2009/10/01

道草の家の青年(彼、彼女)たち

 8月は総選挙や、芸能人の事件、そして将来の見通しの立たない社会状況が、連日報道され、私も何かしら気ぜわしさを感じて過ごしました。早や8月も終わりに近づき、会報のことが気になりながら、なかなかペンを取れずにおりました。気になり心に占めるものは何か…やはり青年たちのことです。

 なぜ、そんなに悩み苦しまなければならないのか。

 

 家を出られなくなった青年、人と交われなくなった青年――育つ過程の問題(家庭、学校、地域などの環境)や気質の問題(繊細、過敏、几帳面、完ぺき主義など)そして社会の問題が重なってのことでしょう。

 社会がもっとゆるやかであったら!多様な個性、生き方が受け入れられるものであったら!と思わずにはいられません。不登校だったこと、長くひきこもっていたこと、長く無職であったことをどうしても引け目に感じて、なかなか社会に出るイメージが湧かない、勇気が出ない…それは“真面目に考えるから”――ということも大きいかと思います。

 生きる価値、働く意味、人との交わり方、本当の自分、など考え、でも納得いく言葉が出ない…。

 また、ここ数ヶ月、気分が落ちこんで外へ出る気力、道草の家へ行く意欲がなかなか湧かない、でも道草の家に来てしまうと、「色々話ができて楽しいし、自分のことを分かってくれて気が楽になる」と言う青年もいます。或いは、積極的に自分の悩み、問題をみんな(グループ)の前に出し、みんなで考えて、気づきを得ようとしている青年もいます。

道草の家の目標を改めて考えさせられます。それは「生きることの土台づくり」です。

 仲間との交流、スタッフとの交わりの中でコミュニケーションの力を培う。また共通な部分で共感したり、違いを認め合ったりしながら、お互いに信頼できること、人間信頼を取り戻したり、また創造的なことをしたり、「自分らしく生きていいんだな」ということを感じたり、そして何より自分を表現したり、話し合うことに楽しさを感じる時間があって、生きる意欲が出て来ることを、願っています。

 同時に、道草の家に来ている青年の多くは通院しており、またそうでない青年も皆、心に心理的葛藤があり、それを解きほぐすことも大切であり、心理療法的なことを青年の集いに取り入れています。(認知行動療法、アサーション、気質、アダルトチルドレンなど)心理療法も一対一でやる良さ、必要性もありますが、グループでやる良さもあります。他の人が発した悩みも、自分の中にも似たようなことがあるなと思ったり、一緒に考えることで、自分の問題についても考えたり、他の参加者の発言に気づきが得られる――という効果があります。雑談の中に悩みが出されて、皆で考えることもよくあります。

 また自分の興味あることについても話題が出ます。先日は村上春樹が話題になりました。皆が加われるわけではありませんが村上春樹だったら加われる、という青年もいます。聞いているだけでも「こういう作家がいるんだな<ノルウェイの森>が映画化されるそうだが、見てみたい気もする」と思ったりするようです。

 先日はインドカレーを食べに行って道草の家に戻って来て、好きな食べ物の話題になりました。それには皆が加われ、盛り上がりました。そして、一人の青年が、「健康診断で尿酸値が少し高めになったので、母親と一緒にヘルシーな料理を考えて作った、図書館で料理の本を借りたが、コピーしてもきれいな色が出ない。それで自分で色鉛筆で写した」と言い、ケータイに撮ったその絵を見せてくれました。小さい写真ですが、きれいに描かれているのが分かり、みんなで感心しました。

             感情、感動について

 7月号で「感情、感動、優しさ」について書きましたが、青年の集いで、「自分の感情についてどう思うか」尋ねました。

 一人の青年は「自分の感情を余り意識したことがない。怒っている時とか不安な時、嬉しい時は、自分は怒ってる、不安だ、などと思うけど、それ以上に色々感情があることを意識してないし、言葉でも余り表現してない」と言いました。他の青年は「子供の頃から感情を余り表現してなかったように思う。思春期頃から辛くなって親にぶつけたけど、他の人とは感情を抑えたり、辛くなるので感じないようにした面もある」と話しました。スタッフも「子供の頃から、親は感情表現が豊かでなかったし、子供の気持、感情を聞いたりもしなかったので、自分も感情の表現が苦手になった」と言いました。

 日本人は感情を率直に表現することを「はしたない」として抑えることを美徳とする伝統がありました。そして、男性は、職場(会社など)では、感情を入れないで、事柄だけで進めた方が、仕事がスムーズに行く――という時間を多く過ごしているため、感情を余り感じなくなってしまった、という面もあるように思います。父親が、母親よりずっと、子供の心の苦しさを共感できない、理解できない――という場面にしばしば出会いました。

 心の問題、悩みなどは、「その通りだ」と事柄だけ同意されても自分の気持が出せて、その感情に共感して貰えないと、本当に解ってもらえたとは思えない(カウンセリングがそうですが)――という体験をしています。

 意志とか簡単な決めること、そして決断も、思考、頭で理屈を考えるだけで、できるものではなく感情が伴ってはじめてできるものです。感情の病気、うつ病になると、意志が持てず、決めること(簡単なことでも)決断ができなくなります。

 そして、青年たちに「感動することで、感情が豊かになるし、自分の中に起こる感情を意識し感じてゆくと、感動も豊かになる、そしてそれは生きるエネルギーになる」と話しました。

 「小さな感動でもいいのですね」「今日は空がきれい、道端の小さな花がきれいだとか、風がさわやかだとか、カレーがおいしかったとか」

「映画を見て泣くのも?」「勿論!」

 そんな話をしながら、5時になり集いの時間が終わる時に、「今の気持はどんなかしら。体の感じも、胸やお腹の辺りに注意を向けて、何か感じたら教えてください」という私の問いに「楽しい気持、胸の辺りが暖かな感じ」「話が出来て嬉しい気持、胸の辺りが軽くなった感じ」などの言葉が返ってきました。

和田ミトリ