2016/12/01

それぞれの生き辛さ

  青年の集いに参加しているF君は障害時の学童保育(放課後、親が迎えに来るまで)にたずさわっています。
 私は、以前にある心理学者が「知的に低い人は悩まない」と話しているのを聞きました。確かに私の経験からも、(だいぶ前のことですが)知的な面でボーダーの青少年と関わったことがありますが、「自分はダメな人間だ」と言いながら荒れていました。もっと低い青少年は、そういうことでは荒れませんでした。

 F君は、重い障害の青少年は大声を出したり、歩き回ったり、それは「自分はダメだ」とかは言いませんが、思うようにしゃべったり動いたりができない辛さを表しているようにも見えると言います。
 それぞれ生き辛くなった時期とその状態は違いますが、生き辛い青年(彼、彼女)が道草の家を訪れます。小学生の辺りは友だちともよく遊び楽しかった、という青年が多いです。中学校で不登校になり(必ずしもいじめがあった訳ではなく)自分から仲間に入れなかったり、或いは「部活の部長になれ」とか急に大勢の前でしゃべる役割を押し付けられたり‥‥などもあったようです。
 また、高校や放送大学もきちんと行っていたのに卒業したら、家を出なくなった。大学中退もあります。または、大学までほぼ順調に来たのに会社に入ったら、期待とは違った不合理なことに出会い、落ち込んでやめざるを得なくなった‥‥
 挫折体験の時期もさまざまです。
 私も、どちらかというと生き辛さを抱えて生きてきたように思います。「ユウウツだな」という言葉がしょっちゅう頭に浮かびます。辛くてたまらないほどではありませんが。前にも述べましたが「挫折して方向転換」をくり返して来ました。
 挫折を感じた時に次にやりたいことが見つかる‥‥がまんして、頑張って思いつめて‥‥ということは余りなかったように思います。多分、「ユウウツ」と思うことが逃げ場なのかもしれません。
 でも、そうした私の心の状態は、悩む人、うつなどにおちいる人の気持ちを、ある程度解るようにさせているか――と思います。心の問題に関心があり、今の活動にしぼられて来たように思います。