2012/07/01

小さな大自然

 先月号ではイタリアの小さな村のことを書きましたが、その後テレビのドキュメンタリー番組を何となく見ていると、ドイツから来た青年がかやぶき屋根の古い民家とまわりの自然に魅せられ、その民家を修復して、日本の女性と結婚し、農業をやりながら住んでいる様子が映されていました。ヨーロッパの青年が日本の田舎に魅せられるのだ、と思いました。その番組の題は「小さな大自然」でした。

 それから日本のあちこちにかやぶき屋根の民家が映されているのを見て、皆が大事に考えている様子を感じました。近くでは筑波山の麓に数軒、かやぶき屋根の民家があり、是非訪ねてみたいと思っています。

 私が子どもの頃、叔母の家、大きなかやぶき屋根の家に遊びに行った時のことが思い出されます。広い土間の一角には馬がいました。裏には、上の方から引いて来た湧き水が、竹筒からいつも水が流れていました。裏山には小学校の分校があり、学生の頃行った時も、木造の小さな校舎はそのままあり、運動場の端に腰をおろして眺めると、村の家々、そしてまわりには山なみが幾重にも広がっており、心も広がる思いになったことを思い出します。

2012/06/05

心の豊かさ

  必死に働いて来た男性(父親)、否定するわけではないのですが――「頑張った」という肯定感はあるのでしょうが、――生きていることを、生まれてよかった、という肯実感はあるのでしょうか。物質的には豊かになりましたが、心に豊かさを感じるでしょうか。家族とのつながり、まわりとのつながり、自然とのつながりを感じ、心が満たされること―は?(勿論、いつも、というわけではありませんが)・・・

 外国で暮らした方の外国の生活について書いた本を読むにつけ、外国では、働くことだけに時間を費やすのではなく、自由な時間を大切にするとの事――ある程度の物質的、経済的ゆとりも必要ですが、時間のゆとりが大切だと思います。

 家族や地域の人々と過ごす時間一人で過ごす時間、自由な時間を楽しむ時間がないがしろにして来たことが、現在の生き辛さを感じる一つの要因ではないかと思います。

 そして殆ど部屋にひきこもっている青年、ネットでゲームなどして過ごしているようですが、どんな気持なのでしょう。

2012/06/04

施設と家庭

 社会に出られない、ひきこもる青年たちと関わっていると、様々な要因はありますが、社会の影響も大きいし、その影響を受けた家庭の問題も感じます。35年前から10年ほど関わった、児童養護施設から社会へ出た青少年のことについて、やはり社会適応が難しいのは、それは、施設という集団生活の中で育ったことが大きい、その時思ったのですが、今は家庭で育っても難しい――という課題を改めて感じます。

 私がそうした青少年に興味を持ったのは、(財)青少年福祉センターが中心になって、養護施設から社会に出た人達の追跡調査をしたものをまとめた本「絆なき者たち」を読んだからですが、そこでは、「親子という絆、家族という絆がないために、社会に出た後、心の支えになるものがなく、そのために『もうちょっと頑張ろう』とか、ドロップアウトの方に向かう気持を抑える意識が弱い」というようなことが書かれていました。

 その青少年福祉センターは、その頃は養護施設(親の死亡、離婚、虐待などで、家庭では育てられない子どもを集団で育てる)で育った少年少女が中卒で働かなければならず(今は高校卒業までいられますが)「仕事が続かない」「ドロップアウトしていく」などの場合が多いため、そういう青少年のアフターケアをする所で、生活寮もあり、その活動を手伝いました。

 なぜそんなに社会適応が難しいか、を青少年たちと話したり、養護施設を訪問したりして、考えたのですが、集団生活であり、指導員や保母が交代で面倒をみるので、親密な関係が作れない、人間関係を作る能力が育たない、ということがあり、また集団生活なので大体の日課によって生活するので、主体性が育たない、など、大人になるための社会化がなかなかできない、というようなことを感じました以前は施設に育ったから社会適応力がないと思ったのですが、家庭に育った場合も、社会適応力が低いことも多いという現在・・・。

 どこが共通でどこが違うのか。養護施設で育ち、中卒でやむおえず社会に出る。けれど、今のひきこもる青年は社会が怖くて出られない、でも共通するのは人間関係が築けない、人間関係が怖いということだと思います。それは人間関係の体験が少い、希薄な人間関係の中で育った――からではないかと思います。

 高度成長期から現在まで、男性(父親)は仕事、会社中心で、厳しい、残業が多い職場でもそれをやり抜くことが、生きる目的のように頑張った。それ故、家庭で過ごす時間も少くなり、エネルギーもなくなり、自由な時間もなく夫婦や、親子の会話も少くなったり、殆どない状態、それは家庭の中でも人間関係が希薄になった、と言えるのではないでしょうか。特に父親から男の子に伝わる。社会性(社会で生きる力)が伝わらなかった、と言えるかと思います。

2012/06/03

木賃アパートのこと

  道草の家の海側の窓からは、高層マンションが林立しているのが見えます。都市は40年、50年前と大きく変わりました。

 約40年前、広島市の木賃アパートを調査した時の事が思い出されます。

 5年ほど勤めた中学校の教師を、自分に合わないと思い、長女の出産を機にやめた後、好きだった建築設計を学びたく、工学部の建築科に編入学したのですが、戦前に建てられた(小高い丘の陰にあるため原爆を免れた)木造アパートの調査をすることになりました。薄暗い6畳間に親子5人が住んでいたり、3畳にも、2人3人とすんでいる人達を見て、「こんな環境に住んでいる人達がいるのに、お金の余裕のある人のために建築設計をしていいのだろうか」という思いが浮かび、社会に対する意識が目覚めました。

 地域社会が、崩壊し始めた頃ですが、アパートとアパートの間の狭い空き地で子供たちが遊んでいる姿もあり、お互いの接触もあるように感じました。

2012/06/02

小さな村の物語

  5月は金環日食やスカイツリー開業など賑やかな話題がありましたが、一方、夜行バス事故やホテル火災、トンネル爆発など多数の死傷者を出す事故が相次ぎました。

 新検見川駅から道草の家までの道筋に高層マンションが次々と建っています。こんな大きな多世帯のマンションにはいる人々がいるのだろうか、全部埋まるだろうか、疑問でなりません。

 でも、BSで毎週放映される「小さな村の物語、イタリア」を見るとホッとします。低い山々の尾根に数10軒の家々が建ち並ぶのが見え、ゆったりとした音楽(歌)をバックに村人の生活描かれています。そんなに山奥というわけではなく、家の中の様子は、私たち都会の生活と変わりません。むしろ、ゆったりとした台所、食堂、居間などが柔らかい色合いで使いやすそうで、羨ましいほどです。台所のテーブルで昼食のためのパスタを粉でこねることから始めて作っている姿もあります。毎週2,3組の家族の生活が紹介されています。息子が都会から戻って来て父親と一緒にぶどうの木を育てる、とか、母親と息子たちが、馬、牛、羊などの牧畜をやっている、とか、初老の男性がカフェを開き、そこに村人が集まり、コーヒーや酒を飲みながら談笑したり、音楽に合わせてダンスをしたりしている様子が描かれています。イタリアという明るく暖かい気候もあるのでしょうか、必死に働いている、という姿ではなく、楽しみながら働いており、また村人同士の交流も楽しんでいる、都会から戻った青年は「自分の家族も村も好きだから」と言っています。こんな生活をしてみたい、と思います。

2012/05/07

働けない子への思い

 精神的に不安定になり、外へ出ない、人と交わらない、働かない―という自分の子どもを何とか理解し、自分なりの生き方を見つけることを信じ、日々関わる、寄りそうことに必死な親の方もいれば、「何で働かないのか、何で頑張らないのか」と、どうしても理解できない親の方(主に父親)もいます。以前働いていた心理研究所で開いていた父親の勉強会に私も参加していた時のお父さんの言葉を思い出します。「子どもが働かないことを認めることは自分に”死ね”ということと同じだ」、それほどまでに「働くことは絶対的価値観、頑張るべき、頑張ればできるはず」と思えてしまうことは何なのでしょうか。私などは、子どもが働かないのは、「何らかの理由があって働かないのだ」と思ってしまいます。私の息子は、数ヶ月働かない時期がありましたが、「私自身、不完全で、葛藤の多い人間、それが一番繊細な子どもに影響しないはずがない」と思いました。

 高度成長期に男性は「生産性をあげること、それには頑張って働くこと、だれでも努力すればできる」―という思いで必死に働いてきたのでしょう。企業戦士とも言われた。自分の子どもが働けないことが受け入れない位に、絶対的価値観だったのでしょう。そして、感情を持ったら仕事はできない―と感情を感じないようにしてしまった。感情がなければ、辛い思いをしている人の気持もわからない。

 でも、その結果の今の社会、住み易いでしょうか。物が豊かで効率的で便利になって来ました。でも、リスクの多い原発を作り、また便利な車がスピードを出し走り回っている街中―とてもとても悲しい子どもの死をひき起こす事故が度々あります。

 そういう社会に適応できない青年たち。青年たちが弱いのでしょうか。がんばらないからでしょうか。怠けているのでしょうか。

2012/05/06

春が広がって・・・

  5月を迎えて、若葉の黄緑が街路を明るくさせ、垣根のつつじも咲き始めました。

 早朝、窓の外に小鳥の声がするようになりました。

 また、先月青年の集いでパステル画を描いている時、カラスの鳴き声がしたので窓の外を見ると、からすがたくさん電柱の上や電線にとまっているのが見えました。そして、しばらくすると、30羽以上のように思われるカラスが鳴きながら一斉に飛び立って行きました。何か打ち合わせをしているように鳴きながら。

 静かになりました。「子どもの声も聞こえないなー」とお互いに話したのですが、

いつ頃から子どもの遊ぶ声が聞こえなくなったのでしょう。

 道草の家も少し変化がありました。以前、しばらく通って来てた青年、大勢で元気な青年が多い、他の居場所の方で過ごしていたのですが、仕事を頑張ったせいか、急激に落ちこみ、しばらく外へ出ない生活、でもだいぶよくなったものの、大勢の中にははいれない、ということで少人数で穏やかな道草の家に来ました。それからホームページを見て、雰囲気がよさそうなので来てみた、という青年も続きました。

 青年の集いに参加する青年はそう多くはなく、間をあけたり社会参加(働く)も、波があったりしてます。なかなか安定して動ける青年は少ないです。私も落ちこんだりしてしまいます。でも、会報をお送りしていて、読んで下さってる方から、心温まる励ましのお手紙を頂きました。「・・・青年たちは成長してよい結果を出しているようですが、すぐに結果の出ない難しいお仕事で月日を要し大変なお仕事ですね。

2012/04/03

春・・・?

  4月になってようやく春の暖かさが訪れましたが、桜の花が街路を飾ることはまだまだ先のようです。でも道を歩くと家の庭に咲いた水仙がフェンスの間から何本も顔を出しておじぎをしています。

 これから沢山の花が咲き出すことを思うと、胸がふくらむ思いになりますが、東北にはまだまだ春はやって来ない、課題は山積みされたままです。

 道草の家で関わっている青年たちにも「春はまだ・・・」と思われる青年が何人もいて、心が痛みます。なぜ悩み苦しまなければならないのか、なぜ自己否定感がそんなに強いのか、と考えてしまいます。他の時代、他の土地に生まれたら、こんなに苦しまなくてもいいのに!とも思います。

 今の日本社会、混沌とした文明社会、繊細な心を持つ青年たちが、その影響を大きく受けたのではないか、と思います。

「文明とは何か」―宇宙からの視点で

  「これまでと同じ速度で人間圏を営み続ければ、もはや我々の人間圏は100年も存在できないかもしれない」という言葉を本の中で読んで、私たちはそんなに悠長にしてはいられない、と思いました。『我関わる、ゆえに我あり―地球システム論と文明』(松井孝典著、集英社新書)という本ですが、「私たち人類、地球の緊急課題は宇宙からの視点、地球を俯瞰することで解明される」と述べています。「人間とは何か」「文明とは何か」を問い直しています。

 地球システム論で文明を定義しており、地球に生命ができ、生物圏に人類が生まれた時から現在までを4つの図で描いているのを紹介します。

図1―人間圏が他の圏と一緒に地球システムの中に収まっていいる、狩猟採取時代

図2―人類が生物圏をとび出し、新たに人間圏を作った、初期の農耕牧畜時代。調和的で構成要素が円に収まっている。

図3―「文明の惑星」は産業革命以降のストック依存型(石炭石油を使う)の文明の

時代、現代。地球システムを大きくはみ出す

ことによって地球システムに大きな乱れが生じて来る。

図4―21世紀の地球システム。これまでの人間圏の発展をそのまま延長した場合の圏。人間圏と地球システムの関係は非常に不安定になる。

 現在の状況は図3から図4の状態への過渡期、様々な問題を招いているわけです。

 そして、今回の大震災を機に(被災地の復興は当然だが)、「復元」ではなく、地球システムと調和した新たな人間圏の「創造」、新たな文明の「創造」を考えるべきだ――と述べています。

 未来の人たちのことを考えれば――考えなければ、今の自分たちのことだけでいい、と思えば、別ですが――今の文明をどう考えるか、どう変えて行くか、どう「創造」するか、を考えるべきでしょう。今の文明にどっぷり浸かっている私たちには非常に難しいことですが。「このままの経済政策では他の国に負けてしまう」と言う人もいますが、他の国に勝つ、負けるの問題ではなく、人類、地球の存亡の問題だと思います。

 でも、著者は、「人間は、他との関わりの中で問うていく存在」だと述べています。地球システムの中の他の圏と関わりながら考えることができる存在、それは人間が存在する意味である、と言うのですが・・・

アイヌの人たちの生き方

 新しい文明の「創造」――なかなか見当がつきませんし、狩猟採集の時代に戻るわけにも行きません。でもその要素を持っている人たちの暮らしはあります。



 先日はテレビでブータンの生活が放映さえていましたが、道路を作る時に山にトンネルを作れば短距離になるのに、それをしない。なぜなら「自然を傷つけたくない。そのまま大切にしたい」と言ってました。

 そして、千葉県君津市の山奥に、アイヌ民族の長老が暮らしており、カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)という施設がある―という新聞記事を読みました。その長老の浦川治造さんの生活、生き方を追ったドキュメンタリー映画が上映されているのを知り、観に行きました。北海道に住む先住民族アイヌのことは多少興味を持っていましたが、改めて、現在もその伝統を守り、それを伝え続けていることを知りました。

 北海道のアイヌの村は、内地から多くの人が移住して来たり、国の政策によって、だんだんと、浸食されて行き、”先住”なのに偏見も受けました。治造さんも生活のため東京に出て様々な仕事をして来ましたが、同時に、出身地の北海道や千葉県のカムイミンタラの他、全国各地に、アイヌ民族の伝統を伝える施設を作りました。

 アイヌとして生まれ、育ち、今もアイヌとして生きる治造さんの暮らしに常に自然と共にあり、先人から受けついだ知恵、生き方が描かれ、自然を敬い、自然への感謝を忘れない・・・動植物や自然現象などに「カムイ」が宿っているという”自然に生かされ、自然と共に生きる”姿が現実にある、ということを知り、感動しました。

 そうした生活を、私たちがすぐ出来るわけではありませんが、それを実際に見たり接することは、何かを感じるのではないか、と思います。私の幼い頃は薪でご飯を炊き、風呂をわかし、暖炉裏がありましたが、今の青年たちには想像もつかないでしょう。でもカムイミンタラでしばし過ごすことは、心が癒され、生きるヒントがわずかでも得られるのでは、と思います。



カムイと生きる(パンフレットより)
天から役割なしに 降ろされたものは ひとつもない
それは アイヌに伝わる言い伝え
この大地に生きるものすべて
空や大地や水との関わりなしに
生きることはできない
人間より”力”のあるものが
カムイである
火のカムイ 山のカムイ 川のカムイ 風のカムイ
 (以下略)

2012/03/07

3月を迎えて

  談話室で青年たちと話し合ってる時、鳥の鳴き声が間近かに聞こえ、窓の方を見ると、少し大きめの小鳥が手すりに止まっているのが、くもりガラスごしに見えました。頭を動かしているのが私たちに挨拶しているような仕草に見え思わず顔がほころびました。こんなことは始めて。春になったからかな、と思いました。

 2月は千葉も小雪が降ったり、例年にない寒い冬でしたが、3月、ようやく春が近づいたようです。でも3月は、去年、東日本大震災が起こった月、もう1年になります。親戚や身近かな人が被害に合ったわけではなく、具体的な行動もしないまま、距離をおいた感じで過ごしていることに申し訳なさを感じます。ただ一向に復興の兆しが見られず、被災地のガレキがそのままであることは心が痛みます。ガレキを受け入れる県はごくわずかです。

 そして、原発事故、放射能の問題は今もなお大きな不安です。納得行くような方向は定まらず、「脱原発」の声は多く聞こえ、その理由を述べる本も多く出ていますが、政府の方にはなかなか届かないようです。高レベルの放射性廃棄物の処理もできない状態ですのに。そして子どもたちのために道路や校庭の除染も少しずつ行われていますが、その中の放射能はどこに流れて行くのでしょう。

 福島の小学生が世界中から来た励ましのメッセージに対し、感謝の気持ちを絵や言葉で書いて送ろうとしている様子がテレビで放映されていましたが、痛々しい感じがします。

 子どもたちは放射能の問題に安心したわけではなく、また世界の人々も、日本の、原発事故の取り組みを安心して見ている訳ではないと思います。このような大問題をひき起こした日本人としてどう考えたらいいのでしょう。

 多くの人は、放射能は怖い、原発はない方がいいと思うだろうと思いますが、国民の総意にはならない、決心できない。それは根本的な価値観を変えない限り難しいのではないか、と思います。

 私たちは、経済的豊かさ、物の豊かさ便利さを求め、それが幸せだと思う価値観のもとに、高度な科学技術を駆使して自然の営みにそぐわないやり方で、物(電気も)を作り出した、自然を支配し、自然を奪い取ってもいい、という思い上がった思い、価値観で。その結果、原発を作り出し、事故が起きたのではないでしょうか。「想定外」という言い訳はできない、と思います。人間が自然に対し優位に立つ訳ではなく、自然の一員、宇宙ができて、生物が生まれて、人間が生まれて・・・長い長い期間の中に、人間が現れたに過ぎないと思います。

 経済的、物質的豊かさが幸せだ、という価値観ではなく、そして、自然に対して畏敬の念を持ち、自然の営みに沿って生きる、という価値観を持ちたいものと思います。

ひきこもる青年の多さ

 ひきこもる青年の居場所を開き、青年や親の方と関わる日々、適切な関わりができてるだろうか、役に立ってるのだろうか、とよく考えます。自分の生き方、考え方が問われます。

 私は高校生頃からコンプレックスが強く、思い悩むことが多く過ごして来たので、青年たちや悩んでる人、生き辛さを感じる人とは重なる部分があるのを感じます。憂鬱感を感じることがよくあるし、対人恐怖もあり、特に電話をかけるのに緊張して延ばし延ばしにしたりします。自分がしたいことを思うようにできない辛さ、自己否定感、そういう人の辛さ苦しさが割と分かります(勿論それぞれですので「よく分かる」とは言えませんが)。親の方や一般の方が「頑張って働こうと思えば働けるはずだ」とよく言いますが、私はそう思いません。「やらなくては」と思いながら、意欲や自身が出なくてなかなかできない、大げさに言えば、「自分との闘いかな」と思う時があります。

 ひきこもりの問題は前ほどメディアに取り上げられなくなりましたが、100万人とか150万人とも言われ、その数は非常に多いし、やはり個人の問題というより社会の問題が大きいと思います。社会の縮図かもしれません。

 60代の両親と30代の息子が餓死したニュース、民生委員は「30代の息子がいるから大丈夫だと思ったと」と言っていますが、多分、息子は、“働けない”、外へ出られない、ひきこもりの状態だったのではないかと思います。

 全国で150万人という数から判断すると、親や本人が居場所や親の会、相談機関に行かない場合が非常に多い(2/3以上?)と思われます。(居場所や親の会の数は、非常に多い、とは言えませんので)

 目立たないようにひっそりと暮らしているのでしょうか。働いていない、ひきこもっていることを恥ずかしい、と思って相談にも行かない、「人に相談したいと思うような人」に対する信頼がない、人間関係がないのでは、と思います。親自身もひきこもりの心の状態では、と思います。また親子の関係も、「子どもの問題なのだから、子どもの責任」と思ったり、親子のコミュニケーションもなく「どうしようもない」と諦めてしまう―という場合が多いのでは、と思います。

 家庭の中でも、近隣でも人間関係が希薄になっているように思います。

 戦後、民主主義のもとに「個人の自由」が大切だと言いながら、本当には自由ではなく、まわりを気にし、まわりと違うことを言ったり、したりすることを怖れる・・・そして人に合わせたり、比較する・・・。

 私たちは一体”どう生きたい”のでしょうか。

生きること、とは

  「どう生きたいか」を青年たちに問う前に「今、自分にとって生きるってどんなことか、どんな感じか」を尋ねてみました。「青年の思い」の所に載せましたが、「難しい」と言いながらも多くの青年が答えてくれました。簡潔に、また気持ちのことを表現しながら。

 本当にそれぞれです。悩み苦しんで来た青年の言葉だな、と思います。そんなに意識しなくても、生きることに必死だったと思います。自分の辛さに向き合ったり、耐えたり、そして少しずつ乗り越えたり。マイナス(と思われるだけですが)の自分を肯定しようとしたり。感性が豊かであり、繊細である故と思います。

 青年たち(とは限らず誰でも)はそれぞれの能力、個性を持っています。人とくらべないで、自分の持てる力を発揮しながら自分自身を生きてほしいと思います。

2012/02/02

夕日

 道草の家の2階の窓から夕焼が見えます。高いビルが建つまでは富士山シルエットで見えたのですが。
先日は夕焼の名残り、少し黒ずんだ茜色の空に墨ではいたような雲が浮かび、こんな美しさもあるのだな、と思いながら眺めました。一昨年は青年たちと夕日を見に検見川海岸まで歩いて行きました。橙色の夕日が空を茜色に染め、海に沈んで行くのをじっと眺めた時の感動を思い出します。

 夕日と言えば先日、映画「Always三丁目の夕日’64」を見ました。ちょうど私が若い頃の東京の下町、商店街の人間模様が描かれています。ただ、私は名古屋の住宅街に住んでいたので、雰囲気がかなり違います。映画の中で近所の人たちが、他の家のことをお互いに自分の家族のように、喜んだり、怒ったり、心配している様子に、複雑な思いと羨ましさを感じました。ありのままの自分の感情を出してつき合える―という人間関係があるのだ―と。

 今は、外で遊ぶ子どもたちの声も聞こえませんし、道を歩いていて顔なじみになる子もいません。近所の人のことも殆ど知りません。

 今の日本は特に、近所づき合いがないように思います。テレビなどで、ヨーロッパや中国の田舎や小さな町がよく放映されますが、私は自分はなかなか旅行できないので、旅番組が好きでよく見ます。 懐かしく、ほっとする場面・・・。

 中国などの田舎(下町)で路地にテーブルといすを出して老夫婦がお茶を飲んでいる様子には、(通る人も寄って一緒にお茶を飲んだり・・・)あんなふうにゆったりと過ごせたらいいな、と思います。イギリスの田舎では、村人がパブに集まって、酒を飲み、歌い、踊っている。またイタリアなど、複雑に建てこんだ(何階だて?)家の窓からカメラに向かって「家の中へどうぞ」と言い、屋上まで案内する場面など。

 このような所で過ごせば、自室にひきこもって人と接しない、交わらない、そしてそれを親子で悩み、苦しむ―というようなことは起きないのでは、と思ったりします。

青年(男、女)たちに学ぶ

 青年の集いの活動としては特別なこともなく過ぎた1月でしたが、個々の青年から色々なことを学び、考えさせられました。それぞれに歩む過程は違いますが、自分の課題に真剣に取り組んでいる様子を感じます。

 まずTさんがホームページをリニューアルしてくれました。道草の家の特色をよりよく伝えるため、写真を豊富に使い、色もパステル調に随所に使ったり、言葉も適切なものに変えたり、つけ加えたり。他の同じような居場所のホームページなどを参考にして、色々模索しながら作成してくれました。こうしたものを綿密に考える豊かな感性―をこれから生かせないものか、と思います。(まだ外で働いたことはないのですが)(ホームページを見てください)

 また2年続けたパートの仕事をやめた青年、やめる決心をするにはどんなに悩んだことかと思います。でも、混乱しながらも、今自分ができること(家事など)をやって、できた自分を認めてあげる、そして、できないことは許してあげる、自分を励ましてあげる―ことを続けてるうち、少しずつ落ちついて来ました。「仕事をやめてよかった、と思える時が来る」と信じながら―と言っています。一つずつ体験しながら、失敗の体験を乗りこえながら、決断力、回復力を高めて行くのだと思います。

 もう一人、仕事をやめた、という青年は、もっと積極的です。積極的になりました。青年の思いの所で「思っていることを言えた」として述べていますが、「いい体験も悪い体験もいっぱいしたい」と言ってます。失敗を怖れて動けなかった自分がある時、はじけた―というのです。

 今は嬉しいことばかりでなく、怒りや憎しみを感じる自分に驚き、これからも多様な自分を感じることに期待があるようです。ずっと”いい子”で来たとのことです。

 そして、「生きる意味」を模索して来た青年。(「働かないでそんなことばかり考えてるなんて!」と思う方もいるでしょう)10代から人間関係に緊張するようになり、20代でアルバイトをいくつかするのですが、どうしても続けられなくなって、家にいるようになりました。「働けない自分」を考え続けてもどうしたらいいか分からない。抜け出せない、苦しいだけ、それで、考えるのをやめた。では、そういう自分にも「生きる意味」があるのだろうか・・・。 ロシア文学や日本の古典、平家物語、仏典などを読みました。(無常、そして死への親近感を感じた―そうです)

 そして、最近は荘子(紀元前の中国の思想家。仏教伝来より先、仏教にも影響した)の本を読んだ。共感することが多い、と言います。 その主な思想は、

 ○「無為自然」(宇宙に存在するもののすべてをありのままに認め、これにいかなる作為も施さない、という思想)

 ○「万物一斉」(ものごとは、ちがうという視点からすればみんなちがう、しかし、おなじという視点からすれば万物はみなおなじなのだ)

具体的に行動するわけではないが、心の中では、少しづつ安定したと言います。

 私も前に、同じ「道家」としての「老子」を読んで共感しましたが、荘子の言葉も私にかなり合いそうです。

 みなそれぞれ、宇宙の中で(遠く、目に見えないものも)存在し、地球に存在している。遠い遠い昔に宇宙が作られた時から。それには、人間が価値がある、とか、ない、とか勝手に決めるものではない。人間は動物より偉いとか、草木よりも価値がある―とは言えない、そして”絶対的な正、絶対的な誤もなく、絶対的な善悪も決められない。違った視点で見れば様々な見方ができる。バリバリ働ける人がいい(善)とは限らず、ゆっくりしたペースの人が悪いわけでもないと思います。それぞれ”できること””できないこと”がありますが(それも変化します)いい悪いで判断することではないように思います。

自縛からの解放

 子どものことで長い間苦しんできた方が「ふっ切れた」ことを話され感動しました。

 自分で自分を苦しめていた、期待通りにならない子どもに不満を感じ、まわりにもひけ目を感じ、みじめだ、と思ってしまう自分、それは、自分で自分を縛っていたことに気づき、「自分が子どもから逃げる、離れればいい」のだときづいたのです。”自分の方が”―それは自分の気持ちを楽にし、それは、表情や態度にあらわれ、子どもの気持ちを楽にすることでしょう。楽になれば動きたい気持になれる。

 働けなくなったのにはそれぞれが葛藤、苦しみがあったわけですし、それぞれが回復していく過程もありますし、「みんなと同じように」とはならないこともあると思います。

 子どもたち青年たちが悩み苦しんでいることを(それを表現できない場合も多いでしょう)を分かってあげて、それが分からないまわりの人からは自分から離れる。

距離を置く。(全てを断つ、という意味ではなく)働く働かない、を人間の良し悪しの基準にしない。荘子の言うように人間として万物の一人として同じ価値がある―のだと思いたいです。

2012/01/08

明けましておめでとうございます

  明けましておめでとうございます。
  昨年は過酷な自然と不尊な人工がぶつかりあった年だったように思われます。人工優位にはならないことを思い知らされました。
 未来の人たちのことを考えながら、自分たちの生活も考えていかなければ・・・生き方が問われていると思います。生き辛さを抱えた人たちが(子どもも青年も大人も)少しでも心が解きほぐれるような生き方はないでしょうか。 
 それぞれが生まれていてよかった、生きていて良かったと思えるような”生きる”ことに対する観方・・・を探りたいと思います。皆様のご支援ご指導のもとに。

幼き頃のお正月と遊び
 幼い頃のお正月を思い出します。
 9才まで過ごした福島県の田舎町での元旦は、朝起きるとすぐ八幡さまにお参りします。友だちと行ったり兄と行ったり。裏の川の向こうの、こんもりした森、きちんとした石段は少なく、大まかに作られた段々をくねくねと登ると普段の遊び場でもある境内は、何か新鮮な感じ、鈴についた紐をゆすると鈴が鳴ります。手を合わせて拝みますが、何を祈ったかは覚えてません。
 9才で移った名古屋は、都市ではありますが、終戦後間もない頃で、つるべ式の井戸も使っていました。元旦の朝、一人で顔を洗いに行き(その水は暖かかった)、そして、すぐそばの少し高くなった所に登り、初日の出を拝みました。
 田舎でのお盆も懐かしく思い出されます。朝方、暗いうちに起き、家族でお墓にお迎えに行きます。それぞれが提灯を持ち、私も子ども用の小さい提灯に灯りをともして歩くのがとても楽しみでした。道を行きかう人は大体顔見知りで挨拶をしながら歩いて行きます。お墓でお参りし、帰る頃はほの明るくなっています。
 そして、学校の授業で、育った稲の中をいなご取りをしたり、稲が刈られた後には落穂拾いをしました。また、近所のお兄さんに連れられて、栗拾いに行き、生のまま栗を食べたり。そして母がお風呂の薪を集めに、少し離れた林まで行く時リヤカーを押す手伝いもしました。遊びも手伝いも、自然の移り変わりの中で、自然と共にゆったりと(大人はそれほどではないでしょうが)過ごしたように思います。
 名古屋でも、授業の合間に縄跳びしたり、ゴム跳びしたり、帰宅後も友たちの家に行き、かくれんぼしたり、(私はお寺に間借りしていたので)お寺の境内で鞠つきをしたり、小学校時代は、「よく遊んだ」「楽しかった」という思い出ばかりです。
 でも、道草の家に来る青年たちは、子どもの頃、「楽しく遊んだ」という青年はいないようです。私の子どもの頃と、青年たちが子どもの頃とはどこが変わったのでしょう。

ぐうたらと「勤勉」
 そんな時、古本屋で「ぐうたら学入門」(2005年発行)という本を見つけました。「ぐうたら」―という言葉、私も、片づけ、掃除が嫌いなぐうたら、面白そうだと思い、買い求めました。
 著者は全国の村々の昔話を聞き取り調査をしたのですが、有名な桃太郎、そして二宮尊徳は、ぐうたらな怠け者だったそうです。明治になって、学校制度ができた時、教科書ができ、そこに勤勉な二宮尊徳として載せた、ということです。また「三年寝太郎」という昔話などに関連して、「ぐうたら」なことも村の中で受け入れられ、他と違った面を持ってい排除されることなく、どんな人間でも、そこにいる意味がある社会―が本来の村の姿だ、と述べています。それは、田に水を入れるのは、共通の水源からひいた水を近い所から順番に田に入れて行く、自分勝手に入れる訳にはいかない、自分の田はみんなの田であるということを基本に、お互いに田植えや稲刈りを手伝い合ったり、暮らし全体を助け合うという、みんなに守られている村社会だったのです。
 今の私たちの生活はどうでしょうか。明治以降の学校教育の中で、「勤勉」こそ「善」であり、「ぐうたら」は「悪」だと刷り込まれました。そして戦後の近代化、さらに高度成長の流れの中で、社会に認められるように未来に向かっての努力と意志の強さが要求され続けました。それが出来る人が評価される―他者とのしっかりした人間関係、信頼関係の形成よりも。
 道草の家で関わる青年たちや親の会(他の会でも)など話される悩みを考えるにつけ、このことが大きく影響していると思います。社会全体の大量生産、大量消費のもとに、学校では、社会全体の大量生産、大量消費のもとに、競争主義、効率主義が浸透し、勉強、成績が第一になり、友達や教師との人間関係は軽視されました。
 そして、子どもたちは、「いま」を失って行きました。子どもたちは、本来、「いま」を生きるものです。遊びはそれ自体が目的ですから、「未来のため」にではなく、
「いま」に集中すること、それが楽しいのだと思います。青年たちの子どもの頃、楽しく遊んだ思い出がない、というのは頷けます。また、いじめが起きてしまうのも、子どもたちに「いま」を楽しめてないからでしょう。たえず未来、将来のことが気になるのでは?(スポーツも”勝つ”ことばかりを目的にしてます)

ひきこもる青年と親の苦しみ 
青年たちが社会が求める大人になるためのレールに乗れなかった、競争主義に耐えられなかったのは、能力が低いのではなく、繊細であり、人間本来の心、感受性が強いからだと思います。でも、不登校になり、ひきこもってしまった自分は社会から認められない人間だ、と思ってしまい、「ダメな人間」として強い自己否定感を持つ。それが、精神的不安定さをもたらし、社会に出ることを難しくしていると思います。
 そうした子どもを持つ親の方は、社会人として高度成長真っ只中で働いて来ただけに、「一生懸命頑張って来た、働いて来た」との思いが強く、「なぜ、自分の子どもが学校へ行かないのか」「なぜ働かないのか」と理解に苦しみます。自分の生き方を否定されたようになり、子どものことを受け入れがたい・・・その苦しさを、私もだんだん分かって来ました。さらに、社会のレールから外れてしまったことは、世間の人々からは「落ちこぼれ」と見なされ、根性がない、意志が弱いというレッテルを貼られてしまう。まわりからも、親戚や友人からもそういう目で見られて肩身が狭い、「友人や親戚付き合いも減ってしまった」と言います。
 それでは、「勤勉」をモットウに頑張って来た、今の日本社会はみんなにとって、より生き易くなってるでしょうか。お互いに支え合える関係が社会全体にあり、将来にも安心感があるでしょうか。「生きていることはいいことだ」と思えるでしょうか。
 東北大震災は、過酷でしたが、自然の偶然が幾重にも重なり合って起こった自然現象として受け入れ易く、みんなで助け合おう、支え合おう、という気持ちになりました。しかし、原発事故は大きな不安をもたらしました。
 「勤勉」「勤勉」のもとに推し進められた経済成長、そして成長神話―いつまでも成長できるわけではないのに―より豊かに、より便利に、より新しいものを、それには電気が必要だ、ということで原発が作られました。しかし、事故は、自然を限界以上に操作した結果であり、経済成長の神話に警鐘を鳴らしたものと思います。(前にも「ひきこもりは社会への警鐘」と書いたことがあります)物質的な豊かさはあっても、精神的豊かさをもたらしていない、格差も広がり、将来への不安はさらに大きくなりました。「お互いに支え合える、何とかなる」とは思えなく・・・
 「勤勉」は必ずしも「善」ではなく、「ぐうたら」は必ずしも「悪」ではない、自然の営みにそって、それぞれがそれぞれの生き方をしていいんだ―という思いが、自分に対する否定的な思いを少しでも肯定にさせられれば、と思います。
(参考文献:「ぐうたら学入門」名本光男著 中公新書ラクレ)

2011/12/01

北東北の秋

 11月初旬、親戚の法事の後、足を伸ばして、青森県の十和田湖とそれから流れ出る奥入瀬渓流に行って来ました。流れに沿って遊歩道があり、小石が見える、すきとおった水を間近に見たり、川岸に茂る木々も半分落葉となり、鮮やかでない紅、黄色の葉がかえって穏やかな色合いとなって、その間を歩くのは、とても心が安らぎ落ちつきました。渓流はゆるやかな流れと、岩にぶつかる激流をくり返しながら流れており、また、両側にそそり立つ岩山から様々な滝が流れ落ちていました。穏やかな流れにほっとし、激流や滝の激しいしぶきや音には自然のエネルギーを感じました。心が沸き立つような・・・。どちらも心を豊かにしてくれる。自然は穏やかなもの(時)もあり激しいもの(時)があります。そうした自然と共に生きているのだと改めて思いました。(東日本大震災はあまりにも激しいものでしたが)
 もう12月、あと1ヵ月、いつものことながら何と早く過ぎることでしょう。特に3月11日の大震災と原発事故、復興の目処もはっきりしないまま、月日が過ぎてしまいました。私自身も具体的には何もしてない、できない・・・申し訳ない気持ちです。
 道草の家も、そんなに大きな問題もなく過ぎて来ましたが、余り活発ではないようです。もう少し活性化できないものかと思います。6頁でもお願いしましたが、親の方たち、支援者の方たち、読者の方たち、道草の家の活性化のためにご協力を是非お願いします。

育つ過程
 生きづらさを抱える青年たち、精神的な不安がありなかなか人と交われない、働けない、人とも(親とも)殆ど話をしない青年たち、そしてそういう子どもを持った親の方たち、そうした青年や親の方の話を聞き、関わるとき、生きづらさ(ひきこもったり)は生まれた時から今までの過程があったはず、どういう育ち方、子ども時代だったのだろう、親や家族学校や近隣の人などの関わりはどうだっただろうという思いが浮かびます。生まれつきの気質もありますが、環境、関わる人たちの影響も大きいと思います。
 色々と絡み合い、積み重なっていますが、子どもは生まれた時から順々に成長するものだと思います。体が少しづつ大きくなり、体の動きもできることが順々に増えていくように。一足跳びということはなく。心も体も順調に成長と言う場合も少なく、滞ったりゆっくりだったり、バランスを崩すこともあります。
 私自身はどうだろう、どういう育ち方子ども時代だったろう、また私の子どもたちはどういう子ども時代をおくり、生まれてから大人になるまでどんな育て方をしたのだろうと考えたりしています。

愛着障害
 そんな折「愛着障害」という本に出会いました。
 「愛着」は心理学の用語として知っていました。戦災孤児が施設で育てられると、一人の養育者ではなく複数の養育者に育てられるため、人と親密に信頼を持って関わる「愛着」が育たないということでしたが、この本ではそうした特殊な子ども達の問題ではなく、一般の子どもにも当てはまるし(発達障害と思われる中にも)大人にも広く見られる問題だというのです。
 「愛着」は、人と人の絆を結ぶ能力、その人の人間関係の基礎となるものです。生き辛さを抱えている人、うつや不安障害、アルコールや薬物の依存症やパーソナリティ障害など、そして、対人恐怖が強く、人と交われない、社会に出られないひきこもる青年たち(家から殆ど出られない人から居場所にこられる人、様々ですが)にとっても、大きな影響を与えていると思われます。
 愛着の基礎は、まず、生まれた後、3才くらいまでに、母親(養育者)との親密な関係で形成されます。泣けばすぐ来てくれる。お乳を飲ませてくれる、自分を守ってく人として母親の顔を覚えます。そうして育った愛着を基地としてだんだん他の人に関心が向かう訳ですが、その前に「人見しり」という状態が出ます。それは、母親と、その他の人の顔がはっきり見分けられるからで自然な育ち方です。ただ母親と子どもの間に安定した愛着が育つためには、母親が安定した気持ちでいること、それには、父親との関係、家族との関係などが安定しており、母親を支えることが必要です。
 母親が不安定だったり、養育者が変わったりすると安定した愛着が育ちにくくなりますが、養育者が変わっても十分な愛着と親密さで育てれば、愛着は形成されます。放任や過保護だったり、勿論虐待があれば、育ちにくいといえます。
 安定した愛着が形成されている人は「安全基地」となる人がいる。自分が愛着し信頼している人が自分をいつまで愛し続けてくれることを確信しており、愛情を失ってしまうこととか嫌われてしまうなどとは思わない。そして、人の反応を肯定的に捉え自分を否定しているとか軽蔑しているなどと誤解することはない。また自分の意見や気持ちを率直に表現できる、それは相手を否定することではなく相手を信頼し尊重しているからこそ本音で話す・・・ということなのです。
 私は親友に率直に話せますが、いつもそれができるわけではなく、思ったことが言えないことが良くあります。それは9歳のとき養女になったため、養母との安定した愛着が形成されなかったからかと思います。道草の家に来ている青年も自分の言葉が相手を傷つけたのではないか、嫌われてるのではないかとしばしば思う
と言っています。
 自分を信頼し、相手を信頼する安定した愛着が十分に育ってない人は多いと思います。それは今からでも育てられる。取り戻せると著者は言っています。(紙面の関係で詳しくは述べられませんが)
◎「安全基地になる存在」があること―親との関係を改善することがもっとも望ましいが、家族、友人、恋人、パートナー、教師、カウンセラーなどがその存在になり得ます。
◎「愛着の傷を修復する」こと―一つは幼い頃の不足を取り戻す。それには「子どもの頃からやり直す(退行も大事です)。幼い頃の状態や問題を順次再現しながら、幼児期、児童期、思春期、青年期の段階と成長していくことが可能です。そして子どもの遊びが子どもの心の回復につながり、子どもの遊びを十分すれば、児童期の段階を過ごせ思春期に進むということも可能になります。(私は子どもの頃、楽しく遊んだ思い出が沢山ありますが、青年たちはあまりないようです。今からでもいっぱい遊んだらいいと思います。
 もう一つは「傷ついた体験を語りつくす」こと―傷ついた体験と向き合い封印してきた過去を整理し、統合し直す作業に立会い、媒介する人が必要。専門家の役割になるかと思います。
 著者は、多くの例をひきながら、くわしく述べています。「愛着障害」という視点は考えるべきことですが、余り深刻に考えすぎてもいけないと思います。(「愛着障害」岡田尊司著、光文社新書―多く引用させて頂きました)

2011/11/01

フクシマにて

 実母の法事で久し振りに訪れた故郷のお寺と墓地は、とても静かで、穏やかで、幼い頃と殆ど変わりません。福島県の真ん中にあるとは思えない。燈篭や墓石の上の部分が落ちて壊れているのだけが地震の名残を見せているだけです。
 福島県は広いので、浜通り、中通り、会津地方と分けて天気予報などは伝えたれていますが(地震情報も)、故郷の石川町は中通りにあり、低い山と山の間に流れる川沿いにある小さな町です。原発事故で発散した放射性物質は、風に乗って山の上を吹き抜けて行き、石川町には余り落ちないとのことで、セシウムのレベルは低く、避難者を受け入れています。
 でも福島県庁に勤める甥、姪、兄妹などの話は、風評被害のことで、「フクシマ」というだけで拒否、敬遠されてしまう。会津地方などもセシウムのレベルは非常に低いのですが、「フクシマ」とひとくくりにされて農産物も拒否されます
 地震、東北大震災に対しては、全国から、「頑張ろう」「応援してる」「絆」などの言葉から寄せられ、多くのボランティアが訪れ、痛みを分かちあっている感じですが、原発事故に対しては、ただただ放射性物質に対する拒否、恐怖感になっています。福島県や近県でもセシウムのレベルが低いところでも、0ではなく、でも全員が避難するわけには行かない、福島県の中の低いレベル中に住んでる人たちは、静かに痛みを分かち合っているように感じます。京都の「大文字焼き」の場合など、長時間、何日も燃やすわけではないし放射性物質の不安を分かち合ってもいいように思うのですが、・・・
いのちと原発
 新聞の一つの記事(10月26日朝日新聞)を読み、怒りと共に悲しい気持ちになりました。それは、福井県敦賀市町の言葉です。「原発には確かにリスクがある。けど、我々は一定のリスクを背負った分、経済的メリットを受けるという選択をしています」「他の都市でも工場がなくなったら、別の工場を誘致してくるでしょう。私たちは原発という『地域産業』を誘致しているのです。」確かに生活するにはお金が必要です。でも、こんなに多大な影響をその市町村以外にも、日本中に世界中に恐怖を与えていることを認識しないのでしょうか。そして未来の人たち、何10年、何100年の先のことを考えないのでしょうか。放射性物質は簡単に消えないのですから。
 一方、茨城県東海村村長は「『原発がなくなったら住民の雇用はどうするか』『村の財政はどうするか』という論議も村内にあります。しかし原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を一基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円のカネがはいる。それがなくなると、また『原子炉を誘致せよ』という話になる」「福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢にすぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです」と言っています。
 敦賀市長の考えも、個人の問題というより、そう思わせる日本の社会なのだ、ということでしょう。
 原発事故が起きても「それをやめたら今の生活、電力を使った生活はできなくなる」「地域温暖化を防ぐためのクリーンなエネルギー」とも言われ、きっぱり「脱原発」と言えない人もまだ多いようです。ということを知ったら、どう考えたら、国民皆が「脱原発」と思えるでしょうか。それに関する本は沢山出てますが、生命科学者柳沢桂子さんの「いのちと環境」(ちくまプリマー新書)が分かりやすく、根本的なことが書かれていると思います。※生命の誕生から人間の存在と環境、成長の限界、人間と気候変動、人類は生き残れるか、―というテーマで書き進められています。
 まず「放射能が怖いのは、放射線がDNAを傷つけるからです」「放射線は、植物にも昆虫にも細菌にも、すべての生物のDNAに影響を及ぼす、直接的にも間接的にもその影響はおそらく私たちにとって甚大なものになるでしょう」と書かれ、
 「私たちは地球を壊してしまいました。その原因は人口の増加と産業が盛んになりすぎたことです。温室効果ガスも増えています。いずれにしても私たちは今の生き方を考え直さなければなりません。」そして最後に「私の人生の終わりに際して、これから生まれてくるものたちに幸せに暮らしてほしいと祈らずにはいられません。まして私たちが木を切り倒し、地面を砂漠化し、沢山の高レベル放射性物質を残してこの世を去るなどということはとても悲しいことです。私は病気でほとんど寝たきりですので、病床で本を書くことしかできません。元気な皆さん、どうか力を貸してください。」と結ばれています。

青年たち
 道草の家の活動の中で関わる青年(彼、彼女)たちのことがいつも気になります。いい方向に進んでる青年もいますが、生きることの辛さがなかなか弱まらない青年がいて、どう考えたら、どう関わったらいいか、思い悩むことの多い日々です。
 自分の精神的な不安定さ、辛さ(通院している)の上に経済的不安がさし迫っている青年・・・母子家庭で母親は心身がかなり弱って来て、その世話をしなければならないし、自分が働かなければならない。でも、同僚や客とも話ができず、コミュニケーションを身につけていないことで落ち込む日々。個人経営で時給は安いし、いつ首になるか分からない。と言って他の仕事につける当てはない。せめて障害者年金を貰えたらいいが、余裕がなく年金を払ってないために貰えない・・・どうしても仕事をするのが辛くなって、一週間休み、それ以上休むと首になるので「頑張って行きます。頑張ります」という言葉で終わる電話。
 具体的な方策もなく、聴くしかありません。「生活保護も考えられる」という私の言葉で市役所に聞きに行ったこともありますが、受給額は今のアルバイトの収入よりも低く生活できない、それに「働かないことには後ろめたさを感じ自分を責めてしまい、楽な気持ちにはならない」と言います。何かいい知恵はないでしょうか。
 また、「青年の思い」に「道草の家への期待」として書いてくれた青年、精神的な苦しさを抱え数年前に訪れ、間をあけながらも来所しています。最初の頃にくらべれば、落ちついて来て、他の青年ともなごやかに話をしています。でも家では激し感情が揺れどうしても自分を責めてしまうとのことで、親も私も「そんなに責めなくていい」「もっと自信を持ってもいいのに」と言うのですが。
 間をあけて来る青年でも、電話やメールのやりとり、などで何とか関われるのですが、親の方たちの相談の中で親と話をしない、顔を合わせない青年たちに対しては、どう考えたらいいか、どういう術があるのか、考えあぐねます。なぜ人と関わろうとしないのか。強い人間不信と絶望感があるのだろうと思います。私たちが手助けするキッカケをつかめないまま時間が過ぎていきます。その難しさを痛感します。私たちの思いをどのようにして伝えたらいいか・・・親御さんには根気よくメモで「心配してるよ、大切に思ってるよ」ということを伝えては?と言ってるのですが。

2011/10/22

すべてをなくしても未来は残る 太陽がまた、幸せを連れてくる

 この言葉は東北の子ども達に海外の同世代から送られた激励の言葉です。(ユネスコが募った「KIZUNAメッセージ」としてブータンとフィジーから送られたもの)
 こういう言葉が発せられる国!感動と共に考えさせられます。
 「未来を信じられる」ということを、日本の若者の中でどのくらいが信じられるでしょう。勿論、震災で家が壊され、流された人たちは、もとの生活ができるようになるか、不安でいっぱいのことと思います。思いがけない災害に逢った場合、未来のことはなかなか考えられない。でも、ひきこもる青年たちに目を向けると、一度”ふつう”からはずれると、「未来はない」と思ってしまう青年が多い現実、どう考えたらいいのでしょう。
 「自分はダメな人間」「社会がそう見る」と思ってしまう。「そんなことはない!」と大声で叫びたくなります。それぞれすてきなところを持っているのに。ある青年は高校を中退した時、教師から「高校くらい卒業できないと、人生は終わりだ」と言われた、と話しました。そして、中学生くらいから不登校になったり、高校に行かれなくなって家にひきこもる-「それはふつうでない、ダメなこと」と自分を責めることは、精神的に不安定になり、病いとなって行くことが多い。
 何とか少しずつよくなり、家から外へ出られるようになっても、”空白”の期間として、ひけ目を感じて、やはり”自分はふつうではない”と強いコンプレックスから抜けられません。ふつうの人の仲間にはなれない「自分の未来を考えるのは辛い」と言ったりします。また、20代半ばすぎると、「同級生はみな、大学も出てたりして、働いている」と思い、自分を知る人に出会うのを怖れて、外へ全く出ない青年もいます。
 日本人の傾向として、”みんなと同じに””ふつう”ということを第一に考えがちです。それが、ストレスになって病気からの回復を遅らせているように思います。道草の家に来る青年たちも、その悪循環からなかなか抜け出せず、調子に波がある青年が多いです。
 先月号で、アメリカインディアンの生き方を書きましたが、未来を担う子どもを大切にし、未来を考えられる若者に育てている-とのことですし、アメリカインディアンと同じように太陽に生きるエネルギーを感じるフィジー(東南アジアの小さな国)の子どもたちは”幸せ”を感じながら生きている-。私たちは、未来を感じられる子どもに、若者に、育てようとしているでしょうか。大切にしているでしょうか。

和田ミトリ

2011/09/10

あしたが消える・・・

 昼間は蝉の声、夜は虫の声、秋が近づいています。でも、原発の影響は深刻さがますます明らかになって来たように思います。いつ収束するのか・・・。管(元)首相は”脱原発”を宣言しながら、他国への原発輸出は容認しています。そして経済界や世論の中にも「脱原発は無理だ」という声を聞きます。一挙に失くすというのは無理でも方向だけは”脱”に一致しないものか、と思います。新聞の中に「問題は『不合理な原発をどうするか』より『不合理が自明な原発をどうにもできない社会をどうするか』なのだ」という言葉を読み、まったくそうだ、と思いました。

 先日、「原発と被災地を支える会」主催の映画会で、20年前に作られた映画「あしたが消える、どうして原発?」を見ましたが、20年前にすでに今回の福島原発事故を予想し、その影響を訴えているのです。日本のあちこちの原子力発電所の建設にたずさわった父親がガンにかかり、半年ほどで亡くなった、という女性が「なぜ?」という疑問を持ち福島原子力発電所を訪ねたり、専門家に疑問をぶつけたり、ということを中心にしたドキュメンタリーです。その少し前にチェルノブイリ事故があり、それらを合わせながら、原発問題を追及したものです。

 その中で、福島原発が地震などで破壊された場合、チェルノブイリの事故と同等の影響を世界に与えると言っていました。そして女性の言葉がとても印象的です。(要旨は)「原発によって多くの電力が作られて、生活がとても便利になり豊かになったけれど、その背後には原発の建設や修繕に関わった人たちがいる。その人たちの犠牲の上になりたっていることを考えてほしい」

 科学の発展、進歩により作られた今の便利な生活を不便な生活に戻すことには、なかなか心が決まらない人が多いでしょう。科学によって何でもできる、自然を支配できる、不快感を取り除き、痛みを弱め、快適な生活・・・そうした傲慢さが今回の原発事故につながったのではないでしょうか。地球は人間だけのものではないし、現在生きている人の為だけではないはずなのに・・・

 生活が便利に快適になりましたが、精神的にも楽に豊かになったのでしょうか。最近のニュースでは、国民の五大疾患として、精神的疾患が付け加えられました。

 なぜ精神的疾患が増えているのでしょう。
太陽と大地 (アメリカインディアンの生き方)

 そうしたことを考えていた時「『野生哲学』アメリカインディアンから学ぶ」(管哲次郎著、講談社現代新書)という本に出会いました。

 その中で最も印象的な言葉は――インディアンの部族では、物事を取り決める会議をする時、「何事も取り決めるにあたっても、我々の決定が以後7世代にわたって及ぼすことになる影響をよく考えなくてはならない」――というものです。

 私たちは何年先のことを考えているのでしょうか。何年先に生きる人々のことを考えているのでしょうか。

 そして、インディアンの人々にとって「人生の意味はゆるぎない。それは土地を共有するすべての生命のために祈ること、生きた土地を励ますこと」なのです。動物も植物も人間と同じように太陽と大地から生まれたものであり、“隣人”なのです。

 先月号で(人の)私たちの承認欲求は3つの段階、「親和的承認欲求」「集団的承認欲求」「一般的承認欲求」があると述べました。

 インディアンの部族の人々は、「一般的承認欲求」を満たすものとして、ゆるぎない共通の「人生の意味」を持っています。それは、家族もまわりの人も、皆同じものであり、お互いに皆、承認されている感覚を持ち、自己肯定感に満ちていると思われます。共に祈り行動することができます。その祈りとは、

 植物を育てることが祈り
動物を狩ることが祈り
太陽や月を見あげることが祈り
水を汲むことが祈り
風を感じることが祈り
なのです。

 著者は言っています。「生物も無生物も含めて、ある土地を織りなすすべてのものは、互いに関係をもち、働きかけあっている。その中で、ヒトの占める位置はごく小さく、ヒトに力はなく、ヒトはつねに助けを必要としている」。動物も植物も無生物もなければ、人間は生きていけない、私たちはそれを忘れてしまったのではないでしょうか。

 日本でも、かつては、山や森、そしてあらゆる自然に神が宿るという、自然信仰、マニミズムがありました。私も山に登りたい、森の中を歩きたい、川や海を船で渡りたい、花や木を育てたい、という憧れがあります。祖先の血が引きつがれているのでしょうか。でも、昔は、山を登るのも森の中にいるのも、川や海にいるのも、生活そのもの、生活の糧を得るものであり、私たちがそうした所で余暇を過ごしたい、と思うのとは違います。

 日本では精神疾患が増えている、なぜなのか。社会に出られない生き辛い青年たちが増えています。悩み苦しんでいる青年たち、関わっている青年たちも、親の会などで話される青年たちも、なかなか回復の方に向かわない、なぜなのか、どうしたらいいのか、いつも頭に浮かびます。(少しづつ人との交わりが増え、少しづつ働き出す青年もいますが)

 働いていても、やっとの思いで働いており、休日を楽しむ余裕のない青年もいます。仲間と交わることも(話をしたり、一緒に楽しむ)、一人で楽しむことも出来ない青年。或いはなかなか働くことができない、また人の役に立たない自分を責めて、精神的な苦しさから抜け出せない青年たち・・・なぜ?抽象的な言葉で言えば、私たちは、太陽と大地から離れてしまったからでしょうか。

 インドの詩人タゴールの詩に共感を覚えます。

『いのちの物語のつづれ織りが織られる

いのちの結び目のある糸をつかって

絶えずつながったりとぎれたりしながら、

枯葉は 土にまみれて消えるとき、

森のいのちに参加する』