殆んど出ないで、家族とも殆んど話さない状態の青年と、居場所に出て来て人と交われる青年、その間に、外に出るが人と接しない青年など、様々な状態の青年がいるわけです。そして、その親も悩み苦しんでいます。

            青年たちの苦しみ

 道草の家に来ている青年たちのことを私自身も十分に理解しているとは思いませんが、もっと理解し、青年たちが少しでも自信を持って自分を肯定できて、生き生き生きるようになってほしいと思いながら一緒に過ごしております。

 <青年の思い>にも載せているように「道草の家に求めるもの」「落ちつく時」「きつい、辛い時」「コンプレックス」などについて自分を見つめながら、仲間のことも考えながら、自分の思いを表現豊かに語っています。そして明るい会話です。家にいる時も、音楽を聴いたり、本を読んだり、イラストを描いたり、或いは映画を見たり、美術館に行ったりなど一人でも趣味を持って過ごしています。でも多くの青年が落ちこみ不安定になって外へ出る意欲がなくなる時があり、波があります。

 先月号でも書きましたが、精神的な病いを多くの青年が抱え、なかなか回復しない、という面もあります。なぜ、症状がでるようになったのでしょう。

 子どもの頃から――小学生の頃からの場合もありますが、多くは中学生の頃から――生き辛さを感じて来たように思われます。気質的には繊細でまじめ、完璧主義なところがあり、家庭ではいい子であった場合が多く、中学生の頃、いじめなどに会い不登校になり、高校入学で心機一転、と思いながら、やはり同級生になじめず、すぐ不登校になってしまった、そしてそういう自分を責めることが、精神的な不安定さをもたらしたように思われます。「自分の人生は終わった」と思った青年もいます。でも多くの青年は、その後、通信制高校に行ったり、大検を取ったりして高卒の資格はあるわけですが、それだけ頑張ったにもかかわらずひけ目を、コンプレックスを強く感じています。そうした経過から、また他の経過をたどる場合も、色々重なり合い、他人の評価を気にしたり、失敗を怖れたり、傷つき易さ、対人恐怖などの心の苦しさが生じたのではないかと思います。

 そうした中でも、少しずつ元気が出て来たり、コミュニケーションの力もついて来てアルバイトを考えるようになったり、少しずつ始める青年もいます。また、仲間との交流の中で、相手を思いやる気持も膨らみ、自己表現もでき成長して行くのを感じます。

 精一杯生きており、知性も感性も豊かな青年たち、何とか社会に出られるようになりたいとの思いをどうしたらかなえられるか…能力はありながら…何が足りないのだろう…ひとつにまとめれば、「自分は自分でいいのだ」という「自己肯定感」が低いのではないか、と思います。では「自己肯定感」をどうしたら高められるのでしょう。それが、課題かと思います。青年たちと一緒に探って行くことなのでしょう。

           心を閉ざす青年たち

 一方では、心を閉ざし、親をも拒否している青年、そうした子供どもを持った親の方の苦しみを思うと、心が痛みます。親だけで相談に来られる方や他の勉強会などで聞いたりするのですが、私もどう答えたらいいか、非常に難しさを感じます。

 親の接触を避けていて、たまに声をかけても「干渉するな」と言われ、メモを書いても「メモをするな」というメモが置かれたりして、取り付く島もない、こうなるのに何があったのかも教えてくれない。親も何が何だか分からない、という状態・・・という場合もあります。

 お父さんの相談を受けて私が「話を聞くと、お子さんは大人しい方だから学校で何も言えずいじめに合ったのかも知れない」と言うと「ぼくの頃もいじめがあった、ぼくも大人しい方だったのでいじめられた。でも学校へは行った。何とか学校は続けたし、働いて来た。いったい何が違うのだろう」との言葉が返って来ます。「子供時代のまわりの環境、前は兄弟も多く、近所づき合い、親戚づき合いもあり、色々な人との交流があり、そこで人間関係や色々な生き方を学べた。でも今は、親子だけの関係になって、父親も家で過ごす時間が少く、社会性が身につけられなくなった」と言いますと、「それは大体分かる。でも、親はどうしたらいいのだろう、何をしてあげられたのだろう、まだ10代の終わりだけど、何もしなければ、このまま部屋に閉じこもったまま何年もたってしまうのではないか。何かしなければ、と思ってもどうしたら言いか分からない」と切実な言葉が。子どもから暴言暴力を受ける親も辛いけど、何も言ってくれない親もどんなに辛いことでしょう。 

 私も十分な答えはなく、「親は心配している」「親も理解してあげられなくて悪かった」「親がしてあげられることはないか、教えてほしい」などと伝え続けることでは?たとい返事がなくても、と言うしかなかったのですが・・・・

和田ミトリ